アルケミストのお姉さんは、今日もヒャッハーがとまらない!

仁川リア(休筆中)

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第十九話・リリィディアの霊柩(前編)

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 もっぱら話題は、ここフェクダ王国の南端にあるウッディーナの街について。
 このポラリス大陸西側にドンとそびえるポラリス山脈。その山脈をドゥーベ市国・メラク王国・フェクダ王国・メグレズ王国が西側から時計回りに取り囲んでおり、山脈の南側はクーレ海だ。
 つまりウッディーナは、山脈の北側に接していることになる。
「アルコルの温泉に行くとき、ケーブルカーというのに乗った駅のある街ですよね?」
 マリンの誕生日の数日後、マリン率いるクラン『闇より昏き深海の藍ディープ・ブルー』に召集がかかった。ハンターギルドのギルドマスターである、パールの号令によって。
 そして今、ギルドマスタ―室に集ったのはマリン・シトリン・リビアンの三人とパールである。ローテーブルをはさみ、三人は並んで座っていた。
 そして冒頭の台詞はシトリン、パールの口から出た国の南にある『ウッディーナ』という街の名前に心当たりがあったのだった。なお、某県の南にある宇品とは無関係である。
「じゃね」
 そう応じるマリンだったが、リビアンはちょっと訝し気だ。
「なぜフェクダからヤーマ(アルコル)に行くのに、山脈に寄り道するのだ? 遠回りになってしまうと思うが……」
 アルコルへの定期船が出ているミザール王国は、フェクダから東南の方向である。ミザール王国へは魔石鉄道・馬車など陸路を使うルート、あるいは直に飛竜旅客便でミザールを経由しないルートもあるがいずれも東南という方角という点では一致している。
 だがエーゲ山のあるポラリス山脈は西南の方角にあるので、リビアンが疑問を持つのももっともだった。
「いやぁ、そこからのルートが早い場合があるんよ……」
 なんともモゴモゴと、それに応じるマリンは要領を得ない。
 だってそれはそうだろう。その山頂から道なき道を行き、人はおろか動物すらも寄りつかない山脈の奥深く――『原初の竜エンシェント・ドラゴン』であるアストライオスのねぐらがあるのは内緒だからだ。
 もはや『災害級ディザスター』ともいえる大きさと強さを誇るその古代竜は、生態など一切不明の人智を超越した神話のような存在でありながら、マリンとは旧知の仲である。
(アストライオスさんの背中に乗って、アルコルへ行ったんでした)
 そしてアルコルではいろんなことがあったというか、ありすぎたというか――シトリンにとっては不本意きわまりない家族との再会、そしてリビアンとの出会い。
「まぁそれはともかく。パー……ギルマス、ウッディーナの街へ私たちに出向しろと?」
 三人を代表して、リーダーのマリンが確認する。
「そうです。引き受けていただけますか?」
 兎獣人のパール、頭頂部の片耳がピコピコと小さく揺れる。もう片方は常に折れ曲がっているのだが、こちらはかつて自身がAランクハンターだったときの古傷が原因であまり動かせない。
「ギルマス殿、解せないのですが……私にしてもシトリン殿にしても、一騎当千のつわもの。シトリン殿はAランクだが実質は私と同じSランク、どちらかに指名依頼というのはわかるのだが」
「リビアンの疑問ももっともじゃ…ですね。ましてやシトリンとコンビでというなら、よほどの案件だというのは簡単に予想できます。くわえて、私までとなると?」
 そう、パールからの指名はマリン率いるクランに対してなのである。
「あのぅ、ちょっといいですか?」
 そしてシトリンが、ちょっとおどおどと口を挟んだ。
「シトリンちゃん、なんでしょう?」
「はい。さきほど、店長てんちょ……ギルマスは、『引き受けていただけますか』と私たちに打診してきましたよね」
「ですね?」
「マリンさんに対しては、ギルドから指名依頼があればそれは断れないというルールがあったような?」
 マリンがハンターを国の命令でハンターを強制引退に追い込まれそうになったとき(第二話参照)、引退ではなくて休業としたいというマリンとの間で『指名依頼は引き受ける』という交換条件を交わしたのだ。
「えぇ、そうですね。ただ、当時と状況が違うのです」
「というと?」
 困惑するパールに対し、シトリンも表情が晴れない。だがマリンはなにか思いあたったようで、ポンと手を叩いた。
「なるほど、シトリンとリビアンですね」
「私か?」
「え、私ですか?」
 マリンは無言で頷くと、
「当時、クランと言っても私は一人じゃったけ。つまり私が出向かなければいけない、ということなんじゃけど」
「あぁ、なるほど。そういうことか、つまりその約定を交わした当時には実質マリン殿のソロ活動だったもんだから」
 リビアンは合点がいったようだが、シトリンはコテンと首を傾げて。
「クランリーダーのマリンさんが引き受けるなら、当然ながら私たちもお供しますよ?」
 何が障壁ハードルとなっているのか、理解できていない様子である。
「んと、つまりねシトリン。書類上はうちクランへの依頼という形になるんじゃけど」
「はい」
「じゃけん、リビアンもシトリンも一緒にってことになるんよね」
「ですね?」
 マリンは参ったなといわんばかりに、溜め息をつきながらパールに向き合う。
「ギルマスはお優しいからそういう言い方をしてくれたんでしょうが……断れないやつですよね、これ?」
「……すいません」
「まぁ約束だからお引き受けします。ただとりあえず詳細を伺ってみないことには……シトリンやリビアン一人では手に余るほどの、難題だったりするのですか?」
「そうですね……どっちみちマリンさんに例のレポート作成で行ってもらうつもりでしたが、その必要がなさそうなんです」
「悪いほうの意味で、ですか?」
「はい」
 それはつまり調査の必要なし、討伐してこいという意味だ。うちのギルドからは、わざわざ行かせて犠牲を出したくないという。
「ケーブルカーの駅がある周辺はまだ被害は出ていないんですが、一部の……いわゆる貧民窟スラムとされる居住区エリアでの被害が甚大『らしい』と」
「らしい?」
 リビアンが、腑に落ちない表情で訊き返す。
 貧民窟は、程度の差にもよるが行政から見放された地域もある。そういう地域では暴漢悪漢がやりたい放題、衛兵は不在がちだし裏社会と繋がった同じ穴の貉だったりもする。
「なので、そういう情報が正しく伝わってこない……と?」
「そうなんです、リビアンさん。ただそれでも、相手が『人外』だけあって困っているという声は正規じゃないルートから上がってくるんですね」
「人外……『魔獣モンスター』ってことですか?」
「だと思うのですが……」
 マリンの問いにそう言いよどむパールの表情は、暗く険しい。
「マリンさん。シトリンちゃん、リビアンさんも。あなたたちは、『お金』を盗っていく魔獣に出会ったことは?」
 突如として投げかけられた疑問に、マリンたち三人は顔を見合わせた。
「魔獣がお金と知っててという意味ですか?」
 代表して、シトリンが訊き返す。
「そうです。まるで強盗のようにですね、無慈悲に人間を殺してお財布を持って行く……そういう魔獣が出現しているそうです」
「⁉」
 黒死鳥カラスのような、キラキラ光る物を好む動物や鳥はいる。そしてそれは、魔獣も然りだ。
「お金の価値を知ってて……?」
 顎に手をやって考え込むマリンに、パールが重い声で続ける。
「しかも盗られた金は、再び流通している兆しがあるのです」
「ギルマス殿、なぜそれがわかったのか訊いても?」
「構いません。資料によるとですね……」
 そう言ってパールは、机上に置いてある資料を手に取って視線を落とす。
「ケースA。二十代の青年が惨殺され、金品のみを奪われる。その青年が事件の朝、お金にふざけて落書きしたのを仲間が目撃。そしてそれは魔獣に奪われたわけですが……」
 キッと顔を上げて、パールは一息つく。そして不可解だと言わんばかりに、
「その一週間後、破損紙幣として交換依頼が銀行に出されました」
「どういうことでしょうか?」
 合点がいかないシトリンに、
「シトリン。つまり、魔獣が奪った金を使っている人がいるってことになるんよね?」
「あ!」
 マリンの説明に合点がいったシトリンだが、そうだとすると疑問も残る。
「魔獣がお金を使う目的で奪っている……? いや、そもそも魔獣である時点でお金は使えまい。街に出たら討伐されるのがオチだ」
 そう一人ごちるリビアンに、マリンは無言で頷いてみせた。
「そのとおりです。続けますね?」
 パールは資料をめくりながら、なおも続ける。
「ケースB。三十代の女性が魔獣に襲われ死亡、魔獣は死亡した女性の胴体を切断して上半身のみを持って行方をくらましたのを複数の人間が目撃――」
 そこまで読んで、パールは資料から目を上げた。
「しかもですよ? 破損紙幣交換に訪れたのは、この死んだ女性らしいのです。ちなみにですが、男性と女性は同一日に魔獣に襲われて亡くなっています」
 そしてパールから聞かされたその衝撃的な事実に、
「へ?」
 思わず、変な声が出てしまったマリンだ。
「もちろん、本人じゃないでしょう。下半身のみだとはいえ埋葬も終わってますし。つまり、死んだ女性と瓜二つの人間じゃない存在が、同じく殺された青年から奪われたお金を使っているということになるんです」
「不死術の可能性は?」
 いわゆる死霊術師ネクロマンサーと呼ばれる、国からは禁忌の職業とされる術者によって施される外法である。朽ちた遺骸を己が傀儡とする、人の道に外れた死者への冒涜。
「私もそれは考えました。でもね、マリンさん」
 そう言ってパールは、ゴクリと生唾を呑み込む。
「不死術だと遺骸をそのまま使うわけですから、当然襲われたときの怪我や欠損はそのままです。ですがその形跡がない、まるで生きているかのように五体満足で元気な姿が防犯映像として記録されているのです」
「不思議な話だ……」
 さっぱりわけがわからない風のリビアンに、マリンがたたみかける。
「不思議なのはそれだけじゃないんよリビアン」
「と言うと?」
 マリンはチラと、パールに何ごとかを確認するように一瞥をくれた。パールはニッコリと笑って、無言でOKのジェスチャーをしてみせる。
「公にはされてないんじゃけど、ハンターギルドや銀行などのいわゆる国営施設は魔石による結界が敷いてあるんよ。魔獣や死霊なんて『招かれざる客』については、来たらするわかるけん」
「へぇ、そうなんですね」
 知らなかったとばかりに、シトリンが感心して頷いた。
 本来ならば、ハンターギルドに勤めるパールやマリンには公務員としての守秘義務が生じる。だが緊急事態ゆえに、それをシトリンとリビアンに明かしたのだ。
 そしてマリンの説明を、パールが引き継ぐ。
「それには二つタイプがあってね。一つは、建造物への入場を強制的に制限するもの。銀行はこっちのタイプよ」
「つまり、入ることは叶わないと?」
「そう。そしてもう一つは入場はさせるものの、それを内密に職員に通知するもの……ハンターギルドはこのタイプね」
 パールのその説明にリビアンが納得したように頷いて、
「つまり、討伐するためにということだろうか」
 と応じた。
「えぇ。まぁ詳しくは勘弁してちょうだい。一応、公務員として秘さなければいけないから……要は、死霊でも魔獣でもない『死んだ女性』が銀行窓口に来たってことなのよね」
 しかも持ってきたのは、『死んだ男性』が奪われたお金だったのだ。
 マリンはふとなにかに気づいた感じで、パールに向き直る。
「肝心のことを訊き忘れてました。その魔獣の姿風体は?」
「それがね、はっきりしないの」
「え?」
 パールいわく。下半身が人型の蜘蛛であることもあれば、鳥のような羽を持つ百足ムカデのようであったり。かと思うと、胴体が亀のように甲羅で覆われていながら、頭部と四肢そして尻尾が獅子であったりと。
「気持ち悪いですね……」
 思わず身震いしてしまうシトリンである。
「いずれも聞いたことがない……いや、上半身が人型で下半身が蜘蛛というならアラクネという魔獣が伝承には残っているものの」
 三人の中では一番の長寿であるリビアンでさえ、それは初耳の魔獣ばかりであった。なお年齢は、トップシークレットとなっている。
「私も、どれも初めて聞くわ。一応、百年以上生きてるのだけどね?」
 困ったように、リビアンよりも長寿のパールも同意してみせた。
「人為的なものを感じますね」
「マリンさん?」
「それらに共通する、ある事柄……お気づきですか?」
 そう言ってマリンは、眼鏡を外した。藍色の瞳が、部屋の照明に反射してキラリと光る。
「かけ合わされた複合獣……いわゆる、キメラばかりです」
「それは私も気づいたけど……キメラって、もう何千年も前に絶滅したのはマリンさんも知ってるわよね?」
「そうなんですが……だからこそ、なんです」
「ふむ。『人為的』て部分?」
「はい」
 死霊術ネクロマンスとも違う、複数の魔獣を合成させるそれは禁忌とされる錬金術のうちの一つ『交配術スパイラル』。これは禁忌中の禁忌で、研究をしただけでも死罪となるほどだ。
「私の知る限り、そんな人の……いえ、生けとし生ける者の道に外れたことをできそうなのは二人。そしてやりそうなのはそのうちの一人ですね」
「マリンさん……訊いても?」
「できるだろうけど、絶対にやらないと思うのはギルマスもご存じのソラ姉です」
 大陸一の魔導士にして呪術師。ここフェクダ王国が誇る、六賢者が一人だ。
「あぁ、ソラさんならできるでしょうし絶対にしないでしょうね。もう一人は?」
「……」
 マリンは、チラとシトリンを見る。それに気づいたシトリンが、なんだろう?とばかりにマリンに視線を合わせて。
 そしてマリンは、左手を服越しに片方の乳房にあてた。かつてこの乳房に人心を惑わす魔薬を打ち込んで、自分を中毒症状まで追い込んだ監物クソを思い出し血液が沸騰する心地を覚えて。
「闇の錬金術師・モリオンです。特級指名手配犯の」
 特級指名手配犯とは、『生死を問わず』クラスの指名手配である。つまり、捕まえるためなら死体でもよいという意味の。
 だがモリオンの捕縛を試みた多くのハンターが、返り討ちになって犠牲となった。一度は当時十八歳だったハンターギルドの受付嬢・マリンの手によって身柄を確保されたものの、難なく牢獄から脱獄してのけたのだった。
「モリオン……ッ」
 そしてマリンが漏らした言葉に、シトリンが俄かに殺気立つ。
 かつてシトリンの両親を言葉巧みに傀儡あやつり、違法薬物の製造販売に携わらせたのが、同じく特級指名手配犯のブラッド。そのブラッドに協力し、不覚をとったマリンの白くて綺麗な胸に悪魔の薬を打ち込んだのがモリオンだった。
「シトリン殿、すごい殺気だが……」
 リビアンが戸惑ったように、シトリンの表情を見やる。
 一方でパールは顎に手をやって考え込んでいたのだが、少し懐疑的な表情で。
「確かにあの男ならやりかねないけど……そういう技術はあるのかしら?」
「『キャットボイス』です」
「あの魔薬の?」
「はい」
 マリンが胸に注入されたそれは、この世界に存在しない薬品だった。
 工場で人為的に精製されたものであったが、その原材料ですらもこの世界に存在しない……いわば遺伝子操作によって作られたことが、その後にマリンの検証によって判明していたのだ。
「最初はブラッドがとも思ったんですが、あの男のやり方とは違う。ブラッドの場合は、人の心をへし折る愉悦を渇望するんです。対してモリオンのほうは」
狂気の錬金術師マッド・アルケミストってわけね?」
「はい。指名手配されているモリオンならば、逃亡資金はなによりも欲しいはず。魔獣を『創りあげ』て操り、無作為に強盗殺人をやらせる……」
「なんて奴だ!」
 憤るリビアンに、先ほどからキレまくっているシトリン。特にシトリンはサルファー島に於いて、モリオンの罠にはまり自らの手でマリンを殺すところだったのだ。
「殺す殺す殺す絶対殺す……私のマリンさんを汚した報い……」
 ぶつぶつとつぶやきながら、シトリンの琥珀色の瞳がギラリと光る。
「シトリンちゃん、落ち着きなさい……って言っても無理か」
 諦めたように、パールが嘆息する。そしてリビアンは、マリンから放たれる異様な『氣』を敏感に感じ取る。
「マリン殿?」
「なんでしょう?」
「マリン殿は大丈夫か?」
「心配はいりません。私は大丈夫ですよ」
 そう言ってマリンは、ニッコリと笑ってみせるのだけど。
(私に対して敬語になっているではないか)
 マリンが冷静ならば、『大丈夫じゃけ』といつもの方言が出るのだろう。だがマリンもシトリンと同じく、
(シトリンに私を殺させようとした罪、必ずあがなわせるけん……)
 と内なる怨嗟の炎をたぎらせていた。
 だがここにモリオンはいない。いないからこそ殺気は外に出すまいと、本人としては頑張っているつもりだった。
 リビアンは、小刻みに震える自分の手のひらをジッと見る。
(『また』、失禁してしまいそうだ)
 狼獣人の本能が、マリンから漏れ出る阿修羅のごとき殺気に完全にあてられていた。それは究極妖鬼としての血によるものなのか、シトリンへの愛ゆえなのか――。


「そろそろ、ウッディーナの街じゃね」
 マリン率いるクラン『闇より昏き深海の藍ディープ・ブルー』の、三人での初仕事。その目的地であるウッディーナの街へ、三人を乗せた馬車が走る。
 リビアンがメンバーに加わってからは初めての仕事で、かつハンターギルドからの指名依頼だ。その依頼内容は、強盗魔獣の討伐および大元のせん滅。
「はたしてモリオンなんでしょうか?」
「ほぼ間違いないじゃろうね。錬金術で合成獣キメラなんて本当は無理もいいとこなんじゃけど、道具アイテムを併用すれば理論上は可能なんよ」
 シトリンの問いに、マリンが険しい表情で応える。
「そんな道具が存在するのか。いわゆる魔導具だろうか?」
 だがリビアンは、怪訝そうに首を傾げる。そんな遺伝子を組み替えるような外法は、たとえ魔導具を使用していても可能なのだろうかと。
「ううん。一般人、いやハンターですら入手は難しいじゃろ……『呪具』じゃけん」
「呪具⁉」
 リビアンが狼狽えるのには理由がある。呪具とは呪術師が使用する道具だが、市場マーケットに出てくるものは『解呪』を目的としたものがほとんどだ。国がその販路を規制しているのもあって、あまり一般市民には馴染みがないのである。
 だがマリンは無言で頷くと、コンテナーポーチから一冊の本を取り出して。
「これは数千年前に書かれた錬金術の……いわゆる古文書なんじゃけど」
「へ?」
「あっ、あの! マリンさん⁉」
 何故か慌てだすリビアンとシトリン、しかもシトリンは赤面している。そして両者の視線は、マリンが取り出した本に向いていた。
「この古文書、ソラ姉から借りたんじゃけど。かつて絶滅した合成獣も、錬金術による産物じゃないかって考えとる人がおったらしいんよ」
「……それが、古文書?」
「あのあのっ、マリンさん‼」
 だが真剣シリアスな表情のマリンとは対照的に、シトリンとリビアンの狼狽は収まる様子はない。さすがにマリンも二人の空気が変になったのを怪訝そうに感じ取り、
「二人とも、どしたん?」
 と訊いてはみるものの。リビアンはサッと視線を外し、シトリンは赤面したままマリンの手元の本を指さす。
「これがどうか……あ⁉」
 マリンの手に握られていたのは古文書どころか、ピーがピーしている表紙のBL本が握られていたのだ。しかもそのタイトルたるや、
『今宵、愛しの君のチョコバナナを ~君のために拡げたラブポケット~』
 という、腐敗度が高めの。もし所持していることがばれたら社会的に死んでもおかしくないそれを持って、マリンはドヤ顔で高説を垂れていたのである。
「……」
「……」
「……」
 マリンは無表情かつ無言でそれをコンテナーポーチに仕舞うと、おもむろに古びた装丁の本を取り出した。
「この古文書なんじゃけど、これによると……」
 しれっとなかったことにしようとするマリンに、
(続けるんかーい!)
 とリビアンは心の中でツッコむ。
「これによると、呪術師が使う呪具を併用した錬金術ならば『未知の合成獣』の錬成が可能とあるんよね。実際に、創り出した錬金術師も過去におったらしいけん」
「生き物への、いや神への冒涜だな」
 マリンの意を汲んで、リビアンは先ほどのBL本を見なかったことにした。だがマリンのBL趣味を知っているシトリンとしては、どうしても知りたいことがあったようで。
「マリンさん、あの……チョコバナナとはいったい?」
「ちょっ、シトリン殿⁉」
「えーっと、つまりね。男の人は穴が、」
 不意に蒸し返された質問で大パニックのマリン、狼狽のあまり詳しく説明しようと口を開く……のを、リビアンが急いで塞ぐ。
「シトリン殿! そっ、その話はあとで二人きりでやってくれ‼」
「? わかりました」
 もはや赤面して正面を向いていられないマリン、ショボーンと俯いて無言になってしまい。
「はっ、 話を戻そう‼」
 リビアンが慌てて会話の舵を取り戻すべく提案したところで、馬車は目的地に到着した。そして一時の本拠地とする宿屋を探すべく、三人は徒歩で街に繰り出す。
「それにしてもマリン殿」
「ん?」
「腐女子なのに百合なのか?」
っ……うん。あ、いや違うけん。それは、相手パートナーがシトリンじゃから」
「私がなんです?」
 マリンがネチネチと公開尋問されながら歩くことしばし、空き室有りの看板を掲げた宿屋を見つけて三人は中に入った。
「いらっしゃいませ!」
「女性三人、うち二人は獣人ですがお部屋は空いてますか?」
 代表してマリンが受付にいる女将に問うも、女将の視線はマリンの背後にいるリビアンとシトリンに向かう。
「構いませんが、そちらは奴隷ですよね?」
 唾棄するような口調で、その女将はシトリンを指さした。
「奴隷の方だけ、馬小屋に『お繋ぎ』になりますがよろしいですか?」
「……」
 無言になるマリンの背中から、藍色の瘴気が立ち上る。マリンの背後にいるため表情が見えないものの、そのただならぬ怒気を察してしまうリビアンとシトリンだ。
「マ、マリン殿⁉ 違う宿にしよう! うん、そうしよう⁉」
「マリ、マリンさん‼ 私は大丈夫です、馬小屋でも全然っ」
 と慌ててマリンの背後から声をかけるが、マリンは振り向くことなく小声で女将になにごとかを話し、そしてコンテナーポーチから一枚の用紙を取り出してカウンターの上に置いた。
 女将はその紙に目を落とし書かれている内容を確認すると、
「あぁ、そういうことですか。なら大丈夫です」
 そう言って態度を豹変させた。だが不思議そうに、マリンの斜め後ろにいるシトリンの首に装着された奴隷環を一瞥する。
 それを受けて素早くマリンが小さく一歩横に踏み出し、女将からシトリンが見えないように遮った。
(なんだろう?)
 とシトリンは思ったものの、その場は自分が口出しできる空気じゃないので首を傾げる程度で留めておく。
「空いているお部屋は二人用ダブルが一室と一人用ソロが一室になりますが……」
「構いません」
 そう言いながらマリンは、その用紙を背後の二人に見えないようにそそくさと仕舞う。そして宿帳に記入して手続きを済ませ、手渡された鍵を預かった。
「シトリン、大丈夫じゃけ。聞いてのとおりなんじゃけど二人用のほうは私とシトリンが、一人用はリビアンでええ?」
(ダメだとは言ってほしくなさそうだな)
 リビアンは苦笑いを浮かべつつ、無言で頷く。そしてシトリンは不安そうに女将とマリンの顔を交互に見て。
「はぁ、私は構いませんが……先ほどの紙はいったい?」
「シトリンは気にせんでええけ。ほんじゃ、部屋に行くけん」
 早口でそう言ってスタスタと歩き出すものだから、リビアンとシトリンは慌ててあとを追う。とりあえず話したくなさそうなので、シトリンはそれ以上の追求を諦めた。
 それを見送る女将は不思議そうに、
(なんで、まだ奴隷環を着けているのかしら?)
 そんなことを考えながら首をかしげる。
 マリンが女将に見せたその用紙――それは奴隷ギルド発行の、『奴隷解放証明書』。
 違法奴隷出身であっても奴隷解放できるように、旧知の仲であるクラリス皇女の力を借りて法改正に尽力してもらったのは数ヶ月前のこと。
 それによって違法である闇市場ブラックマーケットに売られた地下奴隷出身の場合は一律、借金奴隷として奴隷購入金額の十倍で奴隷解放が成る新法が成立したのだ。
 だがシトリンの購入金額は、マリンが奴隷オークションで仕かけたマネーゲームで四億リーブラにまで膨れ上がった経緯がある。そしてその十倍である四〇億リーブラとなると、もはや大富豪でも簡単に出せないレベルの金額だ。
 しかし幸いなことに、ここフェクダ王国どころかこの帝国きってのSSランクハンターだったころに荒稼ぎした財産がマリンにはあった。なので、新法成立後にシトリンには内緒であるが奴隷解放手続きを行っていたのである。
 シトリンに内緒にしているのは、理由があった。
 シトリンにとって『マリンの奴隷である』というのが、彼女にとって矜持プライドであり存在証明アイデンティティと化しているためだ。
 いずれは話さなくてはいけないことだが、今はまだ秘しているマリンである。というか、バレてシトリンに怒られるのがイヤだったのもあった。
 くわえて現在、シトリンは戸籍上ではマリンの養女だ。マリンが家名持ちなため、シトリンの名前もシトリン・ルベライトなんである。
 なので奴隷を指す第五等民より二段階上、家名を持たない第四等民より上の第三等民がシトリンの公式な身分となっていた。もちろん、奴隷環はすでに解呪されている。
 シトリンの奴隷環は古いタイプなので、奴隷ギルドによる解呪の法とは連動しない。普通に鍵を回して開錠アンロックする形式タイプで、その鍵はマリンが肌身離さず持ち歩いているのだ。
 通常ならば、奴隷解放後はとっとと奴隷環なぞ外すのが当然というのが社会の認識である。ゆえに女将は、シトリンが奴隷解放されてもなお奴隷環を装着したままだったのを訝しんだ。
 だが当然ながら、奴隷環の呪はもう発動しない。
 もしシトリンがマリンの命令に背くことがあれば奴隷解放済みがバレる危険はあったが、そのときはそのときだとマリンは腹をくくっている。
 今はシトリン、それをまだ知る由もなく――。


 翌朝、宿の食堂で三人は早めの朝食をとる。そのさなかで、マリンはわずかな『違和感』を感じとっていた。
(注目されちょる……?)
 周囲の客たちから、なにやら見られているような気がしてならなかったのだ。だがそれは気のせいだと思い直し、テーブルの上に地図を広げて。
「とりあえず今日は、この街の東部と中心部、そして西部に三人でわかれて情報を収集しようと思うけん」
 パンに総菜をはさんだ軽食を片手に、地図上の三つのエリアをマリンが指さす。
「心得た。時間は?」
 朝だというのに、リビアンが手に持つはいわゆる『漫画肉』だ。大きな肉から飛び出た骨部分を持って豪快にパクつくさまは、狼獣人ゆえのワイルドさを引き立てる。
「昼食はめいめいが、自分のタイミングで。情報共有は魔電スマホを、夕の……ほうじゃね、可能なら暮れ六つ(十八時)にここに集合。帰れないようなら魔電で連絡」
「では私は東部を担当しよう。メラクとの国境沿いになるが、なにか注意点はあるか?」
「国境沿いじゃけ……」
 マリンは顎に手をやってしばし考え込み、地図を見下ろす。
(この魔獣騒動は、メラクではまだ起こっちょらんちゅうし……じゃけど)
「リビアン、国境沿いの主にメラクから越境する人にも訊いてみてほしいんよ。似たようなことがメラクで起こっちょるかどうか」
「了解だ」
 そして黙って聞いていたシトリンに、マリンは向き直る。
 シトリンは魚介をすり潰してペースト状にした『ユールチ』と呼ばれるスイーツが入っている、スティック状のチューブ容器を口にしていた。
 それはまるで女の子が棒の先のキャンデーを口に含んでいるように見えたものだから、
(シトリンが可愛い……♡)
 とマリンの頬も緩む。
 ソラの商会が新たに売り出した携帯保存食で、海に面していない都市へも鮮度を保ったまま輸送できることから特に猫獣人に人気を博している逸品である。
「シトリンはその……奴隷じゃけ、立ち入りが制限されるところも多いと思うんよ」
 忌々しそうに、マリンが吐き捨てる。だがシトリンはニッコリと笑うと、
「心得てます。主に治安の悪そうな西部の貧民窟スラムを中心にあたってみます」
 そしてマリンの言葉を気にしてませんよという、ちょっとわざとらしいながらも新しいユールチを口に運ぶ仕草を見せる。
「シトリンには、もし身に危険が及んだ場合に『いかなる手段』をも許可します」
「わかりました」
 チューブを口から離し、シトリンがうなずく。
「それと、もし奴隷ってことでイヤな目にあったらそいつの顔を覚えて名前を訊きだしときんさい」
「……はい」
 一応返事はしておくが、それは絶対にできないなとシトリンは溜め息をついた。
(さすがにギルドの職員が、私怨で刃傷沙汰はまずいよね)
 だがマリンのその気持ちが嬉しくて、自然と顔もほころぶ。
「私は中心部、主にケーブルカーの駅周辺を回ってみようと思うんよ」
 そう言って、地図の一点を指さす。ケーブルカーは山脈のフェクダ沿いにあるエーゲ山の山頂をめざし、そこから南の隣国・メグレズへ降りるルートになっていた。
「いや、マリン殿。ちょっといいか?」
「リビアン?」
「ギルマス殿は、駅周辺は被害が出ていないと言ってたような」
「ほうなんじゃけどね」
(もし私の推測が当たっていれば、メグレズにも似たような事件が起こり始めるはずじゃけ)
 その視線は、ケーブルカーのフェクダから見た終点・メグレズのヤスーラの街を見つめる。まだ人類未踏の地が多く残るポラリス山脈の深部に、モリオンが潜伏している可能性を考えていたのだ。
「なるほど、前の事件もそうでしたよね」
 マリンのその意見を受けて、シトリンが納得したように頷いた。
「前の事件?」
 と怪訝そうに訊ねるリビアンに、
「かつて『キャットボイス』ていう魔薬が製造されていた場所がね、立ち入り禁止区域が多いサルファー島じゃったんよ」
 マリンがそう解説すると同時に、シトリンの表情が強張った。
「あぁ、猫獣人たちが……いや、すまぬ」
 かの魔薬を流通させた黒幕はブラッドだったが、その製造を担っていたのはシトリンの故郷の村に住む猫獣人たちだった。そして製造の指示を出していたのはシトリンの両親だったのだが、リビアンはそれを知らない。
 だが同じ猫獣人ということで、シトリンを不快にさせてしまったのではと気を揉む。そんなリビアンに、シトリンは気にしないでとばかりに無言で手を振ってみせた。
 だがそれでもいたたまれないとばかりに、リビアンはわざとらしく話を逸らそうと試みる。
「そっ、それよりマリン殿。シトリン殿もそうだが、夕べはその……『お楽しみ』だったのだよな?」
「‼」
「……ッ⁉」
 途端に、顔を真っ赤にしてしまうマリンとシトリンだ。そしてリビアンは、少しだけ気まずそうな表情を浮かべる。
「その、この宿の壁は薄いゆえ……もうちょっと声を抑えてもらえると、だな?」
「うぇっ⁉ そ、そんなに?」
 そしてマリンがふと思い出すのは、さっきから気になっていた周囲の視線。チラと周囲を見渡すと、食事中の客たちが慌てて視線を逸らした。
「もしかして、さっきから見られちょるのって……」
「まぁそういうことだろうな」
 困ったように苦笑いを浮かべるリビアンだったが、マリンは思わぬ失態に赤面しきりである。シトリンにいたっては、うつむきすぎて頭頂のつむじが見えるほどに。
「ちっ、ちがっ‼ 夕べはリバったけ、全部シトリンの声なんよ‼」
「マリン殿、声が大きっ⁉」
 リビアンが慌てて、両手でマリンの口をふさいだ。周囲の客たちはマリンたちの会話は気にしてないというそぶりを見せつつも、静かに聞き耳を立てていて。
 マリンとシトリンの閨の関係は、シトリンが攻めでマリン受けである。だがたまに、その役目を逆転リバースして楽しむこともあった。
 要するに、夕べは宿中にシトリンの嬌声が響き渡ったのである。あわれシトリン、『マリンさ……やめて……』と小さくつぶやきながら机に突っ伏してしまった。
「あうぅ……」
 思わずマリンも、顔を真っ赤にして両手で顔を隠して。
「まぁそのなんだ、仲良きことはその……よ、よきよき?」
 リビアンも自分のせいで思わぬ注目を浴びてしまった罪悪感から狼狽しきりで、フォローにならないフォローが口を衝いて出る。
「ま、そっ、そういうことじゃけん‼」
「そ、そうだな⁉」
「はっ、早く出ましょう!」
 大慌てで残りの食事をかきこみ、逃げるように三人は食堂を飛び出したのだった。


「まったく、ひどい目にあったけん」
 少し走って、宿屋が見えなくなったあたりで開けた街の広場。その噴水の前で三人、荒い息である。
「うぅ、もうあの宿に戻るの恥ずかしいです……」
 シトリンは気の毒なくらい落ち込んでいて、
「私は純粋な被害者だよな⁉」
 リビアンは半ギレである。
「ほうじゃね、いいことを考えたけん!」
「なんです?」
「シトリンのときは、口にパンツを突っ込んでおけば声が外に……リビアン、般若の顔で睨むのやめて?」
「な ん の 話 を し て い る ?」
 さすがはSランクハンターで狼獣人、周囲の人たちがその殺気で震え上がる。
「いや、じゃから声が漏れる対策として」
「マリン殿、言わんでいい!」
 そういうことじゃないとばかりに、リビアンは溜め息をもらした。隣で『なるほど』とシトリンが呟いたのは、誰にも聴こえなかったようである。
「ま、気を取り直して。リビアン、シトリン、ここで散会するけ」
「承知した」
「かしこまりました」
 そしてマリンたちは、軽快に三方に散っていく。正確に言うと東部と西部に向かうリビアンとシトリンの両名が、その獣人の潜在能力ポテンシャルを生かしてダッとその場から瞬時に姿を消した。
 一方ですでに自分の受け持ちの中心部にいるマリンは、ゆっくりと歩を進める。
(もし山から降りてくるんじゃったら、居住区から離れたところじゃね)
 クルッと振り返り、そびえ立つエーゲ山を見上げる。そしてポーチから地図を取り出すと、いくつかのエリアにあたりをつけてペンで囲んだ。
「ふもとの街、このあたりから探りを入れてみるけん」
 ちょうど視界に乗り合い馬車の停車場が目に入ったのもあって、すでに並んでいる人たちの最後尾につく。懐中時計を取り出して時刻表を確認していたとき、ちょうど馬車が到着した。
 その停車場は複数の行先で共用しているらしく、誰も馬車には乗ろうとしない。別の行先が目当てなのだろうと、マリンは行列をショートカットして一人で乗り込む。
「お姉さん、この馬車はヤキャーマ行きでっせ?」
 ヤキャーマとは、エーゲ山のふもとの小さな町だ。とりたてて産業はなく、近年は若者の止まらない町外流出が懸念されており、過疎化が進んでいる。
 御者が乗車補助業務も兼ねるワンマン馬車のようで、その御者がマリンが間違えて乗り込もうとしているのかもと懸念して確認したのだ。
「えぇ、合ってます。おいくらですか?」
「そうかい。五八〇リーブラになりまさぁ」
 賃金を払い乗り込むと、すでに先客がいた。ダークエルフの見目麗しい美女と、鼠獣人デミ・ラビットの幼い少年だ。
(あ、奴隷環……)
 その少年の首には、シトリンと似通った奴隷環が装着されていた。見たところ、女性もそうだが少年も清潔でこざっぱりとした衣類に身を包んでいる。
 やや細身ながら肉付きもよく、その表情には虐げられた者の悲壮感というものは感じられなかった。
(大事にされちょるんじゃね)
 着座したばかりのマリンがついつい見すぎてしまったのもあり、少年は恥ずかしそうにうつむく。そして奴隷で獣人であることから忌避の感情を持ったのだと思ったらしく、その女性はギロリとマリンに一瞥をくれてきた。
「あ、失敗した」
「はっ⁉」
 思わず言葉を漏らしたマリンに、その女性は瞬間的に怒気の表情を浮かべる。
 マリンとしてはジロジロ見て失礼だったなという自省のあまり出た言葉だったが、この女性としては自分が連れている少年が奴隷もしくは獣人ということで差別ヘイト感情を投げかけられたと誤解したのだろう。
「ジロジロ見てごめんなさい。その子が可愛いなと思って、ついつい見てしまったんです」
 自らも奴隷であるシトリンのご主人様として、その女性の気持ちが痛いほどよくわかった。だからこそマリンも、少し狼狽しながらも遠慮がちになる。
「ふーん?」
 まだ納得がいかなさそうで、その女性の表情はこわばったままだ。マリンは一瞬困ったように怯んだが、深々と女性に頭を下げた。
「本当にごめんなさい、誤解させてしまいました」
 そして顔を上げると、今度は少年にも頭を下げる。
「ボク、ごめんね? イヤな思いをさせてしまったよね?」
「えっ、あの⁉ いえ、そんなことは!」
 まだ根強く残る獣人差別に、奴隷差別。それはイヤというほど味わってきたから、身なりがいい美人のお姉さんであるマリンに頭を下げられて、少年はうろたえながら助けを求めるように自分のご主人様を見上げた。
「いや、こちらこそ誤解して無礼な態度を取ってしまいました」
 ここでようやく、その女性が笑顔を見せる。
「奴隷に頭を下げることができる人なんですね、顔を上げてくださいな」
 そう言いながら、頭を下げたままのマリンの上半身を両手で起こす。
「私はジルコン。見てのとおりダークエルフです。そしてこの子はアイオライト、鼠獣人で……私の奴隷です」
 奴隷として紹介する際のその女性の表情が一瞬曇ったのを、マリンは見逃さない。自分もまた、シトリンを奴隷として紹介することに強烈な嫌悪感を覚えるからだ。
「私はアクアマリン・ルベライトです。それにしてもジルコンさん」
「はい?」
 マリンはニッコリと笑って、
「可愛い『弟さん』ですね?」
 そう言って、アイオライト少年の頭に手をやる。もちろん、ダークエルフと鼠獣人が血の繋がった姉弟なわけがないことはわかっている。
「それとも息子さん?」
 悪戯っぽく笑って、マリンはジルコンにそれを訊ねた。
「そっか、最初からそう紹介すればよかったんですね」
 ちょっと目を潤ませて、ジルコンはちょっといたたまれなさそうな笑みを浮かべる。そして、
「弟、ですね。年齢的には母子でもおかしくはないんですが」
 そう改めて説明するが、アイオライト少年はちょっと面白くなさそうに小さくそっぽを向いた。ジルコンはそれに気づかなかったが、マリンはその様子を見逃さない。
(あららー? 弟さんのほうは、ジルコンさんを異性として見ちょるのかも)
 不意にシトリンを思い出して、思わず苦笑いがこぼれる。
「アクアマリンさんは、ヤキャーマの方じゃないですよね?」
「ですね。ガンマから来ました」
「首都から⁉ あの、ヤキャーマにお知り合いでも?」
 地元の人間しか行かないような町なのも加え、乗車賃が高額な乗り合い馬車を利用してまでヤキャーマに行く理由はない。少なくとも、それが地元民の考え方だった。
「ハンターギルドから派遣されて、調査に行くんです」
「ヤキャーマに???」
 さっぱりわけがわからないといった表情を浮かべるジルコンである。治安が悪いわけではないが、ただ田園地帯が広がるだけのふもとの町……そこになんの調査なのだろうと。
 ただ、なにか思い当たることがあるらしく一瞬だけ警戒の表情をマリンに向ける。真意を確かめるべくマリンの表情を探ろうとするが、その藍色の瞳はブ厚い眼鏡に阻められて見定めることができない。
 もちろんマリンとしても、調査内容を容易に明かすわけにはいかない。だが旅人を装うにもヤキャーマの町へ行くというのは不自然なこともあって、ここは正直に言おうと思ってたのだ。
 なのでマリンは、期待していなかった。むしろ、なんの調査であると誤魔化そうかと思慮を巡らせていたぐらいで。
「お姉ちゃんは、化け物の調査にきたの?」
 何気なくもらしたアイオライト少年のその言葉に、マリンの表情が止まる。
「ちょっ、バッ……それ外で言っちゃダメって」
 ジルコンが慌ててアイオライト少年の口をふさごうとするも、時すでに遅く……マリンがアイオライト少年の両肩をガシッとつかんだ。
「アイオライト君。その話、お姉ちゃんに詳しく教えてくれる?」
 諦めたように嘆息して、ジルコンが天井をあおいだ。
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