人生最後のときめきは貴方だった

中道舞夜

文字の大きさ
23 / 33

22.篠突く雨

しおりを挟む
「……さん?……七海さん?」

魚基地の賑やかな喧騒の中、カウンターに並んで座り、恭吾と二人でグラスを傾けていた。しかし、七海の意識はどこか遠い場所に漂っていて、恭吾に何度か名前を呼ばれたことに、ようやく気が付いた。

「どうかしました?」
恭吾は、少し心配そうな表情で、七海の顔を覗き込んだ。

「え?」
七海は、ぼんやりとした目で恭吾を見返した。

「今日の七海さん、なんだかいつもより元気がない気がして。大丈夫ですか?」

恭吾の優しい声が七海の耳にじんわりと染み渡る。彼のさりげない気遣いが、張り詰めていた七海の心を少しだけ和らげた。

「そ、そうかな……。ごめんね、大丈夫。ありがとう」
七海は、力なく微笑んだ。心配をかけてしまったことに、申し訳なさを感じた。

「なら良かった。」
恭吾は、ホッとしたような表情を浮かべた。

「ちょっと、ぼおっとしてちゃった。ごめんね。そろそろ行こうか」
七海は、立ち上がる仕草を見せた。長居するのも気が引けたし、何よりこの不安定な自分の感情を悟られたくなかった。

「はい。そうしましょうか」

恭吾もすぐに立ち上がった。七海は、恭吾が時折、心配そうにこちらに視線を向けていることに気づいていた。会計を済ませ、恭吾は先に店の入り口の暖簾をくぐり外へと歩き始めた。

店を出ると、予想外の雨が降っていた。天気予報では深夜から雨の予報だったがかなり早く降り出したようで、すでに本降りの雨脚となっていた。

「あーーー。」
恭吾は、空を見上げ少し困ったような声を上げた。背中にはビジネスリュックを背負っているが両手は空いている。どうやら傘を持ってきていないようだ。

「傘、持ってない?よかったら、一緒に入る?」

「傘、持ってない?入る?」
七海は、自分の持っている傘を広げ向かい入れる。

「いや、走って帰るんで大丈夫です。」
恭吾は、少し遠慮がちにそう言った。

「こんな大雨、びしょ濡れになっちゃうし風邪をひくよ?」
七海は、恭吾の健康を心配した。

「でも僕が入ったら、七海さんが濡れて風邪をひいちゃうかもしれないから、いいです。」

恭吾は、そう言ってまた少し困ったような笑顔を見せた。彼の優しさが七海の胸にじんわりと広がった。

「傘がないわけじゃないから大丈夫。家まで送るよ。」

魚基地から七海のよく立ち寄る喫茶ポロンまでは、歩いて十五分ほどの距離だ。恭吾はポロンの近くに住んでいると言っていたので、決して遠回りになるわけではない。バス停は少し離れるが七海の家の方向でもある。

「……ありがとうございます。」
恭吾は、少し躊躇したあと小さく呟いた。

背の高い恭吾が傘を持ち、二人は並んで雨の中を歩き始めた。学生の頃なら、異性との相合傘にドキドキして意識して距離を取ったりしていただろう。しかし、大人になり、二児の母になった七海にとって、今はただ恭吾に風邪をひかせてはいけないという気持ちの方が強かった。


それでも、歩いているうちに、たまに恭吾の肩と自分の肩が触れ合い、その度にほんの少しだけ生温かい空気が二人の間に流れるのを感じた。ザアザアと大きな音を立てて強く降る雨のせいで、会話はほとんどできなかった。言葉を発することもなく、ただ、ただ、ゆっくりとしたペースで二人は並んで歩いていく。誰かの温かい体温を感じながら歩く、この静かな時間は、七海の想像以上に胸を高鳴らせ、ドキドキさせた。春樹との間には、もう何年も感じることのなかった、微かな温もりが、七海の心にそっと灯ったような気がした。



しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

(学園 + アイドル ÷ 未成年)× オッサン ≠ いちゃらぶ生活

まみ夜
キャラ文芸
年の差ラブコメ X 学園モノ X オッサン頭脳 様々な分野の専門家、様々な年齢を集め、それぞれ一芸をもっている学生が講師も務めて教え合う教育特区の学園へ出向した五十歳オッサンが、十七歳現役アイドルと同級生に。 子役出身の女優、芸能事務所社長、元セクシー女優なども登場し、学園の日常はハーレム展開? 第二巻は、ホラー風味です。 【ご注意ください】 ※物語のキーワードとして、摂食障害が出てきます ※ヒロインの少女には、ストーカー気質があります ※主人公はいい年してるくせに、ぐちぐち悩みます 第二巻「夏は、夜」の改定版が完結いたしました。 この後、第三巻へ続くかはわかりませんが、万が一開始したときのために、「お気に入り」登録すると忘れたころに始まって、通知が意外とウザいと思われます。 表紙イラストはAI作成です。 (セミロング女性アイドルが彼氏の腕を抱く 茶色ブレザー制服 アニメ) 題名が「(同級生+アイドル÷未成年)×オッサン≠いちゃらぶ」から変更されております

灰かぶりの姉

吉野 那生
恋愛
父の死後、母が連れてきたのは優しそうな男性と可愛い女の子だった。 「今日からあなたのお父さんと妹だよ」 そう言われたあの日から…。 * * * 『ソツのない彼氏とスキのない彼女』のスピンオフ。 国枝 那月×野口 航平の過去編です。

紙の上の空

中谷ととこ
ライト文芸
小学六年生の夏、父が突然、兄を連れてきた。 容姿に恵まれて才色兼備、誰もが憧れてしまう女性でありながら、裏表のない竹を割ったような性格の八重嶋碧(31)は、幼い頃からどこにいても注目され、男女問わず人気がある。 欲しいものは何でも手に入りそうな彼女だが、本当に欲しいものは自分のものにはならない。欲しいすら言えない。長い長い片想いは成就する見込みはなく半分腐りかけているのだが、なかなか捨てることができずにいた。 血の繋がりはない、兄の八重嶋公亮(33)は、未婚だがとっくに独立し家を出ている。 公亮の親友で、碧とは幼い頃からの顔見知りでもある、斎木丈太郎(33)は、碧の会社の近くのフレンチ店で料理人をしている。お互いに好き勝手言える気心の知れた仲だが、こちらはこちらで本心は隠したまま碧の動向を見守っていた。

ヤクザに医官はおりません

ユーリ(佐伯瑠璃)
ライト文芸
彼は私の知らない組織の人間でした 会社の飲み会の隣の席のグループが怪しい。 シャバだの、残弾なしだの、会話が物騒すぎる。刈り上げ、角刈り、丸刈り、眉毛シャキーン。 無駄にムキムキした体に、堅い言葉遣い。 反社会組織の集まりか! ヤ◯ザに見初められたら逃げられない? 勘違いから始まる異文化交流のお話です。 ※もちろんフィクションです。 小説家になろう、カクヨムに投稿しています。

お茶をしましょう、若菜さん。〜強面自衛官、スイーツと君の笑顔を守ります〜

ユーリ(佐伯瑠璃)
ライト文芸
陸上自衛隊衛生科所属の安達四季陸曹長は、見た目がどうもヤのつく人ににていて怖い。 「だって顔に大きな傷があるんだもん!」 体力徽章もレンジャー徽章も持った看護官は、鬼神のように荒野を走る。 実は怖いのは顔だけで、本当はとても優しくて怒鳴ったりイライラしたりしない自衛官。 寺の住職になった方が良いのでは?そう思うくらいに懐が大きく、上官からも部下からも慕われ頼りにされている。 スイーツ大好き、奥さん大好きな安達陸曹長の若かりし日々を振り返るお話です。 ※フィクションです。 ※カクヨム、小説家になろうにも公開しています。

結婚相手は、初恋相手~一途な恋の手ほどき~

馬村 はくあ
ライト文芸
「久しぶりだね、ちとせちゃん」 入社した会社の社長に 息子と結婚するように言われて 「ま、なぶくん……」 指示された家で出迎えてくれたのは ずっとずっと好きだった初恋相手だった。 ◌⑅◌┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈◌⑅◌ ちょっぴり照れ屋な新人保険師 鈴野 ちとせ -Chitose Suzuno- × 俺様なイケメン副社長 遊佐 学 -Manabu Yusa- ◌⑅◌┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈◌⑅◌ 「これからよろくね、ちとせ」 ずっと人生を諦めてたちとせにとって これは好きな人と幸せになれる 大大大チャンス到来! 「結婚したい人ができたら、いつでも離婚してあげるから」 この先には幸せな未来しかないと思っていたのに。 「感謝してるよ、ちとせのおかげで俺の将来も安泰だ」 自分の立場しか考えてなくて いつだってそこに愛はないんだと 覚悟して臨んだ結婚生活 「お前の頭にあいつがいるのが、ムカつく」 「あいつと仲良くするのはやめろ」 「違わねぇんだよ。俺のことだけ見てろよ」 好きじゃないって言うくせに いつだって、強引で、惑わせてくる。 「かわいい、ちとせ」 溺れる日はすぐそこかもしれない ◌⑅◌┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈◌⑅◌ 俺様なイケメン副社長と そんな彼がずっとすきなウブな女の子 愛が本物になる日は……

Husband's secret (夫の秘密)

設楽理沙
ライト文芸
果たして・・ 秘密などあったのだろうか! むちゃくちゃ、1回投稿文が短いです。(^^ゞ💦アセアセ  10秒~30秒?  何気ない隠し事が、とんでもないことに繋がっていくこともあるんですね。 ❦ イラストはAI生成画像 自作

10 sweet wedding

國樹田 樹
恋愛
『十年後もお互い独身だったら、結婚しよう』 そんな、どこかのドラマで見た様な約束をした私達。 けれど十年後の今日、私は彼の妻になった。 ……そんな二人の、式後のお話。

処理中です...