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22.篠突く雨
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「……さん?……七海さん?」
魚基地の賑やかな喧騒の中、カウンターに並んで座り、恭吾と二人でグラスを傾けていた。しかし、七海の意識はどこか遠い場所に漂っていて、恭吾に何度か名前を呼ばれたことに、ようやく気が付いた。
「どうかしました?」
恭吾は、少し心配そうな表情で、七海の顔を覗き込んだ。
「え?」
七海は、ぼんやりとした目で恭吾を見返した。
「今日の七海さん、なんだかいつもより元気がない気がして。大丈夫ですか?」
恭吾の優しい声が七海の耳にじんわりと染み渡る。彼のさりげない気遣いが、張り詰めていた七海の心を少しだけ和らげた。
「そ、そうかな……。ごめんね、大丈夫。ありがとう」
七海は、力なく微笑んだ。心配をかけてしまったことに、申し訳なさを感じた。
「なら良かった。」
恭吾は、ホッとしたような表情を浮かべた。
「ちょっと、ぼおっとしてちゃった。ごめんね。そろそろ行こうか」
七海は、立ち上がる仕草を見せた。長居するのも気が引けたし、何よりこの不安定な自分の感情を悟られたくなかった。
「はい。そうしましょうか」
恭吾もすぐに立ち上がった。七海は、恭吾が時折、心配そうにこちらに視線を向けていることに気づいていた。会計を済ませ、恭吾は先に店の入り口の暖簾をくぐり外へと歩き始めた。
店を出ると、予想外の雨が降っていた。天気予報では深夜から雨の予報だったがかなり早く降り出したようで、すでに本降りの雨脚となっていた。
「あーーー。」
恭吾は、空を見上げ少し困ったような声を上げた。背中にはビジネスリュックを背負っているが両手は空いている。どうやら傘を持ってきていないようだ。
「傘、持ってない?よかったら、一緒に入る?」
「傘、持ってない?入る?」
七海は、自分の持っている傘を広げ向かい入れる。
「いや、走って帰るんで大丈夫です。」
恭吾は、少し遠慮がちにそう言った。
「こんな大雨、びしょ濡れになっちゃうし風邪をひくよ?」
七海は、恭吾の健康を心配した。
「でも僕が入ったら、七海さんが濡れて風邪をひいちゃうかもしれないから、いいです。」
恭吾は、そう言ってまた少し困ったような笑顔を見せた。彼の優しさが七海の胸にじんわりと広がった。
「傘がないわけじゃないから大丈夫。家まで送るよ。」
魚基地から七海のよく立ち寄る喫茶ポロンまでは、歩いて十五分ほどの距離だ。恭吾はポロンの近くに住んでいると言っていたので、決して遠回りになるわけではない。バス停は少し離れるが七海の家の方向でもある。
「……ありがとうございます。」
恭吾は、少し躊躇したあと小さく呟いた。
背の高い恭吾が傘を持ち、二人は並んで雨の中を歩き始めた。学生の頃なら、異性との相合傘にドキドキして意識して距離を取ったりしていただろう。しかし、大人になり、二児の母になった七海にとって、今はただ恭吾に風邪をひかせてはいけないという気持ちの方が強かった。
それでも、歩いているうちに、たまに恭吾の肩と自分の肩が触れ合い、その度にほんの少しだけ生温かい空気が二人の間に流れるのを感じた。ザアザアと大きな音を立てて強く降る雨のせいで、会話はほとんどできなかった。言葉を発することもなく、ただ、ただ、ゆっくりとしたペースで二人は並んで歩いていく。誰かの温かい体温を感じながら歩く、この静かな時間は、七海の想像以上に胸を高鳴らせ、ドキドキさせた。春樹との間には、もう何年も感じることのなかった、微かな温もりが、七海の心にそっと灯ったような気がした。
魚基地の賑やかな喧騒の中、カウンターに並んで座り、恭吾と二人でグラスを傾けていた。しかし、七海の意識はどこか遠い場所に漂っていて、恭吾に何度か名前を呼ばれたことに、ようやく気が付いた。
「どうかしました?」
恭吾は、少し心配そうな表情で、七海の顔を覗き込んだ。
「え?」
七海は、ぼんやりとした目で恭吾を見返した。
「今日の七海さん、なんだかいつもより元気がない気がして。大丈夫ですか?」
恭吾の優しい声が七海の耳にじんわりと染み渡る。彼のさりげない気遣いが、張り詰めていた七海の心を少しだけ和らげた。
「そ、そうかな……。ごめんね、大丈夫。ありがとう」
七海は、力なく微笑んだ。心配をかけてしまったことに、申し訳なさを感じた。
「なら良かった。」
恭吾は、ホッとしたような表情を浮かべた。
「ちょっと、ぼおっとしてちゃった。ごめんね。そろそろ行こうか」
七海は、立ち上がる仕草を見せた。長居するのも気が引けたし、何よりこの不安定な自分の感情を悟られたくなかった。
「はい。そうしましょうか」
恭吾もすぐに立ち上がった。七海は、恭吾が時折、心配そうにこちらに視線を向けていることに気づいていた。会計を済ませ、恭吾は先に店の入り口の暖簾をくぐり外へと歩き始めた。
店を出ると、予想外の雨が降っていた。天気予報では深夜から雨の予報だったがかなり早く降り出したようで、すでに本降りの雨脚となっていた。
「あーーー。」
恭吾は、空を見上げ少し困ったような声を上げた。背中にはビジネスリュックを背負っているが両手は空いている。どうやら傘を持ってきていないようだ。
「傘、持ってない?よかったら、一緒に入る?」
「傘、持ってない?入る?」
七海は、自分の持っている傘を広げ向かい入れる。
「いや、走って帰るんで大丈夫です。」
恭吾は、少し遠慮がちにそう言った。
「こんな大雨、びしょ濡れになっちゃうし風邪をひくよ?」
七海は、恭吾の健康を心配した。
「でも僕が入ったら、七海さんが濡れて風邪をひいちゃうかもしれないから、いいです。」
恭吾は、そう言ってまた少し困ったような笑顔を見せた。彼の優しさが七海の胸にじんわりと広がった。
「傘がないわけじゃないから大丈夫。家まで送るよ。」
魚基地から七海のよく立ち寄る喫茶ポロンまでは、歩いて十五分ほどの距離だ。恭吾はポロンの近くに住んでいると言っていたので、決して遠回りになるわけではない。バス停は少し離れるが七海の家の方向でもある。
「……ありがとうございます。」
恭吾は、少し躊躇したあと小さく呟いた。
背の高い恭吾が傘を持ち、二人は並んで雨の中を歩き始めた。学生の頃なら、異性との相合傘にドキドキして意識して距離を取ったりしていただろう。しかし、大人になり、二児の母になった七海にとって、今はただ恭吾に風邪をひかせてはいけないという気持ちの方が強かった。
それでも、歩いているうちに、たまに恭吾の肩と自分の肩が触れ合い、その度にほんの少しだけ生温かい空気が二人の間に流れるのを感じた。ザアザアと大きな音を立てて強く降る雨のせいで、会話はほとんどできなかった。言葉を発することもなく、ただ、ただ、ゆっくりとしたペースで二人は並んで歩いていく。誰かの温かい体温を感じながら歩く、この静かな時間は、七海の想像以上に胸を高鳴らせ、ドキドキさせた。春樹との間には、もう何年も感じることのなかった、微かな温もりが、七海の心にそっと灯ったような気がした。
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