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27.人生最後の恋
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桜舞う季節が今年もやってきた。海斗は、いよいよピカピカのランドセルを背負って小学校に入学。陽菜も一つお姉さんになり幼稚園の年中組に進級した。
背中よりも大きく見える真新しいランドセルを背負い、少し緊張した面持ちで歩く海斗の後ろ姿を見ていると、まるで走馬灯のように産まれてから今日までの様々な出来事が七海の脳裏を駆け巡った。
(あんなに小さかった海斗がもう小学生になるなんて……。)
時の流れの早さに、驚きと感慨深さが入り混じった不思議な気持ちになった。右も左も分からず手探り状態で悪戦苦闘していた、あの慌ただしい日々がまるで遠い昔の出来事のように感じられる。
陽菜も、この一年で本当にたくさんの言葉を覚え、大人と変わらないような長い文章で話すようになった。幼稚園であったこと、好きな絵本のこと、お友達のこと。子どもたち二人との会話は、以前にも増して楽しいものになり七海の毎日に彩りを与えてくれる。
「ママ、お花きれい」
陽菜が小さな指をさしたのは、幼稚園の帰り道にある満開の桜並木だった。春の柔らかな風に乗って淡いピンク色の花びらがひらひらと舞っている。
「ママ、僕、舞っているお花キャッチするよ!」
海斗は、落ちてくる桜の花びらを小さな手に収めようと何度もジャンプを繰り返している。陽菜も、兄の真似をしてパチンパチンと小さな手を空中で握りしめ花びらを掴もうとしている。
そんな二人の愛らしい姿を、七海は少し離れた後ろから優しい眼差しで見守った。
進級、進学と、子どもたちの通う場所は変わったけれど、七海たちの日常に大きな変化はなかった。相変わらず、朝はバタバタと過ぎ夜は絵本を読み聞かせながら眠りにつく。ただ、変わったことと言えば、七海はあの思い出の詰まった喫茶ポロンへは、あれ以来一度も足を踏み入れていないこと。そして、もう一つ新しい傘を買ったことだった。
今年の1月の寒い夜、魚基地で恭吾と偶然出会った。外は、バケツをひっくり返したかのように激しく強い雨が降り続いていた。傘を持たずに、雨の中を走って帰ろうとする恭吾を、七海は思わず引き止め彼の住むアパートまで送った。傷心していた七海の気持ちをそっと察し、涙を優しく拭ってくれた恭吾の、あの時の温かい眼差しに七海の心は深く奪われた。そして、翌朝、湧き上がる罪悪感から逃げるようにその場を後にした
あの時は、罪悪感に苛まれ、一刻も早くその場を立ち去ることが最優先事項だった。途中で傘のことを思い出したものの取りに戻る気はなく、後日、新しい傘を買った。淡いピンク色の桜模様が描かれたその傘を開くたびに、心がふんわりと優しい気持ちになり、沈んでいた気分を、ほんの少しだけ明るくさせてくれた。
恭吾に合わせる顔がない。誰かに見られたら、子どもたちが後ろ指をさされるような噂を立てられるかもしれない。七海は、海斗と陽菜の母親として、この子たちを守りしっかりと生きていくことを固く決意した。そのために、お気に入りの場所だった喫茶ポロンも、恭吾と偶然再会した魚基地も、彼との思い出が染み付いた場所全て決別した。
月に一度、両親に子どもたちを預ける日。以前は、自分のための自由な時間に使っていたその時間を、七海は今、おかずの作り置きや、普段はなかなか手をつけられない排水溝の念入りな掃除、季節の変わり目の子どもたちの衣替えなど、今まで以上に家事と育児に専念するようになった。忙しく体を動かしている間だけは、恭吾のことを考える時間を、ほんの少しだけ減らすことができた。
七海は、もう二度と恭吾に会うことはないと悟っていた。それでも、あの雨の夜、恭吾の温もりが、七海の心の中から完全に消え去ることはなく、きっとこれからも、ずっと忘れられない記憶として残り続けるだろう。
子どもたちは、春樹のことが大好きだ。優しく抱きしめ、一緒に遊んでくれる春樹の存在は、海斗と陽菜にとってかけがえのないものだ。そんな子どもたちの気持ちを考えると、家族を引き裂くようなことは決してできない。七海は、これからもずっと既婚者であり、海斗と陽菜の父親である春樹の妻なのだ。
既婚者である以上、春樹以外の男性と触れ合うことは許されない。独身だったら時間が経てばよそ風に流されて忘れ消えたであろう記憶。触れ合った時間もほんの僅かだったが、あの雨の夜の恭吾の温もりは、七海の人生最後の恋、そして最後のときめきとして、これからもずっと心の奥底に大切に刻まれていく。
恭吾がくれた優しい言葉。温かく見つめてくれたあの眼差し。そして、もう二度と触れることのない手の温もり。それらは全て想い出として、七海の脳裏に刻まれていた。甘く、どこかほろ苦い出来事は、時折、小さな棘となり、七海の心の奥底でチクリと鋭い痛みを走らせるのだった。
(恭吾くん……会いたい……)
夜一人になった時など、ふとした瞬間に七海は心の奥底で叫ぶ。しかし、そんな自分の弱い気持ちを必死に振り払った。
(私は母親なんだからこの子たちを守るのが、私の使命だ!!!)
「ママ、どうかした?」
海斗と陽菜が、心配そうな顔で私を見上げる。
「ううん、なんでもないよ」
七海は心の中でそう呟き、笑顔を作ってふたりの手を握り返した。
背中よりも大きく見える真新しいランドセルを背負い、少し緊張した面持ちで歩く海斗の後ろ姿を見ていると、まるで走馬灯のように産まれてから今日までの様々な出来事が七海の脳裏を駆け巡った。
(あんなに小さかった海斗がもう小学生になるなんて……。)
時の流れの早さに、驚きと感慨深さが入り混じった不思議な気持ちになった。右も左も分からず手探り状態で悪戦苦闘していた、あの慌ただしい日々がまるで遠い昔の出来事のように感じられる。
陽菜も、この一年で本当にたくさんの言葉を覚え、大人と変わらないような長い文章で話すようになった。幼稚園であったこと、好きな絵本のこと、お友達のこと。子どもたち二人との会話は、以前にも増して楽しいものになり七海の毎日に彩りを与えてくれる。
「ママ、お花きれい」
陽菜が小さな指をさしたのは、幼稚園の帰り道にある満開の桜並木だった。春の柔らかな風に乗って淡いピンク色の花びらがひらひらと舞っている。
「ママ、僕、舞っているお花キャッチするよ!」
海斗は、落ちてくる桜の花びらを小さな手に収めようと何度もジャンプを繰り返している。陽菜も、兄の真似をしてパチンパチンと小さな手を空中で握りしめ花びらを掴もうとしている。
そんな二人の愛らしい姿を、七海は少し離れた後ろから優しい眼差しで見守った。
進級、進学と、子どもたちの通う場所は変わったけれど、七海たちの日常に大きな変化はなかった。相変わらず、朝はバタバタと過ぎ夜は絵本を読み聞かせながら眠りにつく。ただ、変わったことと言えば、七海はあの思い出の詰まった喫茶ポロンへは、あれ以来一度も足を踏み入れていないこと。そして、もう一つ新しい傘を買ったことだった。
今年の1月の寒い夜、魚基地で恭吾と偶然出会った。外は、バケツをひっくり返したかのように激しく強い雨が降り続いていた。傘を持たずに、雨の中を走って帰ろうとする恭吾を、七海は思わず引き止め彼の住むアパートまで送った。傷心していた七海の気持ちをそっと察し、涙を優しく拭ってくれた恭吾の、あの時の温かい眼差しに七海の心は深く奪われた。そして、翌朝、湧き上がる罪悪感から逃げるようにその場を後にした
あの時は、罪悪感に苛まれ、一刻も早くその場を立ち去ることが最優先事項だった。途中で傘のことを思い出したものの取りに戻る気はなく、後日、新しい傘を買った。淡いピンク色の桜模様が描かれたその傘を開くたびに、心がふんわりと優しい気持ちになり、沈んでいた気分を、ほんの少しだけ明るくさせてくれた。
恭吾に合わせる顔がない。誰かに見られたら、子どもたちが後ろ指をさされるような噂を立てられるかもしれない。七海は、海斗と陽菜の母親として、この子たちを守りしっかりと生きていくことを固く決意した。そのために、お気に入りの場所だった喫茶ポロンも、恭吾と偶然再会した魚基地も、彼との思い出が染み付いた場所全て決別した。
月に一度、両親に子どもたちを預ける日。以前は、自分のための自由な時間に使っていたその時間を、七海は今、おかずの作り置きや、普段はなかなか手をつけられない排水溝の念入りな掃除、季節の変わり目の子どもたちの衣替えなど、今まで以上に家事と育児に専念するようになった。忙しく体を動かしている間だけは、恭吾のことを考える時間を、ほんの少しだけ減らすことができた。
七海は、もう二度と恭吾に会うことはないと悟っていた。それでも、あの雨の夜、恭吾の温もりが、七海の心の中から完全に消え去ることはなく、きっとこれからも、ずっと忘れられない記憶として残り続けるだろう。
子どもたちは、春樹のことが大好きだ。優しく抱きしめ、一緒に遊んでくれる春樹の存在は、海斗と陽菜にとってかけがえのないものだ。そんな子どもたちの気持ちを考えると、家族を引き裂くようなことは決してできない。七海は、これからもずっと既婚者であり、海斗と陽菜の父親である春樹の妻なのだ。
既婚者である以上、春樹以外の男性と触れ合うことは許されない。独身だったら時間が経てばよそ風に流されて忘れ消えたであろう記憶。触れ合った時間もほんの僅かだったが、あの雨の夜の恭吾の温もりは、七海の人生最後の恋、そして最後のときめきとして、これからもずっと心の奥底に大切に刻まれていく。
恭吾がくれた優しい言葉。温かく見つめてくれたあの眼差し。そして、もう二度と触れることのない手の温もり。それらは全て想い出として、七海の脳裏に刻まれていた。甘く、どこかほろ苦い出来事は、時折、小さな棘となり、七海の心の奥底でチクリと鋭い痛みを走らせるのだった。
(恭吾くん……会いたい……)
夜一人になった時など、ふとした瞬間に七海は心の奥底で叫ぶ。しかし、そんな自分の弱い気持ちを必死に振り払った。
(私は母親なんだからこの子たちを守るのが、私の使命だ!!!)
「ママ、どうかした?」
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七海は心の中でそう呟き、笑顔を作ってふたりの手を握り返した。
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