人生最後のときめきは貴方だった

中道舞夜

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31.母

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「母親なんだから」「母親なのに」夫の春樹から、まるで刷り込まれるように、何度もそう言われ続けてきた言葉が、七海の心に深く根を下ろしていた。そして、いつしか七海自身も、「母親として強くなくてはいけない」と、自分に言い聞かせるようになっていた。辛いとき、悲しいとき、誰にも頼ることができず、一人で抱え込んだ感情を押し殺し、「私は母親だから……」と、何度も自分を鼓舞し奮い立たせてきた。「母親なのに」と心の中で自分を責め立て、自己嫌悪に陥ることも少なくなかった。


しかし、母親も一人の人間だ。子どもたちの母親である前に、喜びや悲しみ、怒りや不安といった、様々な感情を抱いている。自分の気持ちや、心の底から本当にやりたいことだって当然あるはずだ。いつも強くなんていられない。時には、誰かに甘えたい、頼りたいと願うことだってある。


子どもを身籠り、お腹の中で小さな命を育み、その成長を喜び、そして出産という、言葉では言い尽くせないほどの大仕事を終えて、女性は母へと変わっていく。それは、奇跡のような尊い変化だけれど、母になったからといって、魔法のように強くなれるわけでも、スーパーウーマンのように何でも完璧にこなせるようになるわけでもない。

日々の中で、愛しい子どもたちの無邪気な笑顔が見たい、少しでも良い環境を与えたい、健やかに育ってほしいという純粋で強い気持ちが、母親としての彼女たちを、日々の予期せぬ困難や時に押し寄せる疲労感に懸命に立ち向かわせているのだ。それは、決して簡単なことではない。

決して最初から強くなどなかった、むしろ繊細で傷つきやすい自分をありのまま受け止め、支えたいと言ってくれる人が、今、目の前にいる。そっと手を差し伸べ、温かい眼差しで寄り添ってくれる人がいる。その存在は、七海にとって、乾いた砂漠に現れた一滴の甘露のように疲弊した心にじんわりと染み渡る。


七海は、ゆっくりと顔を上げ恭吾の顔を見つめた。
彼の瞳には、優しさと深い理解の色が穏やかな光を宿している。言葉はなくとも、彼の温かい眼差しが、七海の心の奥底にまで優しく届き、そっと包み込んでくれるような不思議な安心感に包まれた。七海は、導かれるようにそっと顔を恭吾の胸に預けた。彼の温かさが、じんわりと伝わりこれまでずっと張り詰めていた心が、まるで氷が溶けていくように、少しずつ、ゆっくりと解きほぐされていくのを感じた。
恭吾の胸に耳を澄ますと、穏やかな心音が聞こえてくる。その音は、まるで静かな子守唄のように、七海の心に巣食っていた不安や焦燥感を優しく鎮めてくれた。


ほんのわずかに顔を上げると、恭吾の鎖骨に七海の唇に触れた。その瞬間、これまで必死に抑え込んできた、様々な感情が静かに溢れ出した。

「恭吾くん……好き」
小さな声で七海は呟いた。長らく封印してきた、心の奥底からの叫びだった。恭吾はその言葉を聞くと、初めて出会った頃と変わらない、くしゃっとした、心からの笑顔で、七海の頬を両手で優しく包み込んだ。その温かい手のひらが七海の冷え切った心を温めていく。そして、恭吾は堪えきれないほどの愛情を込めて、優しく、そして深く、七海の唇にキスをした。

「……やっと、やっと一緒になれた」


歯を見せて、心の底から嬉しそうに笑う恭吾は、七海が出逢ってから今日までで一番輝いて見えた。その笑顔は、まるで春の陽光のように、七海の凍てついていた心に、温かい希望の光を灯してくれた。七海もまた恭吾の温かい腕の中で、深い安堵感とじんわりとした幸福感に包まれ、そっと目を閉じた。
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