熱のない部屋で

中道舞夜

文字の大きさ
20 / 69

第19話 早苗の回想

しおりを挟む
鈴木と別れてから8か月が経った。
季節は巡り、街の景色も少しずつ変わり動いていなくても汗ばむ季節がやってきた。

通勤中の人々は持ち運びのミニ扇風機や扇子、アイスコーヒーなど思い思いに暑さを和らげるためのアイテムをもっている。


付き合っていたのは1年。
そのうち11か月は遠距離恋愛と顔を合わせていなかった時間の方が圧倒的に長かった。


短い時間ではあったがその濃密さはまるで何年も一緒にいたかのように感じられた。鈴木との時間は特別なものだった。

恋人としてではないが同期として長い時間を共にしお互い密かに惹かれあっていたため、簡単に忘れることはできなかった。


よく飲みに行き、仕事の相談や日々の出来事を話し合った。困った時や話を聞いてほしい時、いつも隣には鈴木がいた。


『同期だから気兼ねなく話せる…』という言葉をお互いによく口にしていたが、それ以上の発展を望むと同時に今の関係を崩したくないという予防線もあった。


相手の気持ちが見えないと進めない臆病なところがあったのかもしれない。

私も、そして鈴木もどちらかがその殻を早く破っていればこんなに時間をかけなくても変わっていたのかもしれない。
 

鈴木と付き合えた時、長年待ち望んでいたものがようやく形になったそんな感覚だった。



別れた直後のように毎日のように大泣きする日はなくなった。時間の経過が、心の傷を少しずつ癒していったのかもしれない。


しかし、まだ前を向けているとは言えず、毎日を淡々とこなしているに過ぎなかった。 電池が切れかけたロボットのように事務的にただプログラムされた行動を繰り返しているだけだった。


休日も何もやる気になれず、のんびりと部屋の掃除や食材の買い出しに行ったら1日が終わることもあった。


以前は、休日は友人と出かけたり趣味の読書を楽しんだりしていたが、今はそういう気分になれなかった。部屋の隅に積まれたままの本が山積みになっている。
 

鈴木は本を読まないが早苗の話を静かにそして優しい眼差しで聞いてくれていた。そんな光景を思い出しまた胸が苦しくなった。


新しい趣味や出会いも求める気にならなかった。始める気力も出逢いが欲しいという気持ちも今の早苗にはなかった。心にぽっかりと穴が空いてしまっている。
その空いた場所に他の何かを詰め込むことは今の早苗にはできなかった。



思えば、高校卒業前に付き合った初めての彼氏は同じクラスで好きや付き合うがよく分からないまま告白された驚きが勝りそのままOKをしてしまった。恋愛感情というより、友達関係の延長のような曖昧な関係だった。


お互い引っ越す前に自転車で待ち合わせをしてゲームセンターやファミレスに行った。
初めてのデートの帰り際、相手が手を握ってきた。男の子に触れることがなかったので緊張して下を向いた。相手も下を向きただ手を握り何も喋らず硬直していた。


お互いドキドキしている状況に、これが「恋」だと思った。その夜は何度も思い出しては照れて布団をかぶり直した。『きっとこれが恋の始まりだ……』そう思っていた。


しかし、2回目のデートの帰り際にキスをされた際は何も感じなかった。
唇と唇が触れただけ。 それ以上でもそれ以下でもなく拍子抜けした。もっと感動的な物だと思っていたが、自分の指で少し強めに唇を押した時の感覚に似ていた。
最も相手は少し興奮していて、その温度差に引いてしまった。
 
その後は別々の大学に行き、GWや夏休みなど最初のうちは逢っていたが、徐々に連絡頻度が減り地元に帰ろうと言う話もしなくなり自然消滅した。 


私の初めての恋らしきものは驚きと動揺から始まりしばらくして自然と消えた。
心に残ったのは相手への申し訳なさだった。



大学の時は同じサークルの人だった。 
一緒にいる時間が長く友達から自然と交際に発展した。お互い一人暮らしだったので相手の家に行ったり色々な初めてを経験した。
初めての記念日、初めてのお泊り、初めての旅行、初めての夜。楽しい時間だった。


人並みに恋愛もしてきたが恋愛の優先順位は低かった気がする。
 
他に大切なものがたくさんあった。友達、趣味、勉強。恋愛はその中のほんの一部だ。

別れたらそれなりに落ち込むが号泣して手がつかないことはなく趣味のバスケットボールに打ち込み一人の時間を楽しんだ。

『 恋愛が全てではない、相手とは縁がなかっただけ』と思うことで心の傷を癒してきた。自分は恋愛に関してはドライな方だと思っていた。


しかし、鈴木とは違う。
なんとなく相手への気持ちが離れて別れた今までとは違い、お互いの想いが通じあっていた中での別れだった。相手のことを思うからこそ、このままではいけないという苦渋の決断だった。


だからこそ、今でも心の中に鈴木の面影がありふとした瞬間に思い出す。

一緒に過ごした日々、楽しかった夢のような時間、言えなかった言葉、それらが鮮明に蘇ってくる。甘い記憶であると同時に切なさを伴った。


鈴木のことをまだ忘れられない。今は、甘く楽しかった時間を思い出せば出すほど切なさが募った。

『縁がなかった…』過去の彼たちと別れたときに言っていた言葉なのに今回はその言葉に深く傷ついた。 言い聞かせようとすると涙が止まらなくなり不安定になる。

本当に縁がなかったのだろうか?
もし、あの時、違う選択をしていたら違う言葉をかけていたら二人の未来は変わっていたのだろうか?後悔の念が募る。


特に、鈴木と最後に電話をした日のことを思い出すと苦しくなる。
あの時、もっと素直に気持ちを伝えていれば……。待っていることも、鈴木じゃなければ駄目だと言うことも、もっとちゃんと言葉にして伝えていれば……。

後悔は、過去を変えることはできない。しかし、早苗の心の中でその後悔は日に日に大きくなり過去の反省を未来には活かせずにいた。


鈴木と過ごした日々は、単なる恋愛感情を超えた深い心の繋がりだった。
お互いを理解し尊重し合っていることが伝わってきた。お互いの性格や考え方や好みも知り、長年連れ添った夫婦のように安心感と信頼感で結ばれていた。
 

だからこそ、一度口にしたらひかない性格の鈴木が発した言葉は強い意思があるのだと別れの時も悟った。悟ったからこそそれ以上、言葉を返すことが出来なかった。


早苗にとって鈴木との別れは想像以上に大きな傷となった。


もし、すぐに逢いに行けるなら鈴木の元へ駆け出していただろう。鈴木の部屋に行き、玄関で驚く鈴木に思いっきり抱きついていただろう。抱きついて離れたくないと子どものように泣いていたかもしれない。
 
「私は恋愛にドライな人間だったはずなのに……。」早苗は自分自身を嘲笑う。


しかし、鈴木の部屋は退去処理され未だ入国制限は解除されないままだった。
駆け出して行く場所も物理的にも鈴木の元へいけない現実が早苗の心にまた一つ傷をつけた。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

紙の上の空

中谷ととこ
ライト文芸
小学六年生の夏、父が突然、兄を連れてきた。 容姿に恵まれて才色兼備、誰もが憧れてしまう女性でありながら、裏表のない竹を割ったような性格の八重嶋碧(31)は、幼い頃からどこにいても注目され、男女問わず人気がある。 欲しいものは何でも手に入りそうな彼女だが、本当に欲しいものは自分のものにはならない。欲しいすら言えない。長い長い片想いは成就する見込みはなく半分腐りかけているのだが、なかなか捨てることができずにいた。 血の繋がりはない、兄の八重嶋公亮(33)は、未婚だがとっくに独立し家を出ている。 公亮の親友で、碧とは幼い頃からの顔見知りでもある、斎木丈太郎(33)は、碧の会社の近くのフレンチ店で料理人をしている。お互いに好き勝手言える気心の知れた仲だが、こちらはこちらで本心は隠したまま碧の動向を見守っていた。

(完)百合短編集 

南條 綾
恋愛
ジャンルは沢山の百合小説の短編集を沢山入れました。

ヤクザに医官はおりません

ユーリ(佐伯瑠璃)
ライト文芸
彼は私の知らない組織の人間でした 会社の飲み会の隣の席のグループが怪しい。 シャバだの、残弾なしだの、会話が物騒すぎる。刈り上げ、角刈り、丸刈り、眉毛シャキーン。 無駄にムキムキした体に、堅い言葉遣い。 反社会組織の集まりか! ヤ◯ザに見初められたら逃げられない? 勘違いから始まる異文化交流のお話です。 ※もちろんフィクションです。 小説家になろう、カクヨムに投稿しています。

【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、 疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。 無愛想で冷静な上司・東條崇雅。 その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、 仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。 けれど―― そこから、彼の態度は変わり始めた。 苦手な仕事から外され、 負担を減らされ、 静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。 「辞めるのは認めない」 そんな言葉すらないのに、 無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。 これは愛? それともただの執着? じれじれと、甘く、不器用に。 二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。 無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

一億円の花嫁

藤谷 郁
恋愛
奈々子は家族の中の落ちこぼれ。 父親がすすめる縁談を断り切れず、望まぬ結婚をすることになった。 もうすぐ自由が無くなる。せめて最後に、思いきり贅沢な時間を過ごそう。 「きっと、素晴らしい旅になる」 ずっと憧れていた高級ホテルに到着し、わくわくする奈々子だが…… 幸か不幸か!? 思いもよらぬ、運命の出会いが待っていた。 ※エブリスタさまにも掲載

橘若頭と怖がり姫

真木
恋愛
八歳の希乃は、母を救うために極道・橘家の門を叩き、「大人になったら自分のすべてを差し出す」と約束する。 その言葉を受け取った橘家の若頭・司は、希乃を保護し、慈しみ、外界から遠ざけて育ててきた。 高校生になった希乃は、虚弱体質で寝込んでばかり。思いつめて、今まで養ってもらったお金を返そうと夜の街に向かうが、そこに司が現れて……。

Blue Bird ―初恋の人に再会したのに奔放な同級生が甘すぎるっ‼【完結】

remo
恋愛
「…溶けろよ」 甘く響くかすれた声と奔放な舌にどこまでも落とされた。 本宮 のい。新社会人1年目。 永遠に出来そうもない彼氏を夢見つつ、目の前の仕事に奮闘中。 なんだけど。 青井 奏。 高校時代の同級生に再会した。 と思う間もなく、 和泉 碧。 初恋の相手らしき人も現れた。 幸せの青い鳥は一体どこに。 【完結】 ありがとうございました‼︎

15年目のホンネ ~今も愛していると言えますか?~

深冬 芽以
恋愛
 交際2年、結婚15年の柚葉《ゆずは》と和輝《かずき》。  2人の子供に恵まれて、どこにでもある普通の家族の普通の毎日を過ごしていた。  愚痴は言い切れないほどあるけれど、それなりに幸せ……のはずだった。 「その時計、気に入ってるのね」 「ああ、初ボーナスで買ったから思い出深くて」 『お揃いで』ね?  夫は知らない。  私が知っていることを。  結婚指輪はしないのに、その時計はつけるのね?  私の名前は呼ばないのに、あの女の名前は呼ぶのね?  今も私を好きですか?  後悔していませんか?  私は今もあなたが好きです。  だから、ずっと、後悔しているの……。  妻になり、強くなった。  母になり、逞しくなった。  だけど、傷つかないわけじゃない。

処理中です...