32 / 69
第31話 こうた
しおりを挟む
鈴木と2年半ぶりの再会を果たしてから2か月が経ち、半期決算も終わった10月半ばに早苗の部門にいた早川が定年退職することになった。
早苗の入社時からお世話になっていた人だ。小柄で白髪のたれ目。旅行に行くとお土産をくれ、普段からお菓子の差し入れをしてくれるおじいちゃんのような人だった。
いつもにこやかで安心感のある早川は、社内からの人望も厚かったため少人数でやるはずの送別会は20人以上の大所帯となった。
「早川さん、お世話になりました。今ここにいれるのも早川さんのおかげです。」
「いやー楠木さんは気配り上手で真面目だから僕のおかげじゃないですよ。楠木さんの人柄です。」
「そんな……まだまだです。」
「そういえば……」
早川は辺りを見渡し近くに誰もいないことを確認したうえで早苗に近寄り小声で言った。
「鈴木君とはどうですか?」
「……え?」
「あ、誰にも言っていませんし僕の勝手な想像です。違っていたら忘れてください。」
「気が付いていたんですか?」
他の人なら誤魔化しただろうが、早川のことは信頼していたので素直に打ち明けることにした。
「ふふふ、年寄りの勘ってやつですかね。仕事熱心でお互いを尊重しあっていて素敵だと思っていました。一時期、楠木さん元気がない時もありましたが夏くらいから変わったなと思いましてね」
周りに悟られないように気を付けていたはずだったが、早川にはお見通しだったようだ。
「すみません……。」
「そんなことないですよ、羨ましくもあり微笑ましく見ていました。お幸せに」
……。本当はもう別れているのだが、伝えた方がいいのか迷っているうちに他の人の存在に気がつき早川は去って行った。
『尊重しあっているかぁ……確かにお互いの事を思っている。私も鈴木のことを考えるし、鈴木も私のことを考えてくれている。今も変わらないはずなのに、なぜかもう付き合ってはいないんだよな。』
哀しみはなくなっていたが、上手くいかないこの関係がもどかしかった。
目の前にあったお茶割りはグラスに水滴がたくさんつき上が水っぽくなっていた。
グラスを回し、カランカランと音を立てながら箸で混ぜてから飲む。
味が薄くなったお茶割りはあの時ホテルで飲んだホットコーヒーの味に似ているな……。
そんなことを思い出し、苦い気分になりながら一気に飲み干しお代わりを頼んだ。
早川の後任は滝という男性社員だった。
年は29歳で茶髪にゆるくパーマをかけており、早苗の会社にはいないタイプだったので入社前に挨拶に来た時は驚いた。
前職がネット販売の営業で見た目も厳しくなかったそうで、同じ気持ちでいたら堅真面目そうな人ばかりで焦ったと後になって本人から聞いた。
入社初日は、初めて会った時よりもやや暗めの色に染めなおしており一安心した。
早川から一連の流れを引き継いではいるが、退任後のサポート役として早苗が滝の面倒を見ることになった。早川の話では、覚えが早く要領がいいので心配することはないと聞いていたので業務で困ることはなさそうだ。
早苗は、総務部の在籍歴では長いが年齢的には一番下だった。早川がきたことで下から二番目になったが、それでも周りは早苗より15歳以上年上や家庭がある人ばかりだったため雑用を頼まれることも多い。
滝に教えるという名目で会議の準備や受付など自席以外で二人で業務をすることも増えていった。
早川の言う通り、滝は仕事の覚えが早かった。そして前職が営業だけあって、コミュニケーションスキルも高く、すぐに周りと打ち解けた。
分からないことは即座に聞き、自分では難しいと判断すると一部を手伝ってほしいと頼むことにも長けていた。早川が言っていた要領がいいと言っていたことを思い出し、妙に納得した。
『早川さんが言っていた通りの人かも…』
しかし、滝の依頼も単にずる賢いだけではなく本来は担当がやった方が効率的だったが何かと言い分をつけて押し付けられていた内容だったので言い分は正しい。
中途入社したばかりで分からない、助けてほしいという滝から、嫌味な感じは一切なく正論で尋ねられ今後は自分でやると引き取ってくれた。
滝のおかげで今まで効率悪いと思いながらも渋々引き受けていた業務が改善されたため早苗は『おかしい部分は相手を嫌な気分にせずに諭すことに長けている』と少し見直した。
ある日、会議室で明日の役員会議の準備を滝と二人でしていた時のことだった。
「楠木さんって彼氏いるんですか?」
滝に突然聞かれた。
「いないけど……」
この手の質問はセクハラと訴える人もいるので最近は社内では控えている人も多い。
そのため久々に聞かれて少し動揺した。しかし、滝は気にすることなく続ける。
「それじゃ、結婚を考えた人っています?」
「…………いないけど。」
一瞬、鈴木の顔が浮かんだが具体的な話はしていない。それどころか実質的に顔を合わせた交際期間は1か月だ。
「楠木さん、男性に興味がないんですか?」
「…………。滝さんって失礼だよね。この話題、セクハラだと思う人もいるから気を付けた方がいいよ」
早苗は一呼吸して落ち着かせてから言った。
「はい、楠木さんなら訴えないと思って聞きました。大丈夫です。危ない人には話しかけません」
「……そう。滝さんはどうなの?」
なんだか滝のペースに飲み込まれている気がして、慌てて滝自身の話へと変えた。
「僕ですか?僕には、付き合って4年の彼女がいます。その彼女と結婚する予定で話をすすめています。」
その後、滝は自分のことを包み隠さず教えてくれた。
彼女は3個下の26歳。前職が同じで彼女が新入社員で入ってきてすぐに付き合ったことや、交際後に彼女は別の会社に転職をし、正社員で働いていること。
そして滝自身が転職した理由は、営業職で土日も仕事で夜遅くなることが多かった。今後結婚して子育てする際に、お互い地方出身で周りに頼る人がいないため、彼女一人の負担が多くなってしまうことを避けるため土日休みの内勤を希望したそうだ。
『思ったよりしっかりと考えているんだな』
最初の印象が強かったため、軽い人かと警戒していたが、仕事をしていくうちに滝の印象は良い方へと変わっていった。
「僕、下の名前、孝太郎っていうんです。滝孝太郎。あの有名な音楽家と一文字違いで、彼女にはこうちゃんとかこうたって呼ばれています。」
「……そうなんだ。」
呼び名の情報はどうでも良かったが、音楽家と一文字違いということよりもこうたと言う響きに早苗は反応した。
『この人もこうたって呼ばれているんだ。」
鈴木とはタイプが全く違う「こうた」
「こうた……。」早苗は滝に聞かれないように小さく呟いた。
早苗の入社時からお世話になっていた人だ。小柄で白髪のたれ目。旅行に行くとお土産をくれ、普段からお菓子の差し入れをしてくれるおじいちゃんのような人だった。
いつもにこやかで安心感のある早川は、社内からの人望も厚かったため少人数でやるはずの送別会は20人以上の大所帯となった。
「早川さん、お世話になりました。今ここにいれるのも早川さんのおかげです。」
「いやー楠木さんは気配り上手で真面目だから僕のおかげじゃないですよ。楠木さんの人柄です。」
「そんな……まだまだです。」
「そういえば……」
早川は辺りを見渡し近くに誰もいないことを確認したうえで早苗に近寄り小声で言った。
「鈴木君とはどうですか?」
「……え?」
「あ、誰にも言っていませんし僕の勝手な想像です。違っていたら忘れてください。」
「気が付いていたんですか?」
他の人なら誤魔化しただろうが、早川のことは信頼していたので素直に打ち明けることにした。
「ふふふ、年寄りの勘ってやつですかね。仕事熱心でお互いを尊重しあっていて素敵だと思っていました。一時期、楠木さん元気がない時もありましたが夏くらいから変わったなと思いましてね」
周りに悟られないように気を付けていたはずだったが、早川にはお見通しだったようだ。
「すみません……。」
「そんなことないですよ、羨ましくもあり微笑ましく見ていました。お幸せに」
……。本当はもう別れているのだが、伝えた方がいいのか迷っているうちに他の人の存在に気がつき早川は去って行った。
『尊重しあっているかぁ……確かにお互いの事を思っている。私も鈴木のことを考えるし、鈴木も私のことを考えてくれている。今も変わらないはずなのに、なぜかもう付き合ってはいないんだよな。』
哀しみはなくなっていたが、上手くいかないこの関係がもどかしかった。
目の前にあったお茶割りはグラスに水滴がたくさんつき上が水っぽくなっていた。
グラスを回し、カランカランと音を立てながら箸で混ぜてから飲む。
味が薄くなったお茶割りはあの時ホテルで飲んだホットコーヒーの味に似ているな……。
そんなことを思い出し、苦い気分になりながら一気に飲み干しお代わりを頼んだ。
早川の後任は滝という男性社員だった。
年は29歳で茶髪にゆるくパーマをかけており、早苗の会社にはいないタイプだったので入社前に挨拶に来た時は驚いた。
前職がネット販売の営業で見た目も厳しくなかったそうで、同じ気持ちでいたら堅真面目そうな人ばかりで焦ったと後になって本人から聞いた。
入社初日は、初めて会った時よりもやや暗めの色に染めなおしており一安心した。
早川から一連の流れを引き継いではいるが、退任後のサポート役として早苗が滝の面倒を見ることになった。早川の話では、覚えが早く要領がいいので心配することはないと聞いていたので業務で困ることはなさそうだ。
早苗は、総務部の在籍歴では長いが年齢的には一番下だった。早川がきたことで下から二番目になったが、それでも周りは早苗より15歳以上年上や家庭がある人ばかりだったため雑用を頼まれることも多い。
滝に教えるという名目で会議の準備や受付など自席以外で二人で業務をすることも増えていった。
早川の言う通り、滝は仕事の覚えが早かった。そして前職が営業だけあって、コミュニケーションスキルも高く、すぐに周りと打ち解けた。
分からないことは即座に聞き、自分では難しいと判断すると一部を手伝ってほしいと頼むことにも長けていた。早川が言っていた要領がいいと言っていたことを思い出し、妙に納得した。
『早川さんが言っていた通りの人かも…』
しかし、滝の依頼も単にずる賢いだけではなく本来は担当がやった方が効率的だったが何かと言い分をつけて押し付けられていた内容だったので言い分は正しい。
中途入社したばかりで分からない、助けてほしいという滝から、嫌味な感じは一切なく正論で尋ねられ今後は自分でやると引き取ってくれた。
滝のおかげで今まで効率悪いと思いながらも渋々引き受けていた業務が改善されたため早苗は『おかしい部分は相手を嫌な気分にせずに諭すことに長けている』と少し見直した。
ある日、会議室で明日の役員会議の準備を滝と二人でしていた時のことだった。
「楠木さんって彼氏いるんですか?」
滝に突然聞かれた。
「いないけど……」
この手の質問はセクハラと訴える人もいるので最近は社内では控えている人も多い。
そのため久々に聞かれて少し動揺した。しかし、滝は気にすることなく続ける。
「それじゃ、結婚を考えた人っています?」
「…………いないけど。」
一瞬、鈴木の顔が浮かんだが具体的な話はしていない。それどころか実質的に顔を合わせた交際期間は1か月だ。
「楠木さん、男性に興味がないんですか?」
「…………。滝さんって失礼だよね。この話題、セクハラだと思う人もいるから気を付けた方がいいよ」
早苗は一呼吸して落ち着かせてから言った。
「はい、楠木さんなら訴えないと思って聞きました。大丈夫です。危ない人には話しかけません」
「……そう。滝さんはどうなの?」
なんだか滝のペースに飲み込まれている気がして、慌てて滝自身の話へと変えた。
「僕ですか?僕には、付き合って4年の彼女がいます。その彼女と結婚する予定で話をすすめています。」
その後、滝は自分のことを包み隠さず教えてくれた。
彼女は3個下の26歳。前職が同じで彼女が新入社員で入ってきてすぐに付き合ったことや、交際後に彼女は別の会社に転職をし、正社員で働いていること。
そして滝自身が転職した理由は、営業職で土日も仕事で夜遅くなることが多かった。今後結婚して子育てする際に、お互い地方出身で周りに頼る人がいないため、彼女一人の負担が多くなってしまうことを避けるため土日休みの内勤を希望したそうだ。
『思ったよりしっかりと考えているんだな』
最初の印象が強かったため、軽い人かと警戒していたが、仕事をしていくうちに滝の印象は良い方へと変わっていった。
「僕、下の名前、孝太郎っていうんです。滝孝太郎。あの有名な音楽家と一文字違いで、彼女にはこうちゃんとかこうたって呼ばれています。」
「……そうなんだ。」
呼び名の情報はどうでも良かったが、音楽家と一文字違いということよりもこうたと言う響きに早苗は反応した。
『この人もこうたって呼ばれているんだ。」
鈴木とはタイプが全く違う「こうた」
「こうた……。」早苗は滝に聞かれないように小さく呟いた。
0
あなたにおすすめの小説
紙の上の空
中谷ととこ
ライト文芸
小学六年生の夏、父が突然、兄を連れてきた。
容姿に恵まれて才色兼備、誰もが憧れてしまう女性でありながら、裏表のない竹を割ったような性格の八重嶋碧(31)は、幼い頃からどこにいても注目され、男女問わず人気がある。
欲しいものは何でも手に入りそうな彼女だが、本当に欲しいものは自分のものにはならない。欲しいすら言えない。長い長い片想いは成就する見込みはなく半分腐りかけているのだが、なかなか捨てることができずにいた。
血の繋がりはない、兄の八重嶋公亮(33)は、未婚だがとっくに独立し家を出ている。
公亮の親友で、碧とは幼い頃からの顔見知りでもある、斎木丈太郎(33)は、碧の会社の近くのフレンチ店で料理人をしている。お互いに好き勝手言える気心の知れた仲だが、こちらはこちらで本心は隠したまま碧の動向を見守っていた。
ヤクザに医官はおりません
ユーリ(佐伯瑠璃)
ライト文芸
彼は私の知らない組織の人間でした
会社の飲み会の隣の席のグループが怪しい。
シャバだの、残弾なしだの、会話が物騒すぎる。刈り上げ、角刈り、丸刈り、眉毛シャキーン。
無駄にムキムキした体に、堅い言葉遣い。
反社会組織の集まりか!
ヤ◯ザに見初められたら逃げられない?
勘違いから始まる異文化交流のお話です。
※もちろんフィクションです。
小説家になろう、カクヨムに投稿しています。
【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜
来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、
疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。
無愛想で冷静な上司・東條崇雅。
その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、
仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。
けれど――
そこから、彼の態度は変わり始めた。
苦手な仕事から外され、
負担を減らされ、
静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。
「辞めるのは認めない」
そんな言葉すらないのに、
無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。
これは愛?
それともただの執着?
じれじれと、甘く、不器用に。
二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。
無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
一億円の花嫁
藤谷 郁
恋愛
奈々子は家族の中の落ちこぼれ。
父親がすすめる縁談を断り切れず、望まぬ結婚をすることになった。
もうすぐ自由が無くなる。せめて最後に、思いきり贅沢な時間を過ごそう。
「きっと、素晴らしい旅になる」
ずっと憧れていた高級ホテルに到着し、わくわくする奈々子だが……
幸か不幸か!?
思いもよらぬ、運命の出会いが待っていた。
※エブリスタさまにも掲載
橘若頭と怖がり姫
真木
恋愛
八歳の希乃は、母を救うために極道・橘家の門を叩き、「大人になったら自分のすべてを差し出す」と約束する。
その言葉を受け取った橘家の若頭・司は、希乃を保護し、慈しみ、外界から遠ざけて育ててきた。
高校生になった希乃は、虚弱体質で寝込んでばかり。思いつめて、今まで養ってもらったお金を返そうと夜の街に向かうが、そこに司が現れて……。
Blue Bird ―初恋の人に再会したのに奔放な同級生が甘すぎるっ‼【完結】
remo
恋愛
「…溶けろよ」 甘く響くかすれた声と奔放な舌にどこまでも落とされた。
本宮 のい。新社会人1年目。
永遠に出来そうもない彼氏を夢見つつ、目の前の仕事に奮闘中。
なんだけど。
青井 奏。
高校時代の同級生に再会した。 と思う間もなく、
和泉 碧。
初恋の相手らしき人も現れた。
幸せの青い鳥は一体どこに。
【完結】 ありがとうございました‼︎
15年目のホンネ ~今も愛していると言えますか?~
深冬 芽以
恋愛
交際2年、結婚15年の柚葉《ゆずは》と和輝《かずき》。
2人の子供に恵まれて、どこにでもある普通の家族の普通の毎日を過ごしていた。
愚痴は言い切れないほどあるけれど、それなりに幸せ……のはずだった。
「その時計、気に入ってるのね」
「ああ、初ボーナスで買ったから思い出深くて」
『お揃いで』ね?
夫は知らない。
私が知っていることを。
結婚指輪はしないのに、その時計はつけるのね?
私の名前は呼ばないのに、あの女の名前は呼ぶのね?
今も私を好きですか?
後悔していませんか?
私は今もあなたが好きです。
だから、ずっと、後悔しているの……。
妻になり、強くなった。
母になり、逞しくなった。
だけど、傷つかないわけじゃない。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる