悪役令嬢の品格 ~悪役令嬢を演じてきましたが、今回は少し違うようです~

幸路ことは

文字の大きさ
41 / 194
学園編 16歳

39 気持ちを落ち着かせましょう

しおりを挟む
 エリーナ・ローゼンディアナの父を母が口にすることはなく、その母も5歳の時に亡くなった。そして可愛がり大事に育ててくれた祖父も、学園入学の二か月前に亡くなってしまう。天涯孤独になったエリーナは成人を迎える卒業式までに、ローゼンディアナ家を無くし嫁ぐか、家を残すために婿養子を取るかを選ばなくてはならない。それが、このゲームのストーリーである。

 頭が真っ白になったエリーナは、リズが懸命に説明する本来のストーリーを心ここにあらずの状態で聞いていた。

「帰らないと……」

 割れたカップの片づけをリズに任せ、エリーナは一目散に屋敷へ帰った。何かに追い立てられるかのように足を急がせ、気づけば走っていた。はしたないと目くじらを立てるサリーは隣にいない。

(信じられない、クリスはゲームに出てこない。じゃぁ、あのクリスは何?)

 ゲームの中で、シナリオにいないキャラがいるなどありえない。その事実はエリーナを激しく動揺させ、奈落の底へ突き落した。自分がヒロインであると知った時よりも、ショックが大きかったのだ。

 すぐに屋敷に着き、玄関のドアを押し開ける。

「エリーナ様!?」

 突然帰って来たエリーナに使用人たちは目を丸くし、サリーが奥からすっ飛んできた。

「く、クリスは、どこ?」

 血相を変えて息を切らしているエリーナを見て、サリーはどうしたんですかと顔を強張らせる。

「ねぇ、クリスは?」

「書斎にいらっしゃいます」

「あり、がとう」

 ぜぇぜぇと肩で息をしながら足を動かす。着替えも湯あみも断った。

「ついて、こないで」

 心配そうに付き添おうとしたサリーに首を横にふって断り、書斎を目指す。この体でここまで走ったのは初めてだ。

(クリスがいないなんて、うそ。きっと、何かの間違いよ)

 自分の荒い息がやけに大きく耳に届く。心はずっと否定している。

 エリーナはノックもせずに書斎のドアを開けた。

「あれ、エリー? 今日は遅くまで残るんじゃ……何があった?」

 書類仕事をしていたクリスは顔を上げ、エリーナの様子がおかしいことに気づくなり立ち上がって駆け寄る。険しい表情で心配してくれているクリスの腕を思わず掴んだ。彼は存在している。
 エリーナの息は上がっており、言葉が出てこない。いや、出せる言葉が見つからなかった。勢いでここまで来てしまったため、その先の行動は考えていない。

(訊けないわ……クリスはここがゲームの世界だって知らないのに)

 訊きたいのに訊けない。声にならない。ただただ不安が押し寄せてくる。

「エリー? どうしたの? 誰かにいじめられた? 嫌な奴に言い寄られた?」

「ちが、う」

 パタリと落とすように掴んでいた腕を離す。クリスは机の上に置いてあった水差しからコップに水を入れると、エリーの顔を覗き込んで手渡した。ハンカチーフで汗も拭いてくれる。
 一気に飲むと冷たい水が喉を通り、呼吸と気が落ち着いてくる。

「座って話を聞こうか?」

 その声は優しく、気遣ってくれている。だが、エリーナは首を横に振り、ぐっと唇をかんだ。

(なんでこんなに優しいの……? 攻略キャラがヒロインに惹かれているわけでもないのに)

 息はだいぶ整ってきたが、思考はぐるぐると空回りをする。不安に引きずられ、後ろ向きの考えが首をもたげてくる。

(何か裏があるの? そのためにここにいるの?)

 攻略キャラだから、ヒロインだからと無条件に信じていただけにクリスが得体のしれないものに思えてくる。一度深呼吸をし、恐る恐るクリスと目を合わせる。彼は戸惑い、心配そうに見つめていた。それはいつもと変わらない、優しく過保護なクリスの姿。

「ごめんなさい……図書室で本を読んでいたらうたた寝してしまって、嫌な夢を見てしまったの……子供みたいね」

 クリスには話せない。とっさに嘘をついて無理矢理笑ったが、クリスが納得するはずもなく、壊れ物に触れるように頬を撫でられる。無意識にびくりと体を強張らせた。

「隠さなくていいよ……何かあったんだろう?」

 心臓が掴まれているような緊張が全身を支配している。常に側にいてくれたクリスなのに、彼がわからなくなった。彼の後ろに何かがいるような、彼の中に別の誰かがいるような、漠然とした恐怖と不安。

「ちょっと、不安になったの。クリスはいつも優しいから、本当のことを言ってくれてないんじゃないかって……」

「どういうこと?」

 問いかけるその声音は柔らかく、気遣ってくれている。エリーナは突拍子過ぎないように、言葉を選んで続きを口にする。

「クリスは私を優先しすぎていると思ったの。こんなに無条件に優しくしてもらって……そんな人いないわ。ローゼンディアナ家が欲しいなら今すぐあげるから、言って」

 その言葉が今言える精いっぱいのものだった。クリスが攻略キャラだったなら、優しいのはエリーナがヒロインだからと理解ができた。だが、そうでないならここまでしてくれる理由がわからない。見返りのない無条件の優しさは、悪役令嬢として利害関係の中で生きてきたエリーナには理解できない恐怖を与えるものだった。
 それを聞いたクリスは眉をピクリと動かし、悲し気に眉根を寄せる。

「どうしたの? 僕が何かした? 不満があるなら言って」

「ないわ……ないから、怖くなったの。こんなに満ち足りているのに、無くなるんじゃないかと思うと」

 それは嘘ではない。今の生活に、信じていたものに罅が入ったような気がしたのだ。

「無くならないよ」

 クリスは遠慮がちにゆっくり距離を詰め、エリーナをそっと片腕で抱きしめた。触れるだけで、エリーナが嫌がればすぐに離れられる。頬がクリスの胸に当たり、服越しに温かさと鼓動が伝わってきた。

「それに、僕だって無私無欲の聖人君主じゃないよ。エリーに優しくして、側にいるのは自分のためなんだ。エリーが気にすることなんてない」

 エリーナは首を上に向け、クリスの顔を見る。彼は複雑そうに微笑していた。

「養子に来た時、実はけっこうやさぐれていたんだ。実家には縁を切られてたし、領主としての勉強もしないといけないのに、継げると決まっているわけでもなかったからね」

「そうだったの……」

 そんな風には見えなかったため、エリーナは少し目を見開く。そういえば、クリスは一度も生家に帰ったことはなかった。こちらに気を使っていたのではなく、帰る必要がなかったのだ。

「でも、エリーを一目見た瞬間にそんな気持ちもふっとんだ。この子のために生きようって思ったんだ……馬鹿だろう?」

 生きる目的を八歳の少女に定めてしまった。でも目的があるだけで、未来がパッと明るくなったのだ。それがいつか、少女の重荷になるかもしれないと分かっていても、自分が歩くためには光が必要だった。

「クリス……」

「だからね、エリー。僕はちっともいい人なんかじゃないよ。自分が生きる意味を君に背負わせている自分勝手な男だ」

「ううん……ちっとも嫌じゃないわ」

 自分でも不思議なくらい、クリスの話を聞くうちに胸の内に巣くっていた不安と不信が消え去った。彼が本気でエリーナのことを考えていて、悪意など持っていないことは伝わってくる。だから、今エリーナが言えることは一つだけ。

「クリス……あなたのことを信じるわ。ごめんなさい、変なことを言って」

 すっとクリスから離れ、もうこの話は終わりと微笑を作る。クリスは照れたような決まりの悪いような表情を浮かべていた。

「……僕も不安にさせてごめん。言いたくなったらすぐに言ってね。僕が必ずエリーを守るから」

 そうはっきりとエリーの味方だと公言する彼を、これ以上疑うことはできない。

(明日、リズに詳しく話してみましょう……)

 ここはゲームの世界だが、ゲームと少し違うのかもしれない。そんなことを考えながら、重い足を引きずるように自室へ戻るのだった。
しおりを挟む
感想 11

あなたにおすすめの小説

社畜OLが学園系乙女ゲームの世界に転生したらモブでした。

星名柚花
恋愛
野々原悠理は高校進学に伴って一人暮らしを始めた。 引越し先のアパートで出会ったのは、見覚えのある男子高校生。 見覚えがあるといっても、それは液晶画面越しの話。 つまり彼は二次元の世界の住人であるはずだった。 ここが前世で遊んでいた学園系乙女ゲームの世界だと知り、愕然とする悠理。 しかし、ヒロインが転入してくるまであと一年ある。 その間、悠理はヒロインの代理を務めようと奮闘するけれど、乙女ゲームの世界はなかなかモブに厳しいようで…? 果たして悠理は無事攻略キャラたちと仲良くなれるのか!? ※たまにシリアスですが、基本は明るいラブコメです。

婚約破棄された悪役令嬢の心の声が面白かったので求婚してみた

夕景あき
恋愛
人の心の声が聞こえるカイルは、孤独の闇に閉じこもっていた。唯一の救いは、心の声まで真摯で温かい異母兄、第一王子の存在だけだった。 そんなカイルが、外交(婚約者探し)という名目で三国交流会へ向かうと、目の前で隣国の第二王子による公開婚約破棄が発生する。 婚約破棄された令嬢グレースは、表情一つ変えない高潔な令嬢。しかし、カイルがその心の声を聞き取ると、思いも寄らない内容が聞こえてきたのだった。

天然だと思ったギルド仲間が、実は策士で独占欲強めでした

星乃和花
恋愛
⭐︎完結済ー本編8話+後日談7話⭐︎ ギルドで働くおっとり回復役リィナは、 自分と似た雰囲気の“天然仲間”カイと出会い、ほっとする。 ……が、彼は実は 天然を演じる策士だった!? 「転ばないで」 「可愛いって言うのは僕の役目」 「固定回復役だから。僕の」 優しいのに過保護。 仲間のはずなのに距離が近い。 しかも噂はいつの間にか——「軍師(彼)が恋してる説」に。 鈍感で頑張り屋なリィナと、 策を捨てるほど恋に負けていくカイの、 コメディ強めの甘々ギルド恋愛、開幕! 「遅いままでいい――置いていかないから。」

悪役令嬢が睨んでくるので、理由を聞いてみた

ちくわ食べます
恋愛
転生したのは馴染みのない乙女ゲームの世界だった。  シナリオは分からず、登場人物もうろ覚え、タイトルなんて覚えてすらいない。 そんな世界でモブ男『トリスタン』として暮らす主人公。 恋愛至上主義な学園で大人しく、モブらしく、学園生活を送っていたはずなのに、なぜか悪役令嬢から睨まれていて。 気になったトリスタンは、悪役令嬢のセリスに理由を聞いてみることにした。

【完結】転生したので悪役令嬢かと思ったらヒロインの妹でした

果実果音
恋愛
まあ、ラノベとかでよくある話、転生ですね。 そういう類のものは結構読んでたから嬉しいなーと思ったけど、 あれあれ??私ってもしかしても物語にあまり関係の無いというか、全くないモブでは??だって、一度もこんな子出てこなかったもの。 じゃあ、気楽にいきますか。 *『小説家になろう』様でも公開を始めましたが、修正してから公開しているため、こちらよりも遅いです。また、こちらでも、『小説家になろう』様の方で完結しましたら修正していこうと考えています。

悪役令嬢になりたくないので、攻略対象をヒロインに捧げます

久乃り
恋愛
乙女ゲームの世界に転生していた。 その記憶は突然降りてきて、記憶と現実のすり合わせに毎日苦労する羽目になる元日本の女子高校生佐藤美和。 1周回ったばかりで、2週目のターゲットを考えていたところだったため、乙女ゲームの世界に入り込んで嬉しい!とは思ったものの、自分はヒロインではなく、ライバルキャラ。ルート次第では悪役令嬢にもなってしまう公爵令嬢アンネローゼだった。 しかも、もう学校に通っているので、ゲームは進行中!ヒロインがどのルートに進んでいるのか確認しなくては、自分の立ち位置が分からない。いわゆる破滅エンドを回避するべきか?それとも、、勝手に動いて自分がヒロインになってしまうか? 自分の死に方からいって、他にも転生者がいる気がする。そのひとを探し出さないと! 自分の運命は、悪役令嬢か?破滅エンドか?ヒロインか?それともモブ? ゲーム修正が入らないことを祈りつつ、転生仲間を探し出し、この乙女ゲームの世界を生き抜くのだ! 他サイトにて別名義で掲載していた作品です。

【完結】悪役令嬢はおねぇ執事の溺愛に気付かない

As-me.com
恋愛
完結しました。 自分が乙女ゲームの悪役令嬢に転生したと気付いたセリィナは悪役令嬢の悲惨なエンディングを思い出し、絶望して人間不信に陥った。 そんな中で、家族すらも信じられなくなっていたセリィナが唯一信じられるのは専属執事のライルだけだった。 ゲームには存在しないはずのライルは“おねぇ”だけど優しくて強くて……いつしかセリィナの特別な人になるのだった。 そしてセリィナは、いつしかライルに振り向いて欲しいと想いを募らせるようになるのだが……。 周りから見れば一目瞭然でも、セリィナだけが気付かないのである。 ※こちらは「悪役令嬢とおねぇ執事」のリメイク版になります。基本の話はほとんど同じですが、所々変える予定です。 こちらが完結したら前の作品は消すかもしれませんのでご注意下さい。 ゆっくり亀更新です。

オバサンが転生しましたが何も持ってないので何もできません!

みさちぃ
恋愛
50歳近くのおばさんが異世界転生した! 転生したら普通チートじゃない?何もありませんがっ!! 前世で苦しい思いをしたのでもう一人で生きて行こうかと思います。 とにかく目指すは自由気ままなスローライフ。 森で調合師して暮らすこと! ひとまず読み漁った小説に沿って悪役令嬢から国外追放を目指しますが… 無理そうです…… 更に隣で笑う幼なじみが気になります… 完結済みです。 なろう様にも掲載しています。 副題に*がついているものはアルファポリス様のみになります。 エピローグで完結です。 番外編になります。 ※完結設定してしまい新しい話が追加できませんので、以後番外編載せる場合は別に設けるかなろう様のみになります。

処理中です...