【完結】致死量の愛を飲みほして【続編完結】

藤香いつき

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Chap.12 薔薇色に塗り潰すなら

Chap.12 Sec.11

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「お姫様、よければ歌の練習に付き合ってくださいませんか?」

 2度目となるアリアの部屋は、前回と何かが違った。「食後の珈琲です」とアリアから提供されたエスプレッソ(トマトみたいなツヤツヤの赤いカップ、小さくて可愛らしい)を飲みながら、違和感の原因をさぐっていると、先に飲み終えたアリアから依頼を受けた。理解が及びきらない状態で「はい」肯定してから、(……歌の練習?)翻訳機の言葉を脳裏で復唱する。よく分かっていない私を知ってか知らずか、にこっとアリアは微笑んだ。

 アリアの眼も、ブルー。ただそれはサクラのものとは違い、明るく鮮やかで、ときおり緑がかった輝きを見せる。暗い髪色はストレートでつややか。デニム地の青いシャツと彼が座る真っ白なソファを見ていると、季節感が狂っていく。ここだけ夏のバカンスのような、爽快で開放的な雰囲気。私の服装とは、なかなか対照的だった。——と、そのあたりで、違和感の正体を察した。ソファが白い。まぶしいほどのホワイト。前回このソファは黄色だったはず。記憶と照らし合わせてみると、インテリアも少し異なっている気がする。模様替えにしては大がかりすぎると思う。ロキの部屋のように映像だろうか……?

「飲み終えたら、ボールルームに移動しましょうか」
「ぼーるるーむ……」
「由緒ある本物のシャンデリアが飾られてあって、とても素敵なホールなんですよ。お姫様も、きっと気に入ってくださるかと」

 アリアがかもしだす柔和にゅうわな空気は、うっかりすると自分の立ち位置を忘れてしまいそうになるほど親しげだった。やわらかく曲がる唇からティアが思い浮かぶが、反面まったく違う印象も受ける。ティアは時に心の中までのぞき込んでくるように距離を詰めるのに対して、アリアは一定の距離を保ち離れている感じがする。壁を作っているというわけではなく、こちらを気遣ってくれているような。

「……うたのれんしゅうで、わたしは、なにをすると、いいですか?」
「何か知っている曲を、一緒に歌ってくださいますか?」
「……きょくは、たぶん、わからない……」
「おや、そうなのですね? 実は、私も流行はやりの曲は知らないのです。……気が合いますね」

 口角の上がったアリアの顔に向けて、あいまいに笑い返した。エスプレッソによって広がっていた濃厚な珈琲の香りが、緊張を緩和してくれる。飲み終えたカップをテーブルに置いたが、アリアは急かすようすなく、そのまま10分ほどゆったりとした時間を過ごしてから、〈ボールルーム〉へと案内してくれた。

 舞踏室ボールルームと呼ばれた場所は1階で、エントランスから見て左手、城館において南西の位置。推測するに1階から2階までの吹き抜けのホールで、いつだったか2階の廊下を歩いたときに上から見下ろしたことがある。大理石のような床と、壮麗なシャンデリア。シャンデリアはひかえめに火を灯し、室内をオレンジに染めている。壁や床の細工は、金と……グレーに近い薄いグリーンかブルーであしらわれていると思う。照明が重なっているせいか、全体的にオレンジを帯びていて判断できない。あめ色の炎色は、手入れの行き届いたインテリアに反射して、ふんわりと優しい光をきらめかせていた。

 まぶしすぎない、夜にはちょうどよい抑えられた光量のもと周囲を眺めていると、アリアが空間に向けて声を発した。それに呼応したように、床からピアノが現れる。黒ではない。金の金具と、全体は薄いミントグリーンだと思われるアンティーク。装飾が細かく、飾り物のように見えるが……。
 ピアノと一緒に現れたイスへと座ったアリアが、開いた鍵盤にそっと指を乗せた。ドレミファソラシド。ゆるりと音が流れた。

「調律が、なされていますね……」

 独り言みたいな声が、ぽつりと。懐かしむような細い目で、すこし哀しげな微笑を浮かべた。
 アリアの指先がゆっくりと奏でる音楽は、聴いたことがあるような、ないような。クラシックと呼べそうな、厳かなメロディー。ボールルームと呼ばれるこの場所に、似つかわしい曲。森の奥にたたずむ、この城館にも。
 ピアノの奥に見える、西に面した壁いっぱいの大きな窓には、蒼黒を背景に遠くの尾根が見える気がする。——まるで、おとぎ話の世界。幻想的な光景は、いつも現実感を奪っていく。

 夢のような心地で様子を見守っていると、音色が止まった。指を引っ掛けて音を外したのか、仲間はずれのような音が混ざった。

「あぁ、やはりピアノは難しいですね……指がイメージどおりに動きません。……お姫様も、よければ弾いてみますか?」

 振り返った顔に、戸惑いつつも「……いいえ」首を振り返した。骨董品について知識などないが、このピアノは高価な物だと思う。勧めてくれたアリアには申し訳ないが、気軽に触ってみる気には到底ならない。

「では、ロボに任せましょうか。私は歌を……久しぶりなので、声が出ないかも知れませんね」

 にっこり。気にさわったふうでもなく、穏やかに両の口角を上げて、アリアはロボットを呼び寄せた。エントランスの方から、開いた扉を抜けて、よく見かける流線型のシンプルなロボットが滑り込んでくる。これは何台この館にいるのだろう? 食堂でも見かけるが、どうやら他にもたくさんいるらしい。
 アリアがイスから立ち上がり、ロボットに命じる。ロボットはピアノの前で止まると、イスをよけて、いつもの触手のような繊細な手指をもって優雅に音楽を奏で始めた。しっとりとしたこまやかな音が、耳に心地よく響いていく。それをなぞるように、アリアが小さな歌声を重ねた。
 低く澄んだ音色。翻訳機が反応をみせないのは、言語が違うのか。それとも、流れる歌声がつづっているのは言葉ではなく、音をたどっただけの意味のない文字列なのだろうか。

「……私のピアノでは、ロボに敵いませんね」

 ロボットとの共演に感心してしまっていると、ふと歌を止めたアリアがそんなことを呟いたものだから、あわてて(アリアの演奏も素敵だった)否定しようとした。しかし、見上げた顔は卑屈ではなく、穏やかなままで——どこか、過去に思いを馳せるような——その表情と言葉には、別の意図があるようだった。
 ふっと流れた目が、私を見つめる。いくつもの光によって輝く眼は、いたわりを見せている。

「よければ……イシャンさんの話をしても?」

 ピアノがみ、ささやかな問いが、音をなくしたボールルームに馴染なじんだ。そこには、口にした名前に対する、私の反応を確かめるような瞳があった。

「……はい」

 アリアの煌らかな眼が、ほっとしたように細められた。

「今や、聴かせる相手もいませんが……昔の私は、歌うことを望まれる機会がありました。……イシャンさんは、ピアノがとても上手で……そういった機会に合わせて、伴奏を引き受けてくれていたのです」
「………………」
「彼は寡黙ですが……彼の演奏は、とても雄弁です。ひとには見せない彼の心を……語ってくれます。……ですから、私は、ほかの兄弟よりも……彼のことを知っているように、思うのです。……差し出がましく、お姫様にとっては、ひどく身勝手なことを言うのですが——」
「……?」
「どうか、彼の代わりに謝罪させてください。貴方を傷付けたこと、本当に申し訳ありません」

 アリアは、歌うように、流麗な響きで唱えた。

「イシャンさんは……可哀想なひとなのです。ひとの心に寄り添うのが苦手で、ゆえに行動が極端になりがちですが……それも、そういった教育を受けてきたからなのです。……貴方が嫌いだとか憎いだとか——そんな殺意があって手を掛けたわけでは……ない、はずです。何か、彼なりの理由が……あると……思うのです」
「………………」
「私の憶測ですが……貴方がいることで、ハウスの調和が乱れるのを恐れているのではないか、と……」

 アリアの意図を、ようやく察した。弁解の言葉を並べる彼を遮るように、口を開く。伝えるべき言葉を、私はまだ、はっきりと選べていないが、

「……わたしも」

 口を挟んだ私に、見下ろすアリアが困惑を見せた。イシャンの代わりに謝罪してくれた彼に向けて、まっすぐ目を合わせる。
 伝わる言葉は、どれだろう。頭のなかで考えながら、

「……わたしも、おなじ、だから……いしゃんは、わるくない」
「……お姫様が、同じ……とは?」
「わたしも、ころされてもいいと——おもいました」

 見開かれた目に、自分が何を言っているのか分かった。

「……わたしは、ここに、いないほうが……いい。……いしゃんも、わたしも、おなじことを、おもってる……ころすのが——ころされるのが、いちばん、だれも、こまらない」

 私を殺しても、イシャンが罪に問われることはない。おそらく社会は崩壊していて、捕まりはしない。出会ったばかりの私が死んだとして、彼らにとっては……たぶん、大きな事件にはならない。悲しんでくれるとしても、それは一瞬の感情で、イシャンの言うとおり“元に戻る”のだろう。

 私の説明を聞き取ったアリアは、しばらくのあいだ沈黙した。その背に見える窓は暗く、月も見当たらない。闇色の世界。
 今宵はアリアの番だが、いつになったら部屋に戻るのだろう? 優しそうだから、などという——ハオロンのときみたいな油断は、もうしていない。アリアがここからどう変わろうとも、受け入れる覚悟は——している。

「……お姫様は、どうして、ここにいらっしゃったのでしょう? 差し支えなければ……教えていただいても?」
「……せとが、わたしを、たすけてくれました」
「あぁ、それは聞いています。ですが……ここにいないほうが良いと思うならば、無理にらずとも……」

 話の途中でアリアが言い淀んだのは、何か気がかりなことが浮かんだからだろう。それが何か——誰か——は、想像できた。

「……わたしは、いくところが、ないです。さくらが、わたしを……ここに、いれてくれました。……だから、ここで、」

 ここで、やっていくしか、ない。
 逃げられない。セトの為に残ったつもりだったけれど、結局なにも返せず、関われば関わるほど、かえって彼の立場を悪くしそうで……どうしたらいいのか分からない。
 最初は命と引き換えに身体を差し出したのに、今はもう、この命に価値を見出せていない。逃げ出したときに死に直面してから、死への恐怖が薄れている。サクラの条件であるグラスの水を飲んでしまえばいいのに、毒による痛みや苦しみが怖くて……それすらもできない。

「——お姫様」

 呼び声に、下がっていた目を上げる。翻訳機を手に入れてから知ったが、アリアは私に〈お姫様〉と声かけていた。私には似つかわしくないけれど、口にする彼には似合っている。
 こちらの目をじっと見つめていたアリアは、よく分からない表情を浮かべた。微笑むような、哀しむような——またしても、懐かしむような。

「ここは——ほとんどの者にとって、ホームではないのです。彼らは——私たちは、生まれる前から研究対象であり、ただの子ではなく、付加価値を求められた存在でした。十分な教育をされてきたのかも知れませんが……人が育つうえで、大切なものを……与えられていません」

 アリアの言葉は、物語の語り部のように滔々とうとうとし、空間に小さく響いた。それは自分たちを釈明するようでもあり、まったくの他人を語るかのような、他人事ひとごとめいた響きでもあった。
 高身長のためこちらを見下ろしていたアリアは、不意にひざまずき、本当のお姫様にするかのように私の片手を取ると、

「私は、貴方を傷付けないと約束いたします。どうしてもここから出て行きたいと思われるなら……協力もいたします。その程度のことしかできず、申し訳ありませんが……」

 頭上に灯る火は、きっと本物ではない。
 けれども、アリアの粛々とした言いぶりのせいか、それらはまるで数々の灯火のようで、教会におけるワンシーンみたいだと思った。愛の誓いではなく、聖職者が神にゆるしを請うような。
 私に向けられたものであるというのに、映画でも見ているのかというくらい客観的な気持ちでいて……見上げてくる誠実な瞳に、はっとしたが、なんと言えばいいか……言葉が出てこない。

「どうか、彼らを——赦してください」

 世界を満たす灯火のなか、響く声は優しい低音。歌うように、訴えるように、——誘うように。
 大仰にも見えるほど、アリアは真剣な顔をしていた。その顔に——もしかすると、私が逃げ出したあの雨の夜、彼は全てを悟っていたのかも知れないと——思った。

 アリアは、歌の練習と称したのに、“久しぶり”と言った。“今や、聴かせる相手もいませんが”、とも。
 それはつまり、普段は歌うことなどなく、練習の必要もなく、今夜だけ特別に歌ったことになる。
 身内であるイシャンのフォローをするため——よりも、被害者と思われていた私への優しさだったのなら……。


 その夜、部屋に戻ったあと、結局アリアは指一本ふれてこなかった。以前と同じように、研究がしたいからと言って私にベッドを譲り、部屋を出て行った。バスルームには私のための衣類が揃えてあり、室内にはドリンクも。
 しかし、胸の中では——感謝の気持ちよりも、不安がうずまいていた。優しさが裏切られるという疑心ではなく、その優しさに頼ってしまうと、また何か——セトのように、余計な負担を掛けてしまうのではないか、と。

 ……見ないふりをしていたが、サクラはどうして、私を自分自身の許へと呼んだのか。彼は最初から、私の顔と首を確認する気でいた。そこに何があるか、予想したうえでの行為だった。……なぜ、知っていたのか。あの時点ではイシャンが話したのかと思ったが、食堂で再会したイシャンの反応からは、違う気がする……。

 ふわりと漂う珈琲の香りを感じながら、借りたベッドの上で、まぶたを閉じる。
 心の奥底にみつく、青い眼。底のない深淵に見えるときもあれば、昏い夜空に見えるときもある、深い海の色。
 今この時も、彼の手の中にいるような——そんな、錯覚なのか事実なのか分からない感覚のなか、眠りについた。
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