【完結】致死量の愛を飲みほして【続編完結】

藤香いつき

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Chap.13 失名の森へ

Chap.13 Sec.1

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 空を見上げる。つぶつぶの小さな雲が、高い位置で魚のうろこのように空をうっすらと覆っている。巻積雲けんせきうんをまんべんなく身につけた空はブルーグレーで、ハウスの屋根と同じ色。空気は湿っぽくないから、たぶん天気は崩れない。メルウィンの知識と経験則による天気予報、当たる確率はそこそこ。

 空から地上へと目を戻した。
 青い植物と豊かな土の匂い、風に乗る花の香りは薄く、木の葉の乾いた匂いが森から届いてくる。隣を向くと、一緒にポタジェ・ガーデンへと来ていた彼女は、離れたところに見える森への入り口を眺めていた。デニム素材の薄いブルーのワンピース。今日の空よりも青い。メルウィンの視線が自分に向いていることに気づいたらしく、振り返り、

「つぎの、しごと……ある?」
「ぁ……えっと、もう終わりなので……飾るためのお花でも、摘んで帰り……ます?」
「はい」
「飾ると言っても……気持ち、というか……ちょこっと、なんですけど……」
「チョコット……どの、おはな?」
「あの辺りなら、どれでも」

 鑑賞目的がメインとなる花のエリアに案内する。立ち並ぶピンクと白の花を見て、彼女は、

「これは?」
「シュウメイギクです。アネモネの仲間です。先月の……ステンドグラスのお花でした」

 説明をそえてから(ステンドグラスなんて見てないかも……? セトくんとかも気にしてないみたいだし……)意味のない情報だったかと思ったが、彼女は「すてんどぐらす、みた」記憶のなかでつながったように応えた。

 数本を切って持ち帰り用に、ほかの荷物とセットでドローンに託した。ハウスへ戻る道すがら、ふたりは取りとめのない話をしていた。途中、ふと会話が切れると、彼女は真面目な顔で口を開き、「めるうぃん」神妙な声で呼び名を口にした。

のかわりに……しごと、くれて……ほんとうに、ありがとう」
「感謝なんて……。僕のほうこそ、ガーデンまで手伝ってもらえて、助かってます。ロボだと、ここまで丁寧にできないから……」
「……わたしは、ちゃんと、できてる?」
「はい。とても丁寧にしてくれて、うれしいです」
「……わたしも、できることがあって、うれしい」

 目尻がゆるみ、ちいさな笑顔っぽい——でも、泣きそうな顔にも見えてしまう——表情が浮かんだ。
 ロボにさせればいいのに——なんて思ってもいないみたいで、ほっとする。

「ごはんも、じぶんで、えらべる。……めるうぃんが、してくれた。とても、かんしゃしてる。……わたしに、できることがあったら、なんでも、いってください」
「そんなっ……僕はもう、充分すぎるぐらいですから……あっ、えっと……アリスさんは、何かないですか? 欲しいものとか、困ってることとか……僕が手伝えること、ないですか?」

 逆に、尋ねてみた。尋ねておいて申し訳ないが、やれることはロキたちに比べると限りがあるので……どうしよう。すこし後悔している。彼女は横を向いていた顔を前方に、目を地面に落として、

「ほしいもの……は、ない……」
「……あの、食べ物だったら、気軽に言ってくれていいので……ハウスは、意外となんでもあるから……」
「……ほしいものは、ない……けど……」
「?」
「……こまってること……ひとつ、いっても、いいですか……?」
「はい、もちろん」
「……わたしに、できることが……みつけられない。……なにか、ほかに、できること……たくさん、みつけたい」
「ぇ……っと? アリスさんは……その、これ以上なにもしなくても……充分だと思いますよ……?」
「……じゅうぶん? わたし、なにもしてない……」
「え? ……でも、毎晩……その、お仕事というか……役割があるから……むしろ昼間は、もっと休むべきじゃないかなって……思いますけど……」
「………………」

 進むべき道に目をやっていた彼女の足が、ゆるりと速度を落とした。どうしたのだろう、と。メルウィンも足を止めかける。遠慮がちに顔を上げてこちらを見ると、「しごと、してない……ひつようと、されてない」居たたまれない瞳で、秘密を告げるようにささやいた。

「ぇ……?」
「みんな……ほとんど、わたしは、いらない」
「……ぁ、それはきっと……まだ、出会ったばかりだから……様子見? ……僕たち、あまりの付き合いに慣れてないので……」
「………………」
「その……アリスさんみたいなお仕事の方を迎えるのは……初めてだし……」
「…………わたしの、おしごと」
「ぁ……えっと、偏見はないですよっ? 僕の役割なんかよりも、ずっと大事なお仕事に思いますし……その、詳しいことは、よく知らないんですけど……誰かと一緒に過ごしたり、触れ合えたりする時間は、貴重だから……」
「………………」
「今だって……アリスさんの時間を、僕のためにいてくれてますよね? 充分、お仕事してると思います!」
「…………ありがとう」
「ぇ……そんな、僕は何も……」

 真剣な表情で感謝されるが、そんな大きなことは言っていない。そして、感謝とは別に悩みは解決していないらしく、顔つきは重いままだった。

 彼女は仕事をしていないと主張したけれど、メルウィンから見ても、ロキあたりは彼女の時間を消費しているのに加えて“お仕事”も得ている気がする。外遊びに慣れているであろうセトも。会話からするとハオロンも。暴行の話をふまえるなら、イシャンも。サクラ、アリア、ティアは微妙だとしても……兄弟の半数が彼女の身体に触れていて、彼女の時間を独占しているのだから、これ以上の仕事なんて要らないと思う。ひとりの時間を設けてあげるべきにも思うし、ゆっくり休むための私室もあげるべきだと思う。……思うけど、そうサクラに進言するのは……。
 メルウィンのと引き換えに彼女に食事の権利を与える、というだけでも、サクラとの交渉はとても緊張した。

——に、頼まれたのか?
——ぇ……?
——食事を確保するよう、お前に頼み込んできたのか?
——アリスさんに言われたかってこと? ……まさか、違うよ。アリスさんは、手伝えることはないかっていてきただけで……食事の提供は、僕がしたいことだから……だめかな?
——……それなら、構わないよ。

 サクラの言葉を思い出しながら、ハウスのエントランスに足を入れた。ピカピカに磨かれた床が、頭上の窓から入るを受けて淡く光っている。崇高な精神を具現化したかのような、硬く冷たい左右対称シンメトリー。昔から変わらない光景。
 この後はどうしようか。ピクニックランチで軽く昼食は終えている。おやつの時間にさしかかるので、お茶に誘ってみても……。

「……あの、アリスさん」
「?」
「よかったら……お茶にしませんか? ティアくんも、呼べば来るかも……」

 自分だけでは足りない気がして、ティアの存在を付け足し。メルウィンの提案に、彼女は表情をくもらせた。

「……わたし、しごとないなら……ろきに、あやまろうと……おもってる」
「ロキくん? ……に謝る、ですか?」
「きのう、おこらせた。……へんじ、ない。たぶん、ずっと、おこってる……」
「なにかあったんですか?」
「……わたし、きのう……ろきからの、れんらく……でてない」
「ぇ……そんなことで怒ります?」
「……ろきは、わたしのめんどう、みてくれてる、のに……れんらく、しなかったから……」
「でも! アリスさんは、イシャンくんのとこに居ましたよね……? 私室を出るまでは……その、アリスさんを独占する権利というか……他のひとが口を出す権利はないというか……」
「……でも……ろきに、ちゃんと……あやまりに、いこうと……おもう……」

(それって放っておいちゃだめですか? いっそこのままでも全然よい気が!)
 言いたい……言いたいけど……頭の端っこから、

——ウサギはロキが好きなんだよ。

 セトの言い分が聞こえる。なんなら本人の幻覚も見える。金髪のがっしりした体躯たいく。エントランスホールで足を止めた彼女の頭の向こう、食堂側の廊下から姿を現してこちらに向けて歩いてくる……あれ?

「セトくんっ?」
「……おう」

 本物だった。すこし裏返ったメルウィンの呼び声に、セトのほうはエントランスで止まっていた二人の存在を先に察していたらしく、微妙な顔つきで反応した。

「……外に居たのか?」
「ぁ……うん、僕のエリアに。アリスさんも、菜園のお手伝いをしてくれたんだ」
「ふぅん……」

 背後をぎこちなく振り返った彼女は、見下ろすセトに、

「せとも……わたしに、しごと……なにか、ある……?」

 その言葉に、はっ! と。ひらめいた!

「セトくん! ……仕事! ある? あるよねっ?」
「はっ? ……いや、俺は別に……」
「森の案内とか! アリスさん森のこと気にしてたし、要ると思うんだ」
「……それは仕事じゃなくねぇか?」
「でもっ……なんかほら……えっと……森で手伝ってほしいこととかできたときに……前もって知ってると……いいと思うからっ……」
「そうか? ……別にそのときでよくねぇか?」
「そんなことないよっ! どうせ今から森に行くんだよね? だったら、アリスさんも一緒に連れて行って、お仕事探してみて! きっとあるよ! きっと!」
「お、おぅ?」

 ちょっと強引すぎる。でも、このまま押しきれそうだから勢いでセトに彼女を託した。ロキの私室に行ってしまったら、また閉じこめられてしまうかもしれない。——そんなの、だめだ。彼女の意思は尊重したいけれど、すくなくとも怒っているロキのところに送り出したくない。怖いことがまってるかもしれないのに、送り出せない。

「森までゆっくり歩いてあげてね、セトくん歩くの速いからっ」

 エントランスのドアからセトと彼女のふたりを急かすように——セトの背中は力を込めて突き出すように——送り出し、

「ディナーができるころには帰ってきてね!」

 言いたいことだけ言いきって、ドアを閉めた。それはもう、ぴったりと、隙間なく。オートだけど。僕は力なんて入れてないけど。

 ——やった!
 謎の達成感に、高揚する心が弾んでいく。どきどきどきどき。手を重ねた胸の下で、心臓の音が心地よく跳ねている。頬も、すこし熱い。

 今回は——護れた。
 ロキの魔の手から、ちゃんと。本人は登場してないけど、前みたいに彼女が怪我けがしてしまうような事態は防げたはず。あのとき、僕が止めていれば、彼女は階段から落とされずにすんだ。同じ失敗は、しない。絶対にしない。

 なによりも——僕でも、役に立てた。
 その事実がうれしくて、この誇らしげな気持ちだけで、とびっきりの料理が作れる気がした。
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