シンメトリーの翼 〜天帝異聞奇譚〜

長月京子

文字の大きさ
29 / 233
第一話 天落の地

エピローグ:2 幼馴染の絆1

しおりを挟む
 眠気に襲われながら教室へ入ると、朱里あかりはすぐに幼馴染の二人を見つけた。予鈴までにはかなりの余裕を残している時刻で、室内にいる生徒は数えられる程である。 

 まだ閑散とした雰囲気の教室で、二人は前後の席に座って何かを話していた。朝の予鈴までに佐和さわが教室にいることはほとんどない。いつも部活動の朝練で、朝礼に間に合うギリギリに駆け込んでくるからだ。 

 朱里は級友達にラクガキをされまくった佐和の左腕の石膏を見て、緊張している自分を感じた。彼女はもう包帯で腕を吊っておらず、会話の勢いで振り上げたりもしている。 
 骨折をしても溌剌とした明るさは損なわれていないようだ。 
 陽気で活発な幼馴染。 

 夏美なつみの憧れの対象。嫉妬すら覚えるほどに、夏美には彼女が輝いて見えるのだろう。 
 本来ならば秘められていた筈の憧憬と嫉妬。それが夏美の苦しみだけを形にした。 

 具現した思いが引き起こした事件を思い出して、朱里は少しだけ胸が痛くなる。さっきまでのだるさや眠気が一気に覚めてしまう。 

「朱里、おはよう」 

 先に朱里に気がついたのは夏美だった。昨日までの出来事が嘘のように、彼女の顔色が戻っている。美少女と呼ぶに相応しい微笑みを向けて、夏美は朱里を手招きしている。 

 佐和も「おはよ」と言って、朱里を迎えてくれた。いつも通り屈託のない二人に、朱里は少しだけみなぎっていた緊張感が緩む。 

「おはよう。なんだか、二人が予鈴前に揃っているのを見るのは、変な感じ」 

 素直に感想を述べると、佐和が「そうかもね」と笑った。 

「夏美は体の調子良くなったの? 昨日、地震で気を失ったから、心配していたんだけど」 
「私は平気。気を失ってから夢を見ていたわ。最近、ずっと嫌な夢を見ていたの。でも、昨夜は久しぶりに気持ちよく眠れたし。スッキリしている位よ」 
「それなら、良かったけど」 

 朱里はほっとして肩の力を抜く。どうやら彼方が言っていたとおり、夏美の中ではこれまでの出来事が全て悪夢ということになっているらしい。 

「それよりさ、朱里」 

 安堵したのも束の間で、佐和の明るい声が続ける。 

「夏美に聞いたけど、副担任も倒れたって?朱里の姉上が保健の先生にそう説明していたらしいけど。天宮あまみや教授が来て朱里の家まで運び込んだって話だよ。朱里も付き添ったんでしょ?副担任、どうしちゃったの?それも地震のせいで?」 
「それは、その。そうなんだけど……」 

 朱里は咄嗟にうまく言葉が続かない。懸命に齟齬そごのない成り行きを模索しながら、しどろもどろと答えた。 

「えーと、色々と疲れもたまっていたみたいで。昨夜はうちで休んでもらったんだ。うちの兄姉が黒沢先生のことを昔からよく知っているみたいだし。……私にもよく分からないけど、とりあえず大丈夫みたい」 
「へぇ、そうなんだ。副担任ってば、見かけどおりひ弱なんだね」 

 佐和はそんなふうに茶化して笑っているが、彼女なりに副担任のことも心配していたようだ。夏美は朱里を見上げたまま、迷ってから口にした。 

「あのね、朱里。……黒沢くろさわ先生の素顔って、見たことある?」 
「えっ?」 

 朱里はどきりと鼓動が高くなった。 

「えっと、私は、残念ながら、……ないかな。昨日も麟華りんか麒一きいちちゃんが先生のこと看ていたし。私は先生の泊まった部屋には近づかなかったから」 
「そう。それはそうよね」 

 なぜか落胆する夏美を興味深げに眺めてから、佐和が朱里を見る。 

「副担任の素顔って、そういえば見たことないよね」 
「う、うん」 
「いわれてみれば興味あるかも。実はものすごい男前だったりしてさ」 

 朱里は心の中で悲鳴を上げてしまう。一人ではらはらしていると、夏美が決意したように佐和を見つめた。 

「私、二人に聞いて欲しいことがあるの」 
「え?どうしたの、突然」 

 佐和はのほほんと骨折していない腕で頬杖をついている。朱里は何を言い出すのだろうかと緊張しながらも、近くの席から椅子を引っ張ってきて座った。 

 夏美は副担任である遥の素顔を見たことがあるが、あれは悪夢の一部に形を変えたはずなのだ。夏美は何か覚悟を決めたように、可憐な顔を厳しくする。 

「こんなこと打ち明けたら、二人は軽蔑するかもしれないけど……」 

 さすがに佐和も夏美の張り詰めた気持ちに気付いたらしく、頬杖をやめて上体を起こした。朱里には夏美の言おうとすることが分かったが、止める気にはなれなかった。 

 夏美の中にある羨望。そこから芽生える悪意。 
 それは秘めておいたほうがいい思いなのかもしれない。 

 秘めていた方が、二人は今までどおりに屈託なく過ごすことができる。 
 朱里にも、今ならわかる。 

 全てを包み隠さずに打ち明けることが、必ずしも良いとは言い切れない。幼い頃は素直に向き合うことだけが、相手に誠意を伝える方法だった。 

 けれど大きくなるにつれて、選択肢が増えていく。 
 体験した出来事が糧となって、いつの間にか相手を思いやるための方法や言葉を覚えしまうから。 

 おとしめる言葉はたしかにあって。 
 傷つける方法も、たしかにあって。 
 生きてきた時が様々な思いを刻み、いつの間にか幼い頃の無垢な心よりも、多くの思いを感じるようになって、ここに立っている。 

 だから、いつのまにか知っている。 
 本心を伝えることが、必ずしも誠意を示すことにはならない。 
 本心を伝えるために、誰かを傷つけてもいいことにはならない。 

 素直な気持ちを伝える言葉と、相手を労わる言葉は違うから。 
 守るために、傷つけないために。 
 伝える方法を考えなければならない。 
 だから時として、秘めることも必要になるのだ。 

「……夏美」 

 彼女の中に在る気持ちは、秘めていたほうが良い。分かっていても、朱里は夏美の思いを遮る気持ちにはなれなかった。 

 吐き出して楽になりたい時があることを、知っていたからだ。 
 夏美は少しでも自分の中に在る暗い思いを拭いたいに違いない。 
 朱里は慰めるように声をかけて、彼女の告白に耳を傾けていた。 

「最近、私がずっと見ていた悪夢なんだけど……」 

 ゆっくりとした口調が、少しだけ震えている。夏美は朱里が体験してきた出来事を、自身の視点から告白した。 
 佐和を羨んで、妬んでいた自分。 
 その暗い思いが具現化してしまう悪夢。 

「ごめんなさい、佐和。……私、最悪なのよ」 

 全てを打ち明けてから、夏美は佐和に深く謝罪した。朱里は二人にかける言葉が見つからず、黙って見守っている。 
 佐和は大きく溜息をついて、しげしげと石膏で固められた自身の腕を眺めた。 

「これが、夏美のせい……、っていうのは、どうかなぁ」 

 怒ったり、そしったりすることもなく、佐和はぽんぽんと夏美の小さな肩を叩く。 

「だってさ、私の本音を語ると、部活動をさぼりたいとか思ってた自分がいたりもするから。そう考えると、その気持ちのせいかもしれないでしょ?」 
「でも、私は……」 

 夏美は言葉を詰まらせて俯いてしまう。例え全てが悪夢であり、単なる偶然だとしても、夏美は友人の怪我を願ってしまう自分を責めているのだ。 
 佐和はそんな暗い気持ちに対しても、あっさりと笑う。 

「体の弱い夏美が、私の運動神経を羨んだり憎んだりするのは仕方ないよ」 

 朱里は佐和の器の大きさに、心の底から尊敬の眼差しを向ける。佐和は二人の様子に戸惑いながらも、小さく咳払いをして姿勢を正した。 

「夏美が私達の友情を信じて打ち明けてくれたので、私も打ち明けちゃいましょう」 

 口調は明るいが、佐和は苦い笑顔を浮かべていた。 

「私も夏美のこと憎たらしいって思ったことが何回もあるもん。小三か小四の時だったかな、私が密かに好きだった子に、夏美が告白されたことがあって。あの時は正直、死んでしまえって思った。それで嫌がらせを仕掛けておいたんだけど、結果、夏美は何と救急車で運び込まれる重体になったんだ」 

 朱里は驚いて思わず佐和の横顔を凝視してしまった。幼いゆえの過ちだとしても、一歩間違えれば夏美は死んでいたのかもしれないのだ。夏美以上に恐ろしい告白である。 

 いつも陽気で強気の幼馴染から、知らない一面を見せられた気がした。 
 一瞬沈黙になったが、朱里は一つの思い出を取り出す。 

「あっ、それ覚えてるかも。佐和と毎日のように夏美のお見舞いに行った時のこと?佐和が必死に通っていたのは、それでだったんだ」 
「そうそう。今思い返しても、あれは寒くなるよ」 

 佐和は身震いしているが、一番寒い思いをしているのは夏美かもしれない。 

「――私、あの時はもう死んでしまうんだと思ったわ」 

 俯いたまま夏美はそんなことを呟いた。それから腕を伸ばして、佐和をぽかぽかと殴った。 

「信じられないわっ。いくら子どもでも、やっていいことと悪いことがあるでしょう」 
「あれは本当にごめん。驚かすだけのつもりだったんだけど、まさかそのまま発作を起こすなんて思わなくて」 

 肩を竦める佐和に食って掛かりながら、夏美は瞳を潤ませている。それは彼女の瞳から零れ落ちて、夏美は慌てて拭った。 

「本当に、信じられない」 

 呟きながらも、夏美はほっとしたように笑いながら、泣いていた。自分の中にあった嫌な思いを打ち明けて、それでも変わらず接してくれる佐和に安堵したのもしれない。 

「でも、良かった」 

 佐和はしくしくと泣く夏美の頭を、慰めるように叩いている。 

「私も長いこと隠していた過ちを打ち明けられて良かった。あの時はごめん、夏美」 

 夏美は「ううん」と首を振って、「ごめんなさい、ありがとう」と呟いた。 
 朱里は清々しい結末に、そっと心の中で二人に拍手を送る。 

 幼い頃から一緒にいた二人だから、きっと本心を語るだけで通じ合うことが出来る。 
 幼馴染の二人に強い絆を感じて、朱里は思わず羨ましくなってしまった。 

「なんだかいいな、二人とも。その輪に、私もいれてくれないかな」 

 素直に伝えると、二人は大笑いする。朱里が「ずるい」とむくれても、二人は依然として笑い続けていた。 
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。

沼野 花
恋愛
夫と子供たちに、選ばれなかったイネス。 すべてを愛人に奪われ、彼女は限界を迎え、屋敷を去る。 だが、その先に待っていたのは、救いではなかった。 イネスを襲った、取り返しのつかない出来事。 変わり果てた現実を前に、 夫はようやく、自分が何を失ったのかを思い知る。 深い後悔と悲しみに苛まれながら、 失ったイネスの心を取り戻そうとする夫。 しかし、彼女の心はすでに、外の世界へと向かっていた。 贖罪を背負いながらもイネスを求め続ける夫。 そして、母の心を知っていく子供たち。 イネスが求める愛とは、 そして、幸せとは――。

里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます

結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります> 政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・? ※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています

白い結婚の行方

宵森みなと
恋愛
「この結婚は、形式だけ。三年経ったら、離縁して養子縁組みをして欲しい。」 そう告げられたのは、まだ十二歳だった。 名門マイラス侯爵家の跡取りと、書面上だけの「夫婦」になるという取り決め。 愛もなく、未来も誓わず、ただ家と家の都合で交わされた契約だが、彼女にも目的はあった。 この白い結婚の意味を誰より彼女は、知っていた。自らの運命をどう選択するのか、彼女自身に委ねられていた。 冷静で、理知的で、どこか人を寄せつけない彼女。 誰もが「大人びている」と評した少女の胸の奥には、小さな祈りが宿っていた。 結婚に興味などなかったはずの青年も、少女との出会いと別れ、後悔を経て、再び運命を掴もうと足掻く。 これは、名ばかりの「夫婦」から始まった二人の物語。 偽りの契りが、やがて確かな絆へと変わるまで。 交差する記憶、巻き戻る時間、二度目の選択――。 真実の愛とは何かを、問いかける静かなる運命の物語。 ──三年後、彼女の選択は、彼らは本当に“夫婦”になれるのだろうか?  

お飾りの侯爵夫人

悠木矢彩
恋愛
今宵もあの方は帰ってきてくださらない… フリーアイコン あままつ様のを使用させて頂いています。

私が行方不明の皇女です~生死を彷徨って帰国したら信じていた初恋の従者は婚約していました~

marumi
恋愛
「あら アルヴェイン公爵がドゥーカス令嬢をエスコートされていますわ」 「ご婚約されたと噂を聞きましたが、まさか本当だとは!」 私は五年前までこの国の皇女エリシアだった。 暗殺事件に巻き込まれ、幼なじみで初恋の相手だった従者――アルヴェイン公子と共に命からがら隣国、エルダールへ亡命した。 彼の「必ず迎えに来る」その言葉を信じて、隣国の地で彼を待ち続けた……。 それなのに……。 やっとの思いで帰国した帝国の華やかなパーティー会場で、一際目立っているのは、彼と、社交界の華と言われる令嬢だった――。 ※校正にAIを使用していますが、自身で考案したオリジナル小説です。 ※イメージが伝わればと思い、表紙画像をAI生成してみました。

十年越しの幼馴染は今や冷徹な国王でした

柴田はつみ
恋愛
侯爵令嬢エラナは、父親の命令で突然、10歳年上の国王アレンと結婚することに。 幼馴染みだったものの、年の差と疎遠だった期間のせいですっかり他人行儀な二人の新婚生活は、どこかギクシャクしていました。エラナは国王の冷たい態度に心を閉ざし、離婚を決意します。 そんなある日、国王と聖女マリアが親密に話している姿を頻繁に目撃したエラナは、二人の関係を不審に思い始めます。 護衛騎士レオナルドの協力を得て真相を突き止めることにしますが、逆に国王からはレオナルドとの仲を疑われてしまい、事態は思わぬ方向に進んでいきます。

あなたがいなくなった後 〜シングルマザーになった途端、義弟から愛され始めました〜

瀬崎由美
恋愛
石橋優香は夫大輝との子供を出産したばかりの二十七歳の専業主婦。三歳歳上の大輝とは大学時代のサークルの先輩後輩で、卒業後に再会したのがキッカケで付き合い始めて結婚した。 まだ生後一か月の息子を手探りで育てて、寝不足の日々。朝、いつもと同じように仕事へと送り出した夫は職場での事故で帰らぬ人となる。乳児を抱えシングルマザーとなってしまった優香のことを支えてくれたのは、夫の弟である宏樹だった。二歳年上で公認会計士である宏樹は優香に変わって葬儀やその他を取り仕切ってくれ、事あるごとに家の様子を見にきて、二人のことを気に掛けてくれていた。 息子の為にと自立を考えた優香は、働きに出ることを考える。それを知った宏樹は自分の経営する会計事務所に勤めることを勧めてくれる。陽太が保育園に入れることができる月齢になって義弟のオフィスで働き始めてしばらく、宏樹の不在時に彼の元カノだと名乗る女性が訪れて来、宏樹へと復縁を迫ってくる。宏樹から断られて逆切れした元カノによって、彼が優香のことをずっと想い続けていたことを暴露されてしまう。 あっさりと認めた宏樹は、「今は兄貴の代役でもいい」そういって、優香の傍にいたいと願った。 夫とは真逆のタイプの宏樹だったが、優しく支えてくれるところは同じで…… 夫のことを想い続けるも、義弟のことも完全には拒絶することができない優香。

君への気持ちが冷めたと夫から言われたので家出をしたら、知らぬ間に懸賞金が掛けられていました

結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
【え? これってまさか私のこと?】 ソフィア・ヴァイロンは貧しい子爵家の令嬢だった。町の小さな雑貨店で働き、常連の男性客に密かに恋心を抱いていたある日のこと。父親から借金返済の為に結婚話を持ち掛けられる。断ることが出来ず、諦めて見合いをしようとした矢先、別の相手から結婚を申し込まれた。その相手こそ彼女が密かに思いを寄せていた青年だった。そこでソフィアは喜んで受け入れたのだが、望んでいたような結婚生活では無かった。そんなある日、「君への気持ちが冷めたと」と夫から告げられる。ショックを受けたソフィアは家出をして行方をくらませたのだが、夫から懸賞金を掛けられていたことを知る―― ※他サイトでも投稿中

処理中です...