シンメトリーの翼 〜天帝異聞奇譚〜

長月京子

文字の大きさ
51 / 233
第二話 偽りの玉座

伍章:一 恋人の最期1

しおりを挟む
 白亜はくあは話を続けた。 
 妹の白露はくろが息絶えた後も、白虹はっこう皇子みこは決して遺体の傍を離れなかった。手放さなかったと言った方が正しいのかもしれない。 

 誰の手にも渡さず、皇子みこはただ横たわる黒いむくろを涙で濡らした。 
 白亜達の住まいは、透国とうこくのありふれた住居である。天界の宮殿には何もかもが遠く及ばない。白虹の皇子が滞在するには、あまりに質素で不釣合いな住まいに見えた。それでも、皇子みこは誰の言葉にも耳を傾けず、天界へ戻ることを拒み続けた。 

 これまでは、どれほど白露と想いを通わせても、皇子みこが自身の立場を放棄したことは一度もなかった。天界に生まれ、天籍てんせきを与えられ、とうの第一王子としての責務を果たし続けてきたのだ。 

 白露はくろの兄である白亜はくあにとって、皇子みこの使命感は時として妹への愛情を凌駕しているようにも見えた。そんな皇子の姿勢を見て、白亜は時折妹を哀れに感じることがあった程である。けれど、白露が亡骸となった時、白亜はそれが大きな誤解であったのだと痛感した。 

 白露の亡骸を前に、皇子みこは初めて自身の立場、全ての責務を放棄したのだ。白露を亡くした悲嘆は全てに勝り、皇子の強靭きょうじんな使命感は跡形もなく呑みこまれてしまった。 
 天界からの迎えをことごとく拒絶して、皇子は白露の傍にあり続けた。 

 白亜も当初は、白虹はっこう皇子みこと同じようにただ妹の死を哀しむ日々だった。けれど、いつからか日を追うごとに、皇子の先行きに不安を覚え始めた。 

(この方は、いつまでもここにとどまっていてはいけない) 

 白亜と白露の兄妹に両親はない。白亜が独り立ちする頃には、既に亡くなっていた。幸い両親の庇護ひごを必要とするほど幼くはなかったので、兄妹は助け合って生計を立ててきた。 
 白虹の皇子みこと縁を結ぶと決意する時も、妹の白露は最後まで残される兄のことを思い悩んでいた。皇子の伴侶となれば、白露はこれまでのように身近で兄を支えることができなくなってしまう。皇族と繋がりのある者として不自由のない待遇を受けようとも、兄のために心を砕く者は誰もいない。 

 そして、白虹の皇子によって与えられる天籍は、白露の魂魄いのちが刻む時を変えてしまう。地界に流れる月日ではなく、彼女は天界の時を生きることになるのだ。 
 刻まれる時の差異。正確にはどれほどの開きがあるのかわからない。それが一定の法則をもって在るのかもわからなかった。 

 天界の皇子と地界の白露が逢瀬を重ねる時にも、不思議な違いがあった。同じように三日後の再会である日もあれば、皇子にとっての翌日が、白露にとって翌月であることもある。ごく稀に逆の場合もあった。 
 それでも統計をとれば、圧倒的に天界のほうが地界よりも緩やかな時を刻んでいる。 
 白露にとってのひとときが、白亜の一生になってしまうのかもしれない。 
 妹は最後まで、そんなことを危惧していた。 

 白亜にとっては、取るに足らない心配だった。余計なお世話だと叱り飛ばした記憶がある。時期と縁があれば、白亜もいずれは伴侶を迎えることになる。いつまでも独り身でいるつもりはなかったし、妻、子、孫と、これからいくらでも心を砕き、通わせる者はできるのだ。行き遅れた妹が小姑となるよりは、早々に片付いてくれる方が在り難い。 

 もちろん本音ではなかったが、厄介者のように罵ると、妹はようやく決意したようだった。きっと白露は、兄の真意を理解したのだろう。 
 妹の不在。寂しくないと言えば嘘になる。 
 けれど。 
 兄が誰よりも自分の幸せを願ってくれているという真実。 
 妹は白亜の一番の望みを受け入れてくれた。白虹の皇子の想いに答えたのは、それからすぐのことだった。 

 思い出せば、それは切なく幸せな日々。 
 この目に刻むはずだった、妹の晴れ姿。 
 その全てを絶たれて、兄である白亜は悲嘆に暮れた。 
 奈落の底。 
 夢か幻であれば良いと、どれほど願ったのかわからない。 
 悪夢のような日々が過ぎて、呆気なく迎えた終焉。 

(白露、――白露、逝くな) 

 自分の声に重なっていたのは、皇子みこの悲鳴。 

(どうして、……なぜだ) 

 白亜と同じように、悲嘆に暮れる皇子の姿。白露が息絶えたその日から、変わらぬ光景。 
 まるで同じ哀しみを分かち合うかのように、震えていた背中。 
 白露の亡骸を抱いて、その死を悼む心。 
 たしかに妹がこの世に生きていたという証を、白亜は皇子の中に見つけることが出来た。 

 想いの内に、揺ぎ無く刻まれている存在。 
 いつか色褪せてしまうとしても、失われることはなく。 
 皇子みこの一途な想いは、白亜にとって慰めであったのかもしれない。 
 それでも、再三に渡る天界からの迎えは、白亜に皇子の立場を思い出させた。 

(この方は、ここで立ち止まっていてはいけない)

 息絶えた妹も同じ想いであるだろう。白亜にはそう思えた。 

「白虹様。いつまでも悲嘆に暮れていては、妹が哀しみます」 
「――私は、まだ信じられない」 

 白露の亡骸を見つめたまま、皇子は呟いた。彼が正気であることを確かめて、白亜はわずかに安堵の息を漏らした。 

「それでも、受け入れなければ前に進むことはできません。あなたが妹の死を嘆いてここで果てるようなことになれば、白露が嘆きます」 
「もういい。……もう、いいのです」 
「白虹様」 
「ここで果ててもかまわない。私には、もう全て意味がない」 

 力なく呟いて、皇子はようやく白亜を見た。 

「白亜、私には意味がなくなってしまいました。国を背負うことも、第一王子としての責務を果たすことも。全て彼女と縁を結ぶために、必死で演じてきた。誰もが私の言葉に耳を傾けるだけの地位と立場を得るために」 
「……あなたにそれほど想われて、妹は幸せ者でした」 

 何と答えて良いか判らず、白亜はそれだけを搾り出すように伝えて、ただ頭を下げた。伏せた視線の先に映るのは、音もなく落下する皇子の涙。それは止むことなく、皇子の白銀の衣装に染みを作った。 

「彼女が、――幸せだった、はずがない」 

 零れ落ちる涙を拭うこともせず、皇子は言い募る。 

「私の想いが、彼女にとれほどの我慢をさせたのか。私は知っています。地界で睦み合う者達のように、私は白露に与えることが出来なかった。私はただ我儘を貫いて彼女を望んだだけです。私が皇子みこでなければ、――彼女はもっと満たされた日々を送ることが出来た。容易たやすく会うこともままならず、私は彼女に辛抱ばかりさせていた。……これから、だったのです」 
「皇子、決してそんなことは――」 
「私には、これからだった。白露と縁を結び、ようやく彼女をまも比翼ひよくになれる筈だった。私はこれまで、彼女に辛い思いをさせることしかできなかった」 

 皇子みこの内に刻まれた悔恨かいこん懺悔ざんげ。 
 白亜が妹に対して感じた哀憫あいびんは、皇子の中にも在ったのだ。彼はどんな時も白露のために心を砕いていた。けれど、それを形にするための時間がなかったのだ。 

 妹の抱える不安や恐れを知りながら、それを拭うだけの自由が許されていない。 
 いずれ透国とうこくを背負う、一番目の皇子みこであったが故に。 

「それなのに、彼女は魂魄いのちを失った後もに塗り固められている。このような惨い姿でとどまり、いずれと成り果てて、魂魄いのちは永劫に苛まれる。安らかな終焉を迎えることも許されない。どうして――っ。どうして白露が、このような仕打ちを受けなければならないっ」 

 皇子の激昂が、再び白亜の目に涙を滲ませた。 
 考えないようにしていた魂魄いのちの終焉。 
 この世において、魂魄いのちを失った肉体――亡骸はいずれ霧散する。影も形もなく、跡形もなく失われてしまうのだ。 

 魂魄いのちは、肉体を形としてこの世にとどめるもの。器から離れれば、それは生前の行いや想いによって、じんに別たれ、再びこの世に解放されると言われている。 
 が人の悪意から成り、じんが人の善意から成るというのは、人々が魂魄いのちの在り様をそのように捉えているからなのかもしれない。 

 人が亡くなってから十日が過ぎた頃、その亡骸は失われる。遺体が霧散することを、人々は輪廻りんねとよんだ。 
 白亜は溢れ出た涙を、無造作に腕で拭った。 
 黒い遺体。魂魄いのちに侵された亡骸。 

 白亜もにまつわる恐ろしい噂を耳にしたことがあったが、まさか自分の妹にその災厄がふりかかるとは思ってもいなかったのだ。 
 皇子みこの絶望が、何よりも雄弁にそれを教えた。 
 目の前に横たわる白露の遺体。 
 に捕らわれたかのように黒く、時が過ぎても霧散せず在り続けている。 
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。

沼野 花
恋愛
夫と子供たちに、選ばれなかったイネス。 すべてを愛人に奪われ、彼女は限界を迎え、屋敷を去る。 だが、その先に待っていたのは、救いではなかった。 イネスを襲った、取り返しのつかない出来事。 変わり果てた現実を前に、 夫はようやく、自分が何を失ったのかを思い知る。 深い後悔と悲しみに苛まれながら、 失ったイネスの心を取り戻そうとする夫。 しかし、彼女の心はすでに、外の世界へと向かっていた。 贖罪を背負いながらもイネスを求め続ける夫。 そして、母の心を知っていく子供たち。 イネスが求める愛とは、 そして、幸せとは――。

魔法師団長の家政婦辞めたら溺愛されました

iru
恋愛
小説家になろうですでに完結済みの作品です。よければお気に入りブックマークなどお願いします。 両親と旅をしている途中、魔物に襲われているところを、魔法師団に助けられたティナ。 両親は亡くなってしまったが、両親が命をかけて守ってくれた自分の命を無駄にせず強く生きていこうと決めた。 しかし、肉親も家もないティナが途方に暮れていると、魔物から助けてくれ、怪我の入院まで面倒を見てくれた魔法師団の団長レオニスから彼の家政婦として住み込みで働かないと誘われた。 魔物から助けられた時から、ひどく憧れていたレオニスの誘いを、ティナはありがたく受ける事にした。 自分はただの家政婦だと強く言い聞かせて、日に日に膨らむ恋心を抑え込むティナだった。 一方、レオニスもティナにどんどん惹かれていっていた。 初めはなくなった妹のようで放っては置けないと家政婦として雇ったが、その健気な様子に強く惹かれていった。 恋人になりたいが、年上で雇い主。 もしティナも同じ気持ちでないなら仕事まで奪ってしまうのではないか。 そんな思いで一歩踏み出せないレオニスだった。 そんな中ある噂から、ティナはレオニスの家政婦を辞めて家を出る決意をする。 レオニスは思いを伝えてティナを引き止めることができるのか? 両片思いのすれ違いのお話です。

お飾りの侯爵夫人

悠木矢彩
恋愛
今宵もあの方は帰ってきてくださらない… フリーアイコン あままつ様のを使用させて頂いています。

俺と結婚してくれ〜若き御曹司の真実の愛

ラヴ KAZU
恋愛
村藤潤一郎 潤一郎は村藤コーポレーションの社長を就任したばかりの二十五歳。 大学卒業後、海外に留学した。 過去の恋愛にトラウマを抱えていた。 そんな時、気になる女性社員と巡り会う。 八神あやか 村藤コーポレーション社員の四十歳。 過去の恋愛にトラウマを抱えて、男性の言葉を信じられない。 恋人に騙されて借金を払う生活を送っていた。 そんな時、バッグを取られ、怪我をして潤一郎のマンションでお世話になる羽目に...... 八神あやかは元恋人に騙されて借金を払う生活を送っていた。そんな矢先あやかの勤める村藤コーポレーション社長村藤潤一郎と巡り会う。ある日あやかはバッグを取られ、怪我をする。あやかを放っておけない潤一郎は自分のマンションへ誘った。あやかは優しい潤一郎に惹かれて行くが、会社が倒産の危機にあり、合併先のお嬢さんと婚約すると知る。潤一郎はあやかへの愛を貫こうとするが、あやかは潤一郎の前から姿を消すのであった。

『影の夫人とガラスの花嫁』

柴田はつみ
恋愛
公爵カルロスの後妻として嫁いだシャルロットは、 結婚初日から気づいていた。 夫は優しい。 礼儀正しく、決して冷たくはない。 けれど──どこか遠い。 夜会で向けられる微笑みの奥には、 亡き前妻エリザベラの影が静かに揺れていた。 社交界は囁く。 「公爵さまは、今も前妻を想っているのだわ」 「後妻は所詮、影の夫人よ」 その言葉に胸が痛む。 けれどシャルロットは自分に言い聞かせた。 ──これは政略婚。 愛を求めてはいけない、と。 そんなある日、彼女はカルロスの書斎で “あり得ない手紙”を見つけてしまう。 『愛しいカルロスへ。  私は必ずあなたのもとへ戻るわ。          エリザベラ』 ……前妻は、本当に死んだのだろうか? 噂、沈黙、誤解、そして夫の隠す真実。 揺れ動く心のまま、シャルロットは “ガラスの花嫁”のように繊細にひび割れていく。 しかし、前妻の影が完全に姿を現したとき、 カルロスの静かな愛がようやく溢れ出す。 「影なんて、最初からいない。  見ていたのは……ずっと君だけだった」 消えた指輪、隠された手紙、閉ざされた書庫── すべての謎が解けたとき、 影に怯えていた花嫁は光を手に入れる。 切なく、美しく、そして必ず幸せになる後妻ロマンス。 愛に触れたとき、ガラスは光へと変わる

私が行方不明の皇女です~生死を彷徨って帰国したら信じていた初恋の従者は婚約していました~

marumi
恋愛
「あら アルヴェイン公爵がドゥーカス令嬢をエスコートされていますわ」 「ご婚約されたと噂を聞きましたが、まさか本当だとは!」 私は五年前までこの国の皇女エリシアだった。 暗殺事件に巻き込まれ、幼なじみで初恋の相手だった従者――アルヴェイン公子と共に命からがら隣国、エルダールへ亡命した。 彼の「必ず迎えに来る」その言葉を信じて、隣国の地で彼を待ち続けた……。 それなのに……。 やっとの思いで帰国した帝国の華やかなパーティー会場で、一際目立っているのは、彼と、社交界の華と言われる令嬢だった――。 ※校正にAIを使用していますが、自身で考案したオリジナル小説です。 ※イメージが伝わればと思い、表紙画像をAI生成してみました。

里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます

結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります> 政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・? ※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています

片想い婚〜今日、姉の婚約者と結婚します〜

橘しづき
恋愛
 姉には幼い頃から婚約者がいた。両家が決めた相手だった。お互いの家の繁栄のための結婚だという。    私はその彼に、幼い頃からずっと恋心を抱いていた。叶わぬ恋に辟易し、秘めた想いは誰に言わず、二人の結婚式にのぞんだ。    だが当日、姉は結婚式に来なかった。  パニックに陥る両親たち、悲しげな愛しい人。そこで自分の口から声が出た。 「私が……蒼一さんと結婚します」    姉の身代わりに結婚した咲良。好きな人と夫婦になれるも、心も体も通じ合えない片想い。

処理中です...