シンメトリーの翼 〜天帝異聞奇譚〜

長月京子

文字の大きさ
75 / 233
第三話 失われた真実

第三章:3 赤の宮の杞憂(きゆう)

しおりを挟む
 遥の手が柄を持ち直す。躊躇ためらいなく漆黒の刀剣を構え、鋭い剣先が女性と対峙した。遥が一歩を踏み出すと同時に、朱里を抱いていた女性の腕が解かれる。争いに巻き込むことを避けるかのように、彼女はどんと朱里の身体を突き飛ばした。 

「せ、先生」 

 朱里あかりは横へ勢い良く倒れながら叫ぶ。 

「待って、やめてっ」 

 悲鳴と同時に、どっと鈍い音が響いた。暗がりの中で遥と女性は身を寄せ合うような近さで動きを止める。朱里には寄り添う二人の影が、どのような顛末てんまつを迎えているのか判らない。 
 ぽたりと、何かが零れて床に落ちる音が聞こえた。 

 ぽたり、ぽたり、とそれはだんだん間隔が短くなっていく。朱里が目を凝らすと、女性の背中から、体を貫いた剣先が見えた。その鋭い刃先から何かが伝い、ぽたぽたと床に零れ落ちている。 
 遥の刀剣が、間違いなく女性の体を貫いていた。床に描かれた染みが血だまりであることを理解すると、全身に震えが走る。悲鳴が声にならない。 

 いつか見たように、が形作ったという女子生徒の時とは、明らかに状況が異なっている。朱里は力の入らない体で身を乗り出す。這うようにして二人の元へ向かった。 

「容赦はしないと言いながら、……このように手加減をするのですか」 

 ふっと女性が笑ったのが、朱里にも伝わってくる。痛みに耐えているのか、途切れ途切れ女性は続けた。 

「やはり、あなたは、非道になり切れない」 
「宮こそ、どうして王の礼神らいじんを以って剣を止めない?――私が本気であれば、今頃は容易たやす魂魄いのちを失っている」 

「あなたが本気で剣を振るうのなら、いかに力を発揮しようとも、太刀打ちできよう筈がありません。このように情けをかけるあなたの行いが、これからは朱桜を追い詰めてしまうかもしれません。私が案じるのは、それだけです」 
「それだけ?――宮、初めから私を試すために、朱桜を連れて戻るなどと」 

 女性は再び小さく笑う。貫かれた傷が痛むのか、すぐに顔を歪めた。 

「手当てを……」 

 朱里には何が起きているのか判らない。自分を奮い立たせて、何とか言葉を搾り出す。 

「すぐに手当てをしないと、すごい血が……」 

 朱里は刀剣を手にしたままの遥を見る。簡単に人を刺し貫く彼の行動は、どのような経緯いきさつを秘めていても、ただ恐ろしい。 

「先生、どうして、どうしてこんなこと」 

 遥は何も答えず、慣れた手つきでするりと女性の体から剣を引き抜いた。そのまま反動で倒れこみそうになる女性の体を支える。女性は遥に抱えられたまま、傍らで言葉を失っている朱里を見た。 

「心配はいりません。かすり傷です」 
「そんな筈は……」 

 ないと伝えようとしたが、女性すぐに支えを必要とせず毅然と一人で立つ。遥は刀剣を一振りして虚空へ収《おさ》めると、再び女性と向かい合った。 

「赤の宮、すぐに手当てを」 
「必要ありません。闇呪あんじゅきみ、私にも判っているのです。今は誰に託すよりも、あなたの元に在ることが安全なのだと。私も覚悟を決めましょう。変えることのできない運命であるならば、私は知りえた先途せんとを信じます。朱桜すおうは相称の翼として、もう逃れることが出来ない立場にあるのですから」 

「あなたの知りえた先途とは、どのような未来ですか。あの時私に語った以外に何かを秘めておられるのか」 
「――腑に落ちないことが、いくつかあります。今は語ることが出来ません。天帝に禍として討たれるあなたが、本当に相称の翼となった朱桜を守り通してくれるのか。私には信じがたい話でした。けれど、杞憂きゆうに終わったようです。皮肉にも全てが示されたとおりに動き始めてしまいました」 

「あなたに先途を語ったのは、かん先守さきもりですか」 

 女性は自嘲的に笑う。 

「世の行く末を定めるほどの占いを、最高位の華艶かえん以外、誰が語れましょう」 
「では、あなたは一体何を信じておられるのか」 
「私は、朱桜のために残された言葉だけを信じています」 
「朱桜のため?」 

 女性はただ頷くだけだった。それ以上のことは語らないという意志がみなぎっている。 
 理解の及ばない会話。朱里には、既にこの教室が異世界のように思えてくる。女性の手当てをすることが最優先であると判っているのに、なぜか二人の会話を遮ることができない。しかも、二人が語っているのは、相称の翼が関わることなのだ。けれど、それだけを知っていても、朱里には二人の語る成り行きが形にならなかった。 
 自分が二人の語る朱桜ではないかという憶測だけが、恐ろしい勢いで高まっていく。いつのまにかてのひらが冷や汗で濡れていた。 

 無言で女性を見つめていた遥が、降参したように大きく息をついた。 

「残された言葉について、これ以上あなたを問い詰めても無駄なようだ。では、あなたに一つだけ問いたい。黄帝はいかがなされたのか。――この局面においても、まだご自身が動かない。何を考えておられる」 
金域こんいきにおいて、私には腑に落ちないことばかりが……」 

 はるかがわずかに眉を寄せる。 

闇呪あんじゅきみ、私にも黄帝の真意が判りません。各国の王と後継者に相称そうしょうつばさについて語り、捜索を始めたようです。開かれた鬼門から、こちらに渡っている者がおりましょう」 
「追手が放たれたことは知っています。ただ、彼らの目的が明らかではない。相称の翼だけを追っているとも思えなかった」 

 遥が打ち明けると、女性は難しい顔をして傷跡を押さえた。それが痛みからなのか、何かを語ることへの戸惑いからなのか、朱里には判断できない。 

「黄帝はこれを機に、あなたを完璧なるわざわいに仕立て上げるつもりなのかもしれません」 
「仕立て上げる? いまさら、そんな芝居を打たずとも、私が禍となることは周知の事実」 

「……私にもよく判らないのです。ただ、黄帝があなたに敵意を向けたことは間違いがないでしょう」 

 遥は眼差まなざしを細めて、目の前の女性を見た。 

「では、――私が、相称の翼を奪ったと?」 
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。

沼野 花
恋愛
夫と子供たちに、選ばれなかったイネス。 すべてを愛人に奪われ、彼女は限界を迎え、屋敷を去る。 だが、その先に待っていたのは、救いではなかった。 イネスを襲った、取り返しのつかない出来事。 変わり果てた現実を前に、 夫はようやく、自分が何を失ったのかを思い知る。 深い後悔と悲しみに苛まれながら、 失ったイネスの心を取り戻そうとする夫。 しかし、彼女の心はすでに、外の世界へと向かっていた。 贖罪を背負いながらもイネスを求め続ける夫。 そして、母の心を知っていく子供たち。 イネスが求める愛とは、 そして、幸せとは――。

白い結婚の行方

宵森みなと
恋愛
「この結婚は、形式だけ。三年経ったら、離縁して養子縁組みをして欲しい。」 そう告げられたのは、まだ十二歳だった。 名門マイラス侯爵家の跡取りと、書面上だけの「夫婦」になるという取り決め。 愛もなく、未来も誓わず、ただ家と家の都合で交わされた契約だが、彼女にも目的はあった。 この白い結婚の意味を誰より彼女は、知っていた。自らの運命をどう選択するのか、彼女自身に委ねられていた。 冷静で、理知的で、どこか人を寄せつけない彼女。 誰もが「大人びている」と評した少女の胸の奥には、小さな祈りが宿っていた。 結婚に興味などなかったはずの青年も、少女との出会いと別れ、後悔を経て、再び運命を掴もうと足掻く。 これは、名ばかりの「夫婦」から始まった二人の物語。 偽りの契りが、やがて確かな絆へと変わるまで。 交差する記憶、巻き戻る時間、二度目の選択――。 真実の愛とは何かを、問いかける静かなる運命の物語。 ──三年後、彼女の選択は、彼らは本当に“夫婦”になれるのだろうか?  

私が行方不明の皇女です~生死を彷徨って帰国したら信じていた初恋の従者は婚約していました~

marumi
恋愛
「あら アルヴェイン公爵がドゥーカス令嬢をエスコートされていますわ」 「ご婚約されたと噂を聞きましたが、まさか本当だとは!」 私は五年前までこの国の皇女エリシアだった。 暗殺事件に巻き込まれ、幼なじみで初恋の相手だった従者――アルヴェイン公子と共に命からがら隣国、エルダールへ亡命した。 彼の「必ず迎えに来る」その言葉を信じて、隣国の地で彼を待ち続けた……。 それなのに……。 やっとの思いで帰国した帝国の華やかなパーティー会場で、一際目立っているのは、彼と、社交界の華と言われる令嬢だった――。 ※校正にAIを使用していますが、自身で考案したオリジナル小説です。 ※イメージが伝わればと思い、表紙画像をAI生成してみました。

魔法師団長の家政婦辞めたら溺愛されました

iru
恋愛
小説家になろうですでに完結済みの作品です。よければお気に入りブックマークなどお願いします。 両親と旅をしている途中、魔物に襲われているところを、魔法師団に助けられたティナ。 両親は亡くなってしまったが、両親が命をかけて守ってくれた自分の命を無駄にせず強く生きていこうと決めた。 しかし、肉親も家もないティナが途方に暮れていると、魔物から助けてくれ、怪我の入院まで面倒を見てくれた魔法師団の団長レオニスから彼の家政婦として住み込みで働かないと誘われた。 魔物から助けられた時から、ひどく憧れていたレオニスの誘いを、ティナはありがたく受ける事にした。 自分はただの家政婦だと強く言い聞かせて、日に日に膨らむ恋心を抑え込むティナだった。 一方、レオニスもティナにどんどん惹かれていっていた。 初めはなくなった妹のようで放っては置けないと家政婦として雇ったが、その健気な様子に強く惹かれていった。 恋人になりたいが、年上で雇い主。 もしティナも同じ気持ちでないなら仕事まで奪ってしまうのではないか。 そんな思いで一歩踏み出せないレオニスだった。 そんな中ある噂から、ティナはレオニスの家政婦を辞めて家を出る決意をする。 レオニスは思いを伝えてティナを引き止めることができるのか? 両片思いのすれ違いのお話です。

訳あり冷徹社長はただの優男でした

あさの紅茶
恋愛
独身喪女の私に、突然お姉ちゃんが子供(2歳)を押し付けてきた いや、待て 育児放棄にも程があるでしょう 音信不通の姉 泣き出す子供 父親は誰だよ 怒り心頭の中、なしくずし的に子育てをすることになった私、橋本美咲(23歳) これはもう、人生詰んだと思った ********** この作品は他のサイトにも掲載しています

皇太子夫妻の歪んだ結婚 

夕鈴
恋愛
皇太子妃リーンは夫の秘密に気付いてしまった。 その秘密はリーンにとって許せないものだった。結婚1日目にして離縁を決意したリーンの夫婦生活の始まりだった。 本編完結してます。 番外編を更新中です。

靴屋の娘と三人のお兄様

こじまき
恋愛
靴屋の看板娘だったデイジーは、母親の再婚によってホークボロー伯爵令嬢になった。ホークボロー伯爵家の三兄弟、長男でいかにも堅物な軍人のアレン、次男でほとんど喋らない魔法使いのイーライ、三男でチャラい画家のカラバスはいずれ劣らぬキラッキラのイケメン揃い。平民出身のにわか伯爵令嬢とお兄様たちとのひとつ屋根の下生活。何も起こらないはずがない!? ※小説家になろうにも投稿しています。

届かぬ温もり

HARUKA
恋愛
夫には忘れられない人がいた。それを知りながら、私は彼のそばにいたかった。愛することで自分を捨て、夫の隣にいることを選んだ私。だけど、その恋に答えはなかった。すべてを失いかけた私が選んだのは、彼から離れ、自分自身の人生を取り戻す道だった····· ◆◇◆◇◆◇◆ 読んでくださり感謝いたします。 すべてフィクションです。不快に思われた方は読むのを止めて下さい。 ゆっくり更新していきます。 誤字脱字も見つけ次第直していきます。 よろしくお願いします。

処理中です...