シンメトリーの翼 〜天帝異聞奇譚〜

長月京子

文字の大きさ
157 / 233
第四話 闇の在処(ありか)

四章:六 闇の地:秘められた約束2

しおりを挟む
 闇呪あんじゅはそっと澄んだ闇を隠すように目を伏せた。呟くような声が沁みこむように響いてくる。 

「たしかに緋国ひのくにの姫君のお話は伺っています。ですが、私はその縁を結ぶつもりはありません。もう二度と妃を迎えることはないでしょう」 

 緋桜ひおうは驚かなかった。どこかで予感していた答えなのだと、彼に言葉にされて気がついた。しずかの遺した言葉が、ゆるやかな波紋となって胸の内を奮わせている。 

 六の君の守り手。 

 その真実だけが緋桜の世界を形作っていく。王としては危ういほどにその言葉だけを信じているのだ。だから闇呪をこの世の悪であると思い切れない。思いたくないというのが本心だった。 

「二度と妃を迎えない、その理由を伺ってもよろしいでしょうか」 

 聞かなくとも判るような気がしたが、緋桜はあえて口にする。闇呪あんじゅは期待を裏切ることなく、語ってくれた。 

「私と縁を結んで、無駄に魂魄いのちを失ってほしくありません。それだけです」 

「無礼を承知で申し上げますが。これまで迎えた姫君達は、むごい最期さいごを迎えたとお聞きしています。人々は全てあなたのせいだと申しています」 

「そのとおりです。――全てわたしのせいです」 

 まるで思い出したくない光景をはらうように、闇呪は目を閉じる。強く悔いていることがあるのだろう。緋桜は人々の噂から描かれていた全てを白紙に戻した。 

「それは、……守りきれなかったことを悔いておられるのですね。そして、六の君も同じ道を辿るかもしれないと、あなたはそれを案じている。違いますか?」 

 闇呪は答えない。けれど彼の背後から放たれていた黒麒麟くろきりんの殺気が、さらに和らいだ。緋桜は続けた。 

「あなたが懸念する不幸から、新たな妃――六の君を護ることは本当に不可能なのでしょうか」 

「私には自信がありません。それ以前に、私のような禍と縁を結ぶことを喜ぶ者などありません。末の姫君が哀れです。それとも緋国ひのくにの仇として憎まれている姫君には、それが当たり前の試練だと云うことでしょうか。これまでの妃と同じように、その姫君がむご最期さいごを迎えることをお望みか?そのような非情な役回りを託すために、あなたはこちらにおいでになったか」 

「違います」 

「では、なぜ? なぜ、それほどこの縁にこだわる必要がありますか」 

 緋桜は迷いなく答えた。 

「私は六の君に幸せになってもらいたいのです」 

「幸せになってもらいたいからわざわいと縁を結ぶと? 赤の宮、仰っていることが矛盾しています」 

「いいえ。六の君が緋国で幸せを掴むことはできないのです。これ以上留め置くことはできません。緋国にはそれほどの確執があるのです」 

「先代くれないみや夫君ふくんである比翼ひよくに裁かれたと聞いています。そのために生まれた姫君は緋国の仇として憎まれている。緋国の憎き仇。あなたがそのような者の幸せを望む理由が私にはわかりません」 

 緋桜は覚悟を決める。闇呪にはどうしても判ってもらわねばならないのだ。 
 六の君を護る為にこの縁を結ぶこと。それを伝えるためにここに来たのだ。 

「――六の君は私の生んだ娘です。本来は継承権を持つ一の宮となる筈の娘でした。しかし、一の宮の誕生は緋国に大きな確執をもたらす。その最悪の事態を回避するために、出生に関わる真実を伏せることにしました。それだけではありません。六の君は、生まれた時から数奇な運命を約束された娘なのです」 

 耳の痛くなるような静寂があった。 

闇呪あんじゅきみ。六の君の幸せを願うのは、私があの娘の母だからです。ここに参ったのも緋国の女王としてではありません。ひとりの母として参りました」 

 緋桜はその場に手を突いて深く頭を下げた。 

「どうかあなたの力で六の君をお護りください。私はそれだけを申し上げたくて、こちらに参りました」 

 固く目を閉じて平伏していたのは、闇呪あんじゅが戸惑いをやり過ごす一呼吸だけだった。 

「赤の宮、顔を上げてください」 

 緋桜ひおうがゆっくりと上体を起こすと、闇呪は困ったように目を細めた。 

「さきほども申し上げましたが、私には妃を守る自信がありません」 

主上しゅじょうっ!」 

 突然、闇呪の背後で押し黙っていた女がけたたましい声をあげた。緋桜は思わずそちらを見る。女はずかずかと強い足取りで闇呪のすぐ傍らに立った。 

「赤の宮は主上のことを信じているのです。主上の力を以ってして、何ができないのですか。我ら黒麒麟にも情けはあります。その哀れな姫君をお護りするべきです」 

麟華りんか、この地にわだかまる悪意から本当に守りきれると思うのか?」 
「守りきれますとも、絶対に」 

「おまえのいうことには根拠がない」 
「主上にできないことなどありません」 

 女の場違いなほどの剣幕に、緋桜は開いた口が塞がらない。やがて時を見計らったように、沈黙を守っていた男が二人に歩み寄った。 

「我が君。我らは守護として、我が君を信じる者を無碍にはできません。赤の宮が我が君を頼ってこられたことが、ただ嬉しいのですよ」 
「そうですわ、主上」 

 闇呪あんじゅはただ、傍らの二人を見つめた。言葉を失っているのかもしれない。 

あかみや」 

 ふいに男が緋桜を見た。はじめのような険しさのない、闇を閉じ込めた宝玉のような瞳だった。 

「我が君は姫君をお護りするために最善の努力はなさるでしょう。しかし、姫君を守り抜き幸せにできるとは限りません。それでもよろしいのですか。それでも、我が君に託すことができるのですか」 

「託します。――私は、信じています」 

 しずかの遺した言葉を。 
 緋桜は最後の言葉を呑み込んで、黒麒を見つめた。 
 決して闇呪を信じているわけではない。けれど、静を信じる限り闇呪を信じなければならないのだ。いまさら闇呪に託すことを迷いはしない。 
 緋桜の答えを黒麒麟がどのようにとらえたのかはわからない。黒麒はただ頷いて闇呪を見返る。 

「我が君。いかがされますか」 

 闇呪は困ったように笑った。恐ろしい噂からは想像もつかないような微笑みだった。 

「赤の宮、あなたの思いに添えるよう努めてみましょう。――出来る限り、末の姫君をお護りします」 

 緋桜は再び平伏した。声が震えた。 

「ありがとうございます」 

 いつの日か、きっと娘が幸せになる先途みらいがある。その一歩を踏み出したのだと、緋桜は信じて疑わなかった。 
 あとは心を鬼にして、六の君にこの縁を結ぶよう伝えるだけ。 
 恐ろしい禍の妃となること。それが六の君にとってどれほどの衝撃となるのか。 
 緋桜はあえて考えることをやめた。試練の先には輝いた先途みらいがある。 
 ただ頑なに、緋桜はそれだけを考えた。
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。

沼野 花
恋愛
夫と子供たちに、選ばれなかったイネス。 すべてを愛人に奪われ、彼女は限界を迎え、屋敷を去る。 だが、その先に待っていたのは、救いではなかった。 イネスを襲った、取り返しのつかない出来事。 変わり果てた現実を前に、 夫はようやく、自分が何を失ったのかを思い知る。 深い後悔と悲しみに苛まれながら、 失ったイネスの心を取り戻そうとする夫。 しかし、彼女の心はすでに、外の世界へと向かっていた。 贖罪を背負いながらもイネスを求め続ける夫。 そして、母の心を知っていく子供たち。 イネスが求める愛とは、 そして、幸せとは――。

里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます

結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります> 政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・? ※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています

白い結婚の行方

宵森みなと
恋愛
「この結婚は、形式だけ。三年経ったら、離縁して養子縁組みをして欲しい。」 そう告げられたのは、まだ十二歳だった。 名門マイラス侯爵家の跡取りと、書面上だけの「夫婦」になるという取り決め。 愛もなく、未来も誓わず、ただ家と家の都合で交わされた契約だが、彼女にも目的はあった。 この白い結婚の意味を誰より彼女は、知っていた。自らの運命をどう選択するのか、彼女自身に委ねられていた。 冷静で、理知的で、どこか人を寄せつけない彼女。 誰もが「大人びている」と評した少女の胸の奥には、小さな祈りが宿っていた。 結婚に興味などなかったはずの青年も、少女との出会いと別れ、後悔を経て、再び運命を掴もうと足掻く。 これは、名ばかりの「夫婦」から始まった二人の物語。 偽りの契りが、やがて確かな絆へと変わるまで。 交差する記憶、巻き戻る時間、二度目の選択――。 真実の愛とは何かを、問いかける静かなる運命の物語。 ──三年後、彼女の選択は、彼らは本当に“夫婦”になれるのだろうか?  

私が行方不明の皇女です~生死を彷徨って帰国したら信じていた初恋の従者は婚約していました~

marumi
恋愛
「あら アルヴェイン公爵がドゥーカス令嬢をエスコートされていますわ」 「ご婚約されたと噂を聞きましたが、まさか本当だとは!」 私は五年前までこの国の皇女エリシアだった。 暗殺事件に巻き込まれ、幼なじみで初恋の相手だった従者――アルヴェイン公子と共に命からがら隣国、エルダールへ亡命した。 彼の「必ず迎えに来る」その言葉を信じて、隣国の地で彼を待ち続けた……。 それなのに……。 やっとの思いで帰国した帝国の華やかなパーティー会場で、一際目立っているのは、彼と、社交界の華と言われる令嬢だった――。 ※校正にAIを使用していますが、自身で考案したオリジナル小説です。 ※イメージが伝わればと思い、表紙画像をAI生成してみました。

十年越しの幼馴染は今や冷徹な国王でした

柴田はつみ
恋愛
侯爵令嬢エラナは、父親の命令で突然、10歳年上の国王アレンと結婚することに。 幼馴染みだったものの、年の差と疎遠だった期間のせいですっかり他人行儀な二人の新婚生活は、どこかギクシャクしていました。エラナは国王の冷たい態度に心を閉ざし、離婚を決意します。 そんなある日、国王と聖女マリアが親密に話している姿を頻繁に目撃したエラナは、二人の関係を不審に思い始めます。 護衛騎士レオナルドの協力を得て真相を突き止めることにしますが、逆に国王からはレオナルドとの仲を疑われてしまい、事態は思わぬ方向に進んでいきます。

あなたがいなくなった後 〜シングルマザーになった途端、義弟から愛され始めました〜

瀬崎由美
恋愛
石橋優香は夫大輝との子供を出産したばかりの二十七歳の専業主婦。三歳歳上の大輝とは大学時代のサークルの先輩後輩で、卒業後に再会したのがキッカケで付き合い始めて結婚した。 まだ生後一か月の息子を手探りで育てて、寝不足の日々。朝、いつもと同じように仕事へと送り出した夫は職場での事故で帰らぬ人となる。乳児を抱えシングルマザーとなってしまった優香のことを支えてくれたのは、夫の弟である宏樹だった。二歳年上で公認会計士である宏樹は優香に変わって葬儀やその他を取り仕切ってくれ、事あるごとに家の様子を見にきて、二人のことを気に掛けてくれていた。 息子の為にと自立を考えた優香は、働きに出ることを考える。それを知った宏樹は自分の経営する会計事務所に勤めることを勧めてくれる。陽太が保育園に入れることができる月齢になって義弟のオフィスで働き始めてしばらく、宏樹の不在時に彼の元カノだと名乗る女性が訪れて来、宏樹へと復縁を迫ってくる。宏樹から断られて逆切れした元カノによって、彼が優香のことをずっと想い続けていたことを暴露されてしまう。 あっさりと認めた宏樹は、「今は兄貴の代役でもいい」そういって、優香の傍にいたいと願った。 夫とは真逆のタイプの宏樹だったが、優しく支えてくれるところは同じで…… 夫のことを想い続けるも、義弟のことも完全には拒絶することができない優香。

君への気持ちが冷めたと夫から言われたので家出をしたら、知らぬ間に懸賞金が掛けられていました

結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
【え? これってまさか私のこと?】 ソフィア・ヴァイロンは貧しい子爵家の令嬢だった。町の小さな雑貨店で働き、常連の男性客に密かに恋心を抱いていたある日のこと。父親から借金返済の為に結婚話を持ち掛けられる。断ることが出来ず、諦めて見合いをしようとした矢先、別の相手から結婚を申し込まれた。その相手こそ彼女が密かに思いを寄せていた青年だった。そこでソフィアは喜んで受け入れたのだが、望んでいたような結婚生活では無かった。そんなある日、「君への気持ちが冷めたと」と夫から告げられる。ショックを受けたソフィアは家出をして行方をくらませたのだが、夫から懸賞金を掛けられていたことを知る―― ※他サイトでも投稿中

一億円の花嫁

藤谷 郁
恋愛
奈々子は家族の中の落ちこぼれ。 父親がすすめる縁談を断り切れず、望まぬ結婚をすることになった。 もうすぐ自由が無くなる。せめて最後に、思いきり贅沢な時間を過ごそう。 「きっと、素晴らしい旅になる」 ずっと憧れていた高級ホテルに到着し、わくわくする奈々子だが…… 幸か不幸か!? 思いもよらぬ、運命の出会いが待っていた。 ※エブリスタさまにも掲載

処理中です...