40 / 46
魔女の谷
二、
しおりを挟む
どうしていいのかわからないまま、答えのでないままに今日を迎え、半日が終わった。
ロビンは、ぼんやりとして何もできない僕を叱る訳でもなく、いつもと同じく親切で丁寧に一人ずつを周り、ハーモニカを吹いた。
午後になると、昨日セスカに会ったくらいの時間にまたバルビンバーが走ってきた。
「マーブル・・・悪いけどちょっとだけ来てくれないか・・・」
「どうしたんだ・・・今日から僕らは2件も新しいところが増えるんだ。」
「締めかたが悪かったのか、とても苦しんでいるんだ・・・死なれると僕の成績も落ちちゃうから、お願いだちょっとだけ見てくれないか・・・ここからそんなに遠くないから。お願い。」
「じゃあ、ちょっとだけ行ってくるけれど、次のところへ一人で行けるか?終わったら追いかけるからな。」
「う、うん・・・」
まるで、昨日のデジャブだった。昨日と全く同じ会話をして同じ方向へ走っていく二人の背中を見送って、不安を抱えたまま一人で次の場所へ行った。
そして、その場所に行く途中にセスカに会った。当然のように、そこで待っていて僕の前に立ちはだかった。
「さあ行こうか。」
「ごめん、僕、任されているところがあるんだ。」
「すぐに帰れるさ。君が頑張れば、だけどね。」
「頑張れば・・・」
「さあ行こうか。」
そして僕はセスカについていった。
僕が、というより、僕の中の弱い部分がそうさせたのだが、行くことを止める部分は僕の中にはなかった。
「ここだよ。」
地下鉄の入り口へ連れて来られた。
「ここ・・・ですか?」
「ここさ。中に入ってからの地図はコレだよ。ここのバツの印。ここにマーブルの方位磁針がある。」
「コレどうやって調べた?」
「さあいけ!」
ありふれた町のありふれた地図の真ん中に赤いバツ印が付いている紙切れを握らされると、思い切り背中を押され、階段を真っ逆さまに転がり落ちた。
上の世界で見たときは、ごく普通の地下鉄の入り口だったが、ここはコンクリートではなく、柔らかい土に膝までの草が生え、音もなく静かに風が吹く場所だった。
そして地図はでたらめだということがすぐにわかった。
なぜなら薄暗いそこは一面の草原がまっすぐ、まっすぐに広がって目印になるものは何もない。
「騙されたか・・・」
それでも草を踏みしめながら、少しだけ奥に進んだ。どこまで進んでも景色は変わらなかった。
さわさわと草がどこからか吹く風に揺られる音しかしなかった。
「ダメだ。やっぱり騙された。」
戻ろうと思い、進む方向を変えたつもりだったが、どこに向かっているのか、進むべき方向を見失った。
それでも歩くことをやめなかったのは、ひょっとしたら、ロビンに方位磁針を持って帰ることができるかもしれない。
歩き続ければ、ひょっとしてそれを見つけることができるかもしれないと心の片隅で期待をしていた。
歩き続けてたぶん1時間はたった頃、僕はハッと思い出した。
今日、僕は任された仕事があった・・・ここへ来てしまったけど、いまどうなっているのだろう。
ロビンはきっと怒っているにちがいない。
草叢はまだ続いた。
薄暗く、霧がかかっているわけでもないのに見えずらい、明かりがあるわけでもないのに、ぼんやり見える。
どちらが北でどちらが南か。入り口はどこで出口はどこか。ただわかるのは上と下。恐怖を感じながらも足は止まらない、止められない。さっきまでいろいろ考えていたことはもう全て忘れた。
歩くことに意思は存在せず、ただ歩き続ける僕を、もう一人の僕が後方から見ているそんなぼんやりとした感覚だった。
そうやって延々歩き続けていた時に、僕の指を掴む小さな手があった。
「おじさん、道に迷ったの?連れて行ってあげようか?」
「う、うん。帰りたいんだ。出口はどこかな・・・」
「ちょっとだけ遊んでくれたら連れて行ってあげる。」
もう一人反対側の指をつかまれていた。5歳くらいの女の子だった。その時はなぜだか、こんなところにそんな小さな女の子がいることをなんの不思議にも感じなかった。それより、ずっと一人で彷徨い歩き続けたところに、満点の笑顔で擦りよってきて、ギュっと握る小さな手に安心感すら覚えた。
気がつくと両手に5人もの子どもがぶら下がっていて、他にも何十、何百人の子どもに囲まれていた。
「ごめん・・・遊んでいる時間ないんだ。出口どこだろう。」
僕は知らず知らずに、保育園にでも迷い込んでしまったのだと、勝手に考え、なんの警戒もなく、子どもたちに飲まれていった。
「おじさんいくつ?」
「名前は?」
「何やっている人?」
「何が好き?」
質問責めだった。
一度に何十人もの声が耳の奥深くで高く響き、目眩が起き、頭がおかしくなりそうだった。
「ごめん。仕事に戻らなければいけないんだ。離してくれる。」
「なにを?」
「・・・手を・・・」
「手?」
子どもたちはいっせいにクスクスと笑いはじめた。
「離してあげる。」
腕にしがみつていた子どもがいっせいに手を離す。
離すというより、剥ぎ取るといったほうが正しいだろうか、僕の指先はひどく皮が裂かれ血が吹き出た。
たまらず悲鳴をあげると、それを見た子どもたちは、一斉に声をあげて笑った。
「おじさん怒った?」
一人の子どもが、僕の腰に腕を回してギュと甘えるようにぶら下がり、顔を見上げてきた。
とても可愛いい、指先を裂くような恐ろしいことができるようにはとても見えなかったが、回した手は強く、強く、締まり、そして重く、ひざががくんと落ちた。
「ほんと・・・離せ!」
今出せるすべての力で、子どもを引き離し突き飛ばすと、今まで聞こえていた子どもたちの大声が、ぴったりと止み静まりかえった。
「いってー 突き飛ばしやがったなー」
「ご・・・ごめん。」
ひっくりかえっていた子どもは、フーッと僕の目線まで浮かび上がり、両手を大きく広げた。次にはその両手が、考えもつかないスピードで僕の首を掴んだかと思うと、そのまま真上に引っ張りあげられた。
「ひょっとして・・・君達が、魔女?」
「今ごろ気づいたのか、このダメ悪魔。」
そう言い終わるころには、僕の体は地上に投げつけられていた。体が地面にめりこみ、あたりはひどい土僕が立ちあがった。
ひときわ土僕がおさまり、起き上がろうとすると、今度は草が体に絡みつき、引きちぎってもどんどん絡みつき、いつしかその草はいばらへと変わっていた。
「おまえなにをしにきた・・・。」
「僕は、友達の方位磁針を探しにきたんだ。それだけ見つけたらすぐ帰るから・・・」
「おまえ帰り道、わかるのか?」
「わからない。でも教えてもらえればすぐにでも出ていくから・・・」
「悪魔に帰り道なんてない。知らずに入ってきたのか?おまえは私たちに遊ばれて、飽きたら喰われるんだ。」
とてもあどけない少女の顔に牙が光る。目元は笑っているが瞳の奥は赤く不気味に光っていた。
「それでも、僕はまだ人間の部分が多いから・・・」
「肉は喰えなくても、心臓、脳みそ、目だま・・・美味いところはちゃんと悪魔になっているじゃないか・・・ククク・・・」
僕の匂いを頭の先から足の先まで、何度もふごふごと嗅いだ。
「方位磁針は・・・魔女に魔法をかけられたカエルが、僕の友達の大切にしていた方位磁針を飲み込んでここへ来ているはずなんだ。」
「あーあのカエルならここから3キロくらいいったところの楡の木に串刺しにしてやったよ。腹を割いて持って行けよ、そこまでおまえが捕まらなければな。」
手足に絡みついたいばらの蔓をナイフで切った。
そして、最後に首に絡みついたいばらの蔓と僕の首の間にナイフを入れて、ジリジリと1本ずつ切った。冷たいナイフの先がアゴに当たって何ヶ所か傷つき、血が滴になって汗と一緒に流れた。
「こいつ、泣いているぞ~」
一度鼻でフンと笑ったあと、大きな声で高らかに笑い、「さ、鬼ごっこだよ、にげな!悪魔。」
ムチがピシリとうなり、肩をすくめた。
足が、がたがたと震えて1歩進むのがやっとだった。
ジロジロと見る数百の目の中を、電池が切れそうなおもちゃのように、がくん、がくんと進んだ。
もう一度ムチがうなり、魔女の集団に向かって叫んだ。
「一番に捕まえたやつが心臓を食えるぞ!」
ほんの数秒、ざわっとした。それがスタートの合図のように。
僕も魔女達も走り出した。相手は子供だ、歩幅を考えても絶対に僕が有利だし、僕は、子供のころから足が早い。負けるはずはないと信じた。3キロってどのくらいなのか、全く見当もつかない、この夜の海のような広く終わりのない草原のどこへ向かえば楡の木に行けるのか。ただ、信じた。ただそこへつきたいと願って。
「楡の木のカエル。楡の木のカエル。」
何度も唱えながら走った。魔女は空気のように飛んで僕を挑発した。追い越したり、背中を押したり、いつでもその気になれば捕まえることなど容易いと。
恐怖に押しつぶされそうな気持に「楡の木のカエル。楡の木のカエル」と繰り返すことで振り切り、走った。かなり走った。
足の指の先から太ももまで、感覚がなくなるまで走ったころやっと1本、はるか向こうに背の高い黒い影が見えた。今出せるすべての力をつかって、そこへ走った。
魔女達は相変わらず、髪を引っ張ったり背中を押したりしたが、目的を見つけた僕はもう何も怖くはなかった。
「楡の木のカエル。楡の木のカエル。」
何度も繰り返し、そう繰り返すと不思議に早く走れるような気がして、楡の木もどんどん近づいてきた。
楡の木は想像以上に大きかった。疲れて足も痛くて、それでもため息をついている余裕はなかった。裂かれた指先から、また血が吹出して、ズルズルすべり落ちながら、また登り、それを面白がって魔女達は木の枝に乗って見ていた。
「楡の木のカエル。カエル・・・カエル・・・」
何度も唱えて折れそうな心を奮い立たせた。
カエルは、楡の木の直角におれまがって枝別れした先端に、腹を見せて突き刺さっていた。ギシギシと音を立てて枝はしなり、今にも折れそうに思ったが、ためらっている余裕はなかった。カエルに向かって1歩ずつ、枝にしがみつき、這って、カエルのところまで進んだ。
カエルは中型犬くらいの大きさはあった。でっぷりとした腹を見せて枝に突き刺さり、その腐った体は悪臭を放ち、ウロコに覆われた体に腹の真ん中だけが気味悪く黄色味を帯びた白に光っていてそこだけウロコがなかった。僕は枝を1本おり、カエルの腹に刺した。
腹から出た緑色の液体で、悪臭が増して吐きそうになり、口を押さえた。
さすがにそのあまりの臭いに、僕を取り囲んでいた魔女達の輪も広がった。
僕は、枝でカエルの腹の皮をめくってそろりと中をのぞいた。腹の中はねっとりとした緑色の液体がタプタプと溢れかえっていた。その向こうに内臓がゆらゆら見えて、”ウッ”とまた吐きそうになって、顔を背け、横を向いたまま腹の中に手を入れかき混ぜた。
指先に当たる感覚だけを頼りに、なるべく腹の中を見ないようにかきまぜた。ふにゃふにゃとしたわけのわからない感触の中に、わずかに指先にカチンと固いものが当たったような気がした。
はっとした僕は、気持ち悪さよりそれが方位磁石に違いないという確信で腹を表手で探り、内臓の奥にあったその固いものを掴み引っ張り上げた。
「あった・・・たぶんこれだ。」
ガラスの玉の中に針が浮かび、針の射す先にRの文字が浮いていた。
「よし。」とは思ったが、正気になって周囲を見渡すと、僕のすぐ四方までもジリジリと魔女が迫り、楡の木の下を見渡せば、はるか彼方まで真っ暗になるほど魔女が集まり、それはもう僕の終わりが近いことを理解できた。
その方位磁針を胸に下げ、先端の丸いところをぐっと握って木の一番端に立った。その時、僕は、もの凄く泣いていた。愚かな自分への深い後悔とロビンへの懺悔でどうすることもできないほど涙が出た。
「ロビンごめん」
たぶん、自分進んで来たであろう道を振り返り言った。魔女は少しづつコマ送りで迫ってきていた。そんな時遠くから赤い線のように光る波がこちらに向かっているような気がした。
涙を拭き、しっかりと目を凝らすと、その赤い線は、まっすぐ、矢のように確実にこちらに向かっていた。
僕の体は魔女達に覆われて、身動きも取れなかった。それでも、最後に体が枝から落ちる瞬間までその光を見続けた。そしてその光の先端にロビンの紫色の瞳を見つけた。
ロビンは炎に包まれていた。ロビン自身が燃えていた。その炎は魔女の谷を燃やし、魔女をも燃やし尽くしながらまっすぐ楡の木に向かって飛び、落ちてゆく僕を捕まえた。
燃えているロビンの腕の中は、ただ、少し熱いだけで、不思議と僕は燃えてはいなかった。だけど、僕に絡みついていた魔女たちは炎に包まれゆらゆらと消えていった。
ロビンはいつもより2倍くらい大きく、背中には、斧のような羽根が生えて、真っ暗に焼け焦げ、ただ少しだけネコの模様の生地が体に張り付いていた。
ロビンは、ぼんやりとして何もできない僕を叱る訳でもなく、いつもと同じく親切で丁寧に一人ずつを周り、ハーモニカを吹いた。
午後になると、昨日セスカに会ったくらいの時間にまたバルビンバーが走ってきた。
「マーブル・・・悪いけどちょっとだけ来てくれないか・・・」
「どうしたんだ・・・今日から僕らは2件も新しいところが増えるんだ。」
「締めかたが悪かったのか、とても苦しんでいるんだ・・・死なれると僕の成績も落ちちゃうから、お願いだちょっとだけ見てくれないか・・・ここからそんなに遠くないから。お願い。」
「じゃあ、ちょっとだけ行ってくるけれど、次のところへ一人で行けるか?終わったら追いかけるからな。」
「う、うん・・・」
まるで、昨日のデジャブだった。昨日と全く同じ会話をして同じ方向へ走っていく二人の背中を見送って、不安を抱えたまま一人で次の場所へ行った。
そして、その場所に行く途中にセスカに会った。当然のように、そこで待っていて僕の前に立ちはだかった。
「さあ行こうか。」
「ごめん、僕、任されているところがあるんだ。」
「すぐに帰れるさ。君が頑張れば、だけどね。」
「頑張れば・・・」
「さあ行こうか。」
そして僕はセスカについていった。
僕が、というより、僕の中の弱い部分がそうさせたのだが、行くことを止める部分は僕の中にはなかった。
「ここだよ。」
地下鉄の入り口へ連れて来られた。
「ここ・・・ですか?」
「ここさ。中に入ってからの地図はコレだよ。ここのバツの印。ここにマーブルの方位磁針がある。」
「コレどうやって調べた?」
「さあいけ!」
ありふれた町のありふれた地図の真ん中に赤いバツ印が付いている紙切れを握らされると、思い切り背中を押され、階段を真っ逆さまに転がり落ちた。
上の世界で見たときは、ごく普通の地下鉄の入り口だったが、ここはコンクリートではなく、柔らかい土に膝までの草が生え、音もなく静かに風が吹く場所だった。
そして地図はでたらめだということがすぐにわかった。
なぜなら薄暗いそこは一面の草原がまっすぐ、まっすぐに広がって目印になるものは何もない。
「騙されたか・・・」
それでも草を踏みしめながら、少しだけ奥に進んだ。どこまで進んでも景色は変わらなかった。
さわさわと草がどこからか吹く風に揺られる音しかしなかった。
「ダメだ。やっぱり騙された。」
戻ろうと思い、進む方向を変えたつもりだったが、どこに向かっているのか、進むべき方向を見失った。
それでも歩くことをやめなかったのは、ひょっとしたら、ロビンに方位磁針を持って帰ることができるかもしれない。
歩き続ければ、ひょっとしてそれを見つけることができるかもしれないと心の片隅で期待をしていた。
歩き続けてたぶん1時間はたった頃、僕はハッと思い出した。
今日、僕は任された仕事があった・・・ここへ来てしまったけど、いまどうなっているのだろう。
ロビンはきっと怒っているにちがいない。
草叢はまだ続いた。
薄暗く、霧がかかっているわけでもないのに見えずらい、明かりがあるわけでもないのに、ぼんやり見える。
どちらが北でどちらが南か。入り口はどこで出口はどこか。ただわかるのは上と下。恐怖を感じながらも足は止まらない、止められない。さっきまでいろいろ考えていたことはもう全て忘れた。
歩くことに意思は存在せず、ただ歩き続ける僕を、もう一人の僕が後方から見ているそんなぼんやりとした感覚だった。
そうやって延々歩き続けていた時に、僕の指を掴む小さな手があった。
「おじさん、道に迷ったの?連れて行ってあげようか?」
「う、うん。帰りたいんだ。出口はどこかな・・・」
「ちょっとだけ遊んでくれたら連れて行ってあげる。」
もう一人反対側の指をつかまれていた。5歳くらいの女の子だった。その時はなぜだか、こんなところにそんな小さな女の子がいることをなんの不思議にも感じなかった。それより、ずっと一人で彷徨い歩き続けたところに、満点の笑顔で擦りよってきて、ギュっと握る小さな手に安心感すら覚えた。
気がつくと両手に5人もの子どもがぶら下がっていて、他にも何十、何百人の子どもに囲まれていた。
「ごめん・・・遊んでいる時間ないんだ。出口どこだろう。」
僕は知らず知らずに、保育園にでも迷い込んでしまったのだと、勝手に考え、なんの警戒もなく、子どもたちに飲まれていった。
「おじさんいくつ?」
「名前は?」
「何やっている人?」
「何が好き?」
質問責めだった。
一度に何十人もの声が耳の奥深くで高く響き、目眩が起き、頭がおかしくなりそうだった。
「ごめん。仕事に戻らなければいけないんだ。離してくれる。」
「なにを?」
「・・・手を・・・」
「手?」
子どもたちはいっせいにクスクスと笑いはじめた。
「離してあげる。」
腕にしがみつていた子どもがいっせいに手を離す。
離すというより、剥ぎ取るといったほうが正しいだろうか、僕の指先はひどく皮が裂かれ血が吹き出た。
たまらず悲鳴をあげると、それを見た子どもたちは、一斉に声をあげて笑った。
「おじさん怒った?」
一人の子どもが、僕の腰に腕を回してギュと甘えるようにぶら下がり、顔を見上げてきた。
とても可愛いい、指先を裂くような恐ろしいことができるようにはとても見えなかったが、回した手は強く、強く、締まり、そして重く、ひざががくんと落ちた。
「ほんと・・・離せ!」
今出せるすべての力で、子どもを引き離し突き飛ばすと、今まで聞こえていた子どもたちの大声が、ぴったりと止み静まりかえった。
「いってー 突き飛ばしやがったなー」
「ご・・・ごめん。」
ひっくりかえっていた子どもは、フーッと僕の目線まで浮かび上がり、両手を大きく広げた。次にはその両手が、考えもつかないスピードで僕の首を掴んだかと思うと、そのまま真上に引っ張りあげられた。
「ひょっとして・・・君達が、魔女?」
「今ごろ気づいたのか、このダメ悪魔。」
そう言い終わるころには、僕の体は地上に投げつけられていた。体が地面にめりこみ、あたりはひどい土僕が立ちあがった。
ひときわ土僕がおさまり、起き上がろうとすると、今度は草が体に絡みつき、引きちぎってもどんどん絡みつき、いつしかその草はいばらへと変わっていた。
「おまえなにをしにきた・・・。」
「僕は、友達の方位磁針を探しにきたんだ。それだけ見つけたらすぐ帰るから・・・」
「おまえ帰り道、わかるのか?」
「わからない。でも教えてもらえればすぐにでも出ていくから・・・」
「悪魔に帰り道なんてない。知らずに入ってきたのか?おまえは私たちに遊ばれて、飽きたら喰われるんだ。」
とてもあどけない少女の顔に牙が光る。目元は笑っているが瞳の奥は赤く不気味に光っていた。
「それでも、僕はまだ人間の部分が多いから・・・」
「肉は喰えなくても、心臓、脳みそ、目だま・・・美味いところはちゃんと悪魔になっているじゃないか・・・ククク・・・」
僕の匂いを頭の先から足の先まで、何度もふごふごと嗅いだ。
「方位磁針は・・・魔女に魔法をかけられたカエルが、僕の友達の大切にしていた方位磁針を飲み込んでここへ来ているはずなんだ。」
「あーあのカエルならここから3キロくらいいったところの楡の木に串刺しにしてやったよ。腹を割いて持って行けよ、そこまでおまえが捕まらなければな。」
手足に絡みついたいばらの蔓をナイフで切った。
そして、最後に首に絡みついたいばらの蔓と僕の首の間にナイフを入れて、ジリジリと1本ずつ切った。冷たいナイフの先がアゴに当たって何ヶ所か傷つき、血が滴になって汗と一緒に流れた。
「こいつ、泣いているぞ~」
一度鼻でフンと笑ったあと、大きな声で高らかに笑い、「さ、鬼ごっこだよ、にげな!悪魔。」
ムチがピシリとうなり、肩をすくめた。
足が、がたがたと震えて1歩進むのがやっとだった。
ジロジロと見る数百の目の中を、電池が切れそうなおもちゃのように、がくん、がくんと進んだ。
もう一度ムチがうなり、魔女の集団に向かって叫んだ。
「一番に捕まえたやつが心臓を食えるぞ!」
ほんの数秒、ざわっとした。それがスタートの合図のように。
僕も魔女達も走り出した。相手は子供だ、歩幅を考えても絶対に僕が有利だし、僕は、子供のころから足が早い。負けるはずはないと信じた。3キロってどのくらいなのか、全く見当もつかない、この夜の海のような広く終わりのない草原のどこへ向かえば楡の木に行けるのか。ただ、信じた。ただそこへつきたいと願って。
「楡の木のカエル。楡の木のカエル。」
何度も唱えながら走った。魔女は空気のように飛んで僕を挑発した。追い越したり、背中を押したり、いつでもその気になれば捕まえることなど容易いと。
恐怖に押しつぶされそうな気持に「楡の木のカエル。楡の木のカエル」と繰り返すことで振り切り、走った。かなり走った。
足の指の先から太ももまで、感覚がなくなるまで走ったころやっと1本、はるか向こうに背の高い黒い影が見えた。今出せるすべての力をつかって、そこへ走った。
魔女達は相変わらず、髪を引っ張ったり背中を押したりしたが、目的を見つけた僕はもう何も怖くはなかった。
「楡の木のカエル。楡の木のカエル。」
何度も繰り返し、そう繰り返すと不思議に早く走れるような気がして、楡の木もどんどん近づいてきた。
楡の木は想像以上に大きかった。疲れて足も痛くて、それでもため息をついている余裕はなかった。裂かれた指先から、また血が吹出して、ズルズルすべり落ちながら、また登り、それを面白がって魔女達は木の枝に乗って見ていた。
「楡の木のカエル。カエル・・・カエル・・・」
何度も唱えて折れそうな心を奮い立たせた。
カエルは、楡の木の直角におれまがって枝別れした先端に、腹を見せて突き刺さっていた。ギシギシと音を立てて枝はしなり、今にも折れそうに思ったが、ためらっている余裕はなかった。カエルに向かって1歩ずつ、枝にしがみつき、這って、カエルのところまで進んだ。
カエルは中型犬くらいの大きさはあった。でっぷりとした腹を見せて枝に突き刺さり、その腐った体は悪臭を放ち、ウロコに覆われた体に腹の真ん中だけが気味悪く黄色味を帯びた白に光っていてそこだけウロコがなかった。僕は枝を1本おり、カエルの腹に刺した。
腹から出た緑色の液体で、悪臭が増して吐きそうになり、口を押さえた。
さすがにそのあまりの臭いに、僕を取り囲んでいた魔女達の輪も広がった。
僕は、枝でカエルの腹の皮をめくってそろりと中をのぞいた。腹の中はねっとりとした緑色の液体がタプタプと溢れかえっていた。その向こうに内臓がゆらゆら見えて、”ウッ”とまた吐きそうになって、顔を背け、横を向いたまま腹の中に手を入れかき混ぜた。
指先に当たる感覚だけを頼りに、なるべく腹の中を見ないようにかきまぜた。ふにゃふにゃとしたわけのわからない感触の中に、わずかに指先にカチンと固いものが当たったような気がした。
はっとした僕は、気持ち悪さよりそれが方位磁石に違いないという確信で腹を表手で探り、内臓の奥にあったその固いものを掴み引っ張り上げた。
「あった・・・たぶんこれだ。」
ガラスの玉の中に針が浮かび、針の射す先にRの文字が浮いていた。
「よし。」とは思ったが、正気になって周囲を見渡すと、僕のすぐ四方までもジリジリと魔女が迫り、楡の木の下を見渡せば、はるか彼方まで真っ暗になるほど魔女が集まり、それはもう僕の終わりが近いことを理解できた。
その方位磁針を胸に下げ、先端の丸いところをぐっと握って木の一番端に立った。その時、僕は、もの凄く泣いていた。愚かな自分への深い後悔とロビンへの懺悔でどうすることもできないほど涙が出た。
「ロビンごめん」
たぶん、自分進んで来たであろう道を振り返り言った。魔女は少しづつコマ送りで迫ってきていた。そんな時遠くから赤い線のように光る波がこちらに向かっているような気がした。
涙を拭き、しっかりと目を凝らすと、その赤い線は、まっすぐ、矢のように確実にこちらに向かっていた。
僕の体は魔女達に覆われて、身動きも取れなかった。それでも、最後に体が枝から落ちる瞬間までその光を見続けた。そしてその光の先端にロビンの紫色の瞳を見つけた。
ロビンは炎に包まれていた。ロビン自身が燃えていた。その炎は魔女の谷を燃やし、魔女をも燃やし尽くしながらまっすぐ楡の木に向かって飛び、落ちてゆく僕を捕まえた。
燃えているロビンの腕の中は、ただ、少し熱いだけで、不思議と僕は燃えてはいなかった。だけど、僕に絡みついていた魔女たちは炎に包まれゆらゆらと消えていった。
ロビンはいつもより2倍くらい大きく、背中には、斧のような羽根が生えて、真っ暗に焼け焦げ、ただ少しだけネコの模様の生地が体に張り付いていた。
0
あなたにおすすめの小説
つまらない妃と呼ばれた日
柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。
舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。
さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。
リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。
――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。
三十年後に届いた白い手紙
RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。
彼は最後まで、何も語らなかった。
その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。
戴冠舞踏会の夜。
公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。
それは復讐でも、告発でもない。
三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、
「渡されなかった約束」のための手紙だった。
沈黙のまま命を捨てた男と、
三十年、ただ待ち続けた女。
そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。
これは、
遅れて届いた手紙が、
人生と運命を静かに書き換えていく物語。
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます
菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。
嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。
「居なくていいなら、出ていこう」
この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし
冷遇王妃はときめかない
あんど もあ
ファンタジー
幼いころから婚約していた彼と結婚して王妃になった私。
だが、陛下は側妃だけを溺愛し、私は白い結婚のまま離宮へ追いやられる…って何てラッキー! 国の事は陛下と側妃様に任せて、私はこのまま離宮で何の責任も無い楽な生活を!…と思っていたのに…。
『辺境伯一家の領地繁栄記』序章:【動物スキル?】を持った辺境伯長男の場合
鈴白理人
ファンタジー
北の辺境で雨漏りと格闘中のアーサーは、貧乏領主の長男にして未来の次期辺境伯。
国民には【スキルツリー】という加護があるけれど、鑑定料は銀貨五枚。そんな贅沢、うちには無理。
でも最近──猫が雨漏りポイントを教えてくれたり、鳥やミミズとも会話が成立してる気がする。
これってもしかして【動物スキル?】
笑って働く貧乏大家族と一緒に、雨漏り屋敷から始まる、のんびりほのぼの領地改革物語!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる