華都のローズマリー

みるくてぃー

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三章 それぞれの翼

第51話 意図せぬ反撃

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「クシュン!」
 朝起きるなり体がダルイ。どうやら知らぬ間に布団を蹴っ飛ばして眠ってようだ。
 日中は暖かくなってきたとはいえ朝方は急に冷え込む時期でもある。そんな時に夜遅くまで暖かなキッチンに篭り、そのまま力つきるように眠りに着いたのだがら、無意識に布団を暑いとでも感じてしまったのだろう。
 お陰で今日は朝から少々風邪気味で、お布団から抜け出せずにいる。

「風邪ですか?」
「そうみたい。悪いんだけれど今日はこのまま大人しくしておくわ」
 今までの私ならば、カナリアの制止を振り切ってでもキッチンに立ってただろうが、生まれ変わった今は頼もしいスタッフ達に頼る事を覚えた。
 カフェメニューを充実させた関係でキッチンスタッフも増えているし、どうせ今の体調ならば大した戦力にならないので、ここは自分の体を労わる意味も込めて、今日は大人しくベットの住人なる方が賢明だろう。
 別に暖かな布団から出たくないという、ただのワガママではない事だけはご理解いただきたい。

「ご自身の体を労わると言うのなら、夜更かしをせずに早く寝てくださいよ」
「うぐっ、ごもっともで……」
「それにしても困りましたね。実は氷がちょっと不足しているそうなのです」
「あれ? 氷なら昨日補充しておいたわよ?」
 ご存知の通りローズマリーで使用している氷は、私かフィーかが地下室にある冷蔵庫で常に生成を行っている。もともとそれ程大きな地下室ではないので、保管出来る量はそれ程ないのだが、今日のように私の体調が悪い時もあるので常に切らさないようには補充してあるのだ。
 まぁ、たまにド忘れしていて、私とフィーが不在の時に臨時に氷を仕入れる事もあるのだが、基本はローズマリーで使われている氷は私かフィーかが用意している。

「いえ、お店の話ではなくてですね。実は公爵家の得意先である商会が、氷不足に悩んでおられるそうなんです。なんでも急に氷を買い占められたとかで」
「この季節に氷の買い占め? どこかの貴族が冬場に氷の用意を忘れたのかしら?」
 貴族様の事情は詳しくはないが、ハルジオン公爵家に至っては敷地内に氷を保管する地下設備が用意されている。そこへ冬場に用意した氷を保管し、夏場でも冷たい飲み物や食べもにに利用されるのだとか。
 氷って氷と氷が重なり合う事で、お互い冷たいままで夏場まで保管する事が出来てしまうのよね。
 私が以前暮らしていた日本と言う国では氷室と言う保存方法が存在し、夏場でも比較的に涼しい山の小屋で、冬場の池で作った氷を暑い夏場まで保管する技術が受け継がれていた。
 方法としては切り分けられた氷を積み重ね、間に大鋸屑おがくずを挟む事で溶け出た水分を吸収し、氷と氷を互いに重なり合う事で氷を保存するという伝統的な技法。
 最終的に周りの氷は溶けてしまうが、内側に残る氷は綺麗なまま形を保つ事が出来、夏場にかき氷や飲み物を冷やすために高級な氷として利用されていたのだ。
 もっとも電気を使った冷蔵庫が普及していたので、簡単に氷を作る事が出来たのではあるのだけれど。

「でも氷って山岳地帯で保存されているんでしょ? 王都の氷が無くなったのなら、普通に仕入れを行えばいいんじゃないの?」
「それがどうも山岳地帯と王都を結ぶ橋が壊されたとかで、一時的に氷の輸送が出来なくなっているそうなんです」
「あぁ、それでローレンツさんに泣きついてこられたのね」
 私の記憶では公爵家の敷地内に氷を保管している地下室があるらしく、それを知っていた商会が一時的に借り入れようとでもされたのだろう。
 氷は医療施設でも使われていると聞いた事があるし、私の店のようにレストランで使用される事もあるのだろう。それが一時的にも無くなれば、その市場価格は当然値上がってしまう。
 これが食べ物などの贅沢品なら我慢すればいいだけだが、医療関係やら生活に直接響いてくるものならばそうは言ってられない。
 氷を売ったという商会も、まさか氷が仕入れられない状況だとはわかっておらず、慌てたところで売ってしまった物を返せをも言えず、結局氷を持っていそうな公爵家へ泣きついて来たと言うわけか。

 ローレンツさんの事だから商会に借りを作って、後で何らかの交渉を持ちかけるんだろうなぁ。

「分かったわ。フィー、悪いのだけれど後でカナリアと一緒に公爵へに行って来てくれる?」
「いいですよぉ」
「ありがと。カナリア、そういう事だから後でフィーを連れてローレンツさんのところに行ってきて頂戴」
 精霊であるフィーの存在は秘密だけれど、そこはローレンツさんが上手く対応してくれるだろう。私が行ったところで、氷を生成すれば精霊の存在が浮かび上がるのだから、予め根回しはされているはず。
 今回は私の先生でもあるローレンツさんからの依頼なので、私としてもお役に立てるの願ってもない事。どうせタダなのだし、必要となる魔力もそう困るほどもないから、ここは積もり積もった恩を返せるとして喜んで協力させてもらおう。

 私は出かける二人を見送り、そのまま至福の二度寝を堪能するのだった。





「どういう事だ! お前達の言う通りにしたというのに、氷の価格が全然変わらないではないか!」
 男爵に王都中の氷の買い占めを提案してから一ヶ月。
 こちらの存在がわからないよう、慎重に根回しをしながら王都中の氷を買い漁り、こちらはこちらで独自のルートを使って輸送に必要となる橋を壊させた。
 運ぶ物が氷なだけに、輸送ルートは常に最短でなければ意味がない。そのため他の橋を利用する事も出来ず、復興に時間がかかる橋に目をつけたのだが、その効果は十分な成果を見せるはずだった。
 それなのに肝心の王都にある氷が買い占めても買い占めても、後から氷が湧いてくるのだ。
 お陰で当初の予算を大幅に上回ってしまい、今日も兄と共に呼び出されてのこの状況。

 出処は分かっているのだ。氷を取り扱う商会へ探りをいれたら、ハルジオン公爵家の名前が出てきたのだがら間違いないだろう。だが、どこにこれ程の氷を保管出来る施設がある? 公爵家の敷地は非常に大きい。あの方の話では確かに敷地内に氷を保管する施設はあるらしいが、それは精々馬が1頭入るぐらいの小さな地下室だという。とてもじゃないが、こちらが買い占めた氷の量の方が上回っている。
 一体あの公爵家はどんな秘密を隠していると言うのだ。

「いいか! 男爵家の資金はもうほとんど残っていないのだ!! それなのに無駄な金を掛けさせておいて、効果が出ていないでは済まされないのだ!」
 男爵といっても所詮は辺境を治めているだけの貧乏貴族。
 兄の話では元から随分と借金を抱えていたようだし、今回の店の出店から屋敷を王都に移した費用など、相当な額の借り入れがあるのだという。
 私達がそそのかしたとは言え、自分の力量も弁えず大きく出たのはある意味自業自得。元々私達兄弟には男爵家がどうなろうと関係ないのだが、こうも連日小言が続けば流石にウンザリしてしまう。

「ご安心くださいませ。まだ負けたわけではございません」
「当たり前だ! ここで負ければ男爵家は終わりなんだぞ!」
 全くこの男はどこまで小物なのだ。
 私はまだ店の方を任されている関係、毎日顔を合わすような事はないが、執事に身を隠している兄にはさぞ辛い日々が続いている事だろう。

「男爵様、こういうのはいかがでしょうか?」
「なんだ?」
「あの店のオーナーには確かエリスという名の妹がいたはず。まずはその妹を誘拐するのです。そうすれば第三者をつかって身代金を……」
「バカな事を言うな! 王都の貴族街で誘拐騒ぎなんぞ起こしてみろ、それこそ大騒ぎであろうが!」
「……」
 既に悪事で手を染めていると言うのに何を今更……
 あのエリスという妹は、公爵家の令嬢と共に送り迎えされている事は調べがついている。ならば妹を誘拐すると言う名目で、公爵家にも一泡吹かせられ、罪を全て男爵に被って貰おうとしたが、流石にそうは簡単に上手くいかないか。

「申し訳ございません男爵様。弟もこの状況を憂いての事、どうか失言をお許しください」
 兄上もよく言う。元々誘拐の計画は兄上が考えていた事だと言うのに、状況が不利と見るや否やアッサリと切り替えて来る。
 まぁ、今ここで騎士団と騒ぎを起こすのはこちらとしても困るので、この計画が実行出来るのはまだ先の事ではあるのだろうが。

「ファウスト、とにかく今のこの状況をなんとかしろ!」
「畏まりました。でしたら今一度噂を広めるというのは如何でしょうか? ローズマリーで使われているのは、どれも廃棄寸前のゴミ食材だと広めるのです」
「そんな程度でこの状況が覆せるとは思えんが?」
「もちろん噂はあくまでも第一段階。実際店の商品を食べてその場で騒ぎを起こすのです」
「なるほど、噂の上で実際に事を起こすと言うのだな」
「はい。飲食業にとって食材への誹謗は最大のダメージ、如何に良い商品を並べたとしても、それが毒ならば誰も口に入れようとはしない筈」
 まったく、兄の悪慈恵だけは毎回感心させられるばかりだ。
 今回の計画もどこかで公爵家を巻き込むつもりなのだろうが、それをおくびにも出さず、男爵もまさか自分が利用されている事さえわかってないだろう。
 こちらとしては第一の目的は公爵家に悪評を流し、貴族や王族から孤立させる事なので、その後男爵家がどうなろうと私達には関係のない話。
 まぁ、兄はあのアリスとかいう娘に煮え湯を飲まされているという話なので、ここで一緒に潰してしまおうという腹積りなのだろうが。

「いいだろう、だがこちらも悠長に噂が広まるまでは待てんぞ。すぐに噂を広まるように手配するのだ」
「かしこまりました。それでは男爵様、私は弟と対策を……」
 ドンドン、バン!
 ようやく男爵の小言から解放されたかと思った矢先、やってきたのはこの屋敷の夫人。
「何事だ?」
「何事だ、じゃないわよ! 今お茶会で耳にしたのだけれど、私達があの子に無理やり結婚を迫っているって噂が広まっているのよ!」
 夫人の話によれば、以前兄上と共にローズマリーを訪れた際の話が盛りに盛られ、男爵家への風当たりが非常に厳しいものとなっているのだという。
「それは本当なのか?」
「私が直接耳にしたのだから間違いないわ。全くあれ程恥をかいたことなんてなかったわよ」
 当時の話は聞いているが、それはある意味自業自得であろう。
 だがその話にはまだ続きがあって、礼儀をわきまえない失礼な執事として、兄上の名前まで共に話題に上がっているのだという。

 正直言って今ここで私達兄弟の名前が明るみに出る事は非常にマズイ。
 先にローズマリーへの噂を流せたのも、一重に貴族時代の付き合いがあったから為し得た事なので、兄上の妙な噂が広まれば今度はこちら側を警戒されてしまう。
 そうなれば兄が今計画を立てた誹謗も、噂を広めるどころか直接会ってさえくれないだろう。

「ファウスト、すぐに噂の出処を探して対処を……」
「もう遅いわ! 噂は既に王都中に広まっていると言う話よ」
「なん……だと、既に王都中にだと!? 何故今まで気づけなかった!」
 今まではレシピの盗作として悪役を押し付けていたが、それがたった一つの噂で完全に翻されてしまった。
 これがまだ噂が広まるまでに対処していれば、逆に利用できたのかもしれないが、既に王都中に広まっているとなれば今更どうしようもない。寧ろ内容が内容だけに、今こちらが何を言ったところで逆に不利になるだけではないだろうか。

 これでは兄が立てた計画は使えない。まさかそれすらも計算しての?

「どうすのよ! これじゃ恥ずかしくてもう王都で暮らせないわよ!」
 それはそうだろう。相手は貴族ではないただの一市民。しかも公爵家との繋がりがあり、高位の貴族とも付き合いがある、いま王都の中でもっとも注目されている少女なのだ。
 男爵家ではないが、アリスを息子の妻にと考えている貴族は、一つや二つでは済まないない筈。それを抜け駆けをしておいて、無理やり結婚を迫ったとなれば、返ってくる批判はさぞ暇を持て余すご婦人方の恰好の的といってもよいだろう。

「ファウスト、これはお前の責任だ! すぐにこの自体を何とかしろ! 場合によっては貴様ら兄弟もただで済むとは思うなよ!」
 これだから小者だと馬鹿にされるのだ。
 噂は所詮噂。しばらくは動きにくいだろうが、こちらが堂々としていれば其の内沈静化していくだろうし、別の興味を引きそうな噂が立てば、興味はそちらの方へと移っていく。
 ただ今のこの状況では苦しい立場ではあるのだが、店側の方は特に変な噂は無いようなので、兄が立てた計画さえ実行できれば起死回生のチャンスはまだ望める筈だ。
 問題はその計画をどうやってこの状況で動かすかなのだが……

 ゾクッ!
 一瞬視線の片隅に映った兄の様子に、思わず恐怖すら感じてしまう。
 兄にとって他人は自分が駆け上がるための踏み台でしかない。それが今、計画を実行する前に踏みにじられたのだ。それも屈辱を味わうのが今回で二度目。

 これはもう形振りを構っている余裕がないのかもしれません。
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