華都のローズマリー

みるくてぃー

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四章 華都の讃歌

第81話 ニーナの決意

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 ……来てしまった。
 プリミアンローズの本家から裁判を起こされ、開店休業中だったお店も1ヶ月ほど前に閉店。その間後片付けや、残されたスタッフへの対応で忙しく走り回っていたが、それもようやく落ち着いた頃、私の元に一通の手紙が届けられた。

『拝啓ニーナ様、突然のお手紙で申し訳ございません。この度あなた様にご相談したい事があり、筆を取らさせていただきました。つきましては◯月◯日の午後、私が経営するローズマリーに足を運んでいただきたく、お願いするものでございます。ご都合が悪いようでしたら改めて日程を調整させていただきますので、一度ご検討頂ければ幸いです。 ローズマリーオーナー アリス・ローズマリー』
 手紙には綺麗な文字で、平民の私にはもったいないぐらいの丁寧な言葉が並んでいた。
 噂じゃアリス様元貴族だという話だし、近々公爵家に嫁がれるんだという話も耳にはしている。そんなアリス様が私に手紙をくださっただけでも驚きなのに、相談したい事があるとまで言ってくださったのだ。
 もちろん心が舞い踊ってしまい、意気揚々とお店の前まで来てしまったのだが、この場に立つと改めて自分には分不相応なのだと思い知らされてしまう。

 それにしてもアリス様のお店は相変わらず人気だなぁ。
 ローズマリーの前に立つと、私が勤めていたプリミアンローズと何もかもが違って見える。もちろん基本コンセプトや商品内容はさほど変わらないのだが、お店から漂ってくる雰囲気や、絶え間なく続くお客様の笑い声。お店で働くスタッフ達にも笑顔が浮かび、お客様とスッタフが一つとなって今という時間を楽しんでいる、そんな気配が伝わってくるのだ。

 思えばオープンした頃のプリミアンローズも、アリス様が経営するローズマリーが目標なのだと掲げていた。だけどオーナーの方針は私たちが抱くものではなく、嘘を嘘で塗り固められただけの凄惨なもの。次第に他人を気遣えるような状況は無くなっていき、最後はただ与えられた仕事をこなしているだけだった。
 これでも私はプリミアンローズでチーフパティシエを任されていた身、自分たちのオーナーが、アリス様の経営されているローズマリーに何をしたのかは大体の事は把握している。ケーキのレシピを強盗という犯罪で奪い、そのレシピを元に店を立ち上げただけに留まらず、盗まれた側に盗作疑惑を掛けるという嫌がらせまで行ってきた。挙げ句の果ては、経営が苦しくなったという理由だけで、アリス様の妹と一緒におられた貴族のお嬢様を誘拐するという、なんとも許しがたい行いまでやってしまったのだ。
 知らなかった事とはいえ、私はアリス様とこのローズマリーから恨まれても当然の存在。それなのにお誘いの手紙が届いたというだけで、ここまでやって来てしまった。
 結局私は自分の事しか考えてなかった、不埒者ということなのだろう。やはりここは潔くお断りのご挨拶だけを伝え、身を引くのが一番いいのかもしれない。

 私は心の中で一度気合を入れ直し、門の前で警備をされている男性に言伝を伝えるべく声をかける。
「あ、あのー」
「ようこそローズマリーへ。本日はどの様なご用件でしょうか?」
 さすがアリス様が経営されているお店なだけはある。私の様にいかにも平民丸出しの小娘ですら、紳士的にご対応してくださる。
 私は予め決めていた伝言の内容を、目の前の警備員の方にお伝えすべく行動する。
「私はニーナといいます。その……アリス様にご伝言を……」
「あぁ、ニーナ様ですね。オーナーよりお話は伺っております。ささ、ご案内いたしますのでこちらへどうぞ」
「えっ、いや、その……」
 ただ伝言をお願いしたかっただけなのに、人の良さそうな警備員さんがホールスタッフさんに声をかけ、あれよあれとと言う間に客間まで案内されてしまった。
 こうなれば逃げ出す訳にもいかず、とりあえず今までのお詫びとお断りご挨拶岳済ませ、とっと退散するのが一番だろう。
 私はドキドキする心臓を必死に抑え、アリス様が来られるのを何度も深呼吸をしながら待った。

 ガチャ
「急に呼び出してちゃってごめんね。本当なら私の方から伺うべきなんだろうけど、急に黒塗りの馬車がお邪魔しては騒ぎになるかと思ったのよ。ほら、私の髪って目立つでしょ? カナリアやランベルトが迷惑になるからダメだって止められちゃってね」
「……」
 部屋に入ってくるなり気さくに話しかけて来られるアリス様。
 確かに以前一度お話しした事はあるが、ここまでフレンドリーに話しかけられてしまえば、今まで不安で押しつぶされそうだった私の気持ちはなんだったのだ、とすら感じてしまう。
 っていうか、私の家に来るつもりだったの!? 大事にならなくて本当によかったわ。カナリアさんとランベルトさん、どなたの事かよくわからないけど、よくぞ止めてくれたと感謝したいわ。

「それでねニーナ、相談というのは貴女にローズマリー2号店のチーフパティシエをお願いしたいの」
「……………………は?」
 今なんて? この私がローズマリー2号店のチーフパティシエ!?
 私が必死になって考えていた挨拶をあっさりすっ飛ばし、いきなり本題を切り出されるとは誰が思うだろうか。思わず10秒近く完全に頭の思考が停止したのは、決して私が悪いわけではないはずだ。

「ちょっ、本気ですか!?」
「本気も本気、超ぉーマジ。むしろニーナ以外に候補が思い浮かばないのよね」
 あまりの衝撃に、思わず親しい友人に話すかのように返してしまったが、アリス様は気にした様子もなく、同じように冗談? を交えた話し方で返してこられる。
 だからと言っていきなりチーフパティシエを、元ライバル店の私に任せるは流石にないでしょ。

「あ、あのぉ、理由を伺ってもよろしいですか? 正直私以外にも腕のいいパティシエは多くいますし、私はその……随分とご迷惑をお掛けした側の人間ですので、なぜ私じゃないといけないなのかが、全く想像もできないのですが」
 近年では10年に一人の天才、なんてもてはやされているが、実際はなんの力も持たないただの小娘。プリミアンローズでチーフパティシエを任されていたと言っても、それは只の同じ年であるアリス様に対する当て馬なだけ。実際プリミアンローズが閉店してからは、どこのお店からもオファーはなく、寧ろ私を取り入れる事でアリス様から目を付けられるんじゃないかと、近寄ってすらもらえなかったのだ。
 それなのに当事者であるアリス様が私でないとダメ、というの不思議を通り越して恐怖すら覚えてしまう。

「そうね、ちゃんと説明は必要よね」
 アリス様はそう言うと、現在進められているローズマリー2号店の話を教えてくださった。
「つまり2号店は王都じゃなく、エンジウム公爵領で開かれると?」
「えぇ、コンセプトも貴族向けじゃなく庶民向けで、価格をおさえないといけないから材料から全て見直さないとダメなのよ」
 どうやら既に庶民向けようの商品開発は進んでおり、後はそこからアレンジを付け加えながら、バリエーションを増やしていくだけなのだという。
「でも砂糖はどうされているんです? 随分価格が安定してきたとはいえ、まだお菓子に使えるほど安くはなっていませんよ」
 それは4年前に起こったレガリア最大の大飢饉と言われる後遺症。近年は随分と食料事情も改善してきたが、それでも嗜好品であるお菓子は未だ敬遠されがちなのは変わっていない。そこに高級食材でもある純白の砂糖は、やはり高級品と言わざるをえないのだ。

「その点は既に解決済みよ。最近巷で出回るようになった果味糖かみとうってしってる?」
「確か商品にはできない果実の汁で作られる砂糖の事ですよね? でもあれって味が安定しないのと、砂糖そのものに色がついてしまっているので、白さを求められるクリームには使えませんよね?」
 以前に一度、私もコストダウンを図るために試作品にチャレンジした事があった。だけど結果は散々なもので、砂糖となる果汁にいろんな果実が混ざり合っている関係、毎回味が異なってしまうのと、季節や仕入れ先が違うだけでも大きく差が出てしまう。
 さらに付け加えると、複数の果汁を混ぜ合わせている関係、砂糖自体の色が茶色に染まっており、これを白を基調とするクリームに使ってしまうと、何とも言えない色合いに出来上がってしまうのだ。
 安定しない甘さ、求めていない果実の味、見た目が悪くなるクリームでは、流石に店の評判にも関わってくる事だろう。

「だからね、あえてその味の違いを利用するのよ」
「味の違いを利用する?」
「季節や仕入れ先で味が変わるって言っても、数個単位で大きく変わるわけじゃないでしょ? ケーキの種類にも季節限定があるわけだから、四季や地方に合わせて限定商品を作るのよ。ただ毎年味が安定しないって最大の要因があるから、その都度調整が必要にはなるんだけれど」
 つまりアリス様は安定した定番商品を減らし、毎回材料が尽きるまで限定商品のみで、お店を回していこうとおっしゃっているのだろう。
 常識的に考えればまずはその店特有の商品を作り、商品自体のファンや購入客の安定性を求めるものだが、確かにこの方法ならやってやれない事はない。ただ作る方側としては毎回アレンジの作業に手を取られ、手間と創作に大きく時間を取られてしまうが、そこさえ乗り切れれば大きくコストダウンも測れるはず。

「クリームの方も色のついたカスタードやチョコレートを加えたり、白さを求めるのなら砂糖を半分加えるなんかすれば、十分に対応は可能よ。知識の方も王都にいる間はできるだけ教えるつもりだし、どうかしら? なんだか少し楽しくなってこない?」
 アリス様に『楽しくなってこない?』と言われ、自分の頭の中で既にレシピ作りを始めていることに気づいてしまう。

 楽しい、すごく楽しい。この前まで苦しいと思えてしまったおかし作りが、今はこんなにもワクワク心の中が満ち溢れてしまっている。
 作りたい、アリス様の元で自分だけのオリジナルケーキを作ってみたい。
「……作り……たい…です。私はもっとケーキが作りたいです」
 気づけば自然を言葉が私の口から飛び出していた。

「そう、良かったわ。ただ王都から離れて貰うことになるから、最初は色々苦労をかけると思うのね。だからニーナが暮らせる家と弟さんの治療費も、こちらで負担させてもらうつもり。もちろんその家はご家族で住んで貰ってもいいし、病院もどちらでも通えるようにはさせてもらう。だからどうかしら? 一度検討してもらえないかしら?」
「弟の治療費まで!?」
 住む家を用意してくださるだけでも見に余るご好意だというのに、弟の治療費まで負担してもらえるとなれば、もはや断る理由の方が見つからない。
 たしかエンジウム地方って気候も穏やかで、少し街から離れれば農村地帯が広がる豊かな土地だと聞いたことがある。そういえばアリス様もエンジウム領から南東のご出身なのだと、誰かから聞いたことがあったのよね。

「あの、もう一つ質問してもいいですか?」
「えぇ、何でも聞いて」
「アリス様はたしかハルジオン公爵家に嫁がれるんですよね? それなのになぜエンジウム公爵領なんですか?」
 普通考えればまず嫁ぎ先であるハルジオン公爵領に店舗開かれるべきなのに、何故かご実家の近くでもある、エンジウム公爵領に先に出店されるというのは、些か疑問に思えてしまう。
「あぁ、そのことね。後で説明しようとしてたのだけれど、少し私個人の事情が入っていてね。ニーナに働いてもらう予定の店長が、私の義姉さんに勤めてもらう予定になっているのよ」
 アリス様の義姉様……、一体どんなお方なのだろう?
「安心して、クリス義姉様は優しくて、領の経営を補佐されてぐらいの方だから、きっとニーナとも直ぐに打ち解けられるとおもうわ」
「は、はぁ……わかりました」
 女性が領地の経営を補佐? 義姉というぐらいだから、貴族出身の方で現在夫人でも努めらでもいるのだろう。アリス様が優しいと言うぐらいなので、本当にお優しいのだとは思うのだが、現在も領の経営を支えられているというのなら、果たして店長を兼任出来る余裕なんてあるのだろうか?

 ガチャ
「アリスいるか? 義兄さん達がもう来てしまわれて……って、すまん、来客中だったか」
 目まぐるしい量の内容で、私の脳が必死で処理している中、突然飛び込んで来られたのはいつか見た一人の男性。そうか、この方がアリス様の婚約者なんだ。
「ジーク様、もう毎回毎回ノックはしてくださいって言ってるじゃありませんか」
「わ、わりぃ。こんな日に来客の予定が入っているとは思ってなかったんだ」
「まぁ、いいですけどね」
 ぷくっと頬を膨らませるアリス様が、なんともギュッと抱きしめたくなるほど可愛く感じてしまう。
「あ、あの。私の方の話はもう終わりましたので、後はお二人でごゆっくりお過ごし下さい」
 一瞬見ただけで、お二人の仲がどれだけいいのかは直ぐにわかる。私の方も一通り事態は理解できたし、一度家に持ち帰って両親とも相談しなければいけないので、今はお二人の時間を優勢してもらおう。

「ごめんねニーナ、バタバタしちゃってて」
「いえ、私も一度両親と相談しないといけませんので」
 何と言っても王都を離れなければいけないのだ、流石にいまここで返事していい内容ではいだろう。
「今日はありがとう、前向きに検討してもらうえると助かるわ」
「こちらこそありがとうございました」
 私の心は既に決まっている。短い期間とはいえ、アリス様の元で教えを乞うことも出来、その後は1軒の店を任されるほど期待されているのだ。
 例え両親と離れ離れになったとしても、私はこの仕事を引き受けようと考えている。

「そうそう忘れていたわ。私たちしばらく王都を離れるから、返事は5日以降ってことでいいかしら?」
「それは構いませんが、何方にいかれるんですか?」
 それは単純に興味がわいたからという理由のみ。そこに深い考えはなかったのだが。
「ちょっと里帰りを兼ねた旅行をね」
「旅行……ですか? もしかして新婚旅行とかなんですか?」
「ちがうちがう。私の両親のお墓にご挨拶に行くっていう意味もあるけど、最大の目的はバカ兄への鉄槌と、お義姉様が離婚するためのお手伝いをしに行くのよ」
 ブフッ。
 なんとも楽しそうに言われているが、その内容が余りにもぶっ飛びすぎている。
 いやいや、そんな笑顔でなにサラッととんでもないことを言ってるんですか!

「アリス、公爵家うちの馬車も到着したようだぞ」
「もう来られたの!? 私も急いで準備しなきゃ。ごめんねニーナ、リリアナ、悪いのだけれどニーナの事をお願い」
「畏まりました」
 リリアナさんという方に私を託し、バタバタと大慌てて出て行かれるアリス様。
 なんとも見た目の美しさと、行動がまるで噛み合わない姿は、笑っていいのか関心していいのか、よく分からない感覚をおぼえてしまう。
 結局その日はご丁寧に馬車で家の近くまで送っていただき、帰りには両親への手土産まで渡されてしまった。
 私は見送る馬車に眺めながら、改めて決意を固める。

 アリス様、わたし頑張りますね。
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