華都のローズマリー

みるくてぃー

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四章 華都の讃歌

第83話 バカ兄へのお仕置き2

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「さて、ここからが本題です」
 そう言いながら、兄の前に一枚の書類を提示する。

「これは念書、今後一切私達への金品の要求や、相手の意向を無視するような無理難題は押し付けないと、ここで誓って頂きます」
「なんだと?」
「驚くようなものではないでしょう、私もお兄様達も既に騎士爵家からは出ているんです。それなのにいつまでも金品を貪るような真似をして、兄として、騎士爵として恥ずかしくはないのですか?」
 実家の生活が苦しいのは十分にわかっているが、それを理由にお金を要求するのは間違っている。
 もちろん領地の為、領民の為にと資金が必要ならば私は喜んで支援するが、その理由を提示もせずにただお金を寄越せでは、余程の善人でもないかぎり素直に従いはしないだろう。

「貴様、貴族裁判を起こすと脅したのはこれが目的か!」
 目的も何も、まずは妹にこんな真似をさせること自体恥を知ってほしい。
「さぁ、どうされます? 念書にサインするか私たちに貴族裁判を起こされるか、二つに一つ。ただこれだけは言えますが、貴族裁判を起こされた場合、確実に私たちの要望以上の事は叶えられます」
 こちらの要望はあくまでもバカ兄との金銭問題。だけど私たちがこのまま貴族裁判を起こした場合、国からの判決は金銭問題だけにかかわらず、良くて罰金、悪くて奪爵辺りが言い渡されるだろう。
 つまりはここでサインを拒もうが、私たちが兄からの無理難題の金銭問題を止めてと訴えれば、ほぼ確実のこちら側の要求が通ってしまったうえに、兄は手痛いしっぺ返しを受けることになってしまう。しかも貴族裁判を起こされたという不名誉が上乗せとなってだ。
 出来れば私も兄様達もそこまでは願ってはいないので、このまま穏便に済ませたいというのが本来の目的だとご理解頂きたい。

「兄貴、今まではアリスやエリスのためにと思って金を入れてきたが、二人はもう立派に歩み出してるんだ。それなのにいつまでも俺たちに頼りっぱなしっていうのはおかしいだろう」
「ツヴァイ兄ぃの言う通りだ、俺たちにだって家庭を守る役目があるんだ。良い加減俺たちを呪縛するのは止めてくれ」
「そうね、本来実家にお金を送るということ自体異例なのだから、そろそろ現実に立ち戻りなさい」
 私の言葉を押すかのように、二人の兄と一人の姉が思い思いの言葉を口にしていく。
 もしこの場に私にしか居なければ、ここまで重い言葉にはならなかっただろう。だけど同じ母、同じ父を持つ姉と弟から詰め寄られれば、その言葉の重みは更に増す。
 長兄は今、初めて弟妹全員から完全否定をされてしまったのだ。

 兄は一度悔しがるようこちらを睨めつけるも、やはり弟たちの前では言い訳する事も出来なかったのか、一言『くそっ』と吐きながら、自用意してあった念書に自らサインを殴り書き、叩きつけるよう私へ念書を突きつけてくる。
「これでいいんだろう!」
「えぇ、ありがとうございます」
 兄の気が変わらぬうちに念書を受けとり、サインの確認をしてそのままランベルトの方へと渡す。
 これで今後一切兄から無理難題を押し付けてくような事はないだろう。私はそのお返しとばかりに、再びランベルトから公爵様たちのサインが入った証書を受けとり、兄の前で取引が成立した意味合いを含めて破り捨てる。

「それとお兄様が男爵家からお受け取りに結納金の件ですが、こちらは一切返還を求めないと約束を取り付けておりますのでご安心ください」
 どうせ兄の事だから元から返す気は無かったのだろうが、これは私からのプレゼントだといういう意味も含め伝えておく。
「フンッ、当たり前だ。あれは俺への迷惑料だからな」
 迷惑料ね。それは寧ろ私の方が要求したいものなのだが、言ったところで無駄な争いが起こるだけなので、ここは大人の対応として流しておいた方がいいだろう。
 兄様達も実家からの呪縛がなくなり安堵しているようだし、当初の目的もほぼ全面的に果たせたのだから、これ以上兄弟間で余計な問題を起こす必要もない。

「もう用は済んだのだろ、とっとと出て行け!」
 余程私たちが目の前に居続けるのが嫌なのか、手を払うように追い出そうとする。だがそれを遮るよう名乗り出る人物が一人。
「私からも一ついいかしら?」
 それはバカ兄の妻でもあるクリス義姉様。確かに私たち兄妹の決着はこれで着いたが、今回の帰省にはもう一つの課題残されている。
「後にしろ!」
「いいえ、いま聞いてもらうわ」
「……なに?」
 兄にとってクリス義姉様は、決して逆らう事が出来ない従順的な存在。だけど邪魔者だと言わんばかりに義姉様の要求を退けるも、即座に拒否を返され、兄の顔に再び怒りの感情が沸き起こる。

「黙れ! お前の話など聞く必要はない!」
 この世界では立場が弱いとされる女性達。中にはフローラ様やレティシア様のように、最強無敵のような方もおられるが、一般的な認識では女性は夫に逆らえないものだとされている。
「そう……」
 義姉様は一度寂しそうにそう呟くと。
「話を聞きたくないというのなら別に構わないわ。私はただこれに貴方のサインが欲しいだけだから」
 そう言葉を口にしながら差し出される一枚の書類。それは義姉様のサインが入った離縁状だった。
「なっ! 離縁状だと!?」
 ここに来てようやく自体に気づけたのか、兄が驚きと怒りが混じり合ったような表情をしながら、思わずその場で立ち尽くす。
 今回の帰省に関し、私は事前にクリス義姉様と手紙のやり取りを行ってきた。
 如何にバカ兄の要求が理不尽なものであったとしても、そのお金で義姉様と甥っ子の生活を支えてきたこともまた事実。私たち王都組は、騎士爵領の運営には携わって来なかったので、どれだけ収入がありどれだけ出費が必要なのかを誰も知らない。
 もし兄達からの仕送りを止め、二人が苦しい思いをするならと考えた私が、先にクリス義姉様に事情をしたためた手紙を送ったのだ。だけど返って来たのは私たちに手を貸す代わり、自分たちが離縁するための手助けをして欲しいと、逆に協力を持ちかけられたというわけ。
 私もこのまま義姉様が苦しむ姿なんて見たくもないし、可愛い甥っ子を見捨てるなんてことも出来ないので、喜んで協力を受けさせていただいた。

「お前、これが何を意味しているのか分かっているんだろうな!!」
「えぇ、勿論理解しているわ」
 この世界でも普通に離婚は存在している。だけど前世のように双方納得がいくような円満離婚の事例は少なく、圧倒的に女性側が不利な状態に陥る事が多い。
 そして離婚の最大の問題ともいうべき子供の親権だが、悲しい事にやはり父方の方に引き取られる事が多く、母親の元に子供が残る事はほぼ無いとさえ言われているのだ。

「許さん……許さんぞ! そんな勝手な真似、許すわけがないだろうがぁ!!」
 再び室内に響き渡る兄の怒号。自分から離縁するならまだしも、妻の方から『愛想が尽きたから別れてくれ』と言われれば、誰だって簡単に承諾するものではないだろう。
 だけど義姉様も生半可な覚悟でここにいるのではなく、バカ兄の怒号ごときで退く気配は微塵も見せない。

「意外だわ、簡単にサインしてもらえるものだとばかり思っていたけれど、貴方にも少しは愛情があったということかしら?」
「なんだと?」
「だってそうじゃない、貴方にとって私は程のいい使用人感覚なのでしょ? 社交の場では良い妻を演じ、家に戻れば雑用と書類整理に追われる日々。それなのに貴方からは無能だ役立たずだと毎日罵られれば、私のような無能はとっとと切り捨てた方がいいと思ったのだけれど?」
 義姉様は今まで必死に耐えて来られたのだろう。以前は私や父達が居たが、それも徐々に減り、1年ほど前には2人と一人の息子だけが残されてしまった。
 私は二人はどのように暮らしてきたのか多くは知ら無いが、義姉様から飛び出た言葉だけで、その場の様子が容易に想像出来てしまうほど状況が伝わってくる。

「何が使用人だ。勘違いするな、お前はただの道具だ! 道具は考えずに俺の命令を聞いてればいいんだ!」
 領地のため、兄のためにと頑張って来られた義姉様に対し、あまりにも酷いと思えるほどの暴言。もし兄に他人を思いやると言う気持ちが多少あるなら、このような言葉は出なかったのだろうが、今のクリス義姉様にとって今の言葉が逆に背中を押すようなものだろう。
「道具……ね。なら尚更私にはその役目は無理のようね」
「なに?」
「私は道具になれない、そういったのよ」
 如何に女性が弱い立場だとはいえ、夫と同じように感じ考え、頭を悩まされているのだ。それを道具だと言われたからといって、簡単に納得できるようなものではないだろう。
「貴方にその気がないのならそれでも結構。もとより離縁した後の事なんて考えていないのだから、このまま出て行くだけよ」
「なっ……ま、待て!」
 まぁ、そうなるわよね。
 兄が慌てた様子で部屋から出て行こうとする義姉様を止めるも、これは一時的な対処でない事は言わなくとも分かるだろう。
 義姉様がその気になれば、いつでもこの屋敷から出ていけるのだし、領主である兄が仕事を放りだして義姉様を探しに行く事はほぼ不可能。しかも正式に離婚が成立していなければ、後々後継問題で困るのは明らかに兄の方だ。

「何かしら? 私にはもう用はないのだけれど」
「ふざけるな! 出て行く事も離縁する事も許さんぞ!」
 もはや怒っているの焦っているのかよく分からない兄に対し、淡々と自らの意思だけを示すクリス義姉様。この時点でどちらが主導権を握っているのかは明らかだが、このまま兄を刺激し続けるのは得策ではない。
 よもや暴力に訴えるような事にはならないとは願いたいが、それを何処まで期待していいのかもわからないのだ。

「別に許さなくてもいいわよ。貴方がしたいようにするように、私もしたい事をするだけのこと。残念だけど私の意思は覆らないわ」
「き、貴様っ、待てといっているだろうが!」
 今の兄では義姉様を止めることは不可能だろう。義姉様は義姉様で既に覚悟を決めているし、いくらこの場で怒号が飛びかおうが、簡単に覆るような次元はとうの昔に過ぎ去っている。
 兄もようやく義姉様の意思が理解できたのか、今度は腕を掴み力づくで止めに入ろうとする。

「何? 離縁状にサインをする気にでもなったのかしら」
「まだ言うか! 離縁することも、この屋敷から出て行くことも許さん! 第一子供はどうする。お前は子供を見捨てて行くと言うのか!」
 ……兄様、そのセリフだけは言ってはいけない。
 この問題はあくまで当人同士の問題であり、子供を巻き込んではいけないのだ。もちろんその後、子供の親権ついては話し合いが必要だろうが、今問題になっているのは、兄が義姉様に対しての認識だけ。いくら女性の立場が弱いからといって、無下に扱い続けてきた結果なのだ。
 それなのに自分の行いを棚に上げ、尚且つ子供の存在を盾に取るような発言は感化できないだろう。

「子供は私が育てます。貴方のような人間に大切な子を預けて置けませんので」
「なん……だと!?」
「何も驚こことはないでしょう、今までだって何もしてこなかったのですもの。それを今更自分の子だと言っても、あの子は貴方を父親だと見てはくれないわ」
「ぐぐぐ……っ」
 義姉様の言葉に苦虫を噛み潰したような表情を表す兄。おそらく自分でも思い当たる節でもあるのだろう。
 いくら自分が引き取ると言っても、子供にも感情があり心がある。しかも大人とは違う子供ならではの純粋な心がだ。とてもじゃないが兄にそこまでの許容があるとは到底望めないだろう。

「分かったのならこの手を離して!」
 悔しがるような兄を手を強引に振り払う義姉、義姉様にすれば決別の意味も込めた最後の反抗だったのだろう。だけど他人を見下すことしか出来ない兄にとって、これは許せる行為ではなかった。
「……き、貴様っ!」
 振り払われた腕を振り上げる兄、その表情にはもはや怒りの感情しか浮かんではいない。
 流石にこれ以上は見ては居られないと判断し、見守っていた全員が義姉様を助けようとそれぞれ動く。

「氷壁!」
 突如兄と義姉様との間に現れる氷の壁。動揺する兄を尻目にツヴァイ兄様達が義姉様を庇うように背後へ避難させる。

「な、なんだこれは!?」
「お兄様、暴力だけは見過ごすわけにはいきません」
 そこには片腕を突き出し、小さな人形精霊を従えた一人の美少女がいるのだった。
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