王宮図書館の司書は、第二王子のお気に入りです

碧井 汐桜香

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「ナッツルの婚約者、かわいいーって感じだよな」

「あんな地味な女、興味ないよ。あーあ。俺の婚約者もトゥメル公爵令嬢みたいなスタイル抜群の美人だったらなぁ」

お前おま、ナッツルの婚約者も公爵令嬢だろ? ナッツルは伯爵令息なんだから、今の発言はまずいぞ」

「いいっていいって。あいつもあいつの両親も内気で勇気なんてないから」

 わたくしの婚約者であるナッツル・キリグランド伯爵令息はいつもああやって、わたくしやわたくしの両親のことを蔑みます。婚約だって、伯爵家に頼みこまれて、お父様が仕方なく折れてしまったのだから。内気で断る勇気のないお父様は確かに公爵として問題だけども……。

「……僕は君の婚約者のこと可愛いと思うけどね?」

「だ、第二王子殿下!?」

 貴族子女の憧れ、メルフラッツォ第二王子殿下。眉目秀麗で文武両道、完璧無欠の王子様。あのお方に、そんなふうに言って守ってもらえただけでわたくしは幸せですわ。



「君がそんなふうに婚約者を蔑ろにするのなら、僕が攫っちゃうかもしれないよ?」

 ウインクを飛ばしてそうジョークをおっしゃる姿もメルフラッツォ殿下ならお似合いです。


「だ、だだ第二王子殿下には不釣り合いな女ですよ!」

「そうかな? ファメリア嬢のご実家サーベンディリアンヌ公爵家は歴史ある公爵家だけどね? 君がエスコートを放棄しているんだ。僕がダンスに誘っても許してくれるよね?」

「も、もちろんです。その、すみません」

「それを言う相手は僕じゃないよね?」

 ナッツル様のご実家は、金を積んで爵位を買ったと言われることが多い、新興貴族です。もちろん国政にはお金が必要ですから、国にお金を収めることは大切なことです。しかし、“歴史ある公爵家”と、我が家のことを評するのは、メルフラッツォ殿下なりの嫌味でしょう。ナッツル様は気づいていらっしゃいませんが。




「あ、見てたの? ファメリア。僕と踊ってくれるかな? 君の婚約者の許可なら、取ってあるよ」

「わたくしにお断りできる理由がございません。喜んでお受けいたしますわ」

 カーテシーをしてメルフラッツォ殿下のお手を取ります。メルフラッツォ殿下がわたくしに気軽にお声掛けくださる理由は、彼が図書館の住人だからという理由にすぎません。






「サーベンディリアンヌ公爵令嬢。このリストの本の場所、教えていただいてもよろしいかな?」

 わたくしは、王宮図書館で司書として働かせていただいております。公爵令嬢が働くなんて、というご意見は老齢のお方からよく言われます。しかし、今は貴族令嬢も一度就職してから結婚する時代なのです。その職場として人気なのが王宮。もしかしたら、王族のお方とお近づきになれるかもしれません。少なくとも、王宮で働くお方はある程度の爵位があって、実力もあるお方。王宮で働くことのできる子女も礼儀作法が身についていて書類仕事や社交ができるお方。とてもいい婚活の場なのです。

 婚約者のいる身ではありますが、婚姻のできる来年の十七歳の歳までは少しでも公爵家のお役に立ちたい、という思いと、憧れていた王宮図書館に立ち入ることのできるラストチャンスだと思い、わたくしは志願いたしました。

 ただ、我が家は歴史ある分、家名がとても長いのです。“サーベンディリアンヌ公爵令嬢”と当初呼んでいただいていたメルフラッツォ第二王子殿下も、五回家名を噛んだところで、下の名で呼ぶ許可を求めていらっしゃいました。

「ファメリア嬢、類似図書はどのあたりにあるか教えていただいてもよろしいかな?」


 “ファメリア嬢”と呼んでくださっていたメルフラッツォ殿下は、“嬢”の部分を何度か噛み、呼び捨てなさることとなりました。身分の上のものから下の者への呼び捨てならば、問題ありません。愛称で呼ぶとなると異性の場合は問題になりますが。

 そうして、図書館の住人でいらしたメルフラッツォ殿下は、わたくしと気軽に言葉を交わす仲となったのです。もちろん、わたくしに婚約者がいることをご存知でいらっしゃるメルフラッツォ殿下が、その線を越えることを一切ありませんでしたわ。





「ファメリア……君はいつもあんなふうに言われているの?」

「えぇ、わたくしと我が家を馬鹿になさって、気持ちよくなっていらっしゃるのですわ」

「……将来、婿養子に入るのに?」

「そうなのです。わざわざ自分の入る家を罵倒するなんて……もしかして、今流行りの婚約破棄をなさるおつもりかもしれませんわ?」

 わたくしがメルフレッツォ殿下とダンスを踊りながら、会話を交わします。踊りながらわたくしは気づいてしまいました。確かに、ナッツル様は浮き名を流している女性が何人かいらしたはずです。わたくし、顔も名前も知らないそのお方をいじめた罪で断罪されるのかしら?

「……君が、毎日図書館で仕事を真面目にしていて、婚約破棄されるような汚点がないことは、僕が証言してあげるよ」

「ありがとうございます」

「……今日、君はエスコートも受けていなかったんだね?」

 お父様と一緒に会場にやってきて、挨拶したナッツル様に放置され、壁の華となるのは日常ですわ。優しいおじさま方がお声掛けくださることもしばしばあるけれど、一人は気楽で意外といいものですのよ?

「……いつものことですし、慣れていますわ」

 わたくしがそう微笑むと、メルフラッツォ殿下は悲しそうな顔をなさいました。

「……僕なら絶対そんな目に合わせないのに」









 ダンスを終えて、メルフラッツォ殿下はどちらかへ行かれるかと思ったら、わたくしの横にいてくださいます。いつもわたくしに話しかけてくださるおじさまたちは、顔を青くして、忙しそうにしていらっしゃいます。


「メ、メルフラッツォ殿下。我が娘がご迷惑をおかけして申し訳ございません」

 お父様が慌てた様子でいらっしゃいました。今更、遅いですわ?


「あぁ。これはこれはサーベンディリアンヌ公爵。君の娘さんは、婚約者に不当な扱いを受けているよ。それを放っておくなんて……君は公爵家としての誇りを忘れてしまったのかい?」

「それは、その」

 お父様は、焦った様子でわたくしを睨みつけます。しかし、間にメルフラッツォ殿下が入って、わたくしを守ってくださいました。


「君が怒るべきは、自分の娘でなくてナッツル・キリグランド伯爵令息じゃないのかな? あと、キリグランド伯爵と」

 名前を挙げられたキリグランド伯爵は、顔色を青くして謝りにやってきました。ナッツル様はどちらにいらっしゃるのかしら? もしかして、女性と抜け出されたのかしら?


「父上。キリグランド伯爵令息は自身の婚約者を不当な扱いをし、キリグランド伯爵もサーベンディリアンヌ公爵もそれを指摘しなかった。この婚約は、国の利にはならないと思います。そのため、この婚約に僕は異議を申し立てます」

 王子が問題を解決するために与えられる異議申し立ての権利。それを国王陛下が承認なされば、正式な王命として認められます。と、その前に。

「ナッツル・キリグランドはどこにいったのだ?」

 国王陛下のお言葉に会場がざわつきます。

「……先ほど女性を追って出ていくのを見かけましたわ」
「わたくしも」
「僕もです」

 ナッツル様の次の婚約は絶望的でしょう。苦虫を噛み潰したかのような顔をした国王陛下は、返答なさいます。

「……確かに歴史あるサーベンディリアンヌ公爵家には不利益にしかならないようだ。メルフラッツォの訴えを認めよう……そして、新たな婚約者として、メルフラッツォ。お前が公爵となれ。現公爵は公爵に向かない。引退していただこう。あぁ、キリグランド伯爵。公爵家が特別な存在であることを知らないとは言わせない。身分を弁えるように。公爵家を乗っ取ろうとしたこと、追って、沙汰を言い渡す」

 “公爵”それは、この国の根幹に関わる何かを守るものです。決して蹂躙されてはならない存在です。実は、おじいさまからわたくしが次代の守り主として選定されました。ですから、お父様はあくまで繋ぎでいらっしゃるのです。繋ぎの身でありながら公爵家に不利益を与えたお父様は、公爵の座を追われることとなりました。……“守り主”は、一般には、御伽話と思われているのでしょうけどね。わたくしが守るものが何かは、誰にも明かしてはならないのです。


「父上……僕に自分で言わせてください。ファメリア・サーベンディリアンヌ公爵令嬢。君のことを好きだ。婚約者になるという名誉を僕に与えてくれないか?」

「……殿下、わたくしの名前を噛まずに言えるのですね? わかりました。謹んでお受けいたします」




 美しい花束と共に差し出された指輪に指を通します。拍手に包まれました。










「メルフラッツォ様は、いつからわたくしに興味をお持ちになっていたの?」

「最初からだよ。父上にサーベンディリアンヌ公爵家を調査しろと言われた時からね。だから、父上に根回しした上で、婚約破棄と新たな婚約者として僕を認めてもらうように、動いていたんだ」

「……だから、あのリストにはやけに王国の歴史や婚約に関するものが多かったのですね」

「先例を探していてね。五十年ほど前にも婚約者を尊重しない男性の婚約破棄が認められた例があって。それを父上に見せて説得したんだよ」

 そう笑うメルフラッツォ様は、我が家の家名をすらすらと暗唱なさるのでした。
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