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第77話 未来の手触り
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『Recruit Book 1990 情報・マスコミ編』に掲載されている会社は、本当にピンキリだった。
広告やマスコミ業界に興味のない人でも、誰もが社名を耳にしたことはある大手の広告代理店から、関西ローカルの中堅代理店、出版社、制作プロダクション、そして聞いたことも目にしたこともない中小の制作会社やPR会社まで。
片っ端から資料請求をした僕のアパートには、立派なパンフレットや、広告会社らしく趣向を凝らした制作物が入った大きな封筒が、毎日のように届くようになった。
パンフレットを見る分には、会社の規模に関わらずどの会社も華やかに面白くクリエイティブな実績に溢れていて、正直僕はどの会社に入ってもやりがいと喜びに溢れた仕事ができそうな気がしたものだ。
システム手帳を繰りながら、ゼミの時間と折り合いのつく説明会に予約の電話を入れていく。
同級生の中には交通費で小遣いを稼ぐためにせっせと関東方面の説明会を入れているやつもいたが、僕は京都と大阪の会社しか電話しなかった。
そういうのはなんだか浅ましい感じがして好きじゃない。
それに、移動に費やす時間だってコストだ。
スーツは、「就職活動するなら必要やろ」と、親がわざわざ滋賀県から高島屋までやってきて買ってくれた。
紺色のスーツに、ピシッとした白いシャツ、レジメンタルのタイをプレーンノットに結んだら、あっという間に巷にあふれる就活生のできあがりだ。
足元のプレーントゥもいつもピカピカじゃなければならない。
いずれ劣らぬ華々しい活躍をしているはずの会社の多くは、説明会でも『クリエイティブで面白い会社』をアピールするが、ほとんどの会社はこちらが少し質問をするだけでハリボテの中身が露出する。
焼きそばUFOのノベルティを誇らしげに語る会社もあれば、
CI戦略と銘打ちながら求人広告の枠売りをしているだけの会社もあった。
FM局のステッカーを手掛けたという会社も、実際には印刷の段取りをしただけだった。
華やかな言葉の裏側は、どこも似たようなものだった。
そういった中小の会社からは、説明会の次はホテルで立食パーティ、一次面接を通過すれば大阪北新地の寿司屋と選考なのか接待なのか分からないような案内が次から次へとやってきた。
一次面接の後で男子学生だけ別で集められて風俗店に連れて行かれたという友達までいた。
逆に関西圏で最大の広告代理店は、第一回の説明会に参加させてもらえただけで、まだ試験も面接も受けていないのに、今後の活躍をお祈りされてしまった。
噂では、旧帝大か、早慶レベルじゃないと足切りされるということだ。
また別の噂では、広告研究会出身者は中途半端に知識があって使いにくいから一番に外されるという話もあった。
「OB訪問したやつが言ってた」とか「先輩がそうだったらしい」とか、結局は伝聞ばかりで、真偽なんて誰にも分からなかった。
どれも噂と憶測の域を出ないものでしかなかったが、僕の心をざわつかせるには十分だった。
華やかに見える広告の世界も、扉を開けてみれば足元は泥だらけかもしれない。
それでも、僕はその扉の向こうを覗かずにはいられなかった。
大学では、僕から企画部長を引き継いだ織田が編集長を務める「MEN'S DON-DO」を小脇に抱えた新入生があふれていた。
彼らもやがて学食の混み具合を計算し、桜吹雪の鴨川デルタで、もう自分たちの居場所を見つけた顔をしていた。
三条の河原では等間隔のカップルを蹴散らしながら新歓コンパの連中が鴨川に飛び込み、観光バスで身動きの取れなかった丸太町通の渋滞も、少しずつ落ち着きを取り戻していた。
季節は桜から新緑へ、やがてゴールデンウィークを迎えても、僕はまだ確かな手応えと言える会社に出会えていなかった。
KBS京都では、葵祭の特集番組が流れはじめている。
「ゴールデンウィーク明けには迎えに行けるかも」
舞子に言ったその言葉が、徐々に現実味を失っていく。
生活は規則正しく回っていた。
食事を作り、ゼミに出て、スーツで歩き回り、夜は銭湯に行く。
週に数回のバイトと、バンドと、ラグビー。
やるべきことに隙間なく埋められた毎日だった。
飲みに出かけることも気分が乗らなくてしなくなっていたので、どこぞで不意に香織に会うことがなくなったのはともかく、不思議なことにユリカの来襲も、薫子からの電話もなくなった。
◇ ◇ ◇ ◇
人間、懸命に何かに取り組んでいると運命が向こうからやってくるもので、僕がその会社に出会ったのは5月も半ばを過ぎた頃、広告代理店だけではなく出版社にも目を向け始めた矢先のことだった。
インフラ系の大企業を親会社に持つその大阪の出版社は、月刊の飲食情報誌を発行していて、関西では大人の読者を中心に絶大なる信頼を集めるその情報誌に取り上げられることが、飲食店の経営者にとってステータスとなっていた。
メインコンテンツであるグルメ情報を制作する編集部は、取材や文章や写真は全部外部のライターとカメラマンに発注していて、彼らに仕事を割り振りつつ誌面をまとめる編集者も正社員でこそあれ、今までこの業界で鳴らしてきた元ライターやフリー上がりのバリバリのいわば「業界人」で構成されていて、とても新卒の学生あがりが入り込める世界ではない。
僕が説明会で興味を惹かれたのは、その編集部ではなく「営業企画部」という部署で、誤解を恐れずに大雑把に言えばその雑誌に広告を取ってくるという役割だ。
雑誌では毎月テーマに沿って様々な飲食店が紹介される。
「洋食LOVE」「京都の、わざわざ」「濃い酒場」「肉が食べたい」「真夏のカレー」等など。
それらのテーマに合わせて、広告ページも連動する形で企画を立ち上げて、広告を出したい飲食店や、食が自慢のホテルなんかに提案して出稿契約を取ってくる。
実際の広告ページの制作は編集部に依頼するので、読者からは一見しただけではお金を出して「書いてもらっている」広告なのか、信頼ある編集部が食べて回って「厳正に選んだ」記事なのかは分からず、通常のタウン情報誌の広告とは効果が段違いになる、という仕掛けだ。
広告なのに、記事みたいに見える。
その仕掛けに、僕はぞくりとした。
これは――
今まで自分がやってきたことの延長線上にある。
食べることは好きだし、食に関する知識と経験もその辺の大学生よりはずっと豊富なつもりだ。
僕は、何としてもこの会社に入りたいと狙いを定めた。
説明会では積極的に質問をし、面接には広研で作ったミニコミ誌『Hot Doshisha Press』を持参して『京の定食いただきます!』のページを開いて制作にまつわるドタバタを面白おかしく話し、グループワークでは積極的にリーダーシップを取りつつメンバーへの気遣いも披露しながらレゴブロックで『アステカのピラミッド』を完成させた。
二次面接には課題でもなんでもなかったんだけど自分で考えた特集テーマとそれに沿った広告企画の企画書を作って行ってプレゼンもした。
広研でやってきたことを、そのまま差し出しただけだった。
面接をしてくれたベテラン編集者の人や営業企画部の人の反応にも手応えを感じる。
僕は「これなら舞子に胸を張って迎えに行ける」と、心から思える会社に出会ったと確信していた。
そして────
「来年4月から、一緒により良い紙面づくりをやっていく新戦力として迎えたいが、君の意向はどうですか?」
という電話がかかってきたのは、6月に入ったばかりの月曜日のことだった。
「ありがとうございます!よろしくお願いします!」
僕はそう答え、編集長と人事部長と社長との食事会へのお誘いをありがたく受けた。
正式には、その食事会の席で内定を告げられるのだろう。
◇ ◇ ◇ ◇
「中田くんは京都やから、お店も京都のほうがええでしょう」
と連れて行ってもらったのは、下長者町通千本、元禄元年の創業以来340年、すっぽん料理一筋だという名店中の名店だった。
静かな夜の帳が下りた、京町家の間へ――
僕が息を呑んだのは、重厚な暖簾をくぐったその瞬間だった。
表構えは、まるで江戸時代から時が止まっているかのよう。今も残る格子戸や柱には、往時の侍たちが振るった刀の跡が凛と刻まれている。
まさに応仁の乱を思わせるその刀傷を目にしただけで、生まれて初めてすっぽんコースを食べる僕の心は、静かな興奮と畏敬に揺れた。
ここは、ただの食事場所ではない――これは、時代と歴史が煮込まれた空間なのだと。
案内された客間は、表側が創業以来340年を経た町家そのまま。
奥は昭和に増築されたとはいえ、古き良き雅な趣が残っている。
大きな松の一枚板の天井、300年の樹齢と謳われる南天の柱、
そして川端康成『古都』のロケ地にもなった「六畳の間」など、ひとつの部屋ひとつの景観が、そのまま文化的遺産のように存在していた。
正座を強いられる畳の匂い、新しい畳表と古い木材の対比。そしてなにより、壁に残る歴史の印――すべてが、この店に足を踏み入れたことの重みを教えてくれた。
照明は柔らかく、畳の上に静かに浮かぶ影。
この場所でコースが始まることの特別感。
ワクワクするような緊張が、僕の胸をじんわり満たしていく。
まず最初に出されたのは、朱色の盃に満たされたすっぽんの生き血だった。
日本酒で割られているとはいえ、その妖しいほど濃い紅に僕は思わず息をのむ。
口に含むと驚くほど癖がなく、鉄っぽい味はほとんどせず、まるで濃厚な赤ワインを飲んでいるようだった。
「命をいただく」という言葉が、喉を通る瞬間に骨身まで迫ってくる。
僕には、それがひどく荘厳な儀式に感じられた。
そのあとに出てきた「しぐれ煮」は、ぷるぷるとしたゼラチン質、鶏肉のようなあっさりした味わいに、生姜のピリッとした刺激が重なってくる。
初めてとはいえ、これはただの「ご馳走」ではない。
これから始まる「未知」の一幕を告げるプロローグのような料理だった。
そして「まる鍋(すっぽん鍋)」が運ばれてきた。
土鍋は底から真っ赤に熱せられ、1600℃以上のコークスの火力で一気に炊き上げられているという
――その湯気からすでに旨味が立ちあがってくるようだった。
鍋の壁が揺らめき、煮えたぎる音が静謐な空間に響く。
こんな鍋を目にするのははじめてで、身体が自然とかたまった。
最初にすくったのは、黄金色に透きとおったスープ。
醤油と酒、そして生姜だけで味付けされたその透明な液体には、すっぽんそのものの滋養が凝縮されていた。
旨味が全身にじんわり広がり、まるで身体の芯を温める滋味を感じる
――「生命の味」そのものだった。
そして本丸のすっぽんの肉。
身は鶏肉に似ているのにもっと奥行きがあり、皮のまわりはゼラチン質がぷるんと震えて舌にまとわりついた。
滋味が舌に染みる。
噛むほどに旨味が口から身体へと染み渡るその感触に、思わず目を見開いた。
世の中にこんな体験があるのかと、純粋に驚いた。
鍋は二度に分けて出され、再び煮えたぎる熱々をいただく
――このリズムにも生命力がある。
やがて最後には雑炊の仕上げ。
土鍋にご飯と卵を入れて炊いたその雑炊は、鮮やかな黄色とともに、濃厚なすっぽんスープがご飯にしっかり絡まった「黄金の締めくくり」だった。
鍋底にできた香ばしいおこげがところどころ顔を出し、口に含むたびにパリッとしたアクセントが加わった
思わず「これが雑炊?」と笑ってしまうほどだった。
その雑炊をゆっくり味わいながら、僕は、ふと思った。取材も広告企画も、ぜんぶ飛び越えて、この一膳に「生きる歓び」が詰まっている、と。
この店で過ごしたこの時間は、就活や内定の報告を超える、魂の満たされる体験だった。
さすがは関西随一の信頼を誇るグルメ情報誌の食事会だ。
これは、ただの食事じゃない。
人生の次の章の、最初の一膳なんだと思った。
「期待しているよ」
社長の握手は力強く、僕の頬が火照っていたのは、すっぽん料理の効果だけではなかったと思う。
そして…
◇ ◇ ◇ ◇
――明日、舞子にやっと電話ができる。
「内定出たで。迎えに行くわ」
舞子はどんな反応をするだろう。
すっぽんの店の刀傷のように、僕の心にも深く刻まれた内定という言葉。
その余韻を胸に抱えながら…僕はなかなか寝付けなかった。
広告やマスコミ業界に興味のない人でも、誰もが社名を耳にしたことはある大手の広告代理店から、関西ローカルの中堅代理店、出版社、制作プロダクション、そして聞いたことも目にしたこともない中小の制作会社やPR会社まで。
片っ端から資料請求をした僕のアパートには、立派なパンフレットや、広告会社らしく趣向を凝らした制作物が入った大きな封筒が、毎日のように届くようになった。
パンフレットを見る分には、会社の規模に関わらずどの会社も華やかに面白くクリエイティブな実績に溢れていて、正直僕はどの会社に入ってもやりがいと喜びに溢れた仕事ができそうな気がしたものだ。
システム手帳を繰りながら、ゼミの時間と折り合いのつく説明会に予約の電話を入れていく。
同級生の中には交通費で小遣いを稼ぐためにせっせと関東方面の説明会を入れているやつもいたが、僕は京都と大阪の会社しか電話しなかった。
そういうのはなんだか浅ましい感じがして好きじゃない。
それに、移動に費やす時間だってコストだ。
スーツは、「就職活動するなら必要やろ」と、親がわざわざ滋賀県から高島屋までやってきて買ってくれた。
紺色のスーツに、ピシッとした白いシャツ、レジメンタルのタイをプレーンノットに結んだら、あっという間に巷にあふれる就活生のできあがりだ。
足元のプレーントゥもいつもピカピカじゃなければならない。
いずれ劣らぬ華々しい活躍をしているはずの会社の多くは、説明会でも『クリエイティブで面白い会社』をアピールするが、ほとんどの会社はこちらが少し質問をするだけでハリボテの中身が露出する。
焼きそばUFOのノベルティを誇らしげに語る会社もあれば、
CI戦略と銘打ちながら求人広告の枠売りをしているだけの会社もあった。
FM局のステッカーを手掛けたという会社も、実際には印刷の段取りをしただけだった。
華やかな言葉の裏側は、どこも似たようなものだった。
そういった中小の会社からは、説明会の次はホテルで立食パーティ、一次面接を通過すれば大阪北新地の寿司屋と選考なのか接待なのか分からないような案内が次から次へとやってきた。
一次面接の後で男子学生だけ別で集められて風俗店に連れて行かれたという友達までいた。
逆に関西圏で最大の広告代理店は、第一回の説明会に参加させてもらえただけで、まだ試験も面接も受けていないのに、今後の活躍をお祈りされてしまった。
噂では、旧帝大か、早慶レベルじゃないと足切りされるということだ。
また別の噂では、広告研究会出身者は中途半端に知識があって使いにくいから一番に外されるという話もあった。
「OB訪問したやつが言ってた」とか「先輩がそうだったらしい」とか、結局は伝聞ばかりで、真偽なんて誰にも分からなかった。
どれも噂と憶測の域を出ないものでしかなかったが、僕の心をざわつかせるには十分だった。
華やかに見える広告の世界も、扉を開けてみれば足元は泥だらけかもしれない。
それでも、僕はその扉の向こうを覗かずにはいられなかった。
大学では、僕から企画部長を引き継いだ織田が編集長を務める「MEN'S DON-DO」を小脇に抱えた新入生があふれていた。
彼らもやがて学食の混み具合を計算し、桜吹雪の鴨川デルタで、もう自分たちの居場所を見つけた顔をしていた。
三条の河原では等間隔のカップルを蹴散らしながら新歓コンパの連中が鴨川に飛び込み、観光バスで身動きの取れなかった丸太町通の渋滞も、少しずつ落ち着きを取り戻していた。
季節は桜から新緑へ、やがてゴールデンウィークを迎えても、僕はまだ確かな手応えと言える会社に出会えていなかった。
KBS京都では、葵祭の特集番組が流れはじめている。
「ゴールデンウィーク明けには迎えに行けるかも」
舞子に言ったその言葉が、徐々に現実味を失っていく。
生活は規則正しく回っていた。
食事を作り、ゼミに出て、スーツで歩き回り、夜は銭湯に行く。
週に数回のバイトと、バンドと、ラグビー。
やるべきことに隙間なく埋められた毎日だった。
飲みに出かけることも気分が乗らなくてしなくなっていたので、どこぞで不意に香織に会うことがなくなったのはともかく、不思議なことにユリカの来襲も、薫子からの電話もなくなった。
◇ ◇ ◇ ◇
人間、懸命に何かに取り組んでいると運命が向こうからやってくるもので、僕がその会社に出会ったのは5月も半ばを過ぎた頃、広告代理店だけではなく出版社にも目を向け始めた矢先のことだった。
インフラ系の大企業を親会社に持つその大阪の出版社は、月刊の飲食情報誌を発行していて、関西では大人の読者を中心に絶大なる信頼を集めるその情報誌に取り上げられることが、飲食店の経営者にとってステータスとなっていた。
メインコンテンツであるグルメ情報を制作する編集部は、取材や文章や写真は全部外部のライターとカメラマンに発注していて、彼らに仕事を割り振りつつ誌面をまとめる編集者も正社員でこそあれ、今までこの業界で鳴らしてきた元ライターやフリー上がりのバリバリのいわば「業界人」で構成されていて、とても新卒の学生あがりが入り込める世界ではない。
僕が説明会で興味を惹かれたのは、その編集部ではなく「営業企画部」という部署で、誤解を恐れずに大雑把に言えばその雑誌に広告を取ってくるという役割だ。
雑誌では毎月テーマに沿って様々な飲食店が紹介される。
「洋食LOVE」「京都の、わざわざ」「濃い酒場」「肉が食べたい」「真夏のカレー」等など。
それらのテーマに合わせて、広告ページも連動する形で企画を立ち上げて、広告を出したい飲食店や、食が自慢のホテルなんかに提案して出稿契約を取ってくる。
実際の広告ページの制作は編集部に依頼するので、読者からは一見しただけではお金を出して「書いてもらっている」広告なのか、信頼ある編集部が食べて回って「厳正に選んだ」記事なのかは分からず、通常のタウン情報誌の広告とは効果が段違いになる、という仕掛けだ。
広告なのに、記事みたいに見える。
その仕掛けに、僕はぞくりとした。
これは――
今まで自分がやってきたことの延長線上にある。
食べることは好きだし、食に関する知識と経験もその辺の大学生よりはずっと豊富なつもりだ。
僕は、何としてもこの会社に入りたいと狙いを定めた。
説明会では積極的に質問をし、面接には広研で作ったミニコミ誌『Hot Doshisha Press』を持参して『京の定食いただきます!』のページを開いて制作にまつわるドタバタを面白おかしく話し、グループワークでは積極的にリーダーシップを取りつつメンバーへの気遣いも披露しながらレゴブロックで『アステカのピラミッド』を完成させた。
二次面接には課題でもなんでもなかったんだけど自分で考えた特集テーマとそれに沿った広告企画の企画書を作って行ってプレゼンもした。
広研でやってきたことを、そのまま差し出しただけだった。
面接をしてくれたベテラン編集者の人や営業企画部の人の反応にも手応えを感じる。
僕は「これなら舞子に胸を張って迎えに行ける」と、心から思える会社に出会ったと確信していた。
そして────
「来年4月から、一緒により良い紙面づくりをやっていく新戦力として迎えたいが、君の意向はどうですか?」
という電話がかかってきたのは、6月に入ったばかりの月曜日のことだった。
「ありがとうございます!よろしくお願いします!」
僕はそう答え、編集長と人事部長と社長との食事会へのお誘いをありがたく受けた。
正式には、その食事会の席で内定を告げられるのだろう。
◇ ◇ ◇ ◇
「中田くんは京都やから、お店も京都のほうがええでしょう」
と連れて行ってもらったのは、下長者町通千本、元禄元年の創業以来340年、すっぽん料理一筋だという名店中の名店だった。
静かな夜の帳が下りた、京町家の間へ――
僕が息を呑んだのは、重厚な暖簾をくぐったその瞬間だった。
表構えは、まるで江戸時代から時が止まっているかのよう。今も残る格子戸や柱には、往時の侍たちが振るった刀の跡が凛と刻まれている。
まさに応仁の乱を思わせるその刀傷を目にしただけで、生まれて初めてすっぽんコースを食べる僕の心は、静かな興奮と畏敬に揺れた。
ここは、ただの食事場所ではない――これは、時代と歴史が煮込まれた空間なのだと。
案内された客間は、表側が創業以来340年を経た町家そのまま。
奥は昭和に増築されたとはいえ、古き良き雅な趣が残っている。
大きな松の一枚板の天井、300年の樹齢と謳われる南天の柱、
そして川端康成『古都』のロケ地にもなった「六畳の間」など、ひとつの部屋ひとつの景観が、そのまま文化的遺産のように存在していた。
正座を強いられる畳の匂い、新しい畳表と古い木材の対比。そしてなにより、壁に残る歴史の印――すべてが、この店に足を踏み入れたことの重みを教えてくれた。
照明は柔らかく、畳の上に静かに浮かぶ影。
この場所でコースが始まることの特別感。
ワクワクするような緊張が、僕の胸をじんわり満たしていく。
まず最初に出されたのは、朱色の盃に満たされたすっぽんの生き血だった。
日本酒で割られているとはいえ、その妖しいほど濃い紅に僕は思わず息をのむ。
口に含むと驚くほど癖がなく、鉄っぽい味はほとんどせず、まるで濃厚な赤ワインを飲んでいるようだった。
「命をいただく」という言葉が、喉を通る瞬間に骨身まで迫ってくる。
僕には、それがひどく荘厳な儀式に感じられた。
そのあとに出てきた「しぐれ煮」は、ぷるぷるとしたゼラチン質、鶏肉のようなあっさりした味わいに、生姜のピリッとした刺激が重なってくる。
初めてとはいえ、これはただの「ご馳走」ではない。
これから始まる「未知」の一幕を告げるプロローグのような料理だった。
そして「まる鍋(すっぽん鍋)」が運ばれてきた。
土鍋は底から真っ赤に熱せられ、1600℃以上のコークスの火力で一気に炊き上げられているという
――その湯気からすでに旨味が立ちあがってくるようだった。
鍋の壁が揺らめき、煮えたぎる音が静謐な空間に響く。
こんな鍋を目にするのははじめてで、身体が自然とかたまった。
最初にすくったのは、黄金色に透きとおったスープ。
醤油と酒、そして生姜だけで味付けされたその透明な液体には、すっぽんそのものの滋養が凝縮されていた。
旨味が全身にじんわり広がり、まるで身体の芯を温める滋味を感じる
――「生命の味」そのものだった。
そして本丸のすっぽんの肉。
身は鶏肉に似ているのにもっと奥行きがあり、皮のまわりはゼラチン質がぷるんと震えて舌にまとわりついた。
滋味が舌に染みる。
噛むほどに旨味が口から身体へと染み渡るその感触に、思わず目を見開いた。
世の中にこんな体験があるのかと、純粋に驚いた。
鍋は二度に分けて出され、再び煮えたぎる熱々をいただく
――このリズムにも生命力がある。
やがて最後には雑炊の仕上げ。
土鍋にご飯と卵を入れて炊いたその雑炊は、鮮やかな黄色とともに、濃厚なすっぽんスープがご飯にしっかり絡まった「黄金の締めくくり」だった。
鍋底にできた香ばしいおこげがところどころ顔を出し、口に含むたびにパリッとしたアクセントが加わった
思わず「これが雑炊?」と笑ってしまうほどだった。
その雑炊をゆっくり味わいながら、僕は、ふと思った。取材も広告企画も、ぜんぶ飛び越えて、この一膳に「生きる歓び」が詰まっている、と。
この店で過ごしたこの時間は、就活や内定の報告を超える、魂の満たされる体験だった。
さすがは関西随一の信頼を誇るグルメ情報誌の食事会だ。
これは、ただの食事じゃない。
人生の次の章の、最初の一膳なんだと思った。
「期待しているよ」
社長の握手は力強く、僕の頬が火照っていたのは、すっぽん料理の効果だけではなかったと思う。
そして…
◇ ◇ ◇ ◇
――明日、舞子にやっと電話ができる。
「内定出たで。迎えに行くわ」
舞子はどんな反応をするだろう。
すっぽんの店の刀傷のように、僕の心にも深く刻まれた内定という言葉。
その余韻を胸に抱えながら…僕はなかなか寝付けなかった。
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そうして、自身のアイデアを実行に映した夏生であったがーーーーーー。
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