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11. 過去 ── 抑えきれない想い
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貴族学園での生活を始めた私は、困惑していた。勉強は楽しい。友人もそれなりにできた。けれど、高位貴族の子女たちが通う方の校舎から、セシルがたびたび私に会いにやって来るのだ。
この学園は、高位貴族の子女たちと下位貴族の子女たちの校舎がきっちり分けられていた。渡り廊下を渡れば一応行き来することはできるのだが、暗黙の了解として、こちら側の生徒が向こう側に行くことはまずない。そして高位貴族側の校舎の彼らも、よほどの理由がない限りはこちらへとやって来ることはないのだ。同じ学年であっても授業は全て別々にあるし、大きな行事以外は顔を合わせることさえあまりないらしい。
けれどセシルは、数日に一度は休憩時間に私のクラスへとやって来てくる。そして私を呼び出しては廊下の端へと連れて行き、昔の思い出話だったり、彼の近況だったりと、他愛もない話を始めた。
どうしていいか分からず、私は彼から目を逸らすばかりだった。およそ十年ぶりに会う彼は信じられないほど格好良く成長していて、あまりにも眩しかった。そんな私とは真逆に、一瞬たりとも視線を外すことなく私を見つめる彼のアメジスト色の目には、誰が見ても明らかなほどの熱が灯っていた。
恋愛経験なんて全くない私でさえ、彼の気持ちはすぐに理解した。その熱に捕らえられ、めまいがするほどに。まるで彼の視線に強く抱きしめられているような錯覚さえした。
「……セシル様、あの……」
「セシルと呼んでくれ、ティナ。昔みたいに」
至近距離に立ち私をジッと見下ろしながら、彼がそう言う。
「……もう子どもではありませんもの。そうお呼びするには立場が違いすぎますし、あまりにも馴れ馴れしすぎますわ。人に聞かれたら、変に思われます」
「それならこうして二人きりで話す時だけでも、俺をセシルと呼んでくれないか、ティナ。君のその声で、昔のようにそう呼ばれたいんだ。長い間ずっと、俺はそれを望んでいたのだから」
「……っ、」
セシルは情熱的だった。私への想いを隠そうとはしなかったし、私もまた、そんな彼の気持ちに本当は舞い上がっていた。幼い頃から、大好きだった人なのだ。周囲の誰もが私に対して冷たく、孤独を味わい続けていた中で、セシルだけが私に優しかった。会えなくなってからも、彼の存在はずっとこの胸の中で、大切な初恋の思い出として残っていたのだから。
「……ですが、セシル」
「うん」
私がドキドキしながらそう呼ぶと、彼は心底嬉しそうに破顔した。そんな表情に、またときめいてしまう。
けれど私は自分を律することに必死だった。
「皆から訝しく思われます。こうしてセシルが、私に会いに来ること自体がおかしいんですもの。妙な噂が立ってしまったら……。それに、私とあなたが会えなくなってしまった理由は……」
「ああ。よく分かっている。あの頃、母から厳しく叱責されたからな。俺が悪いんだ。君のことが可愛いあまりに、どうしても君にばかり話しかけてしまっていた。母は俺が君に夢中になることを恐れたんだろう」
そう言うと、セシルは身をかがめ、私に顔を近づけて囁いた。
「……もう手遅れだけどな」
「……っ!」
思わず周囲を見回す。廊下の端にいる私たちを気にかけている生徒は、今はたまたまいなかったけれど、こんなことを続けていればきっと近いうちに互いの両親の耳に入るだろう。アレクサンダーやマリアローザだって気付くに違いない。
「もう、教室に戻ります」
そう言って踵を返すと、セシルの大きな手が私の手首を摑んだ。
「待ってくれ、ティナ。……ごめん、分かっているんだ。君を困らせていることは。これでも我慢しているつもりだ。本当は毎日、君の顔が見たい。毎日、毎時間でもこうして会いに来て、君の顔を見つめて、君の声が聞きたい。……ずっと会いたかった君に、十年ぶりにやっと会えたんだ。これ以上どう抑えろと?」
「セ、セシル……」
私だって本当は、その大きな胸に飛び込みたかった。嬉しい。私もです。私もずっとあなたのことを大切に想ってた。忘れたことなんて、一日もなかったのよ。そう伝えることが許されたなら、私はきっとそうしていた。
けれど、私は周囲の目も、義母であるシアーズ子爵夫人や、セシルのご両親であるリグリー侯爵夫妻の怒りを買うことも怖かった。セシルには、侯爵家の子息としての立場に相応しい相手がいるはず。自分がセシルと親しくしてはいけないと、ちゃんと分かっていた。
「……失礼します」
私は彼の手を振り切って、自分の教室に戻ったのだった。
入学してからしばらくの間、そんなことが何度も繰り返された。私がどんなにそっけなくしても、セシルは決して諦めなかった。クラスメイトや、同じフロアに教室がある同学年の生徒たちも、私とセシルのことを噂しているらしかった。
「ティナはすごいわね。あのセシル様からあんなにも熱いアプローチを受けているなんて。羨ましいわ」
友人になった同じクラスの下位貴族の令嬢たちから、そんな風に言われることもあった。私は慌てて否定する。
「そ、そんなんじゃないのよ。ただ、リグリー侯爵令息様と私は幼馴染なの。だから懐かしくて、思い出話をしに時々声をかけてくださるだけよ。深い意味はないわ」
できるだけ変な噂が立たないようにと、私は彼女たちの言葉を全力で否定していた。けれど友人たちは重ねて言う。
「それでも羨ましいわよ! だって、セシル・リグリー様よ? あの素敵なルックスに、紳士的な態度。しかも侯爵家の次男で、高位貴族クラスの騎士科の生徒の中でも断トツで強いらしいわよ!」
「セシル様は騎士様を目指していらっしゃるの? 素敵ねぇ。本当に格好いいわ」
「まだ婚約者もいらっしゃらないそうよ。一体どこのお家のご令嬢と結婚なさるのかしらね」
いつの間にかセシルのことで盛り上がりはじめた彼女たちの話を聞きながら、私は曖昧に微笑むしかなかった。
この学園は、高位貴族の子女たちと下位貴族の子女たちの校舎がきっちり分けられていた。渡り廊下を渡れば一応行き来することはできるのだが、暗黙の了解として、こちら側の生徒が向こう側に行くことはまずない。そして高位貴族側の校舎の彼らも、よほどの理由がない限りはこちらへとやって来ることはないのだ。同じ学年であっても授業は全て別々にあるし、大きな行事以外は顔を合わせることさえあまりないらしい。
けれどセシルは、数日に一度は休憩時間に私のクラスへとやって来てくる。そして私を呼び出しては廊下の端へと連れて行き、昔の思い出話だったり、彼の近況だったりと、他愛もない話を始めた。
どうしていいか分からず、私は彼から目を逸らすばかりだった。およそ十年ぶりに会う彼は信じられないほど格好良く成長していて、あまりにも眩しかった。そんな私とは真逆に、一瞬たりとも視線を外すことなく私を見つめる彼のアメジスト色の目には、誰が見ても明らかなほどの熱が灯っていた。
恋愛経験なんて全くない私でさえ、彼の気持ちはすぐに理解した。その熱に捕らえられ、めまいがするほどに。まるで彼の視線に強く抱きしめられているような錯覚さえした。
「……セシル様、あの……」
「セシルと呼んでくれ、ティナ。昔みたいに」
至近距離に立ち私をジッと見下ろしながら、彼がそう言う。
「……もう子どもではありませんもの。そうお呼びするには立場が違いすぎますし、あまりにも馴れ馴れしすぎますわ。人に聞かれたら、変に思われます」
「それならこうして二人きりで話す時だけでも、俺をセシルと呼んでくれないか、ティナ。君のその声で、昔のようにそう呼ばれたいんだ。長い間ずっと、俺はそれを望んでいたのだから」
「……っ、」
セシルは情熱的だった。私への想いを隠そうとはしなかったし、私もまた、そんな彼の気持ちに本当は舞い上がっていた。幼い頃から、大好きだった人なのだ。周囲の誰もが私に対して冷たく、孤独を味わい続けていた中で、セシルだけが私に優しかった。会えなくなってからも、彼の存在はずっとこの胸の中で、大切な初恋の思い出として残っていたのだから。
「……ですが、セシル」
「うん」
私がドキドキしながらそう呼ぶと、彼は心底嬉しそうに破顔した。そんな表情に、またときめいてしまう。
けれど私は自分を律することに必死だった。
「皆から訝しく思われます。こうしてセシルが、私に会いに来ること自体がおかしいんですもの。妙な噂が立ってしまったら……。それに、私とあなたが会えなくなってしまった理由は……」
「ああ。よく分かっている。あの頃、母から厳しく叱責されたからな。俺が悪いんだ。君のことが可愛いあまりに、どうしても君にばかり話しかけてしまっていた。母は俺が君に夢中になることを恐れたんだろう」
そう言うと、セシルは身をかがめ、私に顔を近づけて囁いた。
「……もう手遅れだけどな」
「……っ!」
思わず周囲を見回す。廊下の端にいる私たちを気にかけている生徒は、今はたまたまいなかったけれど、こんなことを続けていればきっと近いうちに互いの両親の耳に入るだろう。アレクサンダーやマリアローザだって気付くに違いない。
「もう、教室に戻ります」
そう言って踵を返すと、セシルの大きな手が私の手首を摑んだ。
「待ってくれ、ティナ。……ごめん、分かっているんだ。君を困らせていることは。これでも我慢しているつもりだ。本当は毎日、君の顔が見たい。毎日、毎時間でもこうして会いに来て、君の顔を見つめて、君の声が聞きたい。……ずっと会いたかった君に、十年ぶりにやっと会えたんだ。これ以上どう抑えろと?」
「セ、セシル……」
私だって本当は、その大きな胸に飛び込みたかった。嬉しい。私もです。私もずっとあなたのことを大切に想ってた。忘れたことなんて、一日もなかったのよ。そう伝えることが許されたなら、私はきっとそうしていた。
けれど、私は周囲の目も、義母であるシアーズ子爵夫人や、セシルのご両親であるリグリー侯爵夫妻の怒りを買うことも怖かった。セシルには、侯爵家の子息としての立場に相応しい相手がいるはず。自分がセシルと親しくしてはいけないと、ちゃんと分かっていた。
「……失礼します」
私は彼の手を振り切って、自分の教室に戻ったのだった。
入学してからしばらくの間、そんなことが何度も繰り返された。私がどんなにそっけなくしても、セシルは決して諦めなかった。クラスメイトや、同じフロアに教室がある同学年の生徒たちも、私とセシルのことを噂しているらしかった。
「ティナはすごいわね。あのセシル様からあんなにも熱いアプローチを受けているなんて。羨ましいわ」
友人になった同じクラスの下位貴族の令嬢たちから、そんな風に言われることもあった。私は慌てて否定する。
「そ、そんなんじゃないのよ。ただ、リグリー侯爵令息様と私は幼馴染なの。だから懐かしくて、思い出話をしに時々声をかけてくださるだけよ。深い意味はないわ」
できるだけ変な噂が立たないようにと、私は彼女たちの言葉を全力で否定していた。けれど友人たちは重ねて言う。
「それでも羨ましいわよ! だって、セシル・リグリー様よ? あの素敵なルックスに、紳士的な態度。しかも侯爵家の次男で、高位貴族クラスの騎士科の生徒の中でも断トツで強いらしいわよ!」
「セシル様は騎士様を目指していらっしゃるの? 素敵ねぇ。本当に格好いいわ」
「まだ婚約者もいらっしゃらないそうよ。一体どこのお家のご令嬢と結婚なさるのかしらね」
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