51 / 77
51. 侯爵夫妻の圧力(※sideシアーズ男爵夫人)
しおりを挟む
「返す言葉もございません……。愚女については力ずくでも連れ戻し、今度こそ逆らうことのないよう徹底的に躾けてまいります」
夫はこめかみを流れる汗を乱暴に拭いながら、リグリー侯爵夫妻に詫びる。長いものには大人しく巻かれていたい男なのだ。絶大な権力を持つ侯爵家当主に睨まれるなど、この人には耐えられないことだろう。
同じように頭を垂れながら、頭を目まぐるしく回転させる。ティナレインがセシル様の子を産んだというのなら、その子を盾にこのリグリー侯爵家にたかることができるのでは……? ……いや、無理か。そんなことをしようものなら、うちはあっけなくリグリー侯爵家に潰されるだろう。力関係に差があり過ぎる。財力も権力も、世間からの信頼も、何もかも太刀打ちできない。逆らわないのが身のためだ。ならば、どうすれば……?
思案していると、リグリー侯爵が低く唸った。
「躾ける、か。果たしてどうだろうか。このような大それたことをしでかした娘だ。連れ戻し躾けたところで、そなたたちの言うとおりに大人しく過ごす娘だろうかの」
「……帰国させ、そちらの屋敷に閉じ込めたとて、また様々な手を使ってセシルを誘惑されたのではたまらないわ。セシルももう、すっかり手懐けられてしまっているようだし。また同じようなことになるのではと、私たちはずっと不安なまま過ごさなくてはならないわね」
(……では一体、どうしろと仰っているの……?)
ティナレインを連れ戻すなと?
まさか我々に、一家でこの王国を出ろと、逆にうちの方が娘のところへ行けと、そう言いたいのだろうか。
夫がおそるおそる口を開く。
「ティナレインには、よく言ってきかせます。自分のしでかしたことの重大さを認識させ、徹底的に……」
「信用ならんと言っておるのだ」
「……っ!」
威圧感のある侯爵の声が、室内の空気を揺らす。私と夫はビクッと肩を揺らし、互いの顔を見た。今にも泣き出しそうな情けない表情をした夫が、侯爵に問う。
「どっ……、どのように娘を処罰すれば……?」
夫の言葉に、リグリー侯爵夫人がため息をつく。
「私たちにそれを聞かれましても。どうとも申し上げられませんわ。ただ私たちの望みは、セシルにこのリグリー侯爵家へ戻ってもらうこと。そして、子がセシルの子であるのならば、その子も当然このリグリー侯爵家がもらい受けますわ。男爵家の不義の娘が産んだ子を後継ぎにするかどうかは別として、リグリー侯爵家の血筋である以上は放ってはおけませんもの」
そう言った夫人はそこで一呼吸置き、こう続けた。
「お宅のしたたかなお嬢さんについては……困ったわね。戻ってこられても不安ですし。何せ幼少の頃からセシルにつきまとっていたんですもの。きっと生きている限り、これからも私たちを悩ませ続けるつもりじゃないかしら」
(……っ!!)
夫人のその言葉に、私たちはハッと顔を上げた。リグリー侯爵と目が合う。
「失踪しておよそ四年。ここに来てわざわざあの娘に、シアーズ男爵家へ戻ってもらう必要もないのではないか。いなくなった時のように、また社交界で噂話の的にされるだけであろう。そなたらとしても、男爵の不義の子など、ただの厄介にしかなるまい」
「かと言って、その娘一人をセレネスティア王国に残しておくのもね……。セシルを屋敷に連れ戻しても、また追いかけていこうとするに違いないわ。ああ、本当に困ったこと……。どこに存在していても、苦痛の種にしかならないわね、お宅のお嬢さんは」
「……つ、」
心臓が早鐘を打つ。リグリー侯爵夫妻の言わんとすることは理解できた。夫も同様だろう。大きく喉を鳴らしている。
室内が静まり返った。何度も額を拭い咳払いを繰り返していた夫が、掠れた声を発する。
「……仰りたいことは分かりました。し、しかし、その……どのように処分すれば……」
「何の話をしているのか、我々にはさっぱり分からん。……ああ、そうだ。話は変わるが、以前そなたらがその問題の娘を嫁がせようとしていた、例のダルテリオ商会だがな。相変わらず商売は順調のようだ。何でも会長が近隣諸国から様々な希少価値のある品物を買い付けてきては、富裕層に向けて積極的に販売しているらしい」
突然ダルテリオ商会の話になり、私たちは戸惑った。一体侯爵は何が言いたいのか。怪訝に思いつつも耳を傾けていると、侯爵は無表情のまま言い募る。
「店頭に大っぴらには並べていないようだが、異国の怪しげな薬なども秘密裏に取り引きしているらしい。あくまで噂だがな。効き目の強い高価な媚薬や、劇薬なんかも入手できるとか……。もちろん、正規のルートでは入手できないものばかりだ。まぁ、我々には関係のないことだが」
「────っ!」
私と夫は息を呑んだ。侯爵夫妻は感情を失ったかのような光のない瞳で、私たち夫婦をジッと見据え続ける。誰もが口を開かぬ無言の空間は、逃げ出したくなるほど異様な雰囲気に包まれた。
「……承知いたしました」
やがて夫が真っ白な顔で口を開いた。
「今後もう二度と、娘がご子息に関わることのないよう処理をいたします」
「そうか。それがいいだろう。我がリグリー侯爵家のためにも、そなたたちのためにもな。……言っておくが、そなたらが我々に与えた損害は実に大きい。今後事が上手く運ばなければ、相応の賠償金の支払いは、覚悟しておくように」
リグリー侯爵は表情を崩すことなくそう言った。その暗い瞳は、私と夫を逃げ場のない絶壁に追い詰めるかのような恐ろしさだった。
夫はこめかみを流れる汗を乱暴に拭いながら、リグリー侯爵夫妻に詫びる。長いものには大人しく巻かれていたい男なのだ。絶大な権力を持つ侯爵家当主に睨まれるなど、この人には耐えられないことだろう。
同じように頭を垂れながら、頭を目まぐるしく回転させる。ティナレインがセシル様の子を産んだというのなら、その子を盾にこのリグリー侯爵家にたかることができるのでは……? ……いや、無理か。そんなことをしようものなら、うちはあっけなくリグリー侯爵家に潰されるだろう。力関係に差があり過ぎる。財力も権力も、世間からの信頼も、何もかも太刀打ちできない。逆らわないのが身のためだ。ならば、どうすれば……?
思案していると、リグリー侯爵が低く唸った。
「躾ける、か。果たしてどうだろうか。このような大それたことをしでかした娘だ。連れ戻し躾けたところで、そなたたちの言うとおりに大人しく過ごす娘だろうかの」
「……帰国させ、そちらの屋敷に閉じ込めたとて、また様々な手を使ってセシルを誘惑されたのではたまらないわ。セシルももう、すっかり手懐けられてしまっているようだし。また同じようなことになるのではと、私たちはずっと不安なまま過ごさなくてはならないわね」
(……では一体、どうしろと仰っているの……?)
ティナレインを連れ戻すなと?
まさか我々に、一家でこの王国を出ろと、逆にうちの方が娘のところへ行けと、そう言いたいのだろうか。
夫がおそるおそる口を開く。
「ティナレインには、よく言ってきかせます。自分のしでかしたことの重大さを認識させ、徹底的に……」
「信用ならんと言っておるのだ」
「……っ!」
威圧感のある侯爵の声が、室内の空気を揺らす。私と夫はビクッと肩を揺らし、互いの顔を見た。今にも泣き出しそうな情けない表情をした夫が、侯爵に問う。
「どっ……、どのように娘を処罰すれば……?」
夫の言葉に、リグリー侯爵夫人がため息をつく。
「私たちにそれを聞かれましても。どうとも申し上げられませんわ。ただ私たちの望みは、セシルにこのリグリー侯爵家へ戻ってもらうこと。そして、子がセシルの子であるのならば、その子も当然このリグリー侯爵家がもらい受けますわ。男爵家の不義の娘が産んだ子を後継ぎにするかどうかは別として、リグリー侯爵家の血筋である以上は放ってはおけませんもの」
そう言った夫人はそこで一呼吸置き、こう続けた。
「お宅のしたたかなお嬢さんについては……困ったわね。戻ってこられても不安ですし。何せ幼少の頃からセシルにつきまとっていたんですもの。きっと生きている限り、これからも私たちを悩ませ続けるつもりじゃないかしら」
(……っ!!)
夫人のその言葉に、私たちはハッと顔を上げた。リグリー侯爵と目が合う。
「失踪しておよそ四年。ここに来てわざわざあの娘に、シアーズ男爵家へ戻ってもらう必要もないのではないか。いなくなった時のように、また社交界で噂話の的にされるだけであろう。そなたらとしても、男爵の不義の子など、ただの厄介にしかなるまい」
「かと言って、その娘一人をセレネスティア王国に残しておくのもね……。セシルを屋敷に連れ戻しても、また追いかけていこうとするに違いないわ。ああ、本当に困ったこと……。どこに存在していても、苦痛の種にしかならないわね、お宅のお嬢さんは」
「……つ、」
心臓が早鐘を打つ。リグリー侯爵夫妻の言わんとすることは理解できた。夫も同様だろう。大きく喉を鳴らしている。
室内が静まり返った。何度も額を拭い咳払いを繰り返していた夫が、掠れた声を発する。
「……仰りたいことは分かりました。し、しかし、その……どのように処分すれば……」
「何の話をしているのか、我々にはさっぱり分からん。……ああ、そうだ。話は変わるが、以前そなたらがその問題の娘を嫁がせようとしていた、例のダルテリオ商会だがな。相変わらず商売は順調のようだ。何でも会長が近隣諸国から様々な希少価値のある品物を買い付けてきては、富裕層に向けて積極的に販売しているらしい」
突然ダルテリオ商会の話になり、私たちは戸惑った。一体侯爵は何が言いたいのか。怪訝に思いつつも耳を傾けていると、侯爵は無表情のまま言い募る。
「店頭に大っぴらには並べていないようだが、異国の怪しげな薬なども秘密裏に取り引きしているらしい。あくまで噂だがな。効き目の強い高価な媚薬や、劇薬なんかも入手できるとか……。もちろん、正規のルートでは入手できないものばかりだ。まぁ、我々には関係のないことだが」
「────っ!」
私と夫は息を呑んだ。侯爵夫妻は感情を失ったかのような光のない瞳で、私たち夫婦をジッと見据え続ける。誰もが口を開かぬ無言の空間は、逃げ出したくなるほど異様な雰囲気に包まれた。
「……承知いたしました」
やがて夫が真っ白な顔で口を開いた。
「今後もう二度と、娘がご子息に関わることのないよう処理をいたします」
「そうか。それがいいだろう。我がリグリー侯爵家のためにも、そなたたちのためにもな。……言っておくが、そなたらが我々に与えた損害は実に大きい。今後事が上手く運ばなければ、相応の賠償金の支払いは、覚悟しておくように」
リグリー侯爵は表情を崩すことなくそう言った。その暗い瞳は、私と夫を逃げ場のない絶壁に追い詰めるかのような恐ろしさだった。
712
あなたにおすすめの小説
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
地味で器量の悪い公爵令嬢は政略結婚を拒んでいたのだが
克全
恋愛
「アルファポリス」「カクヨム」「小説家になろう」に同時投稿しています。
心優しいエヴァンズ公爵家の長女アマーリエは自ら王太子との婚約を辞退した。幼馴染でもある王太子の「ブスの癖に図々しく何時までも婚約者の座にいるんじゃない、絶世の美女である妹に婚約者の座を譲れ」という雄弁な視線に耐えられなかったのだ。それにアマーリエにも自覚があった。自分が社交界で悪口陰口を言われるほどブスであることを。だから王太子との婚約を辞退してからは、壁の花に徹していた。エヴァンズ公爵家てもつながりが欲しい貴族家からの政略結婚の申し込みも断り続けていた。このまま静かに領地に籠って暮らしていこうと思っていた。それなのに、常勝無敗、騎士の中の騎士と称えられる王弟で大将軍でもあるアラステアから結婚を申し込まれたのだ。
王様の恥かきっ娘
青の雀
恋愛
恥かきっ子とは、親が年老いてから子供ができること。
本当は、元気でおめでたいことだけど、照れ隠しで、その年齢まで夫婦の営みがあったことを物語り世間様に向けての恥をいう。
孫と同い年の王女殿下が生まれたことで巻き起こる騒動を書きます
物語は、卒業記念パーティで婚約者から婚約破棄されたところから始まります
これもショートショートで書く予定です。
本日、私の大好きな幼馴染が大切な姉と結婚式を挙げます
結城芙由奈@コミカライズ3巻7/30発売
恋愛
本日、私は大切な人達を2人同時に失います
<子供の頃から大好きだった幼馴染が恋する女性は私の5歳年上の姉でした。>
両親を亡くし、私を養ってくれた大切な姉に幸せになって貰いたい・・・そう願っていたのに姉は結婚を約束していた彼を事故で失ってしまった。悲しみに打ちひしがれる姉に寄り添う私の大好きな幼馴染。彼は決して私に振り向いてくれる事は無い。だから私は彼と姉が結ばれる事を願い、ついに2人は恋人同士になり、本日姉と幼馴染は結婚する。そしてそれは私が大切な2人を同時に失う日でもあった―。
※ 本編完結済。他視点での話、継続中。
※ 「カクヨム」「小説家になろう」にも掲載しています
※ 河口直人偏から少し大人向けの内容になります
氷の騎士と契約結婚したのですが、愛することはないと言われたので契約通り離縁します!
柚屋志宇
恋愛
「お前を愛することはない」
『氷の騎士』侯爵令息ライナスは、伯爵令嬢セルマに白い結婚を宣言した。
セルマは家同士の政略による契約結婚と割り切ってライナスの妻となり、二年後の離縁の日を待つ。
しかし結婚すると、最初は冷たかったライナスだが次第にセルマに好意的になる。
だがセルマは離縁の日が待ち遠しい。
※小説家になろう、カクヨムにも掲載しています。
狂おしいほど愛しています、なのでよそへと嫁ぐことに致します
ちより
恋愛
侯爵令嬢のカレンは分別のあるレディだ。頭の中では初恋のエル様のことでいっぱいになりながらも、一切そんな素振りは見せない徹底ぶりだ。
愛するエル様、神々しくも真面目で思いやりあふれるエル様、その残り香だけで胸いっぱいですわ。
頭の中は常にエル様一筋のカレンだが、家同士が決めた結婚で、公爵家に嫁ぐことになる。愛のない形だけの結婚と思っているのは自分だけで、実は誰よりも公爵様から愛されていることに気づかない。
公爵様からの溺愛に、不器用な恋心が反応したら大変で……両思いに慣れません。
公爵夫人の気ままな家出冒険記〜「自由」を真に受けた妻を、夫は今日も追いかける〜
平山和人
恋愛
王国宰相の地位を持つ公爵ルカと結婚して五年。元子爵令嬢のフィリアは、多忙な夫の言葉「君は自由に生きていい」を真に受け、家事に専々と引きこもる生活を卒業し、突如として身一つで冒険者になることを決意する。
レベル1の治癒士として街のギルドに登録し、初めての冒険に胸を躍らせるフィリアだったが、その背後では、妻の「自由」が離婚と誤解したルカが激怒。「私から逃げられると思うな!」と誤解と執着にまみれた激情を露わにし、国政を放り出し、精鋭を率いて妻を連れ戻すための追跡を開始する。
冒険者として順調に(時に波乱万丈に)依頼をこなすフィリアと、彼女が起こした騒動の後始末をしつつ、鬼のような形相で迫るルカ。これは、「自由」を巡る夫婦のすれ違いを描いた、異世界溺愛追跡ファンタジーである。
【完】婚約者に、気になる子ができたと言い渡されましたがお好きにどうぞ
さこの
恋愛
私の婚約者ユリシーズ様は、お互いの事を知らないと愛は芽生えないと言った。
そもそもあなたは私のことを何にも知らないでしょうに……。
二十話ほどのお話です。
ゆる設定の完結保証(執筆済)です( .ˬ.)"
ホットランキング入りありがとうございます
2021/08/08
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる