57 / 77
57. レドーラ王国への帰国
しおりを挟む
それからおよそ二週間後。私はノエル先生に一時帰国の事情を話し、しばらくの間仕事をお休みさせてもらうことにした。
「分かりました。こちらのことはご心配なく。諸々片付くといいですね。お気を付けて」
「はい! ありがとうございます、ノエル先生」
夫と共に母国でいろいろと片付けなくてはいけない諸用ができてしまって……と、要領を得ない説明をした私を深く追及することなく、ノエル先生はいつもの穏やかな笑みを見せてくださった。
午後の休憩時間に、仕事仲間たちへも帰国を伝える。
「じゃああの眩しい旦那様のお顔もしばらく見られないのね? あぁん寂しくなるわぁ~! ……あ、違うわよレイニーさん! レイニーさんにしばらく会えないのも、もちろん寂しいのよ? ほ、本当よ?」
「レドーラ王国の特産品って何だったかしら? お土産楽しみにしてるわね! うふふ」
キャッキャと騒いでいる同僚たちを尻目に、ソフィアさんが言った。
「ユーリくんにとっては初めての家族旅行みたいなものね。……頑張って。無事に帰ってきてねレイニーさん。待ってるからね」
「はいっ。ありがとうございます、ソフィアさん」
何かしら事情があることを察しているのだろうソフィアさんの、深くは尋ねてこない気遣いとその優しい言葉に、私は自然と微笑んで答えたのだった。
◇ ◇ ◇
ユーリにとって馬車での長旅は、これで二度目。最初の旅は私と二人で、南東の田舎町から王都ビスリーに出てきた時だった。そして今回はセシルと三人、隣国レドーラ王国を目指す。自分たちの馬車など当然持っていない私たちは、辻馬車や乗合馬車を乗り継ぎながらの移動となった。
馬車の小窓から見る景色が変わっていくのを、ユーリは目を輝かせて見つめていた。窓に張り付く勢いだ。前回私とビスリーに出てきた時よりも、明らかにテンションが高い。セシルがいることが嬉しくてたまらない様子だ。
「ぱぱ! みて! あれみて! ねぇ!」
「うん、見てるよユーリ。街からだいぶ離れたからな。この辺りはのどかだ」
「ううん! ちがうっ! あれみて! あれなぁに? ぱぱ。あれ」
「はは。分かってるよユーリ。あれは水車っていうんだ。田んぼに水を送ったりするんだよ」
「しゅいしゃ」
「水車だ」
「しゅいしゃ」
乗合馬車の中ではしゃぐユーリを膝の上に抱き直し、セシルがずっと相手をしてくれている。前回の旅とは疲労度合いが全然違う。荷物もユーリも抱えてくれて、ありがたいことこの上ない。自分の体を運ぶだけでいい私は、ことあるごとにシアーズ男爵一家のことを考えてしまう。今回の帰国のことを、事前に実家には知らせてはいない。リグリー侯爵家と連絡を取り合って、何かよからぬことを企んで待ち伏せされるのを防ぐためでもあったけれど……。彼らはすでに住居や息子のことまで知っていたのだ。この帰省の旅も、事前に耳に入る可能性はある。
(……お父様は私を見て、何と言ってくるのだろう。あの手紙の文面に溢れていたような後悔をあらわにして、私に謝罪するのかしら。それとも……)
私はおびき寄せられているだけなのだろうか。
でもそうだったとしても、真実を知りたい。父の本音を聞きたいし、私も……コレット先生の言うとおり、これで最後になるのならば、せめて一度くらいは真っ直ぐに、自分の思いをぶつけてみてもいいんじゃないかという、開き直りにも似た気持ちが湧いてきていた。
ふと、隣に座っていたセシルが、私の髪をそっと撫でる。ハッと我に返り、私はセシルの顔を見上げた。
「またボーッとしてた」
「うん……。ごめんね」
「謝ることじゃない。……何も心配するな、ティナ。君には俺がついてる」
「……ええ」
「奴らが君を傷つけるような真似をすれば、悪いが俺は容赦しない。目の前で父親の体が屋敷の窓から外に飛んでいくかもしれないが、許してくれよ」
「ふふ……」
シアーズ男爵夫妻を奴らと呼ぶセシルのその言葉に、私は彼がバハロたち四人を完膚なきまでに叩きのめしたあの夜のことを思い出した。大男四人がボロボロになって地面にのびていたあの姿に父の顔が重なり、思わず笑ってしまう。
するとセシルが嬉しそうに微笑み、私にそっと顔を寄せる。
彼の唇が頬に触れ、私は咄嗟に少し離れた。
「も、もう。こんなところで……」
「誰も見てないさ」
いたずらっぽく口角を上げたセシルは、またユーリの相手に戻った。
ふう、と息をつき顔を上げると、通路を挟んだ向かいの席に座っていた若い女性と目が合った。ぽわんとした表情でこちらを見ていた彼女は、私と目が合うと途端に狼狽し、真っ赤な顔でそっぽを向いたのだった。
(……セシルも罪な男ね……)
「分かりました。こちらのことはご心配なく。諸々片付くといいですね。お気を付けて」
「はい! ありがとうございます、ノエル先生」
夫と共に母国でいろいろと片付けなくてはいけない諸用ができてしまって……と、要領を得ない説明をした私を深く追及することなく、ノエル先生はいつもの穏やかな笑みを見せてくださった。
午後の休憩時間に、仕事仲間たちへも帰国を伝える。
「じゃああの眩しい旦那様のお顔もしばらく見られないのね? あぁん寂しくなるわぁ~! ……あ、違うわよレイニーさん! レイニーさんにしばらく会えないのも、もちろん寂しいのよ? ほ、本当よ?」
「レドーラ王国の特産品って何だったかしら? お土産楽しみにしてるわね! うふふ」
キャッキャと騒いでいる同僚たちを尻目に、ソフィアさんが言った。
「ユーリくんにとっては初めての家族旅行みたいなものね。……頑張って。無事に帰ってきてねレイニーさん。待ってるからね」
「はいっ。ありがとうございます、ソフィアさん」
何かしら事情があることを察しているのだろうソフィアさんの、深くは尋ねてこない気遣いとその優しい言葉に、私は自然と微笑んで答えたのだった。
◇ ◇ ◇
ユーリにとって馬車での長旅は、これで二度目。最初の旅は私と二人で、南東の田舎町から王都ビスリーに出てきた時だった。そして今回はセシルと三人、隣国レドーラ王国を目指す。自分たちの馬車など当然持っていない私たちは、辻馬車や乗合馬車を乗り継ぎながらの移動となった。
馬車の小窓から見る景色が変わっていくのを、ユーリは目を輝かせて見つめていた。窓に張り付く勢いだ。前回私とビスリーに出てきた時よりも、明らかにテンションが高い。セシルがいることが嬉しくてたまらない様子だ。
「ぱぱ! みて! あれみて! ねぇ!」
「うん、見てるよユーリ。街からだいぶ離れたからな。この辺りはのどかだ」
「ううん! ちがうっ! あれみて! あれなぁに? ぱぱ。あれ」
「はは。分かってるよユーリ。あれは水車っていうんだ。田んぼに水を送ったりするんだよ」
「しゅいしゃ」
「水車だ」
「しゅいしゃ」
乗合馬車の中ではしゃぐユーリを膝の上に抱き直し、セシルがずっと相手をしてくれている。前回の旅とは疲労度合いが全然違う。荷物もユーリも抱えてくれて、ありがたいことこの上ない。自分の体を運ぶだけでいい私は、ことあるごとにシアーズ男爵一家のことを考えてしまう。今回の帰国のことを、事前に実家には知らせてはいない。リグリー侯爵家と連絡を取り合って、何かよからぬことを企んで待ち伏せされるのを防ぐためでもあったけれど……。彼らはすでに住居や息子のことまで知っていたのだ。この帰省の旅も、事前に耳に入る可能性はある。
(……お父様は私を見て、何と言ってくるのだろう。あの手紙の文面に溢れていたような後悔をあらわにして、私に謝罪するのかしら。それとも……)
私はおびき寄せられているだけなのだろうか。
でもそうだったとしても、真実を知りたい。父の本音を聞きたいし、私も……コレット先生の言うとおり、これで最後になるのならば、せめて一度くらいは真っ直ぐに、自分の思いをぶつけてみてもいいんじゃないかという、開き直りにも似た気持ちが湧いてきていた。
ふと、隣に座っていたセシルが、私の髪をそっと撫でる。ハッと我に返り、私はセシルの顔を見上げた。
「またボーッとしてた」
「うん……。ごめんね」
「謝ることじゃない。……何も心配するな、ティナ。君には俺がついてる」
「……ええ」
「奴らが君を傷つけるような真似をすれば、悪いが俺は容赦しない。目の前で父親の体が屋敷の窓から外に飛んでいくかもしれないが、許してくれよ」
「ふふ……」
シアーズ男爵夫妻を奴らと呼ぶセシルのその言葉に、私は彼がバハロたち四人を完膚なきまでに叩きのめしたあの夜のことを思い出した。大男四人がボロボロになって地面にのびていたあの姿に父の顔が重なり、思わず笑ってしまう。
するとセシルが嬉しそうに微笑み、私にそっと顔を寄せる。
彼の唇が頬に触れ、私は咄嗟に少し離れた。
「も、もう。こんなところで……」
「誰も見てないさ」
いたずらっぽく口角を上げたセシルは、またユーリの相手に戻った。
ふう、と息をつき顔を上げると、通路を挟んだ向かいの席に座っていた若い女性と目が合った。ぽわんとした表情でこちらを見ていた彼女は、私と目が合うと途端に狼狽し、真っ赤な顔でそっぽを向いたのだった。
(……セシルも罪な男ね……)
716
あなたにおすすめの小説
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
地味で器量の悪い公爵令嬢は政略結婚を拒んでいたのだが
克全
恋愛
「アルファポリス」「カクヨム」「小説家になろう」に同時投稿しています。
心優しいエヴァンズ公爵家の長女アマーリエは自ら王太子との婚約を辞退した。幼馴染でもある王太子の「ブスの癖に図々しく何時までも婚約者の座にいるんじゃない、絶世の美女である妹に婚約者の座を譲れ」という雄弁な視線に耐えられなかったのだ。それにアマーリエにも自覚があった。自分が社交界で悪口陰口を言われるほどブスであることを。だから王太子との婚約を辞退してからは、壁の花に徹していた。エヴァンズ公爵家てもつながりが欲しい貴族家からの政略結婚の申し込みも断り続けていた。このまま静かに領地に籠って暮らしていこうと思っていた。それなのに、常勝無敗、騎士の中の騎士と称えられる王弟で大将軍でもあるアラステアから結婚を申し込まれたのだ。
王様の恥かきっ娘
青の雀
恋愛
恥かきっ子とは、親が年老いてから子供ができること。
本当は、元気でおめでたいことだけど、照れ隠しで、その年齢まで夫婦の営みがあったことを物語り世間様に向けての恥をいう。
孫と同い年の王女殿下が生まれたことで巻き起こる騒動を書きます
物語は、卒業記念パーティで婚約者から婚約破棄されたところから始まります
これもショートショートで書く予定です。
本日、私の大好きな幼馴染が大切な姉と結婚式を挙げます
結城芙由奈@コミカライズ3巻7/30発売
恋愛
本日、私は大切な人達を2人同時に失います
<子供の頃から大好きだった幼馴染が恋する女性は私の5歳年上の姉でした。>
両親を亡くし、私を養ってくれた大切な姉に幸せになって貰いたい・・・そう願っていたのに姉は結婚を約束していた彼を事故で失ってしまった。悲しみに打ちひしがれる姉に寄り添う私の大好きな幼馴染。彼は決して私に振り向いてくれる事は無い。だから私は彼と姉が結ばれる事を願い、ついに2人は恋人同士になり、本日姉と幼馴染は結婚する。そしてそれは私が大切な2人を同時に失う日でもあった―。
※ 本編完結済。他視点での話、継続中。
※ 「カクヨム」「小説家になろう」にも掲載しています
※ 河口直人偏から少し大人向けの内容になります
氷の騎士と契約結婚したのですが、愛することはないと言われたので契約通り離縁します!
柚屋志宇
恋愛
「お前を愛することはない」
『氷の騎士』侯爵令息ライナスは、伯爵令嬢セルマに白い結婚を宣言した。
セルマは家同士の政略による契約結婚と割り切ってライナスの妻となり、二年後の離縁の日を待つ。
しかし結婚すると、最初は冷たかったライナスだが次第にセルマに好意的になる。
だがセルマは離縁の日が待ち遠しい。
※小説家になろう、カクヨムにも掲載しています。
狂おしいほど愛しています、なのでよそへと嫁ぐことに致します
ちより
恋愛
侯爵令嬢のカレンは分別のあるレディだ。頭の中では初恋のエル様のことでいっぱいになりながらも、一切そんな素振りは見せない徹底ぶりだ。
愛するエル様、神々しくも真面目で思いやりあふれるエル様、その残り香だけで胸いっぱいですわ。
頭の中は常にエル様一筋のカレンだが、家同士が決めた結婚で、公爵家に嫁ぐことになる。愛のない形だけの結婚と思っているのは自分だけで、実は誰よりも公爵様から愛されていることに気づかない。
公爵様からの溺愛に、不器用な恋心が反応したら大変で……両思いに慣れません。
公爵夫人の気ままな家出冒険記〜「自由」を真に受けた妻を、夫は今日も追いかける〜
平山和人
恋愛
王国宰相の地位を持つ公爵ルカと結婚して五年。元子爵令嬢のフィリアは、多忙な夫の言葉「君は自由に生きていい」を真に受け、家事に専々と引きこもる生活を卒業し、突如として身一つで冒険者になることを決意する。
レベル1の治癒士として街のギルドに登録し、初めての冒険に胸を躍らせるフィリアだったが、その背後では、妻の「自由」が離婚と誤解したルカが激怒。「私から逃げられると思うな!」と誤解と執着にまみれた激情を露わにし、国政を放り出し、精鋭を率いて妻を連れ戻すための追跡を開始する。
冒険者として順調に(時に波乱万丈に)依頼をこなすフィリアと、彼女が起こした騒動の後始末をしつつ、鬼のような形相で迫るルカ。これは、「自由」を巡る夫婦のすれ違いを描いた、異世界溺愛追跡ファンタジーである。
【完】婚約者に、気になる子ができたと言い渡されましたがお好きにどうぞ
さこの
恋愛
私の婚約者ユリシーズ様は、お互いの事を知らないと愛は芽生えないと言った。
そもそもあなたは私のことを何にも知らないでしょうに……。
二十話ほどのお話です。
ゆる設定の完結保証(執筆済)です( .ˬ.)"
ホットランキング入りありがとうございます
2021/08/08
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる