【完結済】侯爵令息様のお飾り妻

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5. それからの日々

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「ほ……、本当に……、本当に申し訳ありませんでした、ザイール様……っ!」

 会場を出た途端、私はザイール様に謝罪をした。声が震える。

「……ほら、おいで」

 ザイール様は真っ青な顔の私をエスコートし、馬車に乗せてくださる。

 やってしまった。ザイール様を悪く言われているのが我慢できずに、ついムキになって役目を忘れ、言い返してしまった。せっかくザイール様から選ばれた、大切な役目を……。私は大人しく、お飾り妻に徹していなくてはならなかったのに。

 申し訳なくて顔が上げられない。向かい合って座った馬車の中で、拳をギュッと握りしめたまま下を向いていると、ふいにザイール様が小さく笑いだした。

「ふ……っ」
「……っ、……?」
「面白かったな、パトリシアの顔。相変わらず気が強くて幼稚な女だ」
「……は、……はぁ……」

 なぜこんなに楽しそうなのだろう。私が盛大にやらかしてしまった後だというのに。
 私は不思議に思い、一人クスクスと笑うザイール様のお顔を見つめた。するとザイール様が、ふいに私の顔を見る。

「……あんな反論をする必要はなかったが、」
「っ!ごっ!ごめんなさい……っ!本当に……、」
「ありがとう」
「……は……、え?」
「疲れただろう。帰ったらゆっくり休むといい」
「……は、……はい……」

 ザイール様は、とても優しい眼差しで私を見つめていた。




  ***************




 ついムキになってしまった。

 帰宅後、自室に戻り服を脱ぎながら私は考えた。

 必要な人間に挨拶を済ませて、適当なところで切り上げて帰るつもりの夜会だった。メリナを同伴し、表面上の夫婦を演じられればそれでよかったのだが。
 
 パトリシア・ベレスフォードがメリナを愚弄しはじめた時、妙に不愉快で、胃が熱く滾った。あの女の幼稚な悪口など聞き流しておけばよかったものを、何故だかそうは出来なかった。余計にヒートアップさせることは分かっていたのに、腹が立ち、怒らせるようなことを言ってしまった。
 案の定、パトリシアの攻撃は私に向いた。
 それでよかったはずだった。彼女の気が済んだら、上辺だけの挨拶でもして帰ればよかったのだから。

 だが、私を悪く言われると、今度は珍しくメリナが激昂した。パトリシアに負けじと、ムキになって私を庇うように反論していた。

「…………ふっ」

 あの時のメリナを思い出すと、何故だか笑みがこぼれる。

(……愛らしかったな。……これではまるで……、)



 本当の夫婦のようではないか。




  ***************




 私とザイール様は、それからも何事もなかったかのように、この夫婦ごっこのような関係を続けた。
 普段は別々に過ごすけれど、週に一、二度は夕食を共にした。時折朝食の席にも誘われるようになったことで、より夫婦らしく見えるようになったと思う。
 同伴の必要がある社交の場には私も出席し、二度と冷静さを失うまいと細心の注意を払った。
 あの夜会以来、何らかの失敗をしでかすことはなく、日々は順調に過ぎていった。

 

 しかし、そんなある日のこと。



 ついにその時が訪れてしまったのだ。



「メリナ、父の容態がかなり悪いようだ。今から別邸に向かう」
「は、はい……っ」

 ザイール様のお父上であるコネリー侯爵の容態が悪化したとの連絡に、私たちは急いで侯爵が静養中の別邸へ向かった。



「父上!」

 コネリー侯爵のベッドとそばに駆け寄り、ザイール様が声をかける。私は祈るような思いで侯爵を見つめた。

 ザイール様の呼びかけに、侯爵は瞼を震わせうっすらと目を開けた。そしてザイール様のお顔を見て少し微笑んだようだった。
 そして私の方を見ると、口元を少し動かす。伝えたいことがあるのだろうか。私は枕元にしゃがみ込んだ。

「お、……お義父様……?」
「……ザイール……を、……頼んだ、よ……」
「……っ、」

 必死で振り絞ったのであろう、その小さく掠れた声に、私はたまらず涙が溢れた。ごめんなさい、コネリー侯爵。こんな風にあなたを騙して、ごめんなさい……。

「……はい、……はい……」

 それ以上は言葉にならず、私はコネリー侯爵を安心させるよう、何度も笑顔で頷いたのだった。






 いつも冷静で凜としているザイール様にも、さすがに侯爵の死は堪えたらしい。お葬式でも気丈に振る舞っていたけれど、ふとした瞬間にうつろな目で宙を見つめていることが何度もあった。

 お葬式の時、私はお飾りの妻としてではなく、本心から彼の手を握った。冷たいその手を温めるように強く握りしめ、片時も離れずザイール様のそばに寄り添っていた。ザイール様が少しでも早く、お義父様の死を乗り越えられるようにと祈りながら──────

  

 もう私の役目は終わったのだから、一刻も早く立ち去るべきなのかもしれない。最初の取り決めではそうだった。コネリー侯爵の亡き後はすみやかに離縁して去ること、決して、やはり離縁したくないなどと食い下がらないこと。

 分かってはいたけれど、今のような状態のザイール様を置いて実家に戻ることは、私にはどうしてもできなかった。私なんかがいたところで、何の役にも立たないかもしれない。だけどそれでも、今はザイール様のおそばを離れたくない。
 ザイール様も、私に去れとは言わなかった。


 
 そうして、数週間が経った。





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