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33. 小さな疼き(※sideクライヴ)
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いつもよりも閑散とした、王立学園の敷地内。
普段ならば見回りはないはずの週末だが、エメライン王女がガーデンパーティーを主催なさるとかで、一部の生徒たちが登校し、中庭に集まっている。ロザリンド嬢も、そのうちの一人だ。先日の手紙の返事に、そのことが記してあった。
数人の騎士らで今日の役割分担を決めると、残念ながら俺の担当は中庭ではなく校舎内の見回りになった。ガーデンパーティーの間、近くで見守っていたかった。帰宅するまでの間に、ロザリンド嬢の姿をひと目だけでも見られるといいのだが。
これまでの人生、数多くの女性たちから言い寄られてきた。そしてそれ以上に、国内外の貴族家からも、うんざりするほど婚約の打診があった。
ぎらついた彼等の目つきや、欲にまみれた本心を嫌悪していたのもあるが、俺が長く婚約者を決めなかったことには、それ以上の理由があった。
俺の兄ハロルドは、生まれ持った病のために、幼少の頃は何度も命の危機に瀕してきた。だが兄は、自分がサザーランド公爵家の嫡男であることに、ひいては国家運営の柱を担う名門の後継であることに対し、非常に強い責任感を持っていた。
激しい咳を繰り返し、ゼーゼーと音を立て苦しげな呼吸をしながらも、自室にこもりかぶりつくようにして机に向かう。そんな一心不乱な兄の姿を、何度も遠目に見てきた。そばに寄り、大丈夫かと声をかけるのも憚られるほどに、兄はがむしゃらだった。そしてまた体調を崩し、何日も寝込む。
もういいから。サザーランド家は俺が継ぐ。俺がしっかりやるから、兄さんは何も心配せずゆっくり休むといい。そんな言葉を安易にかけることはできなかった。兄は俺からの同情や気遣いなど、きっと望んでいないと思ったからだ。その証拠に、兄から俺に話しかけてくることは滅多になかった。体調が良く、たまに食堂に下りてきて家族と食事をする時にも、屋敷の図書室で偶然出くわした時にも、そうだった。すれ違いざまにたまたま目が合うと、ほんの一言挨拶をし、そのまま行ってしまう。俺たちは、子どもの時から会話のない兄弟だった。そういうものだと思っていた。
こちらは兄に対し、身内としての親愛の情があったが、向こうはそんな風には見えなかった。
自分が持ち得なかった、頑強で健康な体を持つ俺を、兄は疎んじているのではないか。成長し、周囲の人間の様々な心情を敏感に感じ取るようになるにつれ、俺は徐々にそう思うようになった。そしてますます、兄には近付きづらくなった。
だが、兄に対する自分の気持ちが変わったわけではない。いざという時には自分が兄を助けられるようにと、公爵領の経営の勉強は、俺も怠っていなかった。
兄が家督を継ぎ、自分が家を出ることになった場合……、分家を興す、他家に婿入りする、教会に属する。様々な選択肢が考えられたが、俺は王立学園の騎士科に入学することを決めた。兄に万一のことがあり俺が継ぐ可能性もゼロでないことを思えば、身動きしやすい立場がいい。継がなくとも、王国騎士団に入り功績を上げれば、独立した爵位と領地を与えられる。自分の考えをひそかに父に相談すると、すぐに了承がもらえた。
騎士科に入学してから出会ったナイジェル・ハートリーは、変わった男だった。ハートリー伯爵家の嫡男でありながら、なんだか飄々としていて屈託がない。誰もが俺を遠巻きに見ている中で、真っ先に話しかけてきた。
『君が噂のサザーランド公爵家の次男か。本当に大きいなぁ。立派な騎士になりそうだ。よろしくな』
そう言ってからからと笑っていた。
学園の中では、生徒は皆対等の立場で過ごす。そんな理念はあれど、実際のところ、サザーランド公爵家の子息である俺に気安く声をかけてくる者などいない。誰もが一定の距離を置き、丁寧な言葉を選び、用がある時には緊張した面持ちで話しかけてきた。あるいは露骨に媚びを売ってくる者も、中にはいた。
だが、ナイジェルだけは違った。
初対面のときからこんな調子で肩の力が抜けていて、それが妙に心地よかった。馬が合ったこともあり、俺たちはすぐに親しくなった。
そして俺は、運命的な出会いをする。
入学から一年ほどが経ち、初めてハートリー伯爵家のタウンハウスに招かれた。そこには、貴族家の当主にしては柔和な雰囲気の伯爵と、快活で優しい夫人、そして、金髪の巻き毛の愛らしい令嬢がいた。
ナイジェルが妹だと紹介してくれた彼女──ロザリンド嬢は、明らかに俺に怯えていた。当時こちらは十七歳、彼女が十三歳だった。
『母とローズはたまにこっちに遊びに来るけど、普段は領地の屋敷で暮らしているんだ。な? ローズ』
ナイジェルはそう言って、おどおどしている妹をフォローするよう彼女の背に手を当て、顔を覗き込み微笑んでいた。
彼の妹に対する優しい眼差しもそうだが、俺はハートリー伯爵一家の温かで親密な雰囲気に驚いた。誰もが真顔で、時折父から勉強の進捗について尋ねられた時だけ兄か俺が答える。そんな我が家の静かな食卓とは、まるで違う。
食事の席では皆が笑顔で、互いのことを我先にと俺に教えてくれていた。ロザリンド嬢もそんな両親や兄をにこにこと見つめながら、時折俺と目が合った時だけピタリと硬直し、俯いた。でかい体と無愛想な顔で怯えさせてしまい申し訳ないが、そんな彼女を「可愛らしいな」と微笑ましくも思っていた。
彼女にまた別の感情を抱きはじめたのは、その数ヶ月後のこと。再びハートリー伯爵邸を訪れていた俺は、ナイジェルが急な来客に応対する間、裏庭を散策していた。
屋敷沿いに歩いていると、角の向こうから可愛らしい声が聞こえてきた。ロザリンド嬢だろうとは思ったが、歌声とも独り言とも言いがたい不思議なリズムのそれが、妙に気になった。俺は足を伸ばして角まで行き、そちら側を覗いた。
案の定、声の主はロザリンド嬢だった。彼女が裏口の石段に腰を下ろし、ナイジェルの模擬剣を磨いている。珍妙な歌声とは裏腹に、その表情は真剣そのものだった。
しばらくして俺の存在に気付いた彼女は、歌と動きを止めこちらを凝視し、顔を真っ赤に染めた。今にも泣き出しそうな表情をしたロザリンド嬢に申し訳なくなり、俺はたった一言、『……失礼』とだけ告げ、その場を去った。
立ち去って、余計に罪悪感が増した。もしもナイジェルが同じ場面に遭遇したら、「ごきげんよう。こんなところで何してるの? 可愛い歌だね。それ、もしかして模擬剣?」などと何気ない風に話しかけながら、にこやかに歩み寄っていっただろう。無愛想な自分が情けなくなった。
その後合流したナイジェルに、裏庭でロザリンド嬢を見かけたことだけを話した。お前の模擬剣を磨いているようだったと伝えると、彼は苦笑した。
『またやってたのか? ローズは本当に心配性だからなぁ。昨日夕食の席で、今度の実技試験のことを話したものだから、あいつ不安がってるんだよ。俺が怪我をするんじゃないかってさ。それで無事を祈願するまじないをかけながら磨いているんだ。朝もやってた。いくら俺の実技の成績が悪いからってさ、失礼な奴だろ?』
そんな風に言いながらも、ナイジェルの瞳の奥には妹への愛情が滲んでいた。彼の顔を見ながら、俺はさっきのロザリンド嬢の様子を思い出す。
『絶対に~無事に終わる~、お兄様は~試験を終えて元気に帰ってくる~』
(……あれは歌ではなく、まじないのつもりだったのか)
そのことを知った瞬間、俺の中に形容しがたい疼きが芽生えた。温かなそれは、ゆっくりと全身に広がっていく。
微笑みを交わす家族。互いを気遣い合う兄妹。
ハートリー伯爵一家の情の深さを眩しく思った。それとともに、ロザリンド嬢に対する、痛みとも温もりともつかないかすかな何かが波紋のように胸に広がり、しばし呼吸を忘れた。
(……あんな風に自分の気持ちを素直に兄に向けられたらいいだろうな。羨ましい兄妹仲だ)
そんな言葉を意図的に脳内に並べることで、俺は自分の小さな疼きからそっと目を逸らした。
普段ならば見回りはないはずの週末だが、エメライン王女がガーデンパーティーを主催なさるとかで、一部の生徒たちが登校し、中庭に集まっている。ロザリンド嬢も、そのうちの一人だ。先日の手紙の返事に、そのことが記してあった。
数人の騎士らで今日の役割分担を決めると、残念ながら俺の担当は中庭ではなく校舎内の見回りになった。ガーデンパーティーの間、近くで見守っていたかった。帰宅するまでの間に、ロザリンド嬢の姿をひと目だけでも見られるといいのだが。
これまでの人生、数多くの女性たちから言い寄られてきた。そしてそれ以上に、国内外の貴族家からも、うんざりするほど婚約の打診があった。
ぎらついた彼等の目つきや、欲にまみれた本心を嫌悪していたのもあるが、俺が長く婚約者を決めなかったことには、それ以上の理由があった。
俺の兄ハロルドは、生まれ持った病のために、幼少の頃は何度も命の危機に瀕してきた。だが兄は、自分がサザーランド公爵家の嫡男であることに、ひいては国家運営の柱を担う名門の後継であることに対し、非常に強い責任感を持っていた。
激しい咳を繰り返し、ゼーゼーと音を立て苦しげな呼吸をしながらも、自室にこもりかぶりつくようにして机に向かう。そんな一心不乱な兄の姿を、何度も遠目に見てきた。そばに寄り、大丈夫かと声をかけるのも憚られるほどに、兄はがむしゃらだった。そしてまた体調を崩し、何日も寝込む。
もういいから。サザーランド家は俺が継ぐ。俺がしっかりやるから、兄さんは何も心配せずゆっくり休むといい。そんな言葉を安易にかけることはできなかった。兄は俺からの同情や気遣いなど、きっと望んでいないと思ったからだ。その証拠に、兄から俺に話しかけてくることは滅多になかった。体調が良く、たまに食堂に下りてきて家族と食事をする時にも、屋敷の図書室で偶然出くわした時にも、そうだった。すれ違いざまにたまたま目が合うと、ほんの一言挨拶をし、そのまま行ってしまう。俺たちは、子どもの時から会話のない兄弟だった。そういうものだと思っていた。
こちらは兄に対し、身内としての親愛の情があったが、向こうはそんな風には見えなかった。
自分が持ち得なかった、頑強で健康な体を持つ俺を、兄は疎んじているのではないか。成長し、周囲の人間の様々な心情を敏感に感じ取るようになるにつれ、俺は徐々にそう思うようになった。そしてますます、兄には近付きづらくなった。
だが、兄に対する自分の気持ちが変わったわけではない。いざという時には自分が兄を助けられるようにと、公爵領の経営の勉強は、俺も怠っていなかった。
兄が家督を継ぎ、自分が家を出ることになった場合……、分家を興す、他家に婿入りする、教会に属する。様々な選択肢が考えられたが、俺は王立学園の騎士科に入学することを決めた。兄に万一のことがあり俺が継ぐ可能性もゼロでないことを思えば、身動きしやすい立場がいい。継がなくとも、王国騎士団に入り功績を上げれば、独立した爵位と領地を与えられる。自分の考えをひそかに父に相談すると、すぐに了承がもらえた。
騎士科に入学してから出会ったナイジェル・ハートリーは、変わった男だった。ハートリー伯爵家の嫡男でありながら、なんだか飄々としていて屈託がない。誰もが俺を遠巻きに見ている中で、真っ先に話しかけてきた。
『君が噂のサザーランド公爵家の次男か。本当に大きいなぁ。立派な騎士になりそうだ。よろしくな』
そう言ってからからと笑っていた。
学園の中では、生徒は皆対等の立場で過ごす。そんな理念はあれど、実際のところ、サザーランド公爵家の子息である俺に気安く声をかけてくる者などいない。誰もが一定の距離を置き、丁寧な言葉を選び、用がある時には緊張した面持ちで話しかけてきた。あるいは露骨に媚びを売ってくる者も、中にはいた。
だが、ナイジェルだけは違った。
初対面のときからこんな調子で肩の力が抜けていて、それが妙に心地よかった。馬が合ったこともあり、俺たちはすぐに親しくなった。
そして俺は、運命的な出会いをする。
入学から一年ほどが経ち、初めてハートリー伯爵家のタウンハウスに招かれた。そこには、貴族家の当主にしては柔和な雰囲気の伯爵と、快活で優しい夫人、そして、金髪の巻き毛の愛らしい令嬢がいた。
ナイジェルが妹だと紹介してくれた彼女──ロザリンド嬢は、明らかに俺に怯えていた。当時こちらは十七歳、彼女が十三歳だった。
『母とローズはたまにこっちに遊びに来るけど、普段は領地の屋敷で暮らしているんだ。な? ローズ』
ナイジェルはそう言って、おどおどしている妹をフォローするよう彼女の背に手を当て、顔を覗き込み微笑んでいた。
彼の妹に対する優しい眼差しもそうだが、俺はハートリー伯爵一家の温かで親密な雰囲気に驚いた。誰もが真顔で、時折父から勉強の進捗について尋ねられた時だけ兄か俺が答える。そんな我が家の静かな食卓とは、まるで違う。
食事の席では皆が笑顔で、互いのことを我先にと俺に教えてくれていた。ロザリンド嬢もそんな両親や兄をにこにこと見つめながら、時折俺と目が合った時だけピタリと硬直し、俯いた。でかい体と無愛想な顔で怯えさせてしまい申し訳ないが、そんな彼女を「可愛らしいな」と微笑ましくも思っていた。
彼女にまた別の感情を抱きはじめたのは、その数ヶ月後のこと。再びハートリー伯爵邸を訪れていた俺は、ナイジェルが急な来客に応対する間、裏庭を散策していた。
屋敷沿いに歩いていると、角の向こうから可愛らしい声が聞こえてきた。ロザリンド嬢だろうとは思ったが、歌声とも独り言とも言いがたい不思議なリズムのそれが、妙に気になった。俺は足を伸ばして角まで行き、そちら側を覗いた。
案の定、声の主はロザリンド嬢だった。彼女が裏口の石段に腰を下ろし、ナイジェルの模擬剣を磨いている。珍妙な歌声とは裏腹に、その表情は真剣そのものだった。
しばらくして俺の存在に気付いた彼女は、歌と動きを止めこちらを凝視し、顔を真っ赤に染めた。今にも泣き出しそうな表情をしたロザリンド嬢に申し訳なくなり、俺はたった一言、『……失礼』とだけ告げ、その場を去った。
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その後合流したナイジェルに、裏庭でロザリンド嬢を見かけたことだけを話した。お前の模擬剣を磨いているようだったと伝えると、彼は苦笑した。
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そんな風に言いながらも、ナイジェルの瞳の奥には妹への愛情が滲んでいた。彼の顔を見ながら、俺はさっきのロザリンド嬢の様子を思い出す。
『絶対に~無事に終わる~、お兄様は~試験を終えて元気に帰ってくる~』
(……あれは歌ではなく、まじないのつもりだったのか)
そのことを知った瞬間、俺の中に形容しがたい疼きが芽生えた。温かなそれは、ゆっくりと全身に広がっていく。
微笑みを交わす家族。互いを気遣い合う兄妹。
ハートリー伯爵一家の情の深さを眩しく思った。それとともに、ロザリンド嬢に対する、痛みとも温もりともつかないかすかな何かが波紋のように胸に広がり、しばし呼吸を忘れた。
(……あんな風に自分の気持ちを素直に兄に向けられたらいいだろうな。羨ましい兄妹仲だ)
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