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43. 伝え合う想い
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私たちは手を繋いだまま、しばらくラプル農園の散策を続けた。静かで穏やかな時間が、ゆっくりと過ぎていく。朝の光が、クライヴ様の漆黒の髪を艶やかに照らす。彼の横顔を時折盗み見ながら、私はこの二人きりの一時を噛みしめていた。
互いのことをぽつりぽつりと話していると、一層距離が縮まっていくようで嬉しい。
「……クライヴ様は、甘いものがそんなにお好きではないですよね? フルーツもですか?」
「ああ。あれば食べるが、特別好きなわけじゃない。だが、君といる時はまた別だ。二人で分け合ってラプルの菓子を食べるのは楽しい。その間、君の笑顔も見ていられるしな」
「ク、クライヴ様ったら……」
さっきからやけに甘い言葉を口にしてくださる彼に照れながら、それをごまかすようにお兄様のことを尋ねてみる。
「ハロルド様は、いかがですか? ラプルなどのフルーツはお好きでいらっしゃいますか?」
「さぁ。どうだろうな。俺は兄の好みなど、何も知らないのだ」
(……あ……)
クライヴ様のその言葉に、ふと我に返る。なんとなく、彼の口調が少し沈んだ気がした。
「……ごめんなさい。余計なことを聞いてしまいました」
「いや、構わない」
クライヴ様はそう答え、私に微笑みかける。
「……うちの家族の関係性は、ハートリー伯爵一家とはまるで違う。君たちのように、食卓を囲み互いの一日の出来事を尋ねたり話したり、そんな気さくな時間は持ったことがないんだ」
「……そうなのですね」
頭の中に、まだ一度しかご挨拶したことのないサザーランド公爵夫妻の姿がよぎる。……たしかに、公爵は厳格なオーラを放つ、口数の少ない殿方だった。夫人は気品と自信に満ち溢れた、隙のない貴婦人で、うちの母のような朗らかな雰囲気ではない。
(笑顔でお喋りしながら食卓を囲む姿は、たしかに想像できないかも……)
そんなことを考えていると、クライヴ様が続ける。
「病弱な兄は、なおさらだった。そもそも、ともに食事をする機会が少なかったし、それ以外の場でも会話らしい会話を交わすことがなかった。……俺の方には兄に対する遠慮があったし、兄は兄で、俺に対する感情は単純なものではなかったと思う」
「……はい」
おっしゃりたいことは、分かる気がした。王国一歴史のある公爵家の、嫡男と次男。生まれながらに多くのものを背負いながらも、命の危機に及ぶほどの病を抱え、おそらくは何一つ満足にこなしてこられなかったであろうハロルド様。
そして、広大な公爵領の経営を学ぶ傍ら、王立学園騎士科を首席で卒業し、王国騎士団の一員としても辣腕を振るうクライヴ様。
互いが互いに向ける思いは、私のような一伯爵家の娘には到底想像し得ないものが多くあるのだろう。
だが、と、クライヴ様は続ける。
「俺は幼い頃から、唯一の兄弟である兄のことをずっと気にかけていた。ろくに会話をする機会もないままここまで来てしまったし、これが俺たちの関係なのだと、なかば諦める気持ちもあったが……」
そう語りながら、クライヴ様は私の目を優しく見つめる。
「君に出会い、何度も君と顔を合わせるうちに、徐々に気持ちが変わっていった」
「……え?」
予想もしないタイミングで自分のことを言われ、私はついとぼけた声を出してクライヴ様を見上げた。
「君のナイジェルに向ける素直な優しさや愛情が、微笑ましかった。兄のために真剣に模擬剣を磨いたり、怪我を負った兄に縋りつき、誰に憚ることもなく声を上げて泣いたりしている君の姿を目にするたびに、どうしようもなく惹かれていった。人の婚約者だと分かっていながらも、抑えられなくなるほどに」
「……っ!!」
前触れもなくあの時のことに触れられ、条件反射のように体が熱くなった。しかも……そんな私に、クライヴ様が惹かれてくださっていただなんて……。
(し……信じられない……)
かっかと火照る顔で俯きながら、私は照れをごまかすように口を開く。
「わ、私は……自分のそんな幼稚なところやみっともない姿を、クライヴ様に見られてきたことが、恥ずかしくてたまらなかったんです。忘れてしまいたいほどでした。できればクライヴ様の記憶からも早く消えてくれたらいいのにと、そう思っておりましたのに……」
すると、クライヴ様が突然ぴたりと足を止めた。そして私の手を強く握る。私はそっと顔を上げた。クライヴ様の真剣な眼差しと、視線が絡み合う。
「まさか。忘れるはずがない。俺にとっては特別な、大切な記憶の一つだ。思い返すたびに、君のことが一層愛おしくなる」
(……クライヴ様……)
真っ直ぐな言葉と視線に、体がますます熱くなった。
「ナイジェルやご両親と語り合い、屈託なく笑う君の姿を見てきて、自分と兄との関係を変えたいと思うようになったんだ。……素直で愛らしい君の笑顔が、俺は何よりも好きだ」
とめどなく与えられる情熱的な言葉で、私への想いと、ハロルド様を案じるクライヴ様の切実な気持ちが伝わってくる。
寡黙で無愛想な方だとずっと思っていたけれど、本当のクライヴ様はこんなにも愛情深い方だったのだ。
「それだけじゃない。君は……あの理不尽な要求を受けてもなお、家族のため、婚約者のためと自分を押し殺して従おうとしていた。あの男には心底腹が立ったが、君の強さと優しさには感服した」
そう言うとクライヴ様は、私と繋いでいない方の手で、熱くなった私の頬をそっと撫でた。
「これまで見てきた君のあらゆる姿が、俺の気持ちを動かしてくれた。俺も諦めて目を逸らすばかりでなく、一度きちんと兄に向き合おうと、そう思えたんだ。……ありがとう、ロザリンド嬢」
「……クライヴ様……」
胸がいっぱいになり、また視界が滲む。
私ばかりが助けられていると、ずっと思っていた。昔から無様な姿ばかりを見られ、きっと呆れられているはずなのに、それでもこんな私を婚約者に選んでくださり、それ以来ずっと守られてきているのだと。
だけどクライヴ様は、至らない私のことをこんな風に温かな目で見て、お兄様と向き合うきっかけにしてくださっていた。
(私でも、少しはクライヴ様のお役に立てていたのかな……)
そうだとしたら、こんなに嬉しいことはない。
喜びが胸を満たし、クライヴ様がたった今伝えてくださったように、私もこの想いを彼に伝えたいと思った。私がどれだけクライヴ様に救われてきたか、そのことをどんなに感謝しているか。今どれほど、幸せな日々を過ごしているか。
だけど、まだまだ未熟で経験も足りない私には、この溢れるほどの想いを目の前の彼に伝える勇気がどうしても出ない。
どんな言葉にすれば、この胸のときめきや幸福感の全てを伝えられるのかも分からない。だけど、何か伝えたい。私が今こんなにも満ち足りた気持ちにしていただいたように、私もクライヴ様に幸せをあげたい。
(で、でも……好きですとか、愛していますとか、私には背伸びしすぎじゃない……っ!?)
愛。そう。きっとこれはもう、愛なんだろうけど。
だけど、この胸を満たして溢れるほどの想いは、簡単に口をついて出てはくれない。
「そろそろ行こうか、ロザリンド嬢」
「……は、はいっ」
まごまごしているうちに、ついにクライヴ様が馬車へと引き返そうと歩きはじめた。
私の手を、しっかりと握ったまま。
引かれるままに少し後ろを歩きながら、私の心臓は破裂寸前だった。勇気を振り絞って、どうにかこの想いを伝えなければ……!
二人きりでいる時が幸せ。あなたといると安心する。それは伝えた。でももっと、もっとちゃんと私の想いが伝わる言葉を……。
「…………ク、クライヴ様……っ」
「……ん? どうした?」
彼が歩きながらこちらを振り返る。その優しい眼差しを見つめながら、私は喉を震わせ息を吸い込む。そして、今の自分に精一杯の言葉を伝えた。
「わ、私の大切な人たちは、私のことをローズと呼びます。どうぞ、クライヴ様も、……そう呼んでくださいませ……」
恥ずかしくて恥ずかしくて、顔がジンジンするほど熱くなった。たまらず顔を伏せる。もしかしたら私の体からは今、湯気が出ているかもしれない。
クライヴ様の足が止まった。私は顔を上げられずに、祈るようにそのつま先を見つめる。
しばらくすると、クライヴ様の咳払いが小さく聞こえた。
「……どうして君はそんなに可愛いんだ」
「……へっ?」
予想外の言葉に、つい間の抜けた声を出し、私はそっと顔を上げた。
向こうを向いているクライヴ様の耳朶と首筋が、ほんのりと赤い。
「ありがとう。……行こう、ローズ」
「…………は、はい……」
初めてその名で呼ばれ、世界が一瞬時を止めた。
次の瞬間、足元がふわりと浮き、あたりがきらきらと桃色に染まっていく。
心臓がきゅうっと音を立て、私はクライヴ様に手を引かれながら、腰が抜けてしまわないよう一歩一歩踏みしめながら歩いたのだった。
互いのことをぽつりぽつりと話していると、一層距離が縮まっていくようで嬉しい。
「……クライヴ様は、甘いものがそんなにお好きではないですよね? フルーツもですか?」
「ああ。あれば食べるが、特別好きなわけじゃない。だが、君といる時はまた別だ。二人で分け合ってラプルの菓子を食べるのは楽しい。その間、君の笑顔も見ていられるしな」
「ク、クライヴ様ったら……」
さっきからやけに甘い言葉を口にしてくださる彼に照れながら、それをごまかすようにお兄様のことを尋ねてみる。
「ハロルド様は、いかがですか? ラプルなどのフルーツはお好きでいらっしゃいますか?」
「さぁ。どうだろうな。俺は兄の好みなど、何も知らないのだ」
(……あ……)
クライヴ様のその言葉に、ふと我に返る。なんとなく、彼の口調が少し沈んだ気がした。
「……ごめんなさい。余計なことを聞いてしまいました」
「いや、構わない」
クライヴ様はそう答え、私に微笑みかける。
「……うちの家族の関係性は、ハートリー伯爵一家とはまるで違う。君たちのように、食卓を囲み互いの一日の出来事を尋ねたり話したり、そんな気さくな時間は持ったことがないんだ」
「……そうなのですね」
頭の中に、まだ一度しかご挨拶したことのないサザーランド公爵夫妻の姿がよぎる。……たしかに、公爵は厳格なオーラを放つ、口数の少ない殿方だった。夫人は気品と自信に満ち溢れた、隙のない貴婦人で、うちの母のような朗らかな雰囲気ではない。
(笑顔でお喋りしながら食卓を囲む姿は、たしかに想像できないかも……)
そんなことを考えていると、クライヴ様が続ける。
「病弱な兄は、なおさらだった。そもそも、ともに食事をする機会が少なかったし、それ以外の場でも会話らしい会話を交わすことがなかった。……俺の方には兄に対する遠慮があったし、兄は兄で、俺に対する感情は単純なものではなかったと思う」
「……はい」
おっしゃりたいことは、分かる気がした。王国一歴史のある公爵家の、嫡男と次男。生まれながらに多くのものを背負いながらも、命の危機に及ぶほどの病を抱え、おそらくは何一つ満足にこなしてこられなかったであろうハロルド様。
そして、広大な公爵領の経営を学ぶ傍ら、王立学園騎士科を首席で卒業し、王国騎士団の一員としても辣腕を振るうクライヴ様。
互いが互いに向ける思いは、私のような一伯爵家の娘には到底想像し得ないものが多くあるのだろう。
だが、と、クライヴ様は続ける。
「俺は幼い頃から、唯一の兄弟である兄のことをずっと気にかけていた。ろくに会話をする機会もないままここまで来てしまったし、これが俺たちの関係なのだと、なかば諦める気持ちもあったが……」
そう語りながら、クライヴ様は私の目を優しく見つめる。
「君に出会い、何度も君と顔を合わせるうちに、徐々に気持ちが変わっていった」
「……え?」
予想もしないタイミングで自分のことを言われ、私はついとぼけた声を出してクライヴ様を見上げた。
「君のナイジェルに向ける素直な優しさや愛情が、微笑ましかった。兄のために真剣に模擬剣を磨いたり、怪我を負った兄に縋りつき、誰に憚ることもなく声を上げて泣いたりしている君の姿を目にするたびに、どうしようもなく惹かれていった。人の婚約者だと分かっていながらも、抑えられなくなるほどに」
「……っ!!」
前触れもなくあの時のことに触れられ、条件反射のように体が熱くなった。しかも……そんな私に、クライヴ様が惹かれてくださっていただなんて……。
(し……信じられない……)
かっかと火照る顔で俯きながら、私は照れをごまかすように口を開く。
「わ、私は……自分のそんな幼稚なところやみっともない姿を、クライヴ様に見られてきたことが、恥ずかしくてたまらなかったんです。忘れてしまいたいほどでした。できればクライヴ様の記憶からも早く消えてくれたらいいのにと、そう思っておりましたのに……」
すると、クライヴ様が突然ぴたりと足を止めた。そして私の手を強く握る。私はそっと顔を上げた。クライヴ様の真剣な眼差しと、視線が絡み合う。
「まさか。忘れるはずがない。俺にとっては特別な、大切な記憶の一つだ。思い返すたびに、君のことが一層愛おしくなる」
(……クライヴ様……)
真っ直ぐな言葉と視線に、体がますます熱くなった。
「ナイジェルやご両親と語り合い、屈託なく笑う君の姿を見てきて、自分と兄との関係を変えたいと思うようになったんだ。……素直で愛らしい君の笑顔が、俺は何よりも好きだ」
とめどなく与えられる情熱的な言葉で、私への想いと、ハロルド様を案じるクライヴ様の切実な気持ちが伝わってくる。
寡黙で無愛想な方だとずっと思っていたけれど、本当のクライヴ様はこんなにも愛情深い方だったのだ。
「それだけじゃない。君は……あの理不尽な要求を受けてもなお、家族のため、婚約者のためと自分を押し殺して従おうとしていた。あの男には心底腹が立ったが、君の強さと優しさには感服した」
そう言うとクライヴ様は、私と繋いでいない方の手で、熱くなった私の頬をそっと撫でた。
「これまで見てきた君のあらゆる姿が、俺の気持ちを動かしてくれた。俺も諦めて目を逸らすばかりでなく、一度きちんと兄に向き合おうと、そう思えたんだ。……ありがとう、ロザリンド嬢」
「……クライヴ様……」
胸がいっぱいになり、また視界が滲む。
私ばかりが助けられていると、ずっと思っていた。昔から無様な姿ばかりを見られ、きっと呆れられているはずなのに、それでもこんな私を婚約者に選んでくださり、それ以来ずっと守られてきているのだと。
だけどクライヴ様は、至らない私のことをこんな風に温かな目で見て、お兄様と向き合うきっかけにしてくださっていた。
(私でも、少しはクライヴ様のお役に立てていたのかな……)
そうだとしたら、こんなに嬉しいことはない。
喜びが胸を満たし、クライヴ様がたった今伝えてくださったように、私もこの想いを彼に伝えたいと思った。私がどれだけクライヴ様に救われてきたか、そのことをどんなに感謝しているか。今どれほど、幸せな日々を過ごしているか。
だけど、まだまだ未熟で経験も足りない私には、この溢れるほどの想いを目の前の彼に伝える勇気がどうしても出ない。
どんな言葉にすれば、この胸のときめきや幸福感の全てを伝えられるのかも分からない。だけど、何か伝えたい。私が今こんなにも満ち足りた気持ちにしていただいたように、私もクライヴ様に幸せをあげたい。
(で、でも……好きですとか、愛していますとか、私には背伸びしすぎじゃない……っ!?)
愛。そう。きっとこれはもう、愛なんだろうけど。
だけど、この胸を満たして溢れるほどの想いは、簡単に口をついて出てはくれない。
「そろそろ行こうか、ロザリンド嬢」
「……は、はいっ」
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私の手を、しっかりと握ったまま。
引かれるままに少し後ろを歩きながら、私の心臓は破裂寸前だった。勇気を振り絞って、どうにかこの想いを伝えなければ……!
二人きりでいる時が幸せ。あなたといると安心する。それは伝えた。でももっと、もっとちゃんと私の想いが伝わる言葉を……。
「…………ク、クライヴ様……っ」
「……ん? どうした?」
彼が歩きながらこちらを振り返る。その優しい眼差しを見つめながら、私は喉を震わせ息を吸い込む。そして、今の自分に精一杯の言葉を伝えた。
「わ、私の大切な人たちは、私のことをローズと呼びます。どうぞ、クライヴ様も、……そう呼んでくださいませ……」
恥ずかしくて恥ずかしくて、顔がジンジンするほど熱くなった。たまらず顔を伏せる。もしかしたら私の体からは今、湯気が出ているかもしれない。
クライヴ様の足が止まった。私は顔を上げられずに、祈るようにそのつま先を見つめる。
しばらくすると、クライヴ様の咳払いが小さく聞こえた。
「……どうして君はそんなに可愛いんだ」
「……へっ?」
予想外の言葉に、つい間の抜けた声を出し、私はそっと顔を上げた。
向こうを向いているクライヴ様の耳朶と首筋が、ほんのりと赤い。
「ありがとう。……行こう、ローズ」
「…………は、はい……」
初めてその名で呼ばれ、世界が一瞬時を止めた。
次の瞬間、足元がふわりと浮き、あたりがきらきらと桃色に染まっていく。
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