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51. 策略
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(ル……ルパート様……!?)
この王宮に絶対にいるはずのない、かつての婚約者の姿に、私は呆然とした。王女に負けず劣らず風貌の変わってしまった彼は、現れた瞬間、怨嗟のこもった視線で私を見定めた。
開いた扉から差し込む隣の部屋の灯りで、彼の姿がくっきりと照らし出される。髪は伸び放題で、整ったその顔はげっそりとやつれ、肌には疲れの色が濃く滲んでいた。無精髭まで生えていて、清潔感がまるでない。
身に着けているシャツのくたびれた様子と糸のほつれが、彼の置かれている今の状況を物語っていた。
「……随分とまぁ、エメライン王女殿下に向かって生意気な口をきいたものだな、ローズ」
「……っ」
ぞっとするほど恨みがましいその声は、別人のようにしゃがれていた。彼は一歩一歩、ゆっくりとこちらに近付いてくる。恐怖で全身に鳥肌が立ち、喉が押しつぶされたように呼吸が苦しくなる。無意識に後ずさる私を、王女は扉のそばに立ったままじっと見ていた。
「クライヴ様のお心に惹かれた……? 皆違う傷を抱え、違う未来へと進む……? ふ、ふはは……偉そうに……! 上手いことサザーランド公爵令息の婚約者の座を得たものだから、そんな綺麗事を言っていられるんだろう。でもな、お前のせいでこの僕は……何もかも失ったんだぞ!! 僕も! 我がフラフィントン侯爵家も! お前のせいで!!」
突然激昂し大声を張り上げたルパート様の剣幕に、私の全身がびくりと震えた。私のせい……?
「なぜ……それが私のせいになるのですか……」
こちらも刺激してはいけない雰囲気だけれど、助けが来るまで時間を稼がなくてはいけない。王女が彼を招き入れたのは、間違いないだろう。先ほどの呼びかけと、今平然と突っ立っている彼女の姿が、それをはっきりと示していた。
王妃陛下の名を騙ってまで、なぜ私は今日、この場に呼び出されたのか。これから私は、この二人に何をされるのか。
考えるのも恐ろしかった。
「なぜだと……? よくもこの期に及んで、僕にそんなことを聞けたものだな。お前さえ大人しくしていれば、僕は王女殿下の専属護衛騎士に選ばれていたんだ。王女殿下は、この僕に特別目をかけてくださっていた。お前さえ邪魔しなければ……僕にもフラフィントン侯爵家にも、輝かしい未来が待っていたはずだったのに……!」
ルパート様のその言葉に、私は思わず奥にいる王女に視線を送る。彼女はルパート様の背後から、冷めきった目でこちらを見ていた。……ルパート様は、奥の部屋で王女と私の会話を聞いていたはずだ。特別目をかけられてなどいなかったことに、それでもまだ気付かないのだろうか。王女は幼き日に恋をした護衛騎士の面影を追い求め、そしてクライヴ様こそを運命の騎士だと思い込んだのだ。ルパート様をはじめとする取り巻きたちは、皆ただの代用品にされていただけなのに。
自分だけは特別だったはずと思い込んでいるのか、そう信じたいのか。
彼がじわじわと距離を詰めてくる分、私も同じペースで後ろに下がる。椅子の足にぶつかりよろめいて、慌てて体勢を立て直した。
その時、突然王女が口を開いた。
「あなたはね、ロザリンドさん。今からここで大切なものを失うのよ。乙女として、貴族令嬢として、決して失ってはいけないものをね。……お分かりでしょう?」
「……王女……殿下……」
彼女の言葉に全身の力が抜け、今にも頽れそうだった。心臓が凄まじい速さで脈打ち、呼吸がますます浅く、荒くなる。考えたくなくて目を逸らしていた一つの可能性が的中していたと、理解するほかなかった。
王女の唇がゆっくりと弧を描く。そして彼女は、まるで女神のような美しい笑みを浮かべた。
「フラフィントン様と二人きりの時間を過ごしてしまったあなたは、クライヴ様からの信頼も失う。彼はあなたを手放すわね。……ふふ、そんなお顔なさらないで。大丈夫よ。あなたはただ……喉を潰して惨めに泣いていればいいの」
「ローズ……。今うちがどういう状況か、お前に想像できるか? お前との婚約破棄を一方的に俺のせいにされ、お前の家に莫大な賠償金を支払わされた。さらにサザーランド公爵家から見限られたせいで、ほぼ全ての取引先を失った。フラフィントン侯爵家の実績も信頼も崩壊したんだ! 父は激怒し、俺を見限った。生活は激変したんだ……。債権者たちからの督促の嵐で、やがて父は心労の末倒れ、母はずっと泣いてばかりだ。家臣や使用人たちも次々と去り……もうめちゃくちゃだ……!」
叫ぶようにそう訴えながら、ルパート様が私との距離を詰める。後ずさっていた私の背中が、ついに部屋の壁にぶつかった。
(一方的に俺のせいにされ、って何? この人はこの期に及んで、自分を被害者だとでも思っているの……?)
「ル……ルパート様……止めてください!」
「なぜ僕だけが地獄に落ちなきゃいけないんだ……! ローズ、お前も来い。僕たちは婚約者だったんだ。僕が落ちるところには、お前だって来るべきなんだ!!」
そう言った直後、ルパート様の手がこちらに伸びてきた。
(どうして私が、この人と一緒に落ちなきゃいけないの……!? 王女殿下に気に入られたいがために私をないがしろにして、屈辱的な命令を突きつけ、辛い学園生活を強いた、こんな男と……!)
追いつめられた私に、突如恐怖を上回るほどの怒りが湧いてきた。勢いのままに、私は咄嗟にルパート様の手を払いのけた。
「触らないで……!!」
すると、無我夢中で振りかぶった私の左手が、ルパート様の手のみならず顔面にも直撃した。
「つ……っ!!」
(あ……)
一瞬我に返った、その時だった。
束の間怯んだルパート様が、鋭い視線で私を睨みつけた。そして片腕で私の体を抱き寄せるように摑むと、もう片方の手で私の口を強く塞いだ。
「──っ!!」
驚いて硬直した私は、次の瞬間、彼の腕から逃れようとがむしゃらに暴れた。けれど動きを抑えられ、抜け出すことができない。
「そのまましばらくお口を塞いでいてね、フラフィントン様。あたくしは部屋を出るわ。二人きりになっていただかなきゃね」
向こうの方から王女がそう言う声が聞こえる。絶望した私の目から、涙が溢れた。
「あたくしが扉を閉めてここから離れるまで、声を出させてはダメよ」
扉がカチャリと音を立てた。私の口を塞ぐルパート様の手の力が強くなる。私は泣きながらも、その腕に必死で爪を立てた。
「途中で止めないで、最後まで忠誠を示してね。そうすれば、あたくしがあなたを支援して差し上げるから。あなたを引き上げる方法なんて、いくらでもあるのだもの。ふふ」
部屋の空気が揺らぎ、扉が開いた気配がした。
次の瞬間。
「──きゃあっ!」
(……っ!?)
エメライン王女の細い叫び声とともに、どさりと大きな物音がした。
この王宮に絶対にいるはずのない、かつての婚約者の姿に、私は呆然とした。王女に負けず劣らず風貌の変わってしまった彼は、現れた瞬間、怨嗟のこもった視線で私を見定めた。
開いた扉から差し込む隣の部屋の灯りで、彼の姿がくっきりと照らし出される。髪は伸び放題で、整ったその顔はげっそりとやつれ、肌には疲れの色が濃く滲んでいた。無精髭まで生えていて、清潔感がまるでない。
身に着けているシャツのくたびれた様子と糸のほつれが、彼の置かれている今の状況を物語っていた。
「……随分とまぁ、エメライン王女殿下に向かって生意気な口をきいたものだな、ローズ」
「……っ」
ぞっとするほど恨みがましいその声は、別人のようにしゃがれていた。彼は一歩一歩、ゆっくりとこちらに近付いてくる。恐怖で全身に鳥肌が立ち、喉が押しつぶされたように呼吸が苦しくなる。無意識に後ずさる私を、王女は扉のそばに立ったままじっと見ていた。
「クライヴ様のお心に惹かれた……? 皆違う傷を抱え、違う未来へと進む……? ふ、ふはは……偉そうに……! 上手いことサザーランド公爵令息の婚約者の座を得たものだから、そんな綺麗事を言っていられるんだろう。でもな、お前のせいでこの僕は……何もかも失ったんだぞ!! 僕も! 我がフラフィントン侯爵家も! お前のせいで!!」
突然激昂し大声を張り上げたルパート様の剣幕に、私の全身がびくりと震えた。私のせい……?
「なぜ……それが私のせいになるのですか……」
こちらも刺激してはいけない雰囲気だけれど、助けが来るまで時間を稼がなくてはいけない。王女が彼を招き入れたのは、間違いないだろう。先ほどの呼びかけと、今平然と突っ立っている彼女の姿が、それをはっきりと示していた。
王妃陛下の名を騙ってまで、なぜ私は今日、この場に呼び出されたのか。これから私は、この二人に何をされるのか。
考えるのも恐ろしかった。
「なぜだと……? よくもこの期に及んで、僕にそんなことを聞けたものだな。お前さえ大人しくしていれば、僕は王女殿下の専属護衛騎士に選ばれていたんだ。王女殿下は、この僕に特別目をかけてくださっていた。お前さえ邪魔しなければ……僕にもフラフィントン侯爵家にも、輝かしい未来が待っていたはずだったのに……!」
ルパート様のその言葉に、私は思わず奥にいる王女に視線を送る。彼女はルパート様の背後から、冷めきった目でこちらを見ていた。……ルパート様は、奥の部屋で王女と私の会話を聞いていたはずだ。特別目をかけられてなどいなかったことに、それでもまだ気付かないのだろうか。王女は幼き日に恋をした護衛騎士の面影を追い求め、そしてクライヴ様こそを運命の騎士だと思い込んだのだ。ルパート様をはじめとする取り巻きたちは、皆ただの代用品にされていただけなのに。
自分だけは特別だったはずと思い込んでいるのか、そう信じたいのか。
彼がじわじわと距離を詰めてくる分、私も同じペースで後ろに下がる。椅子の足にぶつかりよろめいて、慌てて体勢を立て直した。
その時、突然王女が口を開いた。
「あなたはね、ロザリンドさん。今からここで大切なものを失うのよ。乙女として、貴族令嬢として、決して失ってはいけないものをね。……お分かりでしょう?」
「……王女……殿下……」
彼女の言葉に全身の力が抜け、今にも頽れそうだった。心臓が凄まじい速さで脈打ち、呼吸がますます浅く、荒くなる。考えたくなくて目を逸らしていた一つの可能性が的中していたと、理解するほかなかった。
王女の唇がゆっくりと弧を描く。そして彼女は、まるで女神のような美しい笑みを浮かべた。
「フラフィントン様と二人きりの時間を過ごしてしまったあなたは、クライヴ様からの信頼も失う。彼はあなたを手放すわね。……ふふ、そんなお顔なさらないで。大丈夫よ。あなたはただ……喉を潰して惨めに泣いていればいいの」
「ローズ……。今うちがどういう状況か、お前に想像できるか? お前との婚約破棄を一方的に俺のせいにされ、お前の家に莫大な賠償金を支払わされた。さらにサザーランド公爵家から見限られたせいで、ほぼ全ての取引先を失った。フラフィントン侯爵家の実績も信頼も崩壊したんだ! 父は激怒し、俺を見限った。生活は激変したんだ……。債権者たちからの督促の嵐で、やがて父は心労の末倒れ、母はずっと泣いてばかりだ。家臣や使用人たちも次々と去り……もうめちゃくちゃだ……!」
叫ぶようにそう訴えながら、ルパート様が私との距離を詰める。後ずさっていた私の背中が、ついに部屋の壁にぶつかった。
(一方的に俺のせいにされ、って何? この人はこの期に及んで、自分を被害者だとでも思っているの……?)
「ル……ルパート様……止めてください!」
「なぜ僕だけが地獄に落ちなきゃいけないんだ……! ローズ、お前も来い。僕たちは婚約者だったんだ。僕が落ちるところには、お前だって来るべきなんだ!!」
そう言った直後、ルパート様の手がこちらに伸びてきた。
(どうして私が、この人と一緒に落ちなきゃいけないの……!? 王女殿下に気に入られたいがために私をないがしろにして、屈辱的な命令を突きつけ、辛い学園生活を強いた、こんな男と……!)
追いつめられた私に、突如恐怖を上回るほどの怒りが湧いてきた。勢いのままに、私は咄嗟にルパート様の手を払いのけた。
「触らないで……!!」
すると、無我夢中で振りかぶった私の左手が、ルパート様の手のみならず顔面にも直撃した。
「つ……っ!!」
(あ……)
一瞬我に返った、その時だった。
束の間怯んだルパート様が、鋭い視線で私を睨みつけた。そして片腕で私の体を抱き寄せるように摑むと、もう片方の手で私の口を強く塞いだ。
「──っ!!」
驚いて硬直した私は、次の瞬間、彼の腕から逃れようとがむしゃらに暴れた。けれど動きを抑えられ、抜け出すことができない。
「そのまましばらくお口を塞いでいてね、フラフィントン様。あたくしは部屋を出るわ。二人きりになっていただかなきゃね」
向こうの方から王女がそう言う声が聞こえる。絶望した私の目から、涙が溢れた。
「あたくしが扉を閉めてここから離れるまで、声を出させてはダメよ」
扉がカチャリと音を立てた。私の口を塞ぐルパート様の手の力が強くなる。私は泣きながらも、その腕に必死で爪を立てた。
「途中で止めないで、最後まで忠誠を示してね。そうすれば、あたくしがあなたを支援して差し上げるから。あなたを引き上げる方法なんて、いくらでもあるのだもの。ふふ」
部屋の空気が揺らぎ、扉が開いた気配がした。
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「──きゃあっ!」
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