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第2話「後輩という存在」
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第2話「後輩という存在」
「課長、これでよろしいでしょうか」
デスクの横に立った桜井みなみが、書類を差し出してきた。俺は画面から目を離して、彼女を見上げる。
「ああ、ありがとう。ちょっと待ってて」
書類に目を通す。新人にしては丁寧な仕事だ。ミスもない。
「うん、これで大丈夫。助かるよ」
「本当ですか!よかったです」
みなみは満面の笑みを浮かべる。二十四歳。俺より八つ下。大学を出てこの春に入社してきた新人だ。明るくて、素直で、よく笑う。
「桜井さん、飲み込み早いね。もう一人で任せられそう」
「先輩が教えるの上手だからですよ」
そう言って、彼女はまた笑う。
俺は少し照れくさくなって、視線を画面に戻す。
「じゃあ、これ進めといて」
「はい!」
みなみは自分のデスクに戻っていく。その後ろ姿を、俺は何となく目で追ってしまう。
IT企業で働き始めて十年。プロジェクトマネージャーとして、いくつものチームを率いてきた。仕事は嫌いじゃない。むしろ好きだ。でも、最近は刺激がない。
結婚して四年。美咲との生活も、仕事も、すべてがルーティン化している。
「田中さん、ランチ行きます?」
同僚の佐藤が声をかけてきた。
「ああ、行く行く」
いつものメンバーで社食へ向かう。途中、みなみが先輩社員と楽しそうに話しているのが見えた。彼女は誰とでもすぐに打ち解ける。羨ましい能力だ。
ランチを食べながら、佐藤が言う。
「桜井さん、可愛いよな」
「ああ、明るいし仕事もできるし」
「田中さん、教育係だっけ?」
「まあ、一応」
「いいなあ。俺も新人の面倒見たかった」
佐藤は独身で、すぐ女の子の話をする。俺は適当に相槌を打ちながら、カレーを口に運ぶ。
「田中さんは結婚してるから関係ないか」
「そうだな」
でも、正直に言えば、みなみに教えるのは悪くない。彼女は俺の話をちゃんと聞いてくれるし、「すごいですね」「さすがです」と言ってくれる。
美咲は最近、俺の話をあまり聞かない。仕事の愚痴を言っても、「ふーん」で終わる。
午後、みなみが俺のデスクにやってきた。
「田中さん、ちょっといいですか」
「どうした?」
「このデータの見方が分からなくて…」
俺は彼女の横に立って、画面を覗き込む。近い。彼女の髪からシャンプーの香りがする。
「ああ、ここはこうやって見るんだよ」
マウスを操作しながら説明する。みなみは真剣な顔で聞いている。
「なるほど!分かりました。ありがとうございます」
「分からないことあったら、いつでも聞いて」
「はい。先輩、優しいですね」
その言葉に、俺の心臓が少しだけ跳ねた。
優しい。
美咲は最近、俺にそんなこと言わない。
仕事が終わって、帰宅する。夜九時過ぎ。
「ただいま」
リビングでは美咲がソファに座ってテレビを見ていた。顔も上げない。
「おかえり」
俺はそのままシャワーを浴びに行く。熱い湯を浴びながら、今日のことを思い返す。みなみの笑顔。「優しいですね」という言葉。
別に、何も考えてないけど。
でも、悪い気はしなかった。
シャワーから上がって、リビングに戻る。美咲は相変わらずテレビを見ている。
「明日も早いから、先に寝るわ」
「うん」
それだけ。
俺は寝室へ向かい、ベッドに入る。スマホを見る。LINEを開くと、会社のグループチャットにみなみのメッセージが入っていた。
『今日もありがとうございました!明日もよろしくお願いします』
スタンプ付き。笑顔の犬。
俺は既読をつけて、画面を閉じる。
しばらくして、美咲が寝室に入ってきた。
「風呂、入った?」
「うん」
彼女はベッドに入り、電気を消す。
暗闇の中で、俺は美咲の気配を感じる。
そして、なぜか今日は抱きたくなった。
理由は分からない。ただ、何となく。
俺は美咲の腰に手を伸ばす。彼女は何も言わずに、身を委ねてくる。
いつものように、スムーズに事が進む。でも、頭の中はぼんやりしている。
終わった後、俺はすぐに眠くなった。
「疲れた」
そう言って、目を閉じる。
美咲が何か考えているのは分かる。でも、訊かない。訊いても、どうせ答えは返ってこない。
翌朝、また同じ日常が始まる。
「おはよう」
「おはよう。ゴミ、出しといて」
「了解」
美咲の淹れたコーヒーを飲みながら、スマホでニュースをチェックする。
会社に行けば、みなみがいる。
家に帰れば、美咲がいる。
どちらも悪くない。
でも、何かが足りない気がする。
「課長、これでよろしいでしょうか」
デスクの横に立った桜井みなみが、書類を差し出してきた。俺は画面から目を離して、彼女を見上げる。
「ああ、ありがとう。ちょっと待ってて」
書類に目を通す。新人にしては丁寧な仕事だ。ミスもない。
「うん、これで大丈夫。助かるよ」
「本当ですか!よかったです」
みなみは満面の笑みを浮かべる。二十四歳。俺より八つ下。大学を出てこの春に入社してきた新人だ。明るくて、素直で、よく笑う。
「桜井さん、飲み込み早いね。もう一人で任せられそう」
「先輩が教えるの上手だからですよ」
そう言って、彼女はまた笑う。
俺は少し照れくさくなって、視線を画面に戻す。
「じゃあ、これ進めといて」
「はい!」
みなみは自分のデスクに戻っていく。その後ろ姿を、俺は何となく目で追ってしまう。
IT企業で働き始めて十年。プロジェクトマネージャーとして、いくつものチームを率いてきた。仕事は嫌いじゃない。むしろ好きだ。でも、最近は刺激がない。
結婚して四年。美咲との生活も、仕事も、すべてがルーティン化している。
「田中さん、ランチ行きます?」
同僚の佐藤が声をかけてきた。
「ああ、行く行く」
いつものメンバーで社食へ向かう。途中、みなみが先輩社員と楽しそうに話しているのが見えた。彼女は誰とでもすぐに打ち解ける。羨ましい能力だ。
ランチを食べながら、佐藤が言う。
「桜井さん、可愛いよな」
「ああ、明るいし仕事もできるし」
「田中さん、教育係だっけ?」
「まあ、一応」
「いいなあ。俺も新人の面倒見たかった」
佐藤は独身で、すぐ女の子の話をする。俺は適当に相槌を打ちながら、カレーを口に運ぶ。
「田中さんは結婚してるから関係ないか」
「そうだな」
でも、正直に言えば、みなみに教えるのは悪くない。彼女は俺の話をちゃんと聞いてくれるし、「すごいですね」「さすがです」と言ってくれる。
美咲は最近、俺の話をあまり聞かない。仕事の愚痴を言っても、「ふーん」で終わる。
午後、みなみが俺のデスクにやってきた。
「田中さん、ちょっといいですか」
「どうした?」
「このデータの見方が分からなくて…」
俺は彼女の横に立って、画面を覗き込む。近い。彼女の髪からシャンプーの香りがする。
「ああ、ここはこうやって見るんだよ」
マウスを操作しながら説明する。みなみは真剣な顔で聞いている。
「なるほど!分かりました。ありがとうございます」
「分からないことあったら、いつでも聞いて」
「はい。先輩、優しいですね」
その言葉に、俺の心臓が少しだけ跳ねた。
優しい。
美咲は最近、俺にそんなこと言わない。
仕事が終わって、帰宅する。夜九時過ぎ。
「ただいま」
リビングでは美咲がソファに座ってテレビを見ていた。顔も上げない。
「おかえり」
俺はそのままシャワーを浴びに行く。熱い湯を浴びながら、今日のことを思い返す。みなみの笑顔。「優しいですね」という言葉。
別に、何も考えてないけど。
でも、悪い気はしなかった。
シャワーから上がって、リビングに戻る。美咲は相変わらずテレビを見ている。
「明日も早いから、先に寝るわ」
「うん」
それだけ。
俺は寝室へ向かい、ベッドに入る。スマホを見る。LINEを開くと、会社のグループチャットにみなみのメッセージが入っていた。
『今日もありがとうございました!明日もよろしくお願いします』
スタンプ付き。笑顔の犬。
俺は既読をつけて、画面を閉じる。
しばらくして、美咲が寝室に入ってきた。
「風呂、入った?」
「うん」
彼女はベッドに入り、電気を消す。
暗闇の中で、俺は美咲の気配を感じる。
そして、なぜか今日は抱きたくなった。
理由は分からない。ただ、何となく。
俺は美咲の腰に手を伸ばす。彼女は何も言わずに、身を委ねてくる。
いつものように、スムーズに事が進む。でも、頭の中はぼんやりしている。
終わった後、俺はすぐに眠くなった。
「疲れた」
そう言って、目を閉じる。
美咲が何か考えているのは分かる。でも、訊かない。訊いても、どうせ答えは返ってこない。
翌朝、また同じ日常が始まる。
「おはよう」
「おはよう。ゴミ、出しといて」
「了解」
美咲の淹れたコーヒーを飲みながら、スマホでニュースをチェックする。
会社に行けば、みなみがいる。
家に帰れば、美咲がいる。
どちらも悪くない。
でも、何かが足りない気がする。
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