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αとβじゃ番えない
しおりを挟む──番とは
心と身体を縛る、運命の契約。
それが許されているのは当然、αとΩのみである。
*****
現在、日本の社交界は大きく三つの派閥に分かれている。
一族に渡って国内外の幅広い事業を手掛け、日本国民においてその名を知らぬ者はいない“遠千堂”。
半導体産業を牛耳り、IT分野の進歩と共に国内随一のマネーパワーを手に入れた“神名狩”。
そして、個の財力では他の二家に劣るも、奈良時代から続く由緒ある家柄と長い歴史の中で培われた人脈により、No.1の家格と権力を誇る“松ノ御”。
此処は、各界の重鎮や大企業の幹部等大物達の子が通う学園である。将来の日本を背負う上流階級のエリートαが大多数を占めるこの学園では、社交界の縮図が明確なヒエラルキーとして存在した。
──その一歩が踏み出された途端、彼らの行く先を邪魔すまいと人垣が割れる。広い道の中央はたった二人のために明け渡された。
身に付けたアクセサリーにも負けぬギラギラしたオーラを放つのは、遠千堂グループの次期トップ 遠千堂 緋知。
反対に、高校生とは思えない静謐な雰囲気を纏うのは、神名狩家の一人息子 神名狩 符良。
選ばれし者のみが通う学園とあれど、この二人は家柄もαとしても別格だった。上に立つ人間として生まれてきた者達に、喜んで頭を垂れさせるほどに。
「おはようございます遠千堂様!」
「神名狩様、おはようございます」
たとえ挨拶に一瞥すら貰えなくとも、熱狂せずにはいられない。それが美しい容姿へのミーハー心か、権力への媚か、本能の服従かは知らないが、ともかく彼らは学園中の憧れを一身に集めている。
男女問わず向けられる熱視線をものともしない二人は、校門の前で仁王像のように佇んだ。時刻は予鈴が鳴る五分前。この時間、遠千堂と神名狩の間を通り抜けられるのはただ一人のみ。
スゥーっと滑らかに停車した高級車から降りた男は、集う人々へにこりと微笑んだ。
「おはよう、みんな」
人混みに紛れれば一瞬で見失ってしまいそうな平凡顔。威厳もカリスマ性も感じないが、間違いなく社交界の頂点、松ノ御家長男 松ノ御 十全 その人だ。
彼が現れた途端、緋知と符良の表情がへにゃりと崩れた。先程までの貫禄をどこへ飛ばしたのか、「十全十全~!」と抱き付き首筋に頭をうずめてぐりぐり甘える。幸せそうに溶ける背後にはハートが乱舞していた。
この三人が幼なじみなのは有名な話。さぞかし高貴な関係だろうと思いきや、実態はご主人が大好きで仕方ない犬と手を焼く飼い主だ。慣れた手付きで二人を引き剥がした十全は、何事も無かったかのように校舎へ歩き出す。
「十全おはよう。今日も好き、愛してる」
「ハイハイおはよう」
「十全くん、僕にも好きって言って」
「誰にも言ってないからね、俺『おはよう』しか言ってないからね」
隙あらば纏わりつこうとする腕を払い除け、げんなりする表情をなんとか取り繕う。毎日毎日よく飽きない事で。
*****
三大派閥の昼食は特別に用意された食堂の二階席でとる。彼らと同じ空間で食事なんて荷が重い、という生徒達の切実な願いによるものだ。そこそこ広いにも関わらずピトッとくっついてくる両脇に、椅子をソファにした事を心底後悔する。
「なぁ」
距離を詰めてきた緋知のキラキラフェイスを押し返しながら「何?」と尋ねれば、ナチュラルに手のひらにキスされた。最近幼なじみ達のセクハラがマジで酷い。
「俺、十全のために紅茶淹れるの練習しててさ」
「普通に話始めるんだ」
「ん? もっとキスして欲しい?」
「ごめん続けて」
「最近やっと上手く淹れられるようになったから、十全に飲んで欲しくて」
「あー……」
応える気の無い好意を受け取るのは不誠実だと思い、プレゼントなんかは基本断る事にしているけれど、まぁ紅茶くらいならいいか。忠犬のように返事を待っている緋知に「いいよ」と頷くと、パァァと表情が輝いた。ブンブン振られる尻尾の幻覚が見える。
「待ってろ! 今すぐ淹れてくる! 十全への愛情いっぱい込めるから!」
「余計なもの入れなくていいよ」
「愛してる!!」
「聞いてないなぁ」
熱烈な愛を叫びながら駆けて行く背を見送れば、残ったもう一人がスッと距離を縮めてきた。しなやかな腕が腹に回り、背後からぎゅうっと抱き締められる。
「二人きりだね」
しまった、緋知を行かせたのは悪手だったか。首付近で呼吸されるのが嫌で身を捩ると、更に拘束がキツくなった。
「符良、離して」
「嫌だよ」
誰ですか、こんなわがままに育てたのは。今度符良の両親に会ったら文句言ってやろ、なんて遠くへ恨みを飛ばしていたら、ちゅうッとうなじの辺りに吸い付かれた。ゾワゾワした感覚が這い上がり、「符良!」と強く名を呼ぶ。
「十全くん首弱いの?」
「離せ」
「ふふっ、可愛い」
「符良、いい加減にッ」
「別にいいでしょ?」
いいワケあるか。若干苛々して振り向けば、間近にある顔が思いのほか哀しそうで面食らってしまった。「だって」と吐き出される声はつい同情しそうになるほど弱々しい。
「……どうせ、十全くんとは番えないんだから」
瞳が細められ、長い睫毛が際立つ。未練がましく首に添えられる指を、振り払えるほど非情になりきれないのがもどかしい。咎められないのを良い事に、大胆になった指先がうなじに爪を立てた時、
「今すぐ離れろ抜け駆け野郎」
冷たい声と共に茶色の液体が符良に降り注いだ。見上げると、表情を削ぎ落とした緋知と逆さのカップが目に入る。
「うっわ、何するんだよ!?」
「どっかの誰かさんが俺の十全にベタベタするからですぅー」
「緋知のではない」
「うっせぇバーカ。さっさと着替えて来い」
ぶつぶつ言いながらも、既にタオルをスタンバイしてる優秀なスタッフの方へ向かう符良を見届けるなり、すかさず緋知が引っ付いてきた。
「ごめん十全、せっかく淹れたのに符良に取られた」
「明らかに自分でぶっかけてたよ」
「アイツに何された?」
「……そんな大した事はされてないから」
今すぐこの腰を撫でる手を止めて欲しい。押し退けようと伸ばした手を取られ、逆に引っ張られる。唇が付きそうなほどの至近距離で耳に声が吹き込まれた。
「嘘。ここ、赤くなってる」
ツーッとなぞられるうなじに、犯人を思い浮かべて顔をしかめた。キスマークまでつけやがったのか。
「十全、俺もキスしたい」
「ダメ」
「符良はした」
「許可は出してない」
「十全……」
「っ!」
かぷっと耳輪を喰まれ、咄嗟に絡みつく腕を払い除ける。押さえた耳は少し熱くて、誤魔化すように目の前の元凶を睨み付けた。
「緋知、そろそろ怒るよ」
「だって、十全がキスさせてくれないから」
「そもそも何でそんなにキスしたいの?」
「そんなの、」
「番の真似事なんてしても意味ない、わかってるだろ?」
そう吐き捨てると、整った顔があからさまに歪んだ。眉根を寄せた表情は苦しそうで、今にも泣くんじゃないかと思った。
「……わかってるよ」
松ノ御 十全はβだ。それはαのような華々しさも、Ωのような愛らしさもない容姿が物語っている。
優秀な子孫を残そうと、上流階級の一部ではαとΩの婚姻が暗黙の了解となっていた。αとΩの間に生まれた子は多くがα性を継ぐからだ。稀にΩが生まれることはあるが、その二人の間に平凡なβが生まれる可能性は限りなくゼロ。
だから松ノ御の長男がβと聞いた時、誰もが一度は自分の耳を疑う。しかし本人を見れば、地味としか言いようのない外見と全く香らないフェロモンに、あぁこれは確かにβだと納得せざるを得なかった。
αでない時点で十全に当主の資格は無く、松ノ御家は美しく聡明な姉が継ぐ事になっている。他の性を差別する訳ではないが、やはりαは特別なのだ。優遇されるのは仕方ない。
──そしてそれは、他の家でも同じ事。
「わかってるから、お願いしてんじゃん」
αの子を残すため、不貞による火種を生じさせないため。立場がある者ほど伴侶は番であることが望ましいと言われている。遠千堂と神名狩の名を持つ彼らに、Ω以外を選ぶなど許されていない。
「今だけだから、卒業したらちゃんと諦めるから。今だけは……、好きで居させてよ」
切実な声音に、十全は細く息を吐いた。これだから強く言えないんだ。期間限定故に必死なのだと、嫌でも伝わってくるから。普段は強引な手が、縋るように弱々しく制服の裾を握るのを見ていると「キスくらいならいいんじゃないか?」と血迷いそうになる。
「お前も近いんだよ!」
と、危うく絆されかけた所で緋知の顔面にタオルが飛んできた。視線を向ければ、振りかぶった姿勢のまま符良がこちらを睨んでいる。
「邪魔すんなよ!」
「そっちが先に邪魔したくせに? いい加減にしろよ自己中俺様!」
「痛っ、髪離せアホ! 何で今日そんな乱暴なんだ、ラットか?」
「ハァ!? いきなり紅茶掛けてくる狂人だけには言われたくないね!」
ワーワーギャーギャーとヒートアップする口喧嘩に、十全はため息を溢した。放っておけば取っ組み合いに発展しそうな二人の鼻をつまんで間に割って入る。触れた肌は少し熱くて、[[rb:発情 > ラット]]というのもあながち間違いではないかもしれない。
「二人とも興奮し過ぎ。ヒートのΩとでもすれ違った? もう少しで昼休みも終わるんだし、頭冷やしなよ」
パッと鼻を離せば、勢いを削がれた緋知と符良はすごすごソファに腰掛けた。とりあえず落ち着いてくれたみたいで良かった、この二人が仲違いなんて冗談じゃない。一歩間違えれば日本の社交界が割れる所だ。「抑制剤飲むの忘れないように」と言い置いて十全は席を立つ。
「どこ行くの」
「トイレ」
「俺も一緒に……」
「いらないよ」
ピシャリと言えば、無いはずの耳としっぽがシュンと垂れ下がった。あわあわ「ごめん」「嫌わないで」と切羽詰って言い募る様子に思わず苦笑が漏れてしまう。本当、どれだけ俺のこと好きなんだよ。
指通りの良い髪をわしゃわしゃと撫で、伺うよう見上げる瞳を覗き込んだ。一つ言っておくと、十全は彼らの事が決して嫌いではない。
「あのさ。さっきので嫌いになるほど、君達への好感度低くないから」
向こうからのアピールが凄すぎて霞みがちだが、自分だってちゃんと好きだ。勿論幼なじみとして。
ポポッと上気する頬ときらめく瞳を見て、そそくさとその場から退散する。早くしないとまた抱き着かれそうだ。
*****
ゴクン。
錠剤を水で流し込み、荒い息を吐き出しながら洗面所に手をついた。鏡に映る見慣れた平凡顔は引きっつている。
……あ、危ねぇぇぇええええ!
ヒートになりかけてたんだけど! 今度こそバレたかと思ったぁぁぁあ!
松ノ御 十全はβである。
というのは周りが勝手に勘違いしてるだけで、本当の性別はΩだ。
しかしそれには個人差があり、十全はめちゃめちゃ第二の性の影響が薄かった。フェロモンがほぼ無に等しいため容姿も美化されず、αを惹き付けるどころか気付かれもしない。ヒートは数時間で終わるし、それさえも抑制剤を飲めば無症状で乗り越えられた。普通にうなじを晒して歩ける程にはβっぽい。
とはいえΩな事実に変わりはない。極薄でもフェロモンが無い訳ではないし、鼻の良いαなら惹き寄せられる事もあるだろう。あのラットってもしかしなくても自分に誘発されたのでは……うわぁ、ごめん! 本人達には言えない謝罪を鏡の中の元凶に告げる。
──そう、緋知と符良には知られてはいけない。
だって、十全と彼らは番になれるんだもの。期限付きだと思われた恋に障壁は無く、むしろ永遠の愛を誓える稀有な存在なのだ。
あの二人にΩだとバレたら、もう逃げられない気しかしない。どちらかと結ばれて、もう一方との関係に不和が起きたらどうする。最悪、遠千堂と神名狩の軋轢を生みかねない。いや、片方が松ノ御と縁を繋ぐ時点で社交界のパワーバランスが崩壊する。
それに個人的にも、今の関係を終わらせたくなかった。単なる欲張りかもしれないけれど、緋知にも符良にも側にいて欲しい。
家の安寧のため、自分のわがままのため、この秘密は絶対に隠し通す。たとえΩの本能に抗ってでも。
ぐちゅりと股の間から聞こえる卑猥な音に、十全は奥歯を噛み締めた。
あれだけ優れたαに、あんな熱烈に愛を囁かれて、平気でいられる訳がないのだ。二人に触れられるたび、小さくとも確かに自分の中にある性が悦ぶのを感じる。腹の奥がずくんと疼いて、もういっそ愛されてしまいたいと啼く思考を懸命に理性で繋ぎ止めた。
大丈夫、学園を卒業するまでの辛抱だ。学生を終え本格的に跡取りとしての準備期間に入れば、緋知も符良も番をつくり、十全に熱を向ける事も無くなるだろう。そうすれば、晴れて自分達は後腐れない友人になれるはずなんだ。
タイムリミットまであと少し。頑張れ、松ノ御 十全。お前はあの松ノ御家の長男なのだから。
ハァと溢れた欲塗れの吐息は、勢いよく水に流した。
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