陸のくじら侍 -元禄の竜-

陸 理明

文字の大きさ
2 / 36
第一話 「くじら侍と青碕伯之進」

水死人

しおりを挟む


 土手の上に甘酒売り、鋳掛屋、近くの長屋のものらしい女房と子供など様々なものたちがたかって、小さい人の山ができていた。
 近所のものや通りすがりが野次馬となっているらしい。
 岡っ引きの徳一はそこが現場だと察した。
 少し行けば吾妻橋が見えるが、そちらには野次馬はいないようだった。

「お上の御用だ。ちょいとどいてくれや」

 わざと野次馬の群れに割り込む。
 これ以上、下の河原に降りて行かないように釘をさすためである。
 好奇心が先走って御用の邪魔をされてはたまらない。
 とはいっても十手をもった岡っ引きにわざわざ逆らうものはいないが、仕事を手早く済ませる為にも邪魔は少なければ少ない方がいい。

 徳一は土手を下り、河原へと降りていく。
 隅田川のほとりに横たえられた溺死体を顔見知りの岡っ引きや小者が囲んでいた。
 一人だけが座り込んで死体の様子を見ている。
 源三というこの浅草あたりを縄張りとしている岡っ引きだ。
 他には、八丁堀の与力はおろか同心の姿も見られない。

「ごめんなすって」

 徳一は頭を下げて合流した。

「わりいな、こんなところまで」

 源三にねぎらわれる。
 本来、徳一はこのあたりで仕事はしない。
 彼を飼っている同心が、ここしばらく別の仕事で動けないところから、臨時の助っ人として駆り出されただけである。

「別にいいぜ。八丁堀の旦那方ぁ、ここしばらくは忙しくて手が離せねえからな。溺れ死にの相手なんざしてらんねえだろう。四ツ谷と市ヶ谷の押し込みの方がどうにも終わんねえみたいだからな」
「―――まったくだ」
「どれ」

 横臥している死体は恰好からして船頭のもののようだった。
 陽に焼けた肌が黒く見える。
 溺れたときに相当苦しかったのか、目をかっぴいて恐ろしい形相をしていた。
 徳一の知っている男だった。
 源三が聞いてきた。
 
「この死骸おろくはどこのだれで? 柳橋の方の船頭じゃねえかという話だから、わざわざあんたを呼んできてもらったんだ」
「両国あたりで神田川沿いに渡しや船宿の小遣い稼ぎをやっている長助っていうもんだ。おれも顔ぐらいは知っている。泳ぎは達者なはずだ―――河童みてえだと評判だったようだからな」
「舟で商いするもんが溺れて死んだんか。因果なもんだな」
「そうだな」

 源三と情報のやり取りをしながら、徳一は十手の先で死体のあちこちをついた。
 何かおかしなことはないかと探ってみたのだ。
 背中のあたりに痣の様なものがあったが、切り傷などは見当たらないし、首を絞められたような跡もない。
 川に落ちて、水をたらふく飲んでしまったに違いない。
 徳一の見立てでは、ほぼただの溺死だ。
 同心の検屍を受けた訳ではないので、岡っ引きの立場でははっきりとはいえないが……
 
「源三さんよ。あんたはどう思う」
「まあ、十中八九、舟から落ちただけだろう。隅田川を昇って浅草近辺に客を乗せてきたってところで、運悪く落水して死んじまったってとこか。あとで河口まで人をやってこいつの舟を探してみら」

 河付近を見ても長助のものらしい舟は見当たらない。

「舟は主人を捨てて海まで行っちまったっていう訳か。まさに、河童の川流れってことかよ……あんたの言う通りに長助は運が悪かったな」

 特に今でいう事件性はない、そう岡っ引きたちは断定した。
 奉行所の同心たちを煩わすまでもなく、ただの事故なのだろう。
 あとで水死体の上がった地域を縄張りとしている源三が奉行所に報告に行けば終わる程度のものだ。

 

「―――こんなところまで海から死体を運んでくるなど、わざわざ面倒な真似をする奴がいるものだのお」

 真後ろから声がして徳一はびくりとした。
 振り返ると、すぐ後方で上から覗きこむようにして死体を眺めている男がいた。
 徳一よりも頭一つ分以上背が高い。
 一瞬、毛皮でしか見たことのない熊にでも襲われたかと錯覚したぐらいだった。
 しかも、がっちりとした岩に似た屈強な体躯のため、こんな男に傍に寄られたら気配を感じないはずがないのにしっかりと背後をとられている。
 岡っ引きの仲間内でも腕っ節には自信のある彼にとって、あまりないことだった。
 思わずひきつった声で問いかけた。

「て、てめえはなんでぇ!!」

 野次馬たちはまだ土手の上だ。
 つまり、この男はわざわざここまで徳一の言うことを聞かずに降りてきたことになる。

「わしのことは気にせんでいいぞ。わいつは岡っ引きの仕事をすればいい」

 男はのんきそうに言った。
 聞き慣れない訛りがあるので江戸の出身ではなさそうだった。

 だが、奉行所から十手を預かる以上、怪しい奴に気にするなと言われてそうですかと言えるものではない。
 徳一からすればお上の御用の邪魔をするなという意識もある。
 眼に強く力を込めて睨みつける。
 たいていの相手はこれで十分に怯むのだが……

「あんたぁ……」

 パンパンに焼けた赤銅に近い肌の色をした浪人風だった。
 眉が濃く、彫の深い剽悍な面構えをしている。
 着流しで髷を結っていない浪人風で、通常の刀とは違う革でできたらしい三尺ほどの雑な造りの鞘をぶら下げていた。
 普通の刀は二尺四寸が定寸なのでかなり長い得物のようだ。
 二本差しで、もう一本も脇差ではなく、麻袋に包まれた小刀のようであった。
 腰におかしな刀をさしている浪人風というのは、一概に侍とは断定できないおかしな雰囲気をまとっているからであり、そのおかしさを言語化できるほど徳一は頭がよろしくはなかった。
 
「いいからいいから、ゆがらは御用を果たすがいいぞ。わしは見物をしているだけだ」
「おれは邪魔だっていってんですが」
「わしは一向に構わん」

 最初、馬鹿かと思った。
 馬鹿が空気を読まずに変わったものを見物にきただけかと。
 ただ、源三はそうは思わなかったようだ。

「あんた、さっきおかしなことを言わんかったか。海からどうだとか……」
「そいがどうした」
「源三、こんなのの相手をすんな。ただの野次馬だ。―――あんた、いい加減にして下さいよ。御用の邪魔をするというのなら相応の目にあいますぜ」

 徳一としてはもう一度出来る限り目に力を入れたつもりだったが、男の方はやはりまったく怯んだ様子がない。
 もともと体格において差があるというのもありそうだが、飄々とした態度の反面、相当肝が据わっている男なのだろう。
 徳一のことをどうやら子犬に吠えかけられた程度としか思っていないような顔つきだったが、

「仕方ないのお。まあ、この場はわしが悪かったか。うむ、邪魔をしてすまなかった」

 と、頭をぼりぼりと居心地悪そうに掻いてから、それでも屈託なく笑って振り向くと立ち去って行った。
 通常のものとは全く違う刀の鞘がぶらりと揺れている。
 途中で土手の灌木に立てかけておいたらしい釣り竿を回収していく。
 ただ単に釣りにきていたのだろうか。 
 少々気になったが、第一印象でも悪党臭さはなかった。
 それよりも真面目に御用を果たすのが彼の仕事だ。
 馬鹿かもしれない浪人の相手などしていられない。

「なんだったんだ、おい……」

 愚痴りつつも再び水死体の検屍を続けようとすると、いきなり源三が立ち上がったのでまたもびっくりする。
 どいつもこいつも急に動きやがる。

「ど、どうし……」
青碕あおざきさま」

 もう一度振り向くと、同心の青碕伯之進あおざきはくのしんが立っていた。
 北町奉行所所定廻り同心であり、まだ二十歳を越えたばかりなのにやり手として知られている若者であった。
 どうやら小者をつれて臨場にきたようである。

 伯之進は瑞々しい青春の光を備えた美しい若者であった。
 しかし、その美貌の反面、源三の態度を見ればわかる通りに一筋縄でいく存在でもなかった。
 すでに四十を越えた年齢の徳一ですら、身分差を越えてやや畏敬の念を持ってしまわざるをえない同心である。
 通常、彼らは同心たちをまとめて尊敬も軽蔑も含めて「八丁堀の旦那」と呼んでいるが、伯之進だけは青碕さま呼びなのがその証拠であろう。
 
「……件の押し込みの探索のついでにここに水死体が上がったときいてね。おまえたちの様子を見に来たんだけど……」

 声もまだ若い。
 話し方からは、若干世馴れていない印象を受けるが、これでもすでに数年のお勤めの経歴をもっている。
 早世した父親に代わって元服も終わってないうちから同心になった若者なのである。
 何も知らないものからすれば世間知らずの大店の若旦那にも思えるかもしれないが、それでは岡っ引きたちの緊張の説明がつかない。
 つまりは見た目だけで判断してはいけない人物ということだ。

「さっきのは誰だい?」

 野次馬の方を指さすが、先ほどの赤銅色の男はもう姿を消していた。
 あれだけの巨躯だというのに鈍重な印象は欠片もない素早さである。

「―――さあ、ここらでは見かけんお武家でしたが」
「源三は浅草が縄張りだっけ。じゃあ、この辺の人じゃないようだね」
「へい」
「徳一はどう?」
「いや、おれも……知らねえお人でした」
「そっか……」

 伯之進はじっとそちらを見続けたまま、

「あのひと、海の匂いがしたな」

 とだけ、小さく呟いた。




しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし

かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし 長屋シリーズ一作目。 第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。 十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。 頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。 一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。

ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。 真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。 引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。 偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。 ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。 優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。 大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。

【完結】ふたつ星、輝いて 〜あやし兄弟と町娘の江戸捕物抄〜

上杉
歴史・時代
■歴史小説大賞奨励賞受賞しました!■ おりんは江戸のとある武家屋敷で下女として働く14歳の少女。ある日、突然屋敷で母の急死を告げられ、自分が花街へ売られることを知った彼女はその場から逃げだした。 母は殺されたのかもしれない――そんな絶望のどん底にいたおりんに声をかけたのは、奉行所で同心として働く有島惣次郎だった。 今も刺客の手が迫る彼女を守るため、彼の屋敷で住み込みで働くことが決まる。そこで彼の兄――有島清之進とともに生活を始めるのだが、病弱という噂とはかけ離れた腕っぷしのよさに、おりんは驚きを隠せない。 そうしてともに生活しながら少しづつ心を開いていった――その矢先のことだった。 母の命を奪った犯人が発覚すると同時に、何故か兄清之進に凶刃が迫り――。 とある秘密を抱えた兄弟と町娘おりんの紡ぐ江戸捕物抄です!お楽しみください! ※フィクションです。 ※周辺の歴史事件などは、史実を踏んでいます。 皆さまご評価頂きありがとうございました。大変嬉しいです! 今後も精進してまいります!

後宮なりきり夫婦録

石田空
キャラ文芸
「月鈴、ちょっと嫁に来るか?」 「はあ……?」 雲仙国では、皇帝が三代続いて謎の昏睡状態に陥る事態が続いていた。 あまりにも不可解なために、新しい皇帝を立てる訳にもいかない国は、急遽皇帝の「影武者」として跡継ぎ騒動を防ぐために寺院に入れられていた皇子の空燕を呼び戻すことに決める。 空燕の国の声に応える条件は、同じく寺院で方士修行をしていた方士の月鈴を妃として後宮に入れること。 かくしてふたりは片や皇帝の影武者として、片や皇帝の偽りの愛妃として、後宮と言う名の魔窟に潜入捜査をすることとなった。 影武者夫婦は、後宮内で起こる事件の謎を解けるのか。そしてふたりの想いの行方はいったい。 サイトより転載になります。

処理中です...