13 / 36
第二話 「くじら侍と河童騒動」
二人の酒盛り
しおりを挟む青碕伯之進は、岡っ引きの徳一と一通り死体の発見現場である祠の周囲を改めると、もう一度、死んだ夜鷹の傍にしゃがみこんだ。
女のものと間違えかねない白い指で死体の着物の裾をめくる。
徳一は止めなかった。
不埒な目的でやっている訳ではないことはわかっている。
この美しい若者に死体を玩ぶ趣味はない。
裾をめくり、太ももを軽く押し開く。
女が男を受け入れる箇所が顕わになる。
襦袢はまとっていないこともあり死後の硬直があったとしても容易くできた。
一切の感情が排除された冷徹な金物の目で、伯之進は死体の陰部を確認してから、
「徳一は、女を買ったことはあるの?」
「若い頃に何度も。所帯を持ってからは、お上の御用以外では岡場所に足を踏み入れもしませんがね。当然、夜鷹もですや。あっしは女房がいれば満足でさ」
「へえ、でも十分かな。これを見てくれないか」
促されて、徳一は顕わになった死体の女陰に視線を落とした。
すでに死んで濡れることもない性器を見て欲情する悪趣味さはない。
それほど数を見た訳ではないが、ごく普通の女人のものに相違なかった。
「こんなものを見て何かあるんですかい」
「徳一はどう思う?」
「……いや、これといって……死人のあそこをみても……まあ、普通のものじゃねえですかね。横に裂けているとかいうんなら別ですが」
「そう、普通だよね」
「あ」
そこで気が付いた。
確かに、この死人の女陰は普通だ。
彼の恋女房のものの方がくたびれてはいるが、それでも市井のどこにでもいる女の陰部だ。
この死体のものとしては本来あり得ない。
「夜鷹のものにしては綺麗すぎますぜ」
「そうだよね」
夜鷹というのは、歳や病いのせいで岡場所で働けなくなった女郎などが堕ちた先である。
日々の暮らしのための銭がなくて仕方なく夜鷹となるものもいるが、一人当たりの単価が安いために一晩で何人もの客をとらなければとてもではないが生きていけない最下級の商売女だ。
人並みに稼ぎたければただの女郎以上に男を迎え入れなければならない以上、どうなるのかは想像に難くない。
つまり、夜鷹として生きているのならば女の命である性器はもっと爛れるほどに擦り切れ使いこまれてるのが普通であるということだった。
それなのにこの死体の女陰は、未通女のものではないが、奇麗な色を保っていた。
「おそらくこの女は夜鷹ではないね。商売女でさえないだろう」
「……じゃあ、この黒い着物は?」
「さっきから探してみたけれどどこにも筵がないし、それらしい古着物を着ているか着させられたんだろうさ。つまり、夜鷹のふりをしているだけだ」
「なんで夜鷹のふりなんぞを」
「それはわからない」
この頃になると、他の岡っ引きや下っ端たちが続々と集まってきた。
もうすぐ伯之進の同僚の同心もやってくるだろう。
「そろそろ私は行くよ。休みの日によけいなことをして皆に色々言われるのも嫌だしね。徳一も奉行所のものたちには内緒で頼むよ」
「わかりやした。何か、あっしにできることはございませんか」
「徳一は、このあたりを縄張りにしている夜鷹たちに首実検をしてこの女の素性を確認してくれないか。たぶん、誰もしらないだろうけど。それから、夜鷹屋にいって女衒の頭にも裏を取ってくれ。この着物を誰かに貸したかどうかを」
「へい。青碕さまはこれからどうなされるんで?」
伯之進は何事もなかったかのように歩きだした。
「私はおまえが教えてくれた河童の夜鷹について探ってみるよ」
去っていく伯之進の後ろ姿は闇をまとった夜の化身のようであった。
ただ歩いているだけなのにそう感じる。
思わず安堵の吐息が漏れた。
ほんのわずかな間だけ共にいるだけで緊張してしまうのだ。
徳一はいつまでたってもあの若い同心には馴染めそうにないと改めて思い直した。
◇◆◇
柳橋には夜になっても開いている飯屋がいくつか存在していた。
庶民の間に食べ歩きが定着するのは、安永年間以降のことだったが、それまでにも独りものの男が気楽に立ち寄れる食い物屋はあった。
店の外で調理して、桟敷になっている店内で煮魚や芋の煮っ転がしを食べさせて酒も飲ませる煮売り屋の前身ともいえる店だった。
煮売り屋のように軒先に魚や鳥をさげておくという特徴はまだない。
元禄時代ではまだまだ武士階級は出入りしないが、世間の目を気にしない少数のものたちはよく利用していた。
食い詰め浪人の権藤伊佐馬などは、釣り上げた魚をそういった食い物屋に卸すことでそくばくかの金を稼ぎ、ついでに飯を食っていくのが日常となっている。
「あかみねや」も、そんな伊佐馬がよく利用する店であった。
伯之進が店内に入ると、何組かの客がそちらを向いた。
たまに侍がやってくることもあるが、基本的に夜は屋敷にいなければならない。
奉行所の同心のように夜も勤めに励むのが奨励されるものは例外だ。
ただし、店の客たちは伯之進の素性をよく知っていたし、御成り先着流し御免を着ていない今でいう非番だということもわかっていたので、すぐに目を逸らした。
楽しく酒を飲んでいるときに八丁堀の同心にかかわりあうのは風情があるとは言えない。
もっとも一人だけ伯之進にむけて手を振るものがいた。
「おお、伯之進。こっちで一緒に呑まんか」
探していた伊佐馬だった。
一件目で見つけられたのは行幸と言っていいかもしれない。
この気まぐれすぎる男を見失うと江戸で探し出すのは容易ではない。
たいていは隅田川の川沿いで釣りをしているが、夜釣りはしないらしいので陽が落ちてからはこういった食い物屋を当たるのが、一番確率が高かった。
「いいですね」
伊佐馬の対面に腰掛ける。
いかつく頑丈な赤銅色に日焼けした大男と、柳枝のような色白の美青年とでは、あまりに似つかわしくない。
ただし、この二人が酒を酌み交わしはじめるとなんともいえない落ち着いた空気に変わる。
同席していない、同じ店にいるだけの他の客でさえ、その雰囲気を感じ取っていい気分になるほどだった。
何故だかはよくわからない。
相性というものだろうか。
それだけ伊佐馬と伯之進がひとかどの男ということかもしれない。
この空気をとくに好んでいるのは誰であろう伯之進である。
彼は自分が距離を置かれやすい性質だとわかっていた。
奉行所のものたちは世襲ということもあり彼のことを幼少の頃からよく知るものが多いせいで、さほど壁を感じないが、町民たち、特に岡っ引きなどからは随分とおそれられているのはわかっていた。
だからといって、伯之進が自分の有り様をやめることはできない。
今更、無理なものは無理だからだ。
それゆえ、一緒に酒を飲んでいるだけで周囲まで安らかになってくる伊佐馬との酒盛りが好きだったのだ。
「珍しいのお、同心の格好でないとは」
「道場に出稽古に行った帰りですよ」
「わいつ、確か柳生新陰流だったな。……江戸にもまだあるのか」
伯之進は苦笑した。
「柳陰斎さまが亡くなられて、宗在、俊方さまの代になってからは将軍家指南役からも外れたとはいえ、いまだ新陰流の剣力は健在です。下目黒の増上寺のそばに正木道場というのがありましてね、私も子供の頃から通っていました」
「そういえば三学圓之太刀から、合撃を打っておったな。いい腕だと見惚れたものだ」
「権藤さん、新陰流に詳しいですね」
「わしは紀州の産まれだからの。徳川頼宣さまが木村助九郎どのを指南役に招いたことで、わしを含め、武士はみな新陰流を学んだものよ」
「紀州藩の武士は武芸百般に優れているときいてますね。確かに、権藤さんも強かった」
「なに、わしなんぞは嗜み程度の力任せの介者剣術よ。まともな剣士には歯が立たん」
そんなことはないでしょう、と伯之進は思った。
少なくとも今の江戸でこの漢を真っ向から仕留められるものはほとんどいないはずだ。
もちろん、伯之進自身は例外にあたるが。
「……では、組み打ちはいかがですか。使えますか?」
「柔術か? 新心流四代目の関口氏暁どのに指導されたというものが知人におったが、わしは知らんな。ずっと鯨を獲ってばかりいたからな」
二言目には鯨の話をしだすこの大男のいうことに嘘はないようだった。
(権藤さんならわかるかと思ったが、やはり実物をみないと駄目かな)
友である男ならと思ったが、空振りに終わったようである。
「―――そういえば権藤さん。河童の夜鷹という、変わった夜鷹のことをご存知ですか?」
思わず、酒の肴にいいかもしれないと徳一に伝え聞いた話を口にしたとき、伊佐馬の目つきが変わった。
鋭敏すぎる伯之進でなくとも、誰であってもわかるだろう変化だった。
「なるほど、今日の私はついているようです」
馬喰町で死体を発見して、数刻しか経っていないのに手がかりに辿り着いたかもしれない。
運がいいとはその日の伯之進のためにあるような言葉かも知れなかった。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし
かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし
長屋シリーズ一作目。
第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。
十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。
頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。
一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。
同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。
ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。
真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。
引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。
偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。
ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。
優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。
大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。
【完結】ふたつ星、輝いて 〜あやし兄弟と町娘の江戸捕物抄〜
上杉
歴史・時代
■歴史小説大賞奨励賞受賞しました!■
おりんは江戸のとある武家屋敷で下女として働く14歳の少女。ある日、突然屋敷で母の急死を告げられ、自分が花街へ売られることを知った彼女はその場から逃げだした。
母は殺されたのかもしれない――そんな絶望のどん底にいたおりんに声をかけたのは、奉行所で同心として働く有島惣次郎だった。
今も刺客の手が迫る彼女を守るため、彼の屋敷で住み込みで働くことが決まる。そこで彼の兄――有島清之進とともに生活を始めるのだが、病弱という噂とはかけ離れた腕っぷしのよさに、おりんは驚きを隠せない。
そうしてともに生活しながら少しづつ心を開いていった――その矢先のことだった。
母の命を奪った犯人が発覚すると同時に、何故か兄清之進に凶刃が迫り――。
とある秘密を抱えた兄弟と町娘おりんの紡ぐ江戸捕物抄です!お楽しみください!
※フィクションです。
※周辺の歴史事件などは、史実を踏んでいます。
皆さまご評価頂きありがとうございました。大変嬉しいです!
今後も精進してまいります!
後宮なりきり夫婦録
石田空
キャラ文芸
「月鈴、ちょっと嫁に来るか?」
「はあ……?」
雲仙国では、皇帝が三代続いて謎の昏睡状態に陥る事態が続いていた。
あまりにも不可解なために、新しい皇帝を立てる訳にもいかない国は、急遽皇帝の「影武者」として跡継ぎ騒動を防ぐために寺院に入れられていた皇子の空燕を呼び戻すことに決める。
空燕の国の声に応える条件は、同じく寺院で方士修行をしていた方士の月鈴を妃として後宮に入れること。
かくしてふたりは片や皇帝の影武者として、片や皇帝の偽りの愛妃として、後宮と言う名の魔窟に潜入捜査をすることとなった。
影武者夫婦は、後宮内で起こる事件の謎を解けるのか。そしてふたりの想いの行方はいったい。
サイトより転載になります。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる