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6 悪女は涙をこぼす
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私はフラフラと午後の授業のため教室へと帰った。
気分がおかしいけれど、勉強だけは。
そう思い、教科書を出そうと机の中へと手を入れる。
「……っ!!」
瞬間焼け付くような感覚が走って中から手を出した。
むき身の刃物が入っていたらしい。
ポタポタと、左の手のひらから血が滴り落ちている。
周りからも血が見えたようで悲鳴が上がった。
声のした方を見ると、その表情は青ざめている。
その子の向こうに、顔を背けて肩の震えている級友が見えた。
恐らく、彼がこれを仕込んだのだろう。
不思議だ、全てが遠く感じる。
「シュテールさん、早く医務室に!」
先生の声に、手を抑えつつ立ち上がって医務室に行くことにした。
ふわふわしている。
現実感のないままに。
学校の建物の端、医務室のドアの前で私は少し逡巡していた。
来たはいいものの、なんと言って治療を受けたらいいのか、何をどう話せばいいのか困ってしまっていた。
手はズキズキするし血は相変わらず出ているようで、先生からもらった布にはじわりじわりと、その滲む範囲が増えていっている。
迷ったままでいると、目の前の扉が開いて生徒が出てきた。
「ウルム! ってどうしたの、その血……先生!!」
ゼファーは私をみるなりギョッとした顔になり、慌てて先生を呼んだ。
そして呼ばれた先生と共に私を机のそばにある椅子に座らせると、テキパキと助手よろしくあれこれと準備をしてくれて。
私は医務の先生によって、左手をきれいに消毒され包帯を巻かれたのだった。
「はい、これでよし。あまり深くなくてよかったわ。しばらくは左手は使わないようにね、傷が開いてしまうから」
「ありがとう、ございました」
「それじゃ、私はちょっと職員室に用事があるから。ゼファーくん、後のことは頼めるかしら?」
「はい」
そんなに遅くはならないからよろしくね、そう言うと先生は退室していく。
医務室には、私とゼファー以外いなくなってしまった。
消毒液の匂い。
部屋の奥にベッドが数台と、机のそばには薬品棚。
先生の机には、来た生徒の病状や怪我の具合を書きとめるための紙束が、無造作に積み上げられている。
室内をそうして見るともなしに眺めていると、ゼファーが口を開いた。
「血だらけの布を見たときはひやっとしたよ。何があったの……」
「何も」
……何も?
本当に、何も??
『ウルムさん、王妃というものは何事にも動じず王を支える礎なのです』
そう、動じてはいけない、これはいつものことだからなんてことはない。
本当に??
『ウルムさん、王に愛されるためにはいつでも堂々と微笑んでいなくては』
そう、微笑んでいなくては愛されない、だからいつも微笑んでいなくては。
微笑んで当然??
これまで学んできた、王妃様からの言葉が頭の中にこだます。
いつでも微笑んで、そっと王に寄り添って、前へ出てはいけない、賢しらがってはいけない、お淑やかに、王を支え、隣で朗らかに。
なりたかったものは、こんなものじゃない。
何もなかったなんて、そんなことはない。
何もじゃないのだ。
何も、じゃ。
とても。
とてもとても大きなことが起きているのだ。
「そんなはずはないでしょう?」
ゼファーは眉を八の字にして、私に問いかけてきた。
心配そうな、声音で。
そう、心配、してくれている。
はらり、ぽとり。
気づけば、私の目からはとめどなく澱んだ気持ちが溢れ出てしまっていた。
「頑張って、いたの」
「うん」
「本当に、本当に、頑張って、いたのっ、にっっぃぃぃぃ」
私は泣いた。
医務室の椅子の上、泣きじゃくり目を擦り擦り、泣いた。
泣いて。
泣いて泣いて泣いて泣いて。
そして愚痴った。
これまでの王妃様にされてきた仕打ち、王子に取られた態度。
全部全部告白した。
すると段々、お腹の中から何かが迫り上がってきた。
背中が、熱い。
嗚呼。
私。
本当はずっと、怒ってたんだわ。
ゆらよらと彷徨うような視界の中、ゼファーの手がこちらへと伸びたかと思うと戻っていった。
気持ちがぐらぐらと煮えたぎっていたから、幻だったかもしれない。
ぼうっとした頭で前方へと視線をやったままでいると、彼が言いにくそうに口を開いた。
「……疑ってるようで、申し訳ないんだけど……何か、証拠はある?」
これは予想範囲内の質問だった。
けれど石で頭を殴られた心地がした。
私はどうやら、ゼファーからの信頼を勝ち取れていると思っていたらしい。
でも、この物言いは……。
私は意を決すると、椅子に座ったまま彼に背を向け、自身の上着を脱ぎ床に滑り落とす。
そして後ろに長く垂れていた髪を片側に寄せ自身の胸側に持ってくると、下に着ていたブラウスのボタンを外しだす。
「え、ちょっ、ウルム?!」
ゼファーから慌てた気配を感じたけど、構わず下着も脱ぐ。
「わあっ! ……っ!!」
息を飲むその呼気が聞こえた後、下着を胸に当てると顔だけ後ろに向けながら、私は明日の授業科目を聞くかのように尋ねた。
「これって証拠になるかしら?」
笑顔を、貼り付けて。
気分がおかしいけれど、勉強だけは。
そう思い、教科書を出そうと机の中へと手を入れる。
「……っ!!」
瞬間焼け付くような感覚が走って中から手を出した。
むき身の刃物が入っていたらしい。
ポタポタと、左の手のひらから血が滴り落ちている。
周りからも血が見えたようで悲鳴が上がった。
声のした方を見ると、その表情は青ざめている。
その子の向こうに、顔を背けて肩の震えている級友が見えた。
恐らく、彼がこれを仕込んだのだろう。
不思議だ、全てが遠く感じる。
「シュテールさん、早く医務室に!」
先生の声に、手を抑えつつ立ち上がって医務室に行くことにした。
ふわふわしている。
現実感のないままに。
学校の建物の端、医務室のドアの前で私は少し逡巡していた。
来たはいいものの、なんと言って治療を受けたらいいのか、何をどう話せばいいのか困ってしまっていた。
手はズキズキするし血は相変わらず出ているようで、先生からもらった布にはじわりじわりと、その滲む範囲が増えていっている。
迷ったままでいると、目の前の扉が開いて生徒が出てきた。
「ウルム! ってどうしたの、その血……先生!!」
ゼファーは私をみるなりギョッとした顔になり、慌てて先生を呼んだ。
そして呼ばれた先生と共に私を机のそばにある椅子に座らせると、テキパキと助手よろしくあれこれと準備をしてくれて。
私は医務の先生によって、左手をきれいに消毒され包帯を巻かれたのだった。
「はい、これでよし。あまり深くなくてよかったわ。しばらくは左手は使わないようにね、傷が開いてしまうから」
「ありがとう、ございました」
「それじゃ、私はちょっと職員室に用事があるから。ゼファーくん、後のことは頼めるかしら?」
「はい」
そんなに遅くはならないからよろしくね、そう言うと先生は退室していく。
医務室には、私とゼファー以外いなくなってしまった。
消毒液の匂い。
部屋の奥にベッドが数台と、机のそばには薬品棚。
先生の机には、来た生徒の病状や怪我の具合を書きとめるための紙束が、無造作に積み上げられている。
室内をそうして見るともなしに眺めていると、ゼファーが口を開いた。
「血だらけの布を見たときはひやっとしたよ。何があったの……」
「何も」
……何も?
本当に、何も??
『ウルムさん、王妃というものは何事にも動じず王を支える礎なのです』
そう、動じてはいけない、これはいつものことだからなんてことはない。
本当に??
『ウルムさん、王に愛されるためにはいつでも堂々と微笑んでいなくては』
そう、微笑んでいなくては愛されない、だからいつも微笑んでいなくては。
微笑んで当然??
これまで学んできた、王妃様からの言葉が頭の中にこだます。
いつでも微笑んで、そっと王に寄り添って、前へ出てはいけない、賢しらがってはいけない、お淑やかに、王を支え、隣で朗らかに。
なりたかったものは、こんなものじゃない。
何もなかったなんて、そんなことはない。
何もじゃないのだ。
何も、じゃ。
とても。
とてもとても大きなことが起きているのだ。
「そんなはずはないでしょう?」
ゼファーは眉を八の字にして、私に問いかけてきた。
心配そうな、声音で。
そう、心配、してくれている。
はらり、ぽとり。
気づけば、私の目からはとめどなく澱んだ気持ちが溢れ出てしまっていた。
「頑張って、いたの」
「うん」
「本当に、本当に、頑張って、いたのっ、にっっぃぃぃぃ」
私は泣いた。
医務室の椅子の上、泣きじゃくり目を擦り擦り、泣いた。
泣いて。
泣いて泣いて泣いて泣いて。
そして愚痴った。
これまでの王妃様にされてきた仕打ち、王子に取られた態度。
全部全部告白した。
すると段々、お腹の中から何かが迫り上がってきた。
背中が、熱い。
嗚呼。
私。
本当はずっと、怒ってたんだわ。
ゆらよらと彷徨うような視界の中、ゼファーの手がこちらへと伸びたかと思うと戻っていった。
気持ちがぐらぐらと煮えたぎっていたから、幻だったかもしれない。
ぼうっとした頭で前方へと視線をやったままでいると、彼が言いにくそうに口を開いた。
「……疑ってるようで、申し訳ないんだけど……何か、証拠はある?」
これは予想範囲内の質問だった。
けれど石で頭を殴られた心地がした。
私はどうやら、ゼファーからの信頼を勝ち取れていると思っていたらしい。
でも、この物言いは……。
私は意を決すると、椅子に座ったまま彼に背を向け、自身の上着を脱ぎ床に滑り落とす。
そして後ろに長く垂れていた髪を片側に寄せ自身の胸側に持ってくると、下に着ていたブラウスのボタンを外しだす。
「え、ちょっ、ウルム?!」
ゼファーから慌てた気配を感じたけど、構わず下着も脱ぐ。
「わあっ! ……っ!!」
息を飲むその呼気が聞こえた後、下着を胸に当てると顔だけ後ろに向けながら、私は明日の授業科目を聞くかのように尋ねた。
「これって証拠になるかしら?」
笑顔を、貼り付けて。
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