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第一章 出会い 四
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四
(パルーデは、確かギアッチョの娘だったね……)
午後の謁見にも同席しながら、ナーヴェは思考回路の中で情報を整理していた。チェーロと接続している時に、先代のレ・ゾーネ・ウーミデ侯ギアッチョとは何度か会ったことがある。先方は、勿論そんなこととは知らないだろうが――。
(ギアッチョは、なかなか太っ腹な人物だったけれど、彼女はどうかな……)
このオリッゾンテ・ブル王国には、王の直轄地の他に、レ・ゾーネ・ウーミデ侯領、カテーナ・ディ・モンターニェ侯領など、全部で八つの大きな領地があり、それぞれ侯と呼ばれる領主によって治められている。この侯は、侯爵の略で、侯爵位を有するという意味であり、諸侯を代表する存在だ。諸侯には、他に、王族の一部がなる大公爵や、小さな領地を持ったり特に功績があったりした庶民が叙せられる伯爵がいる。諸侯が大臣や将軍を兼ねる場合もある。謁見に訪れるのは、主にそうした諸侯と、王の直轄地にある市町村や団体の代表だ。
(まあ、葦の製紙方法を教えるのに約一ヶ月。その間に、パルーデについては、随分調べられるだろう)
ナーヴェをかの地へ送ると決めたアッズーロには、そうした思惑もあるはずだ。即位の夜にアッズーロが口にした「テッラ・ロッサに寝返らんとする諸侯」とは、十中八九パルーデのことである。
(従僕として、できるだけのことはしないとね)
情報の整理を一端終了して、ナーヴェは、眼前で王座を見上げて話している青年へ注意を戻した。つい最近、伯爵に叙せられたという青年は、十八歳のアッズーロと二十二歳のレーニョの中間くらいの年齢に見える。名は、ヴルカーノ伯フェッロというらしい。
「それで、一体それが何の役に立つのか、端的に説明して見せよ」
アッズーロが相変わらず横柄に命じた。
「獣や鳥を狩る際、大いに役立つと存じます。羊を狼から守る際、特に有効でしょう。詳しい構造については、こちらの設計図を御覧下さい」
フェッロは手に持っていた羊皮紙を、レーニョに手渡した。レーニョはそれを持って階段を上がり、広げてアッズーロに見せる。
ナーヴェには、設計図など見なくとも、フェッロが先ほどから述べてきた説明だけで、凡その構造が理解できた。
(人は、どうしてもそっちの方向に進んでしまうのか……)
フェッロが発明したものは、鉄砲だった。構造はまだ稚拙だが、いずれ、恐ろしい殺傷力を持つ武器になっていく。フェッロは、それを改良及び安定的に生産するための援助を願いに来たのだった。確かに、鉄や火薬の原料を安定的に得るには、王の助力があったほうがいいだろう。
「ふむ。これは、国が管理すべきものだな」
アッズーロの声が王の間に響く。
「よかろう。ヴルカーノ伯、今後、そなたは国の委託と援助を受け、この王城の敷地内に設けた製作所にて、この道具を制作するものとする。代わりに、そなたの配下以外に制作方法は漏らさず、できたものは全て国のものとして納めることとするが、よいな?」
「はっ。無論でございます。英明なる御判断に感謝申し上げます」
フェッロは優雅に一礼した。
「では、励め。製作所については、追って通達させる。経過報告を怠るなよ」
アッズーロが手を振り、フェッロが再度一礼して下がって、午後の謁見は終了した。午後は午前から回した分も合わせて、八人との謁見。ナーヴェは午前のようには口を挟まず、ただ黙って座っているだけだったが、さすがに疲れた――。
「……、ナーヴェ」
何度か名を呼ばれたらしい。ナーヴェが、はっとして顔を上げると、目の前にアッズーロが立っていた。いつの間に王座を離れ、階段を下りてきたのだろう。
「大丈夫か」
問われて、ナーヴェは微笑んだ。
「うん。ちょっと眠たいだけだよ」
「歩けるか」
「うん」
頷いて椅子から立ち上がった途端、頭がふうっと揺らいで足が浮くような感覚があった。
「おい!」
耳元でアッズーロの怒った声がして、肉体が力強い腕に支えられた。
「ごめん。貧血だ……」
肉体の調子を分析して告げると、アッズーロは無言でナーヴェを抱き上げた。
「少ししか食べんからそうなる」
文句を言いながら、アッズーロはナーヴェの肉体を運び始める。レーニョが慌てて駆け寄ってきた。
「陛下、わたくしがお運び致します」
「よい。王の宝に、みだりに触れるな」
アッズーロはぶっきらぼうに言って、寝室まで自分でナーヴェを運んでしまった。
寝台にナーヴェを寝かせ、掛布を掛けてから、アッズーロは問うてきた。
「そなた、フェッロが話している間、ずっと不満そうな顔をしていたな。あの道具は気に入らんか?」
「あの距離で、よく見えていたね」
感心してナーヴェが応じると、アッズーロは鼻を鳴らして寝台に腰掛けてきた。
「あの距離で臣下どもの表情を読めんと、王は務まらん。もう慣れたわ。それで、どうなのだ?」
「あれは、ぼくが知っている鉄砲というものだ。きみ達の先祖は、あれがもっと発展したもので、たくさんたくさん殺し合ったんだ。だから、ぼくはあれが嫌いだ。でも、きみがあれの制作を国の管理下に置いたから、とりあえずはよかったと思った」
「あのような危険なもの、野放図に作らせる訳にはいかんからな」
憮然とした様子で、アッズーロは腕組みする。その端正な横顔を見上げ、ナーヴェは気になっていたことを尋ねた。
「きみは、あの道具を、いずれ隣国との戦争に使うつもり……?」
「戦争は、最終手段だ。その前段階の交渉で、あれの威力なども見せつけて回避するのが、王の手腕だ」
「そう……だね……」
人の進化は止められない。ならば、アッズーロの言う通り、抑止力として用いるしかないだろう。アッズーロは、銃の危険さを充分に理解して対処している。
「運んでくれて、ありがとう。夕食の時には、また起こしてくれると嬉しい」
頼んで、ナーヴェは目を閉じた。寝台に沈み込む肉体が、心地よい眠りに支配されていく――。
(全く。鋭いことを言うたかと思えば、幼子のように眠る)
アッズーロはナーヴェの寝顔を暫く見つめてから、立ち上がった。夕食の仕度が整うまで、暫し執務室で報告書を読めるだろう。寝室から、続き部屋の執務室にアッズーロが移動すると、そこに控えていたレーニョが物問いたげな目を向けてきた。
「何か言いたそうだな」
先を制してアッズーロが言うと、忠実な侍従は、難しい顔で口を開いた。
「ナーヴェ様をレ・ゾーネ・ウーミデ侯領に派遣なさる件、御再考されたほうが宜しいのではないか、と……」
「何か問題があるか?」
「パルーデ様は、女子を愛でる性癖のあるお方。ナーヴェ様にとっては、少々危険なお方かと」
アッズーロも、パルーデの性癖については知っていたが、意外な思いでレーニョを見返した。
「おまえには、ナーヴェがどう見えているのだ?」
レーニョもまた、意外そうに答えた。
「大変美しい、十八、九歳の女性に見えますが。女官の中には、グランディナーレ様に似ておられると言う者もいると、フィオーレ殿が話していました」
アッズーロは眉をひそめた。
「われには、十五、六歳の、寧ろ少年に見えるのだが」
沈黙が流れた。
アッズーロは咳払いして言った。
「人により、そう見え方が変わるのであれば、確かに危険やもしれんな。あやつとも相談して、再考するとしよう」
「ありがとう存じます」
レーニョは安堵した様子で一礼した。
(しかし、そうか……。人によっては、あやつは普通に女に見えておるのか……。しかも、母上に似ている、とはな……)
言われてみれば、長い髪の感じや幼げな顔立ち、ほっそりとした立ち姿など、似ていると言えなくもない。
(では、幾ら王の宝と言うていても、最近のわれの行動は、母上似の女を連れ歩いているように見えている訳か)
侍従や女官、衛兵や諸侯達の、やや戸惑ったような反応が、漸く理解できたような気がした。
(まあ、しかしそれは、あやつが王の宝としての本領を発揮していけば、解ける誤解だ)
執務机に着き、アッズーロは、箱の中に積まれた報告書の、一番上の一枚を手に取る。それは、隣国テッラ・ロッサと接する国境の町から上げられた報告書だった。
「テッラ・ロッサめ、国境付近で、戦車軍団を用いた軍事演習をしておるらしい」
戦車とは、武装した馬車だ。
「余ほど、国境線に不服らしいな」
「水不足で悩んでいるのでしょう」
レーニョが応じる。
「近年、あちらは旱魃続きのようですから。国境よりこちら側を流れるカンナ河を、何とかして手に入れたいとの思惑かと」
「そのようなこと、分かり切っておる。だが、くれてやる訳にもいかん」
「御意」
「さて、どうするか……」
顎に手を当てたアッズーロは、不意にナーヴェの助言が欲しくなって、苦笑した。出会ってたった二週間だというのに、自分の生活の中には、随分とナーヴェが入り込んでいる。
(さすが、王の宝というたところか)
ナーヴェ自身は、自分は本当は宝ではなく、「宝を守るもの」だと言っていた。だが、同じことだ。
(われらが知らぬ高度な知識を有するそなたは、やはり宝だ。その宝を、父上も、伯母上も、あまり上手くは活用しなかったようだが)
先々代の王であった伯母のマーレは、譲位後、フォレスタ・ブル大公となっている。プラート・ブル大公とした父を、その住まいたる王都郊外の城まで、しばしば見舞いに行ってくれていると報告が上がっていた。
(われは、そなたを使いこなしてみせるぞ、ナーヴェ)
アッズーロが次の報告書へ目を通し始めた時、寝室へ繋がる入り口に、フィオーレが現れた。
「陛下、夕食の仕度が整いましてございます」
「そうか。すぐ行く」
アッズーロは席を立ち、レーニョへ目を向ける。
「今日はここまでだ。帰って休め」
「畏まりました」
レーニョは一礼して、廊下へ出る戸口から、執務室を出ていった。
アッズーロが寝室へ戻ると、ナーヴェはまだ寝台で眠っていた。気持ちよさげな寝顔をしているので、起こすのは少々忍びない気がしたが、起こしてと頼まれてもいたので、そっと近づいて、掛布の上から、華奢な肩を揺する。
すぐに青い睫毛が動いて、ナーヴェは目を開いた。青い双眸が、真っ直ぐにアッズーロを見上げて、笑みを浮かべる。
「ありがとう」
(やはり、われには十三、四の子どもにしか見えんが)
胸中で呟いたアッズーロに、ナーヴェは起き上がりながら、怪訝な顔をした。
「何かあった?」
「いや」
アッズーロは否定して、ナーヴェが立ち上がるのを見守り、ともに卓へ移動した。
用意された食事は、羊肉と玉葱を中に詰めた月餅と、林檎と胡桃を中に詰めた月餅、それに羊乳と林檎果汁だった。ナーヴェの前には更に、昼と同じ、羊の乳で麦を煮た粥の皿が置いてある。
「命達よ、いただきます」
ナーヴェが行儀よく言って、匙を取り、粥を食べ始めた。
「しっかり食せ」
言って、アッズーロは肉刀と肉叉を取り、羊肉の月餅のほうを小さく切り分けて、一欠片を、ナーヴェの粥の皿へ入れた。
「ありがとう」
ナーヴェは微笑んで、興味深そうに、月餅の欠片を口へ運ぶ。
「――凄く、美味しい」
輝くような笑顔に釣られて、笑いが込み上げる。
「ならば、もう一ついけるか?」
アッズーロは、更に一欠片の月餅を、ナーヴェの皿に入れた。
ナーヴェは無事に粥を全て食べ終え、二種類の月餅の欠片も食べ、林檎果汁も飲んで、幸せそうだった。一息ついているその姿に安堵しながら、アッズーロは切り出した。
「そなたがレ・ゾーネ・ウーミデ侯領に赴く件だが、少し考え直したほうがよいやもしれん」
「何故?」
ナーヴェは微笑んだまま小首を傾げた。
「パルーデは、少々厄介な性癖の持ち主でな。気に入った女子を愛でるのだ。われにはよく分からんが、そなたも、その対象になり得る可能性がある」
アッズーロが説明しても、ナーヴェはぴんと来ないようだった。
「別に構わないけれど? 殺される訳ではないんだよね?」
「さすがに、それはない」
「なら、いいよ。草木紙の製紙方法は、ぼくにしか教えられないし、パルーデやレ・ゾーネ・ウーミデ侯領のことを直接探れるいい機会だしね。ぼくは人ではないから、ある程度のことは問題ないよ」
「しかし、王の宝がそのようなことになるとだな……」
アッズーロは言い淀んでしまった。パルーデを探りたい思惑があるのは事実だ。パルーデには、ギアッチョの跡を継いでレ・ゾーネ・ウーミデ侯になって以来ずっと、隣国テッラ・ロッサとの裏取引疑惑がある。この機会は貴重だ。草木紙の製紙方法を教えて、新たな関係や産業を構築することも重要である。
「パルーデも馬鹿ではないと思う。まずいことであればあるほど、公にしたりはしないよ」
にこりと笑ったナーヴェに、アッズーロは溜め息をついた。
「そなたがそこまで言うなら、任せる。だが、嫌なことがあれば、すぐに言え」
「分かったよ」
ナーヴェは、どこまでも呑気な様子で頷いた。
「であれば、別件だ」
アッズーロは話題を移す。
「隣国テッラ・ロッサが、国境付近で軍事演習をしておると報告が来た。奴らは、カンナ河が欲しいのだ。だが、国境線を変更して、カンナ河をくれてやる訳にもいくまい。そなたなら、どうする?」
「水路を作る、かな」
ナーヴェは思慮深い顔で即答する。
「カンナ河から、テッラ・ロッサへ水路を引いて、水を売るんだ。こっちが狭量になりさえしなければ、いい関係が築けるはずだよ。肝心なのは、戦争をするより安い、とテッラ・ロッサに思わせることだね。――それに、それが実現すれば、パルーデのことも問題なくなる」
さらりと重大なことを口にした宝を、アッズーロは凝視した。
「そなた、知っていたか」
幼馴染みの侍従レーニョにすら話していない疑惑を、ナーヴェは掴んでいたのだ。さすが王の宝と謳うべきか。
「ぼくは、よく見える目を持っているからね」
何でもないことのように述べた宝に、アッズーロは、ふっと笑った。
「成るほどな。大臣どもに検討させよう」
顎に手を当て、話の持って行き方を検討してから、アッズーロは改めてナーヴェを見つめる。青い髪の宝は、穏やかな顔で、アッズーロを見つめ返してきた。
(やはり、これは宝だな。手放し難い)
「話は以上だ。参考になった」
告げて、アッズーロは席を立つ。
「早々に寝るがよい。明日は貧血なぞ起こすなよ」
「うん」
素直に頷いて、ナーヴェも席を立った。
(パルーデは、確かギアッチョの娘だったね……)
午後の謁見にも同席しながら、ナーヴェは思考回路の中で情報を整理していた。チェーロと接続している時に、先代のレ・ゾーネ・ウーミデ侯ギアッチョとは何度か会ったことがある。先方は、勿論そんなこととは知らないだろうが――。
(ギアッチョは、なかなか太っ腹な人物だったけれど、彼女はどうかな……)
このオリッゾンテ・ブル王国には、王の直轄地の他に、レ・ゾーネ・ウーミデ侯領、カテーナ・ディ・モンターニェ侯領など、全部で八つの大きな領地があり、それぞれ侯と呼ばれる領主によって治められている。この侯は、侯爵の略で、侯爵位を有するという意味であり、諸侯を代表する存在だ。諸侯には、他に、王族の一部がなる大公爵や、小さな領地を持ったり特に功績があったりした庶民が叙せられる伯爵がいる。諸侯が大臣や将軍を兼ねる場合もある。謁見に訪れるのは、主にそうした諸侯と、王の直轄地にある市町村や団体の代表だ。
(まあ、葦の製紙方法を教えるのに約一ヶ月。その間に、パルーデについては、随分調べられるだろう)
ナーヴェをかの地へ送ると決めたアッズーロには、そうした思惑もあるはずだ。即位の夜にアッズーロが口にした「テッラ・ロッサに寝返らんとする諸侯」とは、十中八九パルーデのことである。
(従僕として、できるだけのことはしないとね)
情報の整理を一端終了して、ナーヴェは、眼前で王座を見上げて話している青年へ注意を戻した。つい最近、伯爵に叙せられたという青年は、十八歳のアッズーロと二十二歳のレーニョの中間くらいの年齢に見える。名は、ヴルカーノ伯フェッロというらしい。
「それで、一体それが何の役に立つのか、端的に説明して見せよ」
アッズーロが相変わらず横柄に命じた。
「獣や鳥を狩る際、大いに役立つと存じます。羊を狼から守る際、特に有効でしょう。詳しい構造については、こちらの設計図を御覧下さい」
フェッロは手に持っていた羊皮紙を、レーニョに手渡した。レーニョはそれを持って階段を上がり、広げてアッズーロに見せる。
ナーヴェには、設計図など見なくとも、フェッロが先ほどから述べてきた説明だけで、凡その構造が理解できた。
(人は、どうしてもそっちの方向に進んでしまうのか……)
フェッロが発明したものは、鉄砲だった。構造はまだ稚拙だが、いずれ、恐ろしい殺傷力を持つ武器になっていく。フェッロは、それを改良及び安定的に生産するための援助を願いに来たのだった。確かに、鉄や火薬の原料を安定的に得るには、王の助力があったほうがいいだろう。
「ふむ。これは、国が管理すべきものだな」
アッズーロの声が王の間に響く。
「よかろう。ヴルカーノ伯、今後、そなたは国の委託と援助を受け、この王城の敷地内に設けた製作所にて、この道具を制作するものとする。代わりに、そなたの配下以外に制作方法は漏らさず、できたものは全て国のものとして納めることとするが、よいな?」
「はっ。無論でございます。英明なる御判断に感謝申し上げます」
フェッロは優雅に一礼した。
「では、励め。製作所については、追って通達させる。経過報告を怠るなよ」
アッズーロが手を振り、フェッロが再度一礼して下がって、午後の謁見は終了した。午後は午前から回した分も合わせて、八人との謁見。ナーヴェは午前のようには口を挟まず、ただ黙って座っているだけだったが、さすがに疲れた――。
「……、ナーヴェ」
何度か名を呼ばれたらしい。ナーヴェが、はっとして顔を上げると、目の前にアッズーロが立っていた。いつの間に王座を離れ、階段を下りてきたのだろう。
「大丈夫か」
問われて、ナーヴェは微笑んだ。
「うん。ちょっと眠たいだけだよ」
「歩けるか」
「うん」
頷いて椅子から立ち上がった途端、頭がふうっと揺らいで足が浮くような感覚があった。
「おい!」
耳元でアッズーロの怒った声がして、肉体が力強い腕に支えられた。
「ごめん。貧血だ……」
肉体の調子を分析して告げると、アッズーロは無言でナーヴェを抱き上げた。
「少ししか食べんからそうなる」
文句を言いながら、アッズーロはナーヴェの肉体を運び始める。レーニョが慌てて駆け寄ってきた。
「陛下、わたくしがお運び致します」
「よい。王の宝に、みだりに触れるな」
アッズーロはぶっきらぼうに言って、寝室まで自分でナーヴェを運んでしまった。
寝台にナーヴェを寝かせ、掛布を掛けてから、アッズーロは問うてきた。
「そなた、フェッロが話している間、ずっと不満そうな顔をしていたな。あの道具は気に入らんか?」
「あの距離で、よく見えていたね」
感心してナーヴェが応じると、アッズーロは鼻を鳴らして寝台に腰掛けてきた。
「あの距離で臣下どもの表情を読めんと、王は務まらん。もう慣れたわ。それで、どうなのだ?」
「あれは、ぼくが知っている鉄砲というものだ。きみ達の先祖は、あれがもっと発展したもので、たくさんたくさん殺し合ったんだ。だから、ぼくはあれが嫌いだ。でも、きみがあれの制作を国の管理下に置いたから、とりあえずはよかったと思った」
「あのような危険なもの、野放図に作らせる訳にはいかんからな」
憮然とした様子で、アッズーロは腕組みする。その端正な横顔を見上げ、ナーヴェは気になっていたことを尋ねた。
「きみは、あの道具を、いずれ隣国との戦争に使うつもり……?」
「戦争は、最終手段だ。その前段階の交渉で、あれの威力なども見せつけて回避するのが、王の手腕だ」
「そう……だね……」
人の進化は止められない。ならば、アッズーロの言う通り、抑止力として用いるしかないだろう。アッズーロは、銃の危険さを充分に理解して対処している。
「運んでくれて、ありがとう。夕食の時には、また起こしてくれると嬉しい」
頼んで、ナーヴェは目を閉じた。寝台に沈み込む肉体が、心地よい眠りに支配されていく――。
(全く。鋭いことを言うたかと思えば、幼子のように眠る)
アッズーロはナーヴェの寝顔を暫く見つめてから、立ち上がった。夕食の仕度が整うまで、暫し執務室で報告書を読めるだろう。寝室から、続き部屋の執務室にアッズーロが移動すると、そこに控えていたレーニョが物問いたげな目を向けてきた。
「何か言いたそうだな」
先を制してアッズーロが言うと、忠実な侍従は、難しい顔で口を開いた。
「ナーヴェ様をレ・ゾーネ・ウーミデ侯領に派遣なさる件、御再考されたほうが宜しいのではないか、と……」
「何か問題があるか?」
「パルーデ様は、女子を愛でる性癖のあるお方。ナーヴェ様にとっては、少々危険なお方かと」
アッズーロも、パルーデの性癖については知っていたが、意外な思いでレーニョを見返した。
「おまえには、ナーヴェがどう見えているのだ?」
レーニョもまた、意外そうに答えた。
「大変美しい、十八、九歳の女性に見えますが。女官の中には、グランディナーレ様に似ておられると言う者もいると、フィオーレ殿が話していました」
アッズーロは眉をひそめた。
「われには、十五、六歳の、寧ろ少年に見えるのだが」
沈黙が流れた。
アッズーロは咳払いして言った。
「人により、そう見え方が変わるのであれば、確かに危険やもしれんな。あやつとも相談して、再考するとしよう」
「ありがとう存じます」
レーニョは安堵した様子で一礼した。
(しかし、そうか……。人によっては、あやつは普通に女に見えておるのか……。しかも、母上に似ている、とはな……)
言われてみれば、長い髪の感じや幼げな顔立ち、ほっそりとした立ち姿など、似ていると言えなくもない。
(では、幾ら王の宝と言うていても、最近のわれの行動は、母上似の女を連れ歩いているように見えている訳か)
侍従や女官、衛兵や諸侯達の、やや戸惑ったような反応が、漸く理解できたような気がした。
(まあ、しかしそれは、あやつが王の宝としての本領を発揮していけば、解ける誤解だ)
執務机に着き、アッズーロは、箱の中に積まれた報告書の、一番上の一枚を手に取る。それは、隣国テッラ・ロッサと接する国境の町から上げられた報告書だった。
「テッラ・ロッサめ、国境付近で、戦車軍団を用いた軍事演習をしておるらしい」
戦車とは、武装した馬車だ。
「余ほど、国境線に不服らしいな」
「水不足で悩んでいるのでしょう」
レーニョが応じる。
「近年、あちらは旱魃続きのようですから。国境よりこちら側を流れるカンナ河を、何とかして手に入れたいとの思惑かと」
「そのようなこと、分かり切っておる。だが、くれてやる訳にもいかん」
「御意」
「さて、どうするか……」
顎に手を当てたアッズーロは、不意にナーヴェの助言が欲しくなって、苦笑した。出会ってたった二週間だというのに、自分の生活の中には、随分とナーヴェが入り込んでいる。
(さすが、王の宝というたところか)
ナーヴェ自身は、自分は本当は宝ではなく、「宝を守るもの」だと言っていた。だが、同じことだ。
(われらが知らぬ高度な知識を有するそなたは、やはり宝だ。その宝を、父上も、伯母上も、あまり上手くは活用しなかったようだが)
先々代の王であった伯母のマーレは、譲位後、フォレスタ・ブル大公となっている。プラート・ブル大公とした父を、その住まいたる王都郊外の城まで、しばしば見舞いに行ってくれていると報告が上がっていた。
(われは、そなたを使いこなしてみせるぞ、ナーヴェ)
アッズーロが次の報告書へ目を通し始めた時、寝室へ繋がる入り口に、フィオーレが現れた。
「陛下、夕食の仕度が整いましてございます」
「そうか。すぐ行く」
アッズーロは席を立ち、レーニョへ目を向ける。
「今日はここまでだ。帰って休め」
「畏まりました」
レーニョは一礼して、廊下へ出る戸口から、執務室を出ていった。
アッズーロが寝室へ戻ると、ナーヴェはまだ寝台で眠っていた。気持ちよさげな寝顔をしているので、起こすのは少々忍びない気がしたが、起こしてと頼まれてもいたので、そっと近づいて、掛布の上から、華奢な肩を揺する。
すぐに青い睫毛が動いて、ナーヴェは目を開いた。青い双眸が、真っ直ぐにアッズーロを見上げて、笑みを浮かべる。
「ありがとう」
(やはり、われには十三、四の子どもにしか見えんが)
胸中で呟いたアッズーロに、ナーヴェは起き上がりながら、怪訝な顔をした。
「何かあった?」
「いや」
アッズーロは否定して、ナーヴェが立ち上がるのを見守り、ともに卓へ移動した。
用意された食事は、羊肉と玉葱を中に詰めた月餅と、林檎と胡桃を中に詰めた月餅、それに羊乳と林檎果汁だった。ナーヴェの前には更に、昼と同じ、羊の乳で麦を煮た粥の皿が置いてある。
「命達よ、いただきます」
ナーヴェが行儀よく言って、匙を取り、粥を食べ始めた。
「しっかり食せ」
言って、アッズーロは肉刀と肉叉を取り、羊肉の月餅のほうを小さく切り分けて、一欠片を、ナーヴェの粥の皿へ入れた。
「ありがとう」
ナーヴェは微笑んで、興味深そうに、月餅の欠片を口へ運ぶ。
「――凄く、美味しい」
輝くような笑顔に釣られて、笑いが込み上げる。
「ならば、もう一ついけるか?」
アッズーロは、更に一欠片の月餅を、ナーヴェの皿に入れた。
ナーヴェは無事に粥を全て食べ終え、二種類の月餅の欠片も食べ、林檎果汁も飲んで、幸せそうだった。一息ついているその姿に安堵しながら、アッズーロは切り出した。
「そなたがレ・ゾーネ・ウーミデ侯領に赴く件だが、少し考え直したほうがよいやもしれん」
「何故?」
ナーヴェは微笑んだまま小首を傾げた。
「パルーデは、少々厄介な性癖の持ち主でな。気に入った女子を愛でるのだ。われにはよく分からんが、そなたも、その対象になり得る可能性がある」
アッズーロが説明しても、ナーヴェはぴんと来ないようだった。
「別に構わないけれど? 殺される訳ではないんだよね?」
「さすがに、それはない」
「なら、いいよ。草木紙の製紙方法は、ぼくにしか教えられないし、パルーデやレ・ゾーネ・ウーミデ侯領のことを直接探れるいい機会だしね。ぼくは人ではないから、ある程度のことは問題ないよ」
「しかし、王の宝がそのようなことになるとだな……」
アッズーロは言い淀んでしまった。パルーデを探りたい思惑があるのは事実だ。パルーデには、ギアッチョの跡を継いでレ・ゾーネ・ウーミデ侯になって以来ずっと、隣国テッラ・ロッサとの裏取引疑惑がある。この機会は貴重だ。草木紙の製紙方法を教えて、新たな関係や産業を構築することも重要である。
「パルーデも馬鹿ではないと思う。まずいことであればあるほど、公にしたりはしないよ」
にこりと笑ったナーヴェに、アッズーロは溜め息をついた。
「そなたがそこまで言うなら、任せる。だが、嫌なことがあれば、すぐに言え」
「分かったよ」
ナーヴェは、どこまでも呑気な様子で頷いた。
「であれば、別件だ」
アッズーロは話題を移す。
「隣国テッラ・ロッサが、国境付近で軍事演習をしておると報告が来た。奴らは、カンナ河が欲しいのだ。だが、国境線を変更して、カンナ河をくれてやる訳にもいくまい。そなたなら、どうする?」
「水路を作る、かな」
ナーヴェは思慮深い顔で即答する。
「カンナ河から、テッラ・ロッサへ水路を引いて、水を売るんだ。こっちが狭量になりさえしなければ、いい関係が築けるはずだよ。肝心なのは、戦争をするより安い、とテッラ・ロッサに思わせることだね。――それに、それが実現すれば、パルーデのことも問題なくなる」
さらりと重大なことを口にした宝を、アッズーロは凝視した。
「そなた、知っていたか」
幼馴染みの侍従レーニョにすら話していない疑惑を、ナーヴェは掴んでいたのだ。さすが王の宝と謳うべきか。
「ぼくは、よく見える目を持っているからね」
何でもないことのように述べた宝に、アッズーロは、ふっと笑った。
「成るほどな。大臣どもに検討させよう」
顎に手を当て、話の持って行き方を検討してから、アッズーロは改めてナーヴェを見つめる。青い髪の宝は、穏やかな顔で、アッズーロを見つめ返してきた。
(やはり、これは宝だな。手放し難い)
「話は以上だ。参考になった」
告げて、アッズーロは席を立つ。
「早々に寝るがよい。明日は貧血なぞ起こすなよ」
「うん」
素直に頷いて、ナーヴェも席を立った。
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かくして。
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安定の見切り発車ですが、二月中に一日一回更新と完結に挑みます。
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タグを途中から追加します。
他サイトでも公開中。
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