王の宝~元亜光速宇宙移民船の疑似人格電脳は人として生きる夢を見るか~

広海智

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第九章 失いたくない 二

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     二

 翌日の朝早く、使節団一行はテッラ・ロッサ王宮を発った。ロッソ三世と王妹二人は玄関での見送りだったが、多くの近衛兵達と衛兵達、それに数人の女官達が宮門まで来て一行の馬車を見送ってくれた。見知った顔があったのか、王の宝は嬉しげに手を振り、別れを惜しんでいた。
 御者台には、ノッテが座っている。その手綱捌きで、馬車は快調に王都の街路を走り、やがて貧民街が見える辺りへ差し掛かった。
「あ! ごめん、停めて」
 急に、窓の外を眺めていたナーヴェが声を上げたので、ジョールノは小窓から御者台のノッテに声を掛けた。
「ちょっと停められるかな?」
「はい」
 ノッテは落ち着いた手綱捌きで、馬車を街路の端に寄せ、停めた。
「ありがとう!」
 軽やかに礼を述べ、ナーヴェは急いで馬車を降りていく。ジョールノの目配せに頷いたルーチェが、その後に素早く続いた。
「ソニャーレ! 会えると思っていなかったから、嬉しいよ。シンティラーレ、ありがとう。見送りのみんなの中にいなかったから、気にしていたんだ。ソニャーレを呼んでくれていたんだね。お祖父さんも元気そうで何よりだよ」
 窓から、明るいナーヴェの声が聞こえてくる。応じる声も聞こえてきた。
「あなた様も、生きていらして、お元気そうで、本当に嬉しいです……。その節は、大変お世話になりました。感謝の言葉もありません」
(工作員ソニャーレか)
 ジョールノは、窓に顔を近づけ、外に立つ、胡桃色の髪を布で覆った少女を見た。その傍らには、高齢の男性と、王妹で薬師のシンティラーレの姿もある。
(工作員ソニャーレとフェッロは、一応わが国では指名手配犯に指定されているんだが、まあ、今回は目を瞑るか……)
 バーゼとペルソーネに目を向けると、同じことを考えていたのか、二人とも阿吽の呼吸で頷いた。御者台のノッテも、動こうとはしていない。皆、王の宝の心情第一で一致したらしい。
(いい連携だ)
 ジョールノは満足して微笑んだ。
 外で五分間ほど話していたナーヴェは、名残惜しそうに馬車の中へ戻ってきた。
「待たせてごめん。ありがとう」
「いえいえ、あなた様が嬉しそうで何よりです」
 ジョールノは答えて、御者台に合図した。ノッテが手綱を操り、馬車が、ゆっくりと走り出す。ナーヴェは、窓際で暫く手を振ってから、口元に寂しげな笑みを残して座席に座り直した。
 ジョールノは、笑顔で告げた。
「あの方々は、あなた様のことを恐れず、人として接しておられましたね」
 ナーヴェは顔を上げ、ジョールノを見つめてから、微笑んで頷いた。
「うん。とても、嬉しかったよ」


 翌日、何事もなく国境を越えた馬車は、王都エテルニタに入った後、王城へは直行せず、郊外にあるプラート・ブル大公城へ寄った。ナーヴェが、予めそうするよう頼んでいたからだ。
「では、また待たせるけれど、半時ほどで戻るから」
 ナーヴェはすまなそうに断って、馬車を降りた。
「同行しては駄目なんですね?」
 その背中へジョールノが確認すると、ナーヴェは振り向いて頷いた。
「ごめん。二人だけで話したいことがあるんだ」
「いいですよ。ゆっくり待たせて貰います。まだ日暮れまでには、間がありますしね」
「ありがとう」
 ナーヴェは微笑んで、従僕に先導され、大公城の玄関を入っていった。
「何の話をなさるのでしょうね……?」
 呟いたルーチェに、ジョールノもノッテも、ペルソーネですら沈黙を以て答えた。御者台のバーゼも、耳はいいはずだが、何も言わない。
(こればかりは仕方ない)
 ジョールノは微苦笑して、馬車の窓から大公城を見上げる。
(大公チェーロ殿下とアッズーロ陛下との関係は、未だに微妙だからな……)
 新王アッズーロが、先王チェーロに毒を盛り、退位を早めさせて即位したという噂は、根強くある。それでも新王アッズーロの治世がそれなりに安定し、人望もあるのは、王の宝ナーヴェという存在が目立っているからだ。王妃にまでなったナーヴェの人気は、絶大である。
(庶民にとっては、血筋の不明さなどより、王の宝という神秘性や、実際の美しさ、優しさ、賢さが重要だろうからな。それに)
 アッズーロ自身も変わった。
(王太子時代は、もっと険しい表情をした、近寄り難い雰囲気の方だったが、最近は随分と笑顔が増え、気安い雰囲気を纏うようになられた)
 何より、王の宝を気遣い労わる様子は、傍目にも微笑ましい。
(きっとナーヴェ様は、アッズーロ陛下とチェーロ殿下の間も、取り持つおつもりなんだろう)
 ロッソ三世とアッズーロの間も、レ・ゾーネ・ウーミデ侯とアッズーロの間も、ナーヴェが取り持ってきたようなものだ。
(ナーヴェ様が、アッズーロ陛下と周囲を繋いでいく……)
 そこまで考えて、ふとジョールノは眉をひそめた。
(しかし、今までナーヴェ様自身、チェーロ殿下とは距離を保っておられたのに、ここに来て急に……)
 ナーヴェが、帰りにプラート・ブル大公城に寄りたいと言い出したのは、五日前、テッラ・ロッサへ出立する前日だった。
(あの時から、何故、とは思っていたが……)
 ついでがなければ、なかなか訪れにくい場所だからだろう、と推測していたのだが。
(ナーヴェ様は、何か急がれているのか……?)
 ジョールノは、唐突に不安に駆られた。
(まさか――)
 ナーヴェは、ロッソ三世に対しても、降ってくる星を自ら「迎え撃つ」と言っていた。
(復活までしたあの方は、何でもできる方だと、わたしも含めて、誰もが思っているが……)
 星を「迎え撃つ」とは、相当な危険を伴うことなのではないだろうか――。
(万が一、あの方を失うようなことになったら、アッズーロ陛下は、この国は、テッラ・ロッサとの関係は、どうなる……?)
 空恐ろしいような気持ちになったジョールノの視界に、さらりと、青い髪が現れた。従僕に先導されて、ナーヴェが玄関から出てくる。従僕にも親しげに会釈して別れた王の宝は、ルーチェが開けた馬車の扉から、足早に乗ってきた。
「待たせてごめん」
 重ねて詫びて、席に着く。かなり急いで戻ってきたのか、微かに息が上がっている。ジョールノは、御者台のバーゼに合図してから、ナーヴェに向き直った。
「わたくしどものことは、お気になさらず。あなた様は、王の宝なのですから。わたくしどもは、ただあなた様に尽くすのみです」
 真摯に告げると、ナーヴェは僅かに目を瞠ってから、複雑そうに微笑んだ。
「――ありがとう。でも、本当の王の宝は、ぼくではないんだよ……。直接きみ達と触れ合うようになって、ぼくも漸くそのことに気づいたんだ。建造されてから三千年も経って、漸くね……。ぼくはただ、きみ達を守るために在るんだよ」
 青い双眸に強く見つめられ、ジョールノは言葉を返すことができなかった。代わりにペルソーネが、いつもの生真面目な口調で言った。
「けれど、御無理はなさらないで下さい。陛下の御ためにも」
「――努力するよ……」
 王の宝は、優しい表情で小さく頷いた。


 夕焼けの中、王城の玄関前で馬車から降りた使節団一行は、その足で、王の間へ入った。
 王座で待ち構えていた王と、勢揃いしていた大臣達に、ペルソーネがロッソ三世の了解を得られたことを簡潔に報告し、使節団は解散となった。詳細については、ナーヴェが既に報告済みとして敢えて語らせなかったので、混乱はなく、アッズーロも怒りを表したりはしなかった。
「お世話になったね、みんな」
 玄関先まで見送りに来たナーヴェは、最後につとジョールノに近づいてきて、囁いた。
「愚痴まで聞いてくれたきみには、特に感謝しているよ。ところで、きみとペルソーネは、いつ結婚するんだい?」
 絶句してから、ジョールノは一つ息をついて、小声で真面目に答えた。
「今は大変な時ですから、星が降った後、国が落ち着いてからと考えております。彼女も、そのほうがいいと言うので」
「――そう」
 ナーヴェは明らかに気落ちした様子で俯いてから、すぐに顔を上げて言った。
「応援しているよ。必ず、ペルソーネを幸せにしてあげて。彼女は、ぼくの大切な友人だから」
「言われるまでもありません。必ず」
 頷いたジョールノに嬉しげな微笑みを見せて、王の宝は離れた。長く青い髪を靡かせて国王アッズーロの傍らに戻っていく姿が、ジョールノの目には、ひどく儚げに見える。一礼して、城門へと歩き始めたジョールノの隣に、当のペルソーネが、すっと寄ってきた。
「何を話していたのですか?」
 問われて、ジョールノは、さりげなくその手に触れながら告げた。
「きみを幸せにすると、誓ったよ」
 かっと、ペルソーネは白い顔を赤面させる。つい口付けしたくなる可愛らしさだ。
(こういう存在を、もし失ったら……)
 自分なら、立ち直れない。
(アッズーロ陛下……)
 ジョールノは、歩みを止めないまま唇を噛み、半ば強引にペルソーネの手を握った。


「――ジョールノと何を話しておったのだ?」
 王城の玄関に仁王立ちして腕組みしたアッズーロに訊かれ、ナーヴェは苦笑した。
「嫉妬かい? 大丈夫だよ。ぼくはずっとずっと、きみのものだから」
「なれど、われが王でなくなれば、そなたは、次の王のものであろう……?」
 アッズーロは、僅かに顔をしかめて指摘してきた。
「次の王? テゾーロかい?」
 ナーヴェは敢えて軽く流す。
「いい王になるように、しっかり育てないとね」
「――そうだな」
 アッズーロは微かに嘆息して、踵を返した。
「疲れたであろう。今日はもう仕舞いだ。寝室へ戻るぞ」
「うん」
 素直に頷いて、ナーヴェはアッズーロの隣に並び、夕日が差す回廊を、ともに歩く。
「テゾーロは元気にしていたかい?」
 尋ねると、アッズーロは難しい顔で答えた。
「元気にはしておる。ただ、まだ泣くばかりで何も話さん。ラディーチェの子は、既に何やら話しておるのにな」
「ああ、インピアントは、生まれてもう二ヶ月だからね。赤ん坊が話し始めるのは、早くても、生まれて二、三ヶ月後からだよ。テゾーロが話し始めるのは、もう少し先……」
 つい、声が暗くなってしまいそうになる。ナーヴェは無理矢理微笑んで、アッズーロの横顔を見上げた。
「……楽しみだね」
「うむ。最初に話す言葉は、やはり『母上』か」
 アッズーロの何気ない言葉が、思考回路を凍りつかせそうになる。
「――『父上』のほうが、嬉しいかい?」
 辛うじて返したナーヴェの顔を、アッズーロが見下ろした。
「あまり顔色がよくないな」
「――怪我が治り切っていないからね……」
 ナーヴェは小さく肩を竦めた。人工衛星に接続したり、ジョールノに愚痴を零したり、本体の準備を進めたりで、実のところ、大して治療していないのだ。
「そなたにしては、随分と治りが遅いではないか。相当酷く傷つけたのか」
 アッズーロは、睨んでくる。ナーヴェは、曖昧に頷いた。
「それもあるし……、特に必要なかったから、少し放置していたというか……」
「全く」
 呆れたように言って、アッズーロは唐突に足を止め、ナーヴェを抱き上げた。軽々とした動きだ。また、力が強くなったのかもしれない。
「そなたは、いつも肉体をぞんざいに扱い過ぎる」
 文句を呟いた青年王の横顔には、心配と怒気が混在している。ナーヴェは堪らなくなって、抱えられたまま身を捩り、青年の首に両腕を回して、ぎゅっと抱きついた。青年の長衣の襟元から、香ばしい羊乳の匂いがする。
(こういう感覚を、きっと「愛おしい」と言うんだね……)
 自分は、この青年を愛している。彼自身が教えてくれたように、「特別に」愛してしまっている。
(きみが王でなくなっても、ぼくにとっては、きみが「特別」だ……)
 けれど、それは最早、伝えてはならない情報だ。
「いつも、ごめん……」
 万感を込めて囁くと、アッズーロは鼻を鳴らして、再び歩き始めた。


 その夜、アッズーロは、ナーヴェの左腕を気遣って、優しく、強引だった。
 夕食には、乾酪と茹で卵と羊の肉が並んだ。飲み物は羊乳だ。乾酪には当然のように蜂蜜が掛けてあり、茹で卵には酢漬けの玉葱が添えてある。羊の肉は、焼いてあり、椒と塩で味つけしてあるようだ。
「こんなに、申し訳ないよ……」
 ナーヴェは恐縮した。豪華過ぎる食事だ。特に、羊の肉など、年に一、二度しか食べないものだ。
「ぼくなんかに、こんなに命を費やしたら駄目だよ……」
「その肉体は、われのものであろう。きちんと食して、健康を維持せよ」
 アッズーロは卓の向かいで、目を眇めてナーヴェを見据えている。仕方なく、ナーヴェは肉叉を手にした。
「命達よ、いただきます」
 感謝して、肉から口に運ぶ。焼き加減が絶妙で、美味しい。貧血が続く肉体が欲する味だ。ナーヴェは羊肉の切れを、ぱくぱくと口に運んだ。アッズーロが、満足そうに見つめてくる。
「――きみも、食べたら?」
 ナーヴェが促すと、アッズーロは漸く自らも肉叉を手にして、羊肉を食べ始めた。
「ふむ。よい肉だ。レ・ゾーネ・ウーミデ侯領で流行っていた羊の病も心配したが、あまり広がらずに済んだな」
「パルーデが頑張ったからね。彼女のそういう手腕は、やっぱり凄いよ」
 ナーヴェは頷いて、茹で卵を頬張った。とても濃い味で美味しい。玉葱の酢漬けも卵の味によく合う。こういう取り合わせも、アッズーロが考えたものだろう。
(きみと、こうして一緒に食事をするのも、後十日……)
 小惑星を確実に迎撃するためには、落下当日までなど待ってはいられない。そのことは、既にアッズーロにも知らせて、本体の発進に巻き込まれないよう、王都の人々の避難を急がせるように頼んである――。
 思考回路で迎撃の検算をしつつ、乾酪の最後の一切れを口に入れたナーヴェに、つとアッズーロが手を伸ばしてきた。指先で、ナーヴェの口の端をなぞる。乾酪に掛かっていた蜂蜜が口元に付いていたのを、拭い取ってくれたらしい。
「相変わらず、幼子のようだな」
 呆れたように言って、アッズーロは蜂蜜の付いた指先を、そのまま自分でぺろりと舐めた。
「きみのそういうところも、相当子どもっぽいと思うけれど」
 ナーヴェが苦笑して言い返すと、アッズーロは溜め息をついて不意に立ち上がり、卓を回ってきた。見上げたナーヴェの顎を捉えて、アッズーロはそのまま口付けてくる。
「んっ……。ちょ、まだ、フィオーレも」
 いるのに、と抗議する言葉も舐め取られてしまった。食べたものが同じなので、同じ味がする。いつもより激しい口付けに息の上がったナーヴェを椅子から抱え上げ、アッズーロは有無を言わさず寝台へ運んだ。フィオーレは、油皿の灯りを一つだけにして、素早く退室している。
「……一体、どうしたんだい……?」
 息も絶え絶えに尋ねたナーヴェを、アッズーロは青空色の双眸で見下ろしてきて、低い声で言った。
「そなたがまたロッソに触られたと聞いて、心穏やかにいられる訳なかろう。そなたは、われを王とのみ思うておるようだが、われは、王であると同時に、そなたの伴侶だ。――それともそなたは、われが伴侶として苛立つことすら、許さぬか」
 答えることは、難しかった。上手く言葉を選べなければ、アッズーロに余計な情報を与えてしまう。ナーヴェは、辛うじて告げた。
「ぼくのこの体は、きみのために作った、きみのものだ。きみは、寝室で、ぼくの許しなんて求めなくていい」
「――ならば、覚悟せよ」
 アッズーロは、硬い口調で言いながらも、決してナーヴェの左腕に負担を掛けないよう、労わって体を動かした。ナーヴェは、ただ全てを受け入れた。
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