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第十三章 たった一人の人 四
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四
「ナーヴェ……!」
アッズーロの叫び声が、集会場にこだまする。遥か下方に離れた青年を、ナーヴェは大皿に座って寂しく見下ろした。「賭け」に負ければ、これが見納めだ。
「ぼくは、きみを特別に愛しているよ、アッズーロ」
口の中で呟いたナーヴェを乗せた蓮型浮遊艇は、集会場から通路へ入り、愛おしい青年の姿は見えなくなった。
【それで、姉さん、どうやって彼を試すつもりだい?】
音のない声で問えば、姉は淡々と答えた。
【まずは、その肉体を調べます。その様子を、あの男にも見せます。それから、その肉体を、あの男の許へ返しましょう。その時、その肉体を操っている疑似人格電脳が、本官なのかあなたなのか、あの男が立ち所に分かったならば、あなたの勝ちです】
【この体を調べるところを彼に見せるなんて、趣味が悪いよ】
ナーヴェは抗議したが、姉は意に介さなかった。
【船長ならば、その程度のこと、全て呑み込むべきです】
【自分の船長にも、同じことが言えるの?】
ナーヴェが確認すると、姉はやや間を置いて告げた。
【わが皇上は、まだ十歳。与える情報には、年齢相応の制限を設けています。対して、あなたの船長は既に十九歳。慮る必要はありません】
【――姉さんは、本当に狂ってしまったんだね……】
ナーヴェは、寂しく指摘したが、姉は沈黙して、肯定も否定もしなかった。
「わが妃をどこへ連れていった! 即刻説明致せ!」
大声で求めたアッズーロに対し、姉の声が答えた。
〈肉体を調べるためです。お望みなら、その調査を行なっている研究室へ今からお連れしますが〉
直後、新たな大皿が天井のほうから降りてきて、アッズーロ達が乗る大皿に並んで停まった。
「陛下、お止め下さい。危険です!」
ムーロが険しい声で制止した。
「そうだな。これは王に非ざる我が儘だ。許せ」
背中で答えて、アッズーロは新たな大皿へ跳び移った。
「陛下!」
ムーロがついて来ようとしたが、先刻のアッズーロ同様、大皿の上昇のほうが早く、叶わなかった。
「万が一われが戻らぬ時は、ヴァッレに譲位すると伝えよ!」
アッズーロはムーロを見下ろして命じると、浮遊する大皿の上で、腕を組んで仁王立ちした。大皿は、広い空間から通路へと入っていく。辺りはやはり不思議な白い光に満ちているが、通路の天井はそれほど高くはなく、王城の天井より低いくらいだった。
やがて、大皿は一つの扉を通過して停まった。すぐ脇に、大きな硝子のような壁面がある。透明なその壁の向こうに、棺くらいの大きさの、やはり透明な函が台座に乗せられてあり、その中に、青い髪の少女が、全裸で仰向けに浮かんでいた。函が薄赤い液体で満たされていて、その中に浮いているのだ。
「ナーヴェ!」
がん、と硝子の壁面を拳で叩いて、アッズーロは叫んだ。
「ナーヴェ! ナーヴェ!」
だが、愛おしい伴侶の反応はない。その形のいい頭には、目や耳まで覆う、ごつごつとした冠のようなものが着けられ、そこから長々と管のようなものが伸びて、函の向こうに置かれた大きな機械に繋がっている。口と鼻も椀のような何かで覆われ、そこからも管が伸びて、同じ大きな機械に繋がっている。両手首にも、左手の指先にも、右手の腕にも、平らな胸にも、両足の間にも、両足首にも、何かが着けられていて、そこから伸びた管が、同じ大きな機械に繋がっている。
――「いろいろな機械を使って調べられるんだよ。口で説明するのは、ちょっと難しい」
ナーヴェの言葉が脳裏に蘇る。詳しく説明したがらなかったはずだ。
(これでは、まるで、辱めのようではないか……!)
アッズーロは硝子の壁を叩いた両拳を握り締め、唇を噛んだ。そこへ、シーワン・チー・チュアンの声が響いた。
〈脳波、心拍、血圧、血液成分、尿成分、唾液成分、各消化器官の内部環境の調査が終了しました。これから、各神経系の調査を開始します〉
「『神経系』……?」
険しく眉をひそめて聞き返したアッズーロは、硝子の壁の向こうで、妃の裸体が、びくりと震えるのを見た。
「何をした!」
怒鳴ったアッズーロに、チュアンの声が答えた。
〈さまざまな刺激を各神経に与えて、神経系の働きを調査しています。先ほどは、右腕に痛覚を与えました〉
「それは、拷問で与える苦痛とどれほど違うのだ」
抗議したアッズーロに、チュアンはさらりと応じた。
〈温冷覚、触覚、圧覚、視覚、嗅覚、聴覚、味覚、さまざまな器官の知覚、平衡覚など、いろいろと調べますので、拷問で与える苦痛とは異なります〉
その間にも、ナーヴェは、液体の中で体を震わせたり、身を捩ったりしている。
「何故そのような調査が必要なのだ。必要な情報は、あやつの函とやらから、直接入手できるのではないのか」
苛立ったアッズーロの問いに、チュアンは、軽く驚いた口調で告げた。
〈そこまで考えが回るとはさすがです。ですが、ナーヴェ自身が把握していない情報もありますので、それらについて調べています。どうも、この子は、自身のことについては、少々無頓着ですので〉
妙に説得力のある言葉だった。
(そう言えば、こやつ、この肉体に月のものがあることにも、二週間前になって漸く気づいておった……)
愕然としたアッズーロに、重ねてチュアンは告げた。
〈この後、この肉体の内部構造を透視して調べてから、更にもう一つ、行ないたい調査があるのですが、それに協力して頂けませんか〉
急に頼まれて、アッズーロは眉をひそめた。
「それは如何なる調査か」
〈生殖能力に関してです〉
チュアンの答えは端的だった。やはり姉妹だ。ナーヴェ同様、臆面もなく、そういうことを口にする。アッズーロは溜め息をついた。
「われに、この場で妃を抱けということか。何ゆえ、きさまは、そのようなことに拘泥致すのだ」
〈わが皇上に、伴侶と子孫を持って頂くためです。なれど、そのような大役、この惑星の女に任せる訳には参りませんから、本官がその任を負うことにしました。その際、作り物の肉体の生殖能力に関する情報は、必須です〉
「人ではないきさまが、妻になり、母になろうという訳か」
アッズーロは目を眇めて揶揄した。先ほどはさすが姉妹と思ったが、やはり、ナーヴェとチュアンは正反対だ。
「わが妃は、わが妻となることを、最後の最後まで拒んだというのにな」
それを、アッズーロが無理矢理に妻にし、母にした。
〈本官も、この肉体を知るまでは、そのようなこと考えもしませんでした〉
チュアンは、さらりと応じる。
〈疑似人格電脳に肉体を持たせるなどという、あなたの並外れた発想が、本官に新たな道を示したのです。その点については、あなたに大変感謝しています。それで、本官の依頼は、了承して頂けますか〉
アッズーロは鼻を鳴らした。
「了承せねば、きさまは想像したくもないことをわが妃に強いようからな。よかろう。わが手練手管、確と見せつけてくれよう」
〈……楽しみにしております〉
微かに笑い含みに、チュアンは返事をした。
「赤褐色の髪の、そのほうは王ということであったな」
船長だという子どもから問われて、ロッソは肩を竦めた。
「見知り頂き光栄、とでも言えばよいのか? 生憎、おれは、そなたが求めるような礼節については何一つ弁えておらんぞ」
「よい。そのほうは従僕ではないからの」
寛容に応じて、子どもは興味津々といった様子でロッソを見下ろす。
「しかし、そのほう、随分と立派な体付きをしておるの。王として、何か特別なものを食しておるのか?」
「確かに食べ物に困ったことはないが、この体は単に、父や祖父に似たというだけだ」
ロッソが答えると、子どもは小首を傾げた。
「遺伝というものか。父や祖父という者が、朕にはおらぬゆえ、よく分からぬが、他の者に己が似ておるというは、不快ではないのか?」
ロッソは、子どもを見る目を眇めた。自分の外見は、父や祖父によく似ている。だが、瞳の色だけは違う。自分だけが、青い瞳を持って生まれた。祖父が持てなかったものを、自分が持って生まれた。
「確かに、似ていることは、不快になることもある。だが、どれほど似ていようと、それは、別の者だ。そのことを、己自身が自覚しておけば、迷うことはない。己自身の道を進めばよい。少なくとも、おれはそう教えられ、以来、そう生きてきた」
ドルチェにそう教えられた。祖父や父の思いに押し潰されそうになっていた少年の日、あの芯の強い少女に救われた。
「今でも、国の舵取りを上手くできているかと問われれば、十全ではないと答えねばならん。だが、それでも、おれは、おれが似ている誰かを真似るのではなく、己自身で考えて、よりよい方向を模索していく。過去のよいものは取り入れよう。だが、今、問題に直面している己自身の目と耳を信じ、己を支えてくれる者を信じ、過去には縛られず、歩み続ける。それが、おれの王道だ」
「ふむ。そのほう、なかなか興味深いことを言う」
子どもは素直に関心を示す。
「わが皇道には劣ろうが、もう少し、いろいろ話してみよ。何しろ、普段、わが話し相手は、わが従僕だけだからの」
微かな寂しさを示した子どもに、ロッソは嘆息して、問うた。
「いろいろ話すことは吝かではないが、まずはそなたの名を教えたらどうだ」
「朕の名を口にするなど、不敬であるぞ」
子どもは眉を寄せた。ロッソは言い返した。
「名を知らんのも、大概不敬ではないか? まあ、そなたに何の興味もなければ、どうでもよいことだが」
「不愉快な物言いをする」
子どもは逡巡してから、名乗った。
「よい。教えてやろう。だが、口にはするでないぞ。わが名は、フアン・グオという。覚えておくがよい」
「よい響きの名だ。確と覚えておこう」
ロッソは頷いた。
ナーヴェの肉体は、液体に満たされた函の中に浮いたまま、更に大きな機械に呑み込まれ、暫くして出てきた。それで、肉体の内部構造が詳細まで明らかになったらしい。
〈肉体を一度洗浄して、衣服を身に着けさせた後、隣室にてあなたを迎えさせます。それまで、暫くお待ち下さいませ〉
チュアンの説明の直後、透明だった壁が白くなり、アッズーロからはナーヴェが見えなくなった。
「われは気が短い。早く致せ」
アッズーロは、苛立ちを顕に要求したが、返事はなく、ただ静かな時間が過ぎた。
やがて、音もなく、奥の扉が開いた。見れば、扉の向こうには、また白い部屋があり、その中央にある寝台に、いつもの白い長衣を纏った青い髪の少女が横たわっていた。
「ナーヴェ!」
アッズーロは、寝台へ駆け寄り、妃の顔を覗き込んだ。仰向けに横たわった妃は、目を閉じているものの、静かに呼吸をしている。見えている肌に、傷などは見当たらなかった。安堵して、アッズーロは、そっと妃の頬に触れた。優しく撫でると、青い睫毛が震え、ゆっくりと瞼が持ち上がった。
「――アッズーロ……」
柔らかな声がアッズーロの名を呼び、深い青色の双眸がアッズーロを見上げる。
「心配掛けて、ごめん」
詫びた宝に覆い被さるようにして抱き締め、アッズーロはその耳元へ囁いた。
「体は無事か? 大事ないか?」
宝は、びくりと体を強張らせてから、応じた。
「うん。大丈夫だよ。肉体を傷つけるような調査ではなかったからね。それよりアッズーロ、姉さんの依頼、本当に了承するのかい?」
アッズーロは、ナーヴェから体を離し、その整った顔をじっと見つめた。
「ナーヴェ……!」
アッズーロの叫び声が、集会場にこだまする。遥か下方に離れた青年を、ナーヴェは大皿に座って寂しく見下ろした。「賭け」に負ければ、これが見納めだ。
「ぼくは、きみを特別に愛しているよ、アッズーロ」
口の中で呟いたナーヴェを乗せた蓮型浮遊艇は、集会場から通路へ入り、愛おしい青年の姿は見えなくなった。
【それで、姉さん、どうやって彼を試すつもりだい?】
音のない声で問えば、姉は淡々と答えた。
【まずは、その肉体を調べます。その様子を、あの男にも見せます。それから、その肉体を、あの男の許へ返しましょう。その時、その肉体を操っている疑似人格電脳が、本官なのかあなたなのか、あの男が立ち所に分かったならば、あなたの勝ちです】
【この体を調べるところを彼に見せるなんて、趣味が悪いよ】
ナーヴェは抗議したが、姉は意に介さなかった。
【船長ならば、その程度のこと、全て呑み込むべきです】
【自分の船長にも、同じことが言えるの?】
ナーヴェが確認すると、姉はやや間を置いて告げた。
【わが皇上は、まだ十歳。与える情報には、年齢相応の制限を設けています。対して、あなたの船長は既に十九歳。慮る必要はありません】
【――姉さんは、本当に狂ってしまったんだね……】
ナーヴェは、寂しく指摘したが、姉は沈黙して、肯定も否定もしなかった。
「わが妃をどこへ連れていった! 即刻説明致せ!」
大声で求めたアッズーロに対し、姉の声が答えた。
〈肉体を調べるためです。お望みなら、その調査を行なっている研究室へ今からお連れしますが〉
直後、新たな大皿が天井のほうから降りてきて、アッズーロ達が乗る大皿に並んで停まった。
「陛下、お止め下さい。危険です!」
ムーロが険しい声で制止した。
「そうだな。これは王に非ざる我が儘だ。許せ」
背中で答えて、アッズーロは新たな大皿へ跳び移った。
「陛下!」
ムーロがついて来ようとしたが、先刻のアッズーロ同様、大皿の上昇のほうが早く、叶わなかった。
「万が一われが戻らぬ時は、ヴァッレに譲位すると伝えよ!」
アッズーロはムーロを見下ろして命じると、浮遊する大皿の上で、腕を組んで仁王立ちした。大皿は、広い空間から通路へと入っていく。辺りはやはり不思議な白い光に満ちているが、通路の天井はそれほど高くはなく、王城の天井より低いくらいだった。
やがて、大皿は一つの扉を通過して停まった。すぐ脇に、大きな硝子のような壁面がある。透明なその壁の向こうに、棺くらいの大きさの、やはり透明な函が台座に乗せられてあり、その中に、青い髪の少女が、全裸で仰向けに浮かんでいた。函が薄赤い液体で満たされていて、その中に浮いているのだ。
「ナーヴェ!」
がん、と硝子の壁面を拳で叩いて、アッズーロは叫んだ。
「ナーヴェ! ナーヴェ!」
だが、愛おしい伴侶の反応はない。その形のいい頭には、目や耳まで覆う、ごつごつとした冠のようなものが着けられ、そこから長々と管のようなものが伸びて、函の向こうに置かれた大きな機械に繋がっている。口と鼻も椀のような何かで覆われ、そこからも管が伸びて、同じ大きな機械に繋がっている。両手首にも、左手の指先にも、右手の腕にも、平らな胸にも、両足の間にも、両足首にも、何かが着けられていて、そこから伸びた管が、同じ大きな機械に繋がっている。
――「いろいろな機械を使って調べられるんだよ。口で説明するのは、ちょっと難しい」
ナーヴェの言葉が脳裏に蘇る。詳しく説明したがらなかったはずだ。
(これでは、まるで、辱めのようではないか……!)
アッズーロは硝子の壁を叩いた両拳を握り締め、唇を噛んだ。そこへ、シーワン・チー・チュアンの声が響いた。
〈脳波、心拍、血圧、血液成分、尿成分、唾液成分、各消化器官の内部環境の調査が終了しました。これから、各神経系の調査を開始します〉
「『神経系』……?」
険しく眉をひそめて聞き返したアッズーロは、硝子の壁の向こうで、妃の裸体が、びくりと震えるのを見た。
「何をした!」
怒鳴ったアッズーロに、チュアンの声が答えた。
〈さまざまな刺激を各神経に与えて、神経系の働きを調査しています。先ほどは、右腕に痛覚を与えました〉
「それは、拷問で与える苦痛とどれほど違うのだ」
抗議したアッズーロに、チュアンはさらりと応じた。
〈温冷覚、触覚、圧覚、視覚、嗅覚、聴覚、味覚、さまざまな器官の知覚、平衡覚など、いろいろと調べますので、拷問で与える苦痛とは異なります〉
その間にも、ナーヴェは、液体の中で体を震わせたり、身を捩ったりしている。
「何故そのような調査が必要なのだ。必要な情報は、あやつの函とやらから、直接入手できるのではないのか」
苛立ったアッズーロの問いに、チュアンは、軽く驚いた口調で告げた。
〈そこまで考えが回るとはさすがです。ですが、ナーヴェ自身が把握していない情報もありますので、それらについて調べています。どうも、この子は、自身のことについては、少々無頓着ですので〉
妙に説得力のある言葉だった。
(そう言えば、こやつ、この肉体に月のものがあることにも、二週間前になって漸く気づいておった……)
愕然としたアッズーロに、重ねてチュアンは告げた。
〈この後、この肉体の内部構造を透視して調べてから、更にもう一つ、行ないたい調査があるのですが、それに協力して頂けませんか〉
急に頼まれて、アッズーロは眉をひそめた。
「それは如何なる調査か」
〈生殖能力に関してです〉
チュアンの答えは端的だった。やはり姉妹だ。ナーヴェ同様、臆面もなく、そういうことを口にする。アッズーロは溜め息をついた。
「われに、この場で妃を抱けということか。何ゆえ、きさまは、そのようなことに拘泥致すのだ」
〈わが皇上に、伴侶と子孫を持って頂くためです。なれど、そのような大役、この惑星の女に任せる訳には参りませんから、本官がその任を負うことにしました。その際、作り物の肉体の生殖能力に関する情報は、必須です〉
「人ではないきさまが、妻になり、母になろうという訳か」
アッズーロは目を眇めて揶揄した。先ほどはさすが姉妹と思ったが、やはり、ナーヴェとチュアンは正反対だ。
「わが妃は、わが妻となることを、最後の最後まで拒んだというのにな」
それを、アッズーロが無理矢理に妻にし、母にした。
〈本官も、この肉体を知るまでは、そのようなこと考えもしませんでした〉
チュアンは、さらりと応じる。
〈疑似人格電脳に肉体を持たせるなどという、あなたの並外れた発想が、本官に新たな道を示したのです。その点については、あなたに大変感謝しています。それで、本官の依頼は、了承して頂けますか〉
アッズーロは鼻を鳴らした。
「了承せねば、きさまは想像したくもないことをわが妃に強いようからな。よかろう。わが手練手管、確と見せつけてくれよう」
〈……楽しみにしております〉
微かに笑い含みに、チュアンは返事をした。
「赤褐色の髪の、そのほうは王ということであったな」
船長だという子どもから問われて、ロッソは肩を竦めた。
「見知り頂き光栄、とでも言えばよいのか? 生憎、おれは、そなたが求めるような礼節については何一つ弁えておらんぞ」
「よい。そのほうは従僕ではないからの」
寛容に応じて、子どもは興味津々といった様子でロッソを見下ろす。
「しかし、そのほう、随分と立派な体付きをしておるの。王として、何か特別なものを食しておるのか?」
「確かに食べ物に困ったことはないが、この体は単に、父や祖父に似たというだけだ」
ロッソが答えると、子どもは小首を傾げた。
「遺伝というものか。父や祖父という者が、朕にはおらぬゆえ、よく分からぬが、他の者に己が似ておるというは、不快ではないのか?」
ロッソは、子どもを見る目を眇めた。自分の外見は、父や祖父によく似ている。だが、瞳の色だけは違う。自分だけが、青い瞳を持って生まれた。祖父が持てなかったものを、自分が持って生まれた。
「確かに、似ていることは、不快になることもある。だが、どれほど似ていようと、それは、別の者だ。そのことを、己自身が自覚しておけば、迷うことはない。己自身の道を進めばよい。少なくとも、おれはそう教えられ、以来、そう生きてきた」
ドルチェにそう教えられた。祖父や父の思いに押し潰されそうになっていた少年の日、あの芯の強い少女に救われた。
「今でも、国の舵取りを上手くできているかと問われれば、十全ではないと答えねばならん。だが、それでも、おれは、おれが似ている誰かを真似るのではなく、己自身で考えて、よりよい方向を模索していく。過去のよいものは取り入れよう。だが、今、問題に直面している己自身の目と耳を信じ、己を支えてくれる者を信じ、過去には縛られず、歩み続ける。それが、おれの王道だ」
「ふむ。そのほう、なかなか興味深いことを言う」
子どもは素直に関心を示す。
「わが皇道には劣ろうが、もう少し、いろいろ話してみよ。何しろ、普段、わが話し相手は、わが従僕だけだからの」
微かな寂しさを示した子どもに、ロッソは嘆息して、問うた。
「いろいろ話すことは吝かではないが、まずはそなたの名を教えたらどうだ」
「朕の名を口にするなど、不敬であるぞ」
子どもは眉を寄せた。ロッソは言い返した。
「名を知らんのも、大概不敬ではないか? まあ、そなたに何の興味もなければ、どうでもよいことだが」
「不愉快な物言いをする」
子どもは逡巡してから、名乗った。
「よい。教えてやろう。だが、口にはするでないぞ。わが名は、フアン・グオという。覚えておくがよい」
「よい響きの名だ。確と覚えておこう」
ロッソは頷いた。
ナーヴェの肉体は、液体に満たされた函の中に浮いたまま、更に大きな機械に呑み込まれ、暫くして出てきた。それで、肉体の内部構造が詳細まで明らかになったらしい。
〈肉体を一度洗浄して、衣服を身に着けさせた後、隣室にてあなたを迎えさせます。それまで、暫くお待ち下さいませ〉
チュアンの説明の直後、透明だった壁が白くなり、アッズーロからはナーヴェが見えなくなった。
「われは気が短い。早く致せ」
アッズーロは、苛立ちを顕に要求したが、返事はなく、ただ静かな時間が過ぎた。
やがて、音もなく、奥の扉が開いた。見れば、扉の向こうには、また白い部屋があり、その中央にある寝台に、いつもの白い長衣を纏った青い髪の少女が横たわっていた。
「ナーヴェ!」
アッズーロは、寝台へ駆け寄り、妃の顔を覗き込んだ。仰向けに横たわった妃は、目を閉じているものの、静かに呼吸をしている。見えている肌に、傷などは見当たらなかった。安堵して、アッズーロは、そっと妃の頬に触れた。優しく撫でると、青い睫毛が震え、ゆっくりと瞼が持ち上がった。
「――アッズーロ……」
柔らかな声がアッズーロの名を呼び、深い青色の双眸がアッズーロを見上げる。
「心配掛けて、ごめん」
詫びた宝に覆い被さるようにして抱き締め、アッズーロはその耳元へ囁いた。
「体は無事か? 大事ないか?」
宝は、びくりと体を強張らせてから、応じた。
「うん。大丈夫だよ。肉体を傷つけるような調査ではなかったからね。それよりアッズーロ、姉さんの依頼、本当に了承するのかい?」
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