王の宝~元亜光速宇宙移民船の疑似人格電脳は人として生きる夢を見るか~

広海智

文字の大きさ
59 / 105

第十五章 守るべきもの 二

しおりを挟む
     二

 アッズーロは寝室に入るとすぐに、ナーヴェの寝台へ目を向けた。妃は、ミエーレに見守られながら、微かに曇った表情で目を閉じている。
「起きておるか?」
 小声で尋ねたアッズーロに、ミエーレが振り向いて答えるより早く、ナーヴェ自身が目を開けた。何度か目を瞬いてから、枕元へ歩み寄ったアッズーロを見上げる。汗ばんだ顔で仄かに笑んで告げた。
「夕食は、一緒に食べるよ。食べないと、元気になれないしね……」
「そうか。卓で食せるか? それともそのまま起き上がって食すか?」
 アッズーロが気遣うと、ナーヴェは掛布の上に出していた両腕を弱々しく上げた。
「卓まで連れていってほしい。寝台を汚すと、迷惑を掛けるから」
「ナーヴェ様、そのようなことは。どうか、御無理なさらず」
 横合いからフィオーレが心配そうに言った。
「うむ。そう致せ。汚せば、わが寝台で寝ればよい」
 アッズーロは言い重ね、ナーヴェの両腕を優しく下ろさせ、代わりに、その背と肩とを支えて起こしてやった。
「ありがとう」
 ナーヴェは律儀に礼を述べ、ミエーレが、支えにと差し入れた大きな座布団に背を預ける。すかさずフィオーレが寝台脇に小卓を動かしてきて、その上にナーヴェの食事を置いた。
「これは……? 初めて見る料理だね……」
 目を瞬いたナーヴェに、アッズーロは腰に手を当てて説明した。
「蜂蜜を混ぜた麺麭を千切ったものと、発酵羊乳と杏の甘煮と、それに乾酪の欠片とを混ぜた特製麺麭粥だ。食べ易く、栄養価も高い」
「へえ……。ぼくのために考えてくれたんだね。ありがとう」
 顔を上げて微笑んだナーヴェに、アッズーロは頷いた。
「うむ。早く元気になるがよい」
「……努力するよ……」
 ナーヴェは、すまなそうに応じて、匙を手に取り、特製麺麭粥を少しずつ食べ始めた。その様子を見守るアッズーロのところへ、気を利かせたミエーレとフィオーレが、それぞれ卓と椅子、特製麺麭粥の皿と林檎果汁の瓶とを持ってくる。アッズーロは、ナーヴェと隣り合うように寝台に寄せた椅子に座ると、卓の上に置かれた己の分の特製麺麭粥を味わった。
「うむ。思うたより、少々甘さが足りなんだか」
 首を捻ったアッズーロに、ナーヴェが柔らかく告げた。
「ぼくには、このくらいの甘さが食べ易くていいよ」
「そうか。ならばよい」
 アッズーロは満足して、自分にとっては少々甘さの足りない特製麺麭粥を、好ましく食べていった。


「……それで、会議の結論は、どうなったんだい……?」
 ナーヴェは、アッズーロの愛情が篭もった特製麺麭粥を口へ運ぶ合間に尋ねた。
「ほう」
 アッズーロは粥を咀嚼しながら、感心したようにナーヴェを見る。
「殊勝なことだ。われに密かに接続したりなぞせず、大人しく寝ていたとはな」
「……まあね。きみに訊けば分かることだから」
 答えたナーヴェに、アッズーロは、今度は呆れた顔をした。
「つまり、人工衛星には接続しておったのだな?」
 完全に見透かされている。というより、誘導尋問だ。観念して、ナーヴェは肩を竦めた。
「必要な時はいいって、きみの許可が下りていたからね……。それにしても、きみは随分とぼくの扱いに慣れてきたんだね……」
「当たり前であろう」
 アッズーロは怒った顔をする。
「最愛の扱いに熟達したいと望むは、極自然なことであろうが」
「まあ、そうなんだろうけれど……」
 ナーヴェは苦笑した。やはりアッズーロの理解力や学習能力は並ではない――。
「全く、そなた、われには早う寝ろだの何だの言う癖に、自身のことには、いつまでも無頓着に過ぎよう。その肉体は、われのものだと何度言い聞かせればよいのだ」
 真剣に困っている様子のアッズーロに、ナーヴェは詫びた。
「ごめん。でも、きみが何と言おうと、ぼくは、この肉体よりも、きみと、きみの王国とを優先するよ。そこだけは、譲れない」
「たわけ」
 アッズーロは匙を持っていない左手を伸ばし、ナーヴェの頬を摘まむ。
「王妃たるそなたも、その王国の大切な一部なのだぞ」
「でも、その『王妃』が、今回の反乱を招いた要因の一つなんだろう?」
 指摘すると、アッズーロはナーヴェの頬を摘まんだまま、険しい眼差しで見返してきた。
「何ゆえ、そう思う」
「分析と推測から。違っているかい?」
 いつもより頬が痛いと感じながら、ナーヴェはアッズーロを見据えた。
「――違わん」
 アッズーロはそっぽを向くようにして認め、左手を下ろした。その横顔は、傷ついた少年のようだ。
「やっぱりね……」
 ナーヴェは溜め息をついた。アッズーロが、「最愛」と口にして憚らない自分こそが、利用されたのだ。
「この反乱には、誰か、糸を引いている人がいるよ」
「――何ゆえ、そう思う……?」
 アッズーロは先ほどと同じ問いを、より怪訝そうな面持ちで発してきた。
「分析と人類の経験から。こんなことは、歴史上よくあったことだからね」
 ナーヴェは教えて、美味しい粥の最後の一掬いを口に運んだ。


(やはり、こやつは侮れん……)
 アッズーロは、木杯の林檎果汁を淑やかに飲み干すナーヴェを見つめながら、改めて思った。政治的分析力や洞察力が並ではない――。
「ならば、糸を引いておるは誰だ?」
 問うたアッズーロに、ナーヴェは空にした木杯を見下ろして答えた。
「一番高い可能性としては、ティンブロの配下の誰かと、ロッソの配下の誰かが結託して――だと、ぼくは推測している。断定はできないけれどね。ぼくの知らない情報も多いだろうから」
「――ティンブロ自身とロッソ自身、ではないのだな?」
 確認したアッズーロに、ナーヴェは苦笑した。
「彼らを疑うのかい? ぼくは、直接彼らと話したことがあるからこそ、彼らではないと判断しているんだけれど」
「そなたの、その判断の根拠は何なのだ?」
「視線の動き、呼吸、口調、仕草なんかだね。人の態度には、その人が自分に対してどういう考えを持っているか表すものが多くある。ティンブロもロッソも、少なくともぼくに対して、オリッゾンテ・ブル王国民に反乱を起こさせようとするほどの不快感は持っていなかったよ。――それで、会議の結論は、どうなったんだい……?」
 最初の質問を繰り返したナーヴェに、アッズーロは掻い摘まんで語った。
「奴らは、われがヴァッレへ譲位することを求めておる。ゆえに、ヴァッレ自身及び奴らの支持のあるペルソーネに、説得工作に当たらせることとした」
「まあ、今打てる最良の策だね」
 ナーヴェは評価してから、付け加える。
「ただ、その手は糸を引いている相手に読まれている。更に踏み込んだ次の策が必要だよ」
「そなた、まるで軍師だな」
「ぼくはただ、人類の経験から推測しているだけだよ」
 謙遜という訳ではなく、単に事実を述べたらしいナーヴェは、深い青色の双眸をアッズーロに向ける。
「次の策として、何か案はあるのかい……?」
「反乱民には、既にバーゼを潜り込ませてある。内部からの切り崩しを図る」
「いいね……。でも、多分、テッラ・ロッサ側の間諜や工作員もいる。バーゼの正体が看破される危険性もある……」
 冷徹に考え深くナーヴェは指摘した。その青く癖のない髪が、窓から吹き込んだ夜風に靡き、そして――。
 アッズーロは椅子を蹴って立ち、ぐらりと傾いだ華奢な上体を支えた。両腕で抱えた体が、長衣越しでも熱い。
「そなた、熱が上がっておるのではないか……?」
 火照った顔を覗き込んだアッズーロに、ナーヴェは自嘲気味に肯定した。
「食事をしたら、当然、体温は上がるよ……。その所為で、少し眩暈がしただけ……」
 そのまま、ナーヴェはアッズーロの腕に頭も預けて目を閉じてしまった。
「――馬鹿者め……」
 アッズーロは苦々しく呟いて、そっとナーヴェの上体を寝台の上に横たえ、枕の上に頭を乗せ、掛布を引き上げてやる。ナーヴェの見地が知りたくて、無理をさせたのは自分だ。いつもいつも、馬鹿なのは、自分だ……。
「ナーヴェを頼む」
 アッズーロは女官二人に声を掛け、妃の前髪を優しく掻き上げて熱い額に口付けると、踵を返して執務室へ戻った。


 熱がある肉体は、動かしにくいが、眠らせることも難しい。頭痛や眩暈が睡眠を妨げる。ナーヴェは、肉体の体調管理のため接続を維持したまま、思考回路で分析を続けた。
(実際に会ったことがあるからこそ、分かる……。糸を引いている黒幕の一人――「ロッソの配下」は、エゼルチトだ……)
 だが、その意図が今一つ理解できない。だからこそ、不用意にアッズーロに告げることもできなかった。
(アッズーロは、すぐ態度に出るからね……)
 面と向かっての化かし合いには向かない性格だ。
(さて、どうやってエゼルチトの考えを探ろう……?)
 ボルド、ソニャーレ、ジェネラーレ、デコラチオーネ、リラッサーレ、ブリラーレ、シンティラーレ、ロッソ三世……。何人かの人々を思い浮かべて、ナーヴェは溜め息をついた。
(すぐに話ができるのは、ボルドだけだね……)
 誰とでも話ができる肉体は便利だが、距離的な制約が掛かるのは面倒だ。
(今の本体の飛行形態を変更すれば、すぐ飛んでいけるけれど……)
 肉体を蔑ろにすると、アッズーロが悲しむ。今の本体ならば、肉体と両方同時に操ることが可能ではあるが――。
(どうしても緻密な管理はできなくなるし……、少なくとも今夜は、肉体の管理に専念しよう)
 ナーヴェは寝返りを打って、肉体が少しでも心地よく休めるよう工夫し始めた。夕食の片付けを終えた女官二人が油皿の灯火を消したらしく、寝室が暗くなる。密やかな足音からすれば、ミエーレが皿や木杯や瓶などを盆で運び出し、フィオーレが寝室に残ったようだ。ナーヴェの寝台脇に置いたままの椅子に腰掛け、こちらを見守っている気配がある。
(みんな優しい……)
 女官達は、きっとアッズーロの命令がなくとも、熱があるナーヴェの肉体を決して一人にはしないだろう。
(夜風が気持ちいい……)
 開けたままの窓から入ってくる初夏の夜風は、火照った肌の上を爽やかに吹き抜けていく。
(ここは、とても居心地がいい……)
 隣の執務室で報告書を読んでいるアッズーロとレーニョの、低い声の会話が、ぼそぼそと響いてくる。
(ぼくの子ども達みんなが、平和に暮らせるように……)
 ナーヴェが世代交代の様子を見てきた人々の末裔達、その全員が、幸せに生きられるように。
(ウッチェーロ、ぼくは、ぼくの全てを使い尽くすから)
――「おまえなら、できる」
 記録の中のウッチェーロが、朗らかに笑った。


「お母様、よく御無事で……」
 部屋に入ってくるなり抱きついてきた娘を、ジラソーレは優しく抱き締めた。
「陛下と妃殿下に助けて頂きました」
「妃殿下の操る船は、それは凄いものだったぞ」
 最後に部屋に入ってきた夫が、娘に自慢するように言った。
「あれは、ナーヴェ様の新しい本体と伺いました」
 ペルソーネは父親を振り向いて告げる。
「ですから、逆ですわ、お父様。あの船が、ナーヴェ様の肉体を操っているのです」
「……そうか。話には聞いていたが、随分とややこしいのだな」
 夫は困惑したように頭を掻く。普段は、しっかりとした頼り甲斐のある夫だが、何故か娘のペルソーネの前でだけは、形無しだ。とにかく、こんな時とはいえ、久し振りの家族水入らずである。
「さあ、夕食に致しましょう。今宵の料理は、陛下御自ら御考案なさったという、特製麺麭粥だそうですよ」
 声を掛けて、ジラソーレは娘と夫を、夕食が調えられた卓へと誘った。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

とっていただく責任などありません

まめきち
恋愛
騎士団で働くヘイゼルは魔物の討伐の際に、 団長のセルフイスを庇い、魔法陣を踏んでしまう。 この魔法陣は男性が踏むと女性に転換するもので、女性のヘイゼルにはほとんど影響のない物だった。だか国からは保証金が出たので、騎士を辞め、念願の田舎暮らしをしようとしたが!? ヘイゼルの事をずっと男性だと思っていたセルフイスは自分のせいでヘイゼルが職を失っただと思って来まい。 責任を取らなければとセルフイスから、 追いかけられる羽目に。

召喚とか聖女とか、どうでもいいけど人の都合考えたことある?

浅海 景
恋愛
水谷 瑛莉桂(みずたに えりか)の目標は堅実な人生を送ること。その一歩となる社会人生活を踏み出した途端に異世界に召喚されてしまう。召喚成功に湧く周囲をよそに瑛莉桂は思った。 「聖女とか絶対ブラックだろう!断固拒否させてもらうから!」 ナルシストな王太子や欲深い神官長、腹黒騎士などを相手に主人公が幸せを勝ち取るため奮闘する物語です。

天才天然天使様こと『三天美女』の汐崎真凜に勝手に婚姻届を出され、いつの間にか天使の旦那になったのだが...。【動画投稿】

田中又雄
恋愛
18の誕生日を迎えたその翌日のこと。 俺は分籍届を出すべく役所に来ていた...のだが。 「えっと...結論から申し上げますと...こちらの手続きは不要ですね」「...え?どういうことですか?」「昨日、婚姻届を出されているので親御様とは別の戸籍が作られていますので...」「...はい?」 そうやら俺は知らないうちに結婚していたようだった。 「あの...相手の人の名前は?」 「...汐崎真凛様...という方ですね」 その名前には心当たりがあった。 天才的な頭脳、マイペースで天然な性格、天使のような見た目から『三天美女』なんて呼ばれているうちの高校のアイドル的存在。 こうして俺は天使との-1日婚がスタートしたのだった。

わたしたちの庭

犬飼ハルノ
恋愛
「おい、ウェスト伯。いくらなんでもこんなみすぼらしい子どもに金を払えと?」 「まあまあ、ブルーノ伯爵。この子の母親もこんな感じでしたが、年ごろになると見違えるように成熟しましたよ。後妻のアリスは元妻の従妹です。あの一族の女は容姿も良いし、ぽんぽんと子どもを産みますよ」 「ふうん。そうか」 「直系の跡継ぎをお望みでしょう」 「まあな」 「しかも伯爵以上の正妻の子で年ごろの娘に婚約者がいないのは、この国ではこの子くらいしかもう残っていませんよ」 「ふ……。口が上手いなウェスト伯。なら、買い取ってやろうか、その子を」  目の前で醜悪な会話が繰り広げられる中、フィリスは思った。  まるで山羊の売買のようだと。  かくして。  フィリスの嫁ぎ先が決まった。 ------------------------------------------  安定の見切り発車ですが、二月中に一日一回更新と完結に挑みます。  ヒロインのフィリスが自らの力と人々に支えられて幸せをつかむ話ですが、  序盤は暗く重い展開です。  タグを途中から追加します。   他サイトでも公開中。

地獄の業火に焚べるのは……

緑谷めい
恋愛
 伯爵家令嬢アネットは、17歳の時に2つ年上のボルテール侯爵家の長男ジェルマンに嫁いだ。親の決めた政略結婚ではあったが、小さい頃から婚約者だった二人は仲の良い幼馴染だった。表面上は何の問題もなく穏やかな結婚生活が始まる――けれど、ジェルマンには秘密の愛人がいた。学生時代からの平民の恋人サラとの関係が続いていたのである。  やがてアネットは男女の双子を出産した。「ディオン」と名付けられた男児はジェルマンそっくりで、「マドレーヌ」と名付けられた女児はアネットによく似ていた。  ※ 全5話完結予定  

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

処理中です...