60 / 105
第十五章 守るべきもの 三
しおりを挟む
三
「アッズーロ、ボルドとまた、話がしたいんだ」
開口一番請われて、寝室に戻ったアッズーロは眉をひそめた。
「一体、何を訊くつもりだ」
窓から僅かに差し込む月明かりの中、ナーヴェの寝台へ歩み寄り、立ち上がったフィオーレと交代して、アッズーロは枕辺の椅子に座った。
「ちょっとテッラ・ロッサの内情について知りたいことがあってね」
ナーヴェはぼんやりとした答えを返してきた。詳細は語りたくないらしい。
「では、明日だ。今夜は休め。まだ熱があるのだろう?」
「まあ、平熱よりは高いね……」
渋々といった様子で認めて、ナーヴェは微かに溜め息をついた。そんな姿ですら、淡い月光に照らされて、とても美しい。アッズーロは、椅子から寝台へと座り直して、ナーヴェの青い髪にそっと指を差し入れた。ゆるゆると手で長い髪を梳くと、ナーヴェは気持ちよさげに目を閉じる。可愛らしい。愛おしい。国政になど関わらせず、この王城で、ただ穏やかに幸せに過ごさせたいという願望が膨れ上がってくる。
(だが、そなたはそれを受け入れはすまい。そしてわれも、まだまだ、そなたを当てにしてしまうだろう……)
ナーヴェ・デッラ・スペランツァは、公私に渡って必要不可欠だ。
密やかに嘆息して、アッズーロは青い髪から白い頬へと、手を動かした。目元を撫でると、ナーヴェは青い睫毛を揺らして瞼を上げる。瑠璃に似た双眸が、アッズーロを見上げた。その瞼へ口付けようとしたアッズーロの先を制して、ナーヴェは問うてきた。
「きみは、反乱を起こしている人達のことを、どう思っているんだい……?」
「糸を引いておる者がいるにしても、簡単に操られた不届きな輩どもだ」
端的に告げると、予想通りナーヴェは表情を曇らせた。全く、博愛主義な宝である。アッズーロは不機嫌に言葉を継いだ。
「――と言いたいところだが、奴らにも何か事情があるのだろう。それを調査させようとは思う。そなたをわが妃としたことが反乱の要因の一つではあろうが、全てではなかろうからな。事情を知らねば、またいずれ同じ事態を招く。その愚を犯す訳にはいかん」
「よかった。ぼくも、その調査を手伝うから」
ナーヴェは安堵した声音で告げ、再び目を閉じた。手で触れている頬はやはり少し熱い。アッズーロは顔をしかめて、掛布を引き上げてやると、ナーヴェの寝台を離れた。
(そなたのことだ、調査なぞ、疾うに始めておるのだろう)
肉体を大人しく眠らせている間も、ナーヴェの本体は一体何をしているのか知れたものではない。油断のならない妃である。
(ボルドと話したいというのも、その一環か)
胸中で文句を呟きながら、歯磨きと着替えと洗面を終え、アッズーロは改めてナーヴェの寝台へ歩み寄った。最愛は、穏やかな寝息を立てている。その隣へ横たわって、掛布の中へ入り、アッズーロは妃に体を寄せて目を閉じた。温もりを共有し、眠る。ただそれだけのことが無性に嬉しい。
(そなたの本体にも、早々に家を造ってやらねばな……)
未だ慣れないが、傍らで眠っている、温かくしなやかで華奢な体は、愛おしい宝の本当の体ではないのだ。現在の本体は、この寝室の窓から見下ろせる庭園に鎮座したままだ。
(あの場所に、豪奢で頑丈な造りの家を造らせよう……)
謙虚な宝は辞退しようとするだろうが、そこは譲れない。
(ナーヴェ、そなたを愛している……)
どれだけ口にしても足りない言葉を思いつつ、アッズーロは眠りに就いた。
翌朝、アッズーロは約束を守って、ボルドを朝食の席に呼びつけた。
「わが妃が、おまえと話したいと言うておる」
用件を告げた青年王に続き、王の宝が口を開いた。
「きみがエゼルチトについて知っていることを、全て教えてほしい」
端的に求められて、ボルドはすぐに察した。少なくとも王の宝は、今回の反乱に、エゼルチトが関わっていると睨んでいるのだ。
「分かりました」
了解して、ボルドは語り始めた。
「エゼルチト様は、十七歳でオンダ伯となられました。お父上が御病気であったので、早くに継がれたのだと聞いています。頭の回転が速く、知識も豊富で、剣の腕も秀でていらっしゃったので、二十歳の時には将軍となられました。ロッソ三世陛下が、お引き立てになったとも言われています。その後、エゼルチト様は、ロッソ三世陛下に忠誠を誓い続けて、沙漠地帯の開発や、その……対オリッゾンテ・ブル政策などにも、積極的に意見を述べ、関わっていらっしゃいます」
「成るほどね……。よく分かったよ」
どの辺りがよく分かったのだろう。僅かに眉をひそめたボルドに、王の宝は優しい笑みを向ける。
「これからも、きみに相談することがあるかもしれない。その時は宜しく頼むよ。朝から呼びつけてすまなかったね」
「いえ。分かりました。いつでも、何なりとお申し付け下さい」
一礼して、ボルドは退室した。
「――糸を引いておるは、エゼルチトということか」
アッズーロの確認に、ナーヴェは、南瓜と羊乳の汁物を匙で飲みながら微笑んだ。
「まだ、その可能性が高いというだけだよ。ぼくが直接会ったことのある人の中から候補を捜したら、彼だというだけさ。証拠固めはこれからするよ。ただ……」
ナーヴェは難しい顔になる。
「一度起きた反乱は、糸を引いている誰かを拘束したとしても、すぐには収束しない。反乱に参加した人々には、それぞれの理由があるだろうからね。調査しないといけないのは、糸を引いている誰かに加えて、それらの理由もだよ。ぼく達は、真摯に人々に向き合わないといけないんだ」
「面倒なことだな」
アッズーロは匙を使う手を止めて嘆息した。
「でも、それらの理由がはっきりすれば、ここから先の治世はかなり安定したものにできるはずだよ」
ナーヴェは明るい表情で励ましてくる。
「一緒に努力しよう」
「全く、そなたはいつもながら、われに何の逃げ道も与えんな……」
アッズーロは苦笑するしかなかった。
アッズーロには、「可能性が高い」とだけ伝えたが、ナーヴェは実のところ糸を引いているのがエゼルチトであると確信していた。エゼルチトの家族構成については、先祖からの家系図に至るまで把握している。テッラ・ロッサ王国の大まかな政局も情報として蓄積している。その上で、ボルドの話を聞けば、エゼルチトのロッソへの心酔が如何に深いものであるかが理解できたのだ。エゼルチトが意図していることも、今や明白である。だからこそ、すぐ態度に表れるアッズーロに、エゼルチトが怪しいと伝えても吝かではないと判断した。事ここに至れば、エゼルチトには寧ろ、こちらが怪しんでいると伝わったほうがいい。
(後は、きみとどうやって直接話をするかだね……)
エゼルチトを完全に敵に回そうとは思わない。彼はロッソ三世の大切な臣下だ。
(ロッソとアッズーロの関係の方向性とその重要性について、きみに長々と説明しに行きたいんだけれど……)
朝食後に戻った寝台の中で、ナーヴェは溜め息をつく。
(まずは、反乱をある程度収めるほうが先だね……)
姉に会いに行く道中で、エゼルチトともっと話しておけばよかったと反省しながら、ナーヴェは静止衛星軌道上の人工衛星に接続した。
昨日から断続的に静止衛星軌道上の人工衛星に接続して調べているのは、反乱の中心人物達についてである。一糎掛ける一糎の分解能を誇る光学測定器で、反乱民となっている人々の顔については、大凡記録した。後は、誰が中心人物として動き、各自の動機が何かということだ。
(得体の知れないぼくがペルソーネを差し置いて王妃になったり、ぼくの本体だった神殿が跡形もなく消えたりしたこと以外にも、彼らには理由があるはず……。そうでなければ、これだけ多くの人が、命懸けで王に刃向かったりはしない……)
チェーロがグランディナーレの死から立ち直れず、政治を疎かにしたため、人々の心は彼から離れてしまった。その息子たるアッズーロに対しても、人々の期待は薄かったが、王の宝たるナーヴェが王妃となったことにより、世論は改善された。しかし、カテーナ・ディ・モンターニェ侯領でだけは事情が違ったのだ。カテーナ・ディ・モンターニェ侯女ペルソーネが王妃候補であることは、広く知られていた。ペルソーネには人望もある。ゆえに、カテーナ・ディ・モンターニェ侯領においてだけは、ナーヴェが王妃となったことが、好影響ではなく悪影響をもたらしたのだ――。
(ゼーロ、タッソ、チーニョ、ドゥーエ、ベッリースィモ、キアーヴェ。このくらいが反乱を主導している中心人物達かな……)
話している内容は、口の動きが鮮明に見えた場合にのみ判明するので、全ては分からないが、中でもゼーロとベッリースィモが首魁的役割を果たしているようだ。
(ゼーロは代々続いた農家の出身だけれど……、ベッリースィモは諸侯に連なる血筋だ。気になるね……)
他にも、違和感を覚える人物がいる。
(キアーヴェは、カテーナ・ディ・モンターニェ侯領出身ではなく、レ・ゾーネ・ウーミデ侯領出身か……。怪しいね……)
ベッリースィモが糸を引いているもう一人。そして、キアーヴェがエゼルチトの送り込んだ工作員といったところか。
(エゼルチトの意図は推測できたけれど、ベッリースィモの意図はまだ分からないな……)
ベッリースィモは、周りの反乱民にも、自らの真意を伝えていない様子である。引き続き調査が必要だが……ナーヴェは一旦、人工衛星への接続を切った。
「はあ……」
呼吸がどうしても荒くなる。未だ、肉体の調子は落ち着いていない。
(午後には、ペルソーネとヴァッレが、ピアット・ディ・マレーア侯領にいるジョールノと合流して、カテーナ・ディ・モンターニェ侯領を訪れて、現地のバーゼと連絡を取り合い、反乱民への説得に当たる。その時にまた、人工衛星に接続できるように、この体の調子を整えておかないと……)
ルーチェは借りた馬を走らせて王城に戻ってきたが、ジョールノは、こういうこともあろうかとピアット・ディ・マレーア侯領に留まっていたのだ。ナーヴェとしても、通信端末を持っているジョールノがカテーナ・ディ・モンターニェ侯領近くにいてくれることは心強い。
(ペルソーネと漸く再会させてあげられるけれど、嬉しくない状況だから、申し訳ないな……)
ナーヴェは何度か深呼吸を繰り返したのち、接続を保った肉体を眠らせた。
結論から述べれば、ヴァッレとペルソーネによる反乱民への説得工作は、失敗に終わった。
王城の庭園に置いた本体の操縦席に肉体を預け、人工衛星に接続したナーヴェは、傍らのアッズーロに、段々と緊迫していく光景を伝えていかねばならなかった。
「反乱を起こしている人達が投石を始めた。大丈夫、ジョールノがヴァッレとペルソーネを下がらせている。ジョールノの判断かな、護衛に付かせた兵士達はまだ前面には出ていないけれど、準備はしているよ」
ヴァッレ達とともに派遣した将軍ファルコに預けた兵士は、歩兵が二百、騎兵が三十である。これまでに観測してきた反乱民の規模ならば、充分対応できる軍の規模だ。しかし、遙か上空から状況を観測するナーヴェの目に、予測外の事態が映った。
「近くの林の中に伏兵がいる……! どう見ても、暴動に参加している人達を支援する立ち位置だね……。しかも訓練された動きだ。これは、少しまずいよ……」
「ヴァッレ達の脱出が危ういということか」
アッズーロが苛立った声を出した。この王城から講じることの可能な、あらゆる措置を模索しつつ、歯噛みしているのだろう。
「このままだと危ういね。だから、ぼくが行くよ。きみは今すぐ降りて」
ナーヴェは提案した。しかし、こちらは予測通り、アッズーロは断ってきた。
「降りはせん。われも行く。危うい状況ならば、その場での王の判断が必要であろう」
「危ういから、連れていきたくないんだけれど?」
ナーヴェはやんわり抗議したが、アッズーロは頑固だった。
「そなたなしでは、状況も掴めん。それでは、王たる責務を果たせん。そなたは、われを単なる飾りの王にする気か」
言葉が、いつもより鋭い。ヴァッレやペルソーネが自らの命令によって危険に晒されているので、平静を保つのが難しいのだろう。
(きみは責任感の塊で、しかも、基本的に心優しいから、仕方ないか……)
ナーヴェは肉体で溜め息をついた。とりあえず、連れていくだけ連れていって、本体の中に閉じ込めておけば、少なくともアッズーロは安全だろう。
「分かったよ。なら、すぐ飛び立つから、助手席に座って」
指示して、ナーヴェは本体を起動させた。助手席に大人しく腰掛けたアッズーロを、座席帯で固定しつつ、浮揚飛行形態で発進して、城壁を飛び越え、街路へ一度降りた。そこで、噴流推進飛行形態へと、飛行形態を変更する。後部噴射口からの噴流のみで飛行する噴流推進飛行形態のほうが、速度は格段に上がるのだ。
「行くよ。少し圧が掛かるから、気を付けて」
ナーヴェはアッズーロに注意を促すと、前方を行く人々や馬車にも本体からの放送で警告した。
〈みんな、道を空けて。ぶつかったら、大怪我をしてしまうから、すぐに道を空けて〉
王城から出てきた、神殿に似た雰囲気の物体を前に、人々も馬車も大慌てで街路の両端に寄ってくれる。
〈ありがとう〉
礼を述べて、ナーヴェは後部噴射口を全開にして、一気に推進剤を噴射した。
「アッズーロ、ボルドとまた、話がしたいんだ」
開口一番請われて、寝室に戻ったアッズーロは眉をひそめた。
「一体、何を訊くつもりだ」
窓から僅かに差し込む月明かりの中、ナーヴェの寝台へ歩み寄り、立ち上がったフィオーレと交代して、アッズーロは枕辺の椅子に座った。
「ちょっとテッラ・ロッサの内情について知りたいことがあってね」
ナーヴェはぼんやりとした答えを返してきた。詳細は語りたくないらしい。
「では、明日だ。今夜は休め。まだ熱があるのだろう?」
「まあ、平熱よりは高いね……」
渋々といった様子で認めて、ナーヴェは微かに溜め息をついた。そんな姿ですら、淡い月光に照らされて、とても美しい。アッズーロは、椅子から寝台へと座り直して、ナーヴェの青い髪にそっと指を差し入れた。ゆるゆると手で長い髪を梳くと、ナーヴェは気持ちよさげに目を閉じる。可愛らしい。愛おしい。国政になど関わらせず、この王城で、ただ穏やかに幸せに過ごさせたいという願望が膨れ上がってくる。
(だが、そなたはそれを受け入れはすまい。そしてわれも、まだまだ、そなたを当てにしてしまうだろう……)
ナーヴェ・デッラ・スペランツァは、公私に渡って必要不可欠だ。
密やかに嘆息して、アッズーロは青い髪から白い頬へと、手を動かした。目元を撫でると、ナーヴェは青い睫毛を揺らして瞼を上げる。瑠璃に似た双眸が、アッズーロを見上げた。その瞼へ口付けようとしたアッズーロの先を制して、ナーヴェは問うてきた。
「きみは、反乱を起こしている人達のことを、どう思っているんだい……?」
「糸を引いておる者がいるにしても、簡単に操られた不届きな輩どもだ」
端的に告げると、予想通りナーヴェは表情を曇らせた。全く、博愛主義な宝である。アッズーロは不機嫌に言葉を継いだ。
「――と言いたいところだが、奴らにも何か事情があるのだろう。それを調査させようとは思う。そなたをわが妃としたことが反乱の要因の一つではあろうが、全てではなかろうからな。事情を知らねば、またいずれ同じ事態を招く。その愚を犯す訳にはいかん」
「よかった。ぼくも、その調査を手伝うから」
ナーヴェは安堵した声音で告げ、再び目を閉じた。手で触れている頬はやはり少し熱い。アッズーロは顔をしかめて、掛布を引き上げてやると、ナーヴェの寝台を離れた。
(そなたのことだ、調査なぞ、疾うに始めておるのだろう)
肉体を大人しく眠らせている間も、ナーヴェの本体は一体何をしているのか知れたものではない。油断のならない妃である。
(ボルドと話したいというのも、その一環か)
胸中で文句を呟きながら、歯磨きと着替えと洗面を終え、アッズーロは改めてナーヴェの寝台へ歩み寄った。最愛は、穏やかな寝息を立てている。その隣へ横たわって、掛布の中へ入り、アッズーロは妃に体を寄せて目を閉じた。温もりを共有し、眠る。ただそれだけのことが無性に嬉しい。
(そなたの本体にも、早々に家を造ってやらねばな……)
未だ慣れないが、傍らで眠っている、温かくしなやかで華奢な体は、愛おしい宝の本当の体ではないのだ。現在の本体は、この寝室の窓から見下ろせる庭園に鎮座したままだ。
(あの場所に、豪奢で頑丈な造りの家を造らせよう……)
謙虚な宝は辞退しようとするだろうが、そこは譲れない。
(ナーヴェ、そなたを愛している……)
どれだけ口にしても足りない言葉を思いつつ、アッズーロは眠りに就いた。
翌朝、アッズーロは約束を守って、ボルドを朝食の席に呼びつけた。
「わが妃が、おまえと話したいと言うておる」
用件を告げた青年王に続き、王の宝が口を開いた。
「きみがエゼルチトについて知っていることを、全て教えてほしい」
端的に求められて、ボルドはすぐに察した。少なくとも王の宝は、今回の反乱に、エゼルチトが関わっていると睨んでいるのだ。
「分かりました」
了解して、ボルドは語り始めた。
「エゼルチト様は、十七歳でオンダ伯となられました。お父上が御病気であったので、早くに継がれたのだと聞いています。頭の回転が速く、知識も豊富で、剣の腕も秀でていらっしゃったので、二十歳の時には将軍となられました。ロッソ三世陛下が、お引き立てになったとも言われています。その後、エゼルチト様は、ロッソ三世陛下に忠誠を誓い続けて、沙漠地帯の開発や、その……対オリッゾンテ・ブル政策などにも、積極的に意見を述べ、関わっていらっしゃいます」
「成るほどね……。よく分かったよ」
どの辺りがよく分かったのだろう。僅かに眉をひそめたボルドに、王の宝は優しい笑みを向ける。
「これからも、きみに相談することがあるかもしれない。その時は宜しく頼むよ。朝から呼びつけてすまなかったね」
「いえ。分かりました。いつでも、何なりとお申し付け下さい」
一礼して、ボルドは退室した。
「――糸を引いておるは、エゼルチトということか」
アッズーロの確認に、ナーヴェは、南瓜と羊乳の汁物を匙で飲みながら微笑んだ。
「まだ、その可能性が高いというだけだよ。ぼくが直接会ったことのある人の中から候補を捜したら、彼だというだけさ。証拠固めはこれからするよ。ただ……」
ナーヴェは難しい顔になる。
「一度起きた反乱は、糸を引いている誰かを拘束したとしても、すぐには収束しない。反乱に参加した人々には、それぞれの理由があるだろうからね。調査しないといけないのは、糸を引いている誰かに加えて、それらの理由もだよ。ぼく達は、真摯に人々に向き合わないといけないんだ」
「面倒なことだな」
アッズーロは匙を使う手を止めて嘆息した。
「でも、それらの理由がはっきりすれば、ここから先の治世はかなり安定したものにできるはずだよ」
ナーヴェは明るい表情で励ましてくる。
「一緒に努力しよう」
「全く、そなたはいつもながら、われに何の逃げ道も与えんな……」
アッズーロは苦笑するしかなかった。
アッズーロには、「可能性が高い」とだけ伝えたが、ナーヴェは実のところ糸を引いているのがエゼルチトであると確信していた。エゼルチトの家族構成については、先祖からの家系図に至るまで把握している。テッラ・ロッサ王国の大まかな政局も情報として蓄積している。その上で、ボルドの話を聞けば、エゼルチトのロッソへの心酔が如何に深いものであるかが理解できたのだ。エゼルチトが意図していることも、今や明白である。だからこそ、すぐ態度に表れるアッズーロに、エゼルチトが怪しいと伝えても吝かではないと判断した。事ここに至れば、エゼルチトには寧ろ、こちらが怪しんでいると伝わったほうがいい。
(後は、きみとどうやって直接話をするかだね……)
エゼルチトを完全に敵に回そうとは思わない。彼はロッソ三世の大切な臣下だ。
(ロッソとアッズーロの関係の方向性とその重要性について、きみに長々と説明しに行きたいんだけれど……)
朝食後に戻った寝台の中で、ナーヴェは溜め息をつく。
(まずは、反乱をある程度収めるほうが先だね……)
姉に会いに行く道中で、エゼルチトともっと話しておけばよかったと反省しながら、ナーヴェは静止衛星軌道上の人工衛星に接続した。
昨日から断続的に静止衛星軌道上の人工衛星に接続して調べているのは、反乱の中心人物達についてである。一糎掛ける一糎の分解能を誇る光学測定器で、反乱民となっている人々の顔については、大凡記録した。後は、誰が中心人物として動き、各自の動機が何かということだ。
(得体の知れないぼくがペルソーネを差し置いて王妃になったり、ぼくの本体だった神殿が跡形もなく消えたりしたこと以外にも、彼らには理由があるはず……。そうでなければ、これだけ多くの人が、命懸けで王に刃向かったりはしない……)
チェーロがグランディナーレの死から立ち直れず、政治を疎かにしたため、人々の心は彼から離れてしまった。その息子たるアッズーロに対しても、人々の期待は薄かったが、王の宝たるナーヴェが王妃となったことにより、世論は改善された。しかし、カテーナ・ディ・モンターニェ侯領でだけは事情が違ったのだ。カテーナ・ディ・モンターニェ侯女ペルソーネが王妃候補であることは、広く知られていた。ペルソーネには人望もある。ゆえに、カテーナ・ディ・モンターニェ侯領においてだけは、ナーヴェが王妃となったことが、好影響ではなく悪影響をもたらしたのだ――。
(ゼーロ、タッソ、チーニョ、ドゥーエ、ベッリースィモ、キアーヴェ。このくらいが反乱を主導している中心人物達かな……)
話している内容は、口の動きが鮮明に見えた場合にのみ判明するので、全ては分からないが、中でもゼーロとベッリースィモが首魁的役割を果たしているようだ。
(ゼーロは代々続いた農家の出身だけれど……、ベッリースィモは諸侯に連なる血筋だ。気になるね……)
他にも、違和感を覚える人物がいる。
(キアーヴェは、カテーナ・ディ・モンターニェ侯領出身ではなく、レ・ゾーネ・ウーミデ侯領出身か……。怪しいね……)
ベッリースィモが糸を引いているもう一人。そして、キアーヴェがエゼルチトの送り込んだ工作員といったところか。
(エゼルチトの意図は推測できたけれど、ベッリースィモの意図はまだ分からないな……)
ベッリースィモは、周りの反乱民にも、自らの真意を伝えていない様子である。引き続き調査が必要だが……ナーヴェは一旦、人工衛星への接続を切った。
「はあ……」
呼吸がどうしても荒くなる。未だ、肉体の調子は落ち着いていない。
(午後には、ペルソーネとヴァッレが、ピアット・ディ・マレーア侯領にいるジョールノと合流して、カテーナ・ディ・モンターニェ侯領を訪れて、現地のバーゼと連絡を取り合い、反乱民への説得に当たる。その時にまた、人工衛星に接続できるように、この体の調子を整えておかないと……)
ルーチェは借りた馬を走らせて王城に戻ってきたが、ジョールノは、こういうこともあろうかとピアット・ディ・マレーア侯領に留まっていたのだ。ナーヴェとしても、通信端末を持っているジョールノがカテーナ・ディ・モンターニェ侯領近くにいてくれることは心強い。
(ペルソーネと漸く再会させてあげられるけれど、嬉しくない状況だから、申し訳ないな……)
ナーヴェは何度か深呼吸を繰り返したのち、接続を保った肉体を眠らせた。
結論から述べれば、ヴァッレとペルソーネによる反乱民への説得工作は、失敗に終わった。
王城の庭園に置いた本体の操縦席に肉体を預け、人工衛星に接続したナーヴェは、傍らのアッズーロに、段々と緊迫していく光景を伝えていかねばならなかった。
「反乱を起こしている人達が投石を始めた。大丈夫、ジョールノがヴァッレとペルソーネを下がらせている。ジョールノの判断かな、護衛に付かせた兵士達はまだ前面には出ていないけれど、準備はしているよ」
ヴァッレ達とともに派遣した将軍ファルコに預けた兵士は、歩兵が二百、騎兵が三十である。これまでに観測してきた反乱民の規模ならば、充分対応できる軍の規模だ。しかし、遙か上空から状況を観測するナーヴェの目に、予測外の事態が映った。
「近くの林の中に伏兵がいる……! どう見ても、暴動に参加している人達を支援する立ち位置だね……。しかも訓練された動きだ。これは、少しまずいよ……」
「ヴァッレ達の脱出が危ういということか」
アッズーロが苛立った声を出した。この王城から講じることの可能な、あらゆる措置を模索しつつ、歯噛みしているのだろう。
「このままだと危ういね。だから、ぼくが行くよ。きみは今すぐ降りて」
ナーヴェは提案した。しかし、こちらは予測通り、アッズーロは断ってきた。
「降りはせん。われも行く。危うい状況ならば、その場での王の判断が必要であろう」
「危ういから、連れていきたくないんだけれど?」
ナーヴェはやんわり抗議したが、アッズーロは頑固だった。
「そなたなしでは、状況も掴めん。それでは、王たる責務を果たせん。そなたは、われを単なる飾りの王にする気か」
言葉が、いつもより鋭い。ヴァッレやペルソーネが自らの命令によって危険に晒されているので、平静を保つのが難しいのだろう。
(きみは責任感の塊で、しかも、基本的に心優しいから、仕方ないか……)
ナーヴェは肉体で溜め息をついた。とりあえず、連れていくだけ連れていって、本体の中に閉じ込めておけば、少なくともアッズーロは安全だろう。
「分かったよ。なら、すぐ飛び立つから、助手席に座って」
指示して、ナーヴェは本体を起動させた。助手席に大人しく腰掛けたアッズーロを、座席帯で固定しつつ、浮揚飛行形態で発進して、城壁を飛び越え、街路へ一度降りた。そこで、噴流推進飛行形態へと、飛行形態を変更する。後部噴射口からの噴流のみで飛行する噴流推進飛行形態のほうが、速度は格段に上がるのだ。
「行くよ。少し圧が掛かるから、気を付けて」
ナーヴェはアッズーロに注意を促すと、前方を行く人々や馬車にも本体からの放送で警告した。
〈みんな、道を空けて。ぶつかったら、大怪我をしてしまうから、すぐに道を空けて〉
王城から出てきた、神殿に似た雰囲気の物体を前に、人々も馬車も大慌てで街路の両端に寄ってくれる。
〈ありがとう〉
礼を述べて、ナーヴェは後部噴射口を全開にして、一気に推進剤を噴射した。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
とっていただく責任などありません
まめきち
恋愛
騎士団で働くヘイゼルは魔物の討伐の際に、
団長のセルフイスを庇い、魔法陣を踏んでしまう。
この魔法陣は男性が踏むと女性に転換するもので、女性のヘイゼルにはほとんど影響のない物だった。だか国からは保証金が出たので、騎士を辞め、念願の田舎暮らしをしようとしたが!?
ヘイゼルの事をずっと男性だと思っていたセルフイスは自分のせいでヘイゼルが職を失っただと思って来まい。
責任を取らなければとセルフイスから、
追いかけられる羽目に。
召喚とか聖女とか、どうでもいいけど人の都合考えたことある?
浅海 景
恋愛
水谷 瑛莉桂(みずたに えりか)の目標は堅実な人生を送ること。その一歩となる社会人生活を踏み出した途端に異世界に召喚されてしまう。召喚成功に湧く周囲をよそに瑛莉桂は思った。
「聖女とか絶対ブラックだろう!断固拒否させてもらうから!」
ナルシストな王太子や欲深い神官長、腹黒騎士などを相手に主人公が幸せを勝ち取るため奮闘する物語です。
わたしたちの庭
犬飼ハルノ
恋愛
「おい、ウェスト伯。いくらなんでもこんなみすぼらしい子どもに金を払えと?」
「まあまあ、ブルーノ伯爵。この子の母親もこんな感じでしたが、年ごろになると見違えるように成熟しましたよ。後妻のアリスは元妻の従妹です。あの一族の女は容姿も良いし、ぽんぽんと子どもを産みますよ」
「ふうん。そうか」
「直系の跡継ぎをお望みでしょう」
「まあな」
「しかも伯爵以上の正妻の子で年ごろの娘に婚約者がいないのは、この国ではこの子くらいしかもう残っていませんよ」
「ふ……。口が上手いなウェスト伯。なら、買い取ってやろうか、その子を」
目の前で醜悪な会話が繰り広げられる中、フィリスは思った。
まるで山羊の売買のようだと。
かくして。
フィリスの嫁ぎ先が決まった。
------------------------------------------
安定の見切り発車ですが、二月中に一日一回更新と完結に挑みます。
ヒロインのフィリスが自らの力と人々に支えられて幸せをつかむ話ですが、
序盤は暗く重い展開です。
タグを途中から追加します。
他サイトでも公開中。
地獄の業火に焚べるのは……
緑谷めい
恋愛
伯爵家令嬢アネットは、17歳の時に2つ年上のボルテール侯爵家の長男ジェルマンに嫁いだ。親の決めた政略結婚ではあったが、小さい頃から婚約者だった二人は仲の良い幼馴染だった。表面上は何の問題もなく穏やかな結婚生活が始まる――けれど、ジェルマンには秘密の愛人がいた。学生時代からの平民の恋人サラとの関係が続いていたのである。
やがてアネットは男女の双子を出産した。「ディオン」と名付けられた男児はジェルマンそっくりで、「マドレーヌ」と名付けられた女児はアネットによく似ていた。
※ 全5話完結予定
転移先で日本語を読めるというだけで最強の男に囚われました
桜あずみ
恋愛
異世界に転移して二年。
言葉も話せなかったこの国で、必死に努力して、やっとこの世界に馴染んできた。
しかし、ただ一つ、抜けなかった癖がある。
──ふとした瞬間に、日本語でメモを取ってしまうこと。
その一行が、彼の目に留まった。
「この文字を書いたのは、あなたですか?」
美しく、完璧で、どこか現実離れした男。
日本語という未知の文字に強い関心を示した彼は、やがて、少しずつ距離を詰めてくる。
最初はただの好奇心だと思っていた。
けれど、気づけば私は彼の手の中にいた。
彼の正体も、本当の目的も知らないまま。すべてを知ったときには、もう逃げられなかった。
【ご報告】
2月15日付で、誤字脱字の修正および一部表現の見直しを行いました。
ただし、記載内容の趣旨に大きな変更はございません。
引き続きよろしくお願いいたします。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる