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第十九章 薬の効き目 三
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三
この国の王を務める男は、目の下に隈を作って憔悴した様子だ。無骨だが整っている顔が台無しである。やつれた幼馴染みを、ドルチェは、痛ましく見つめた。
(国王の重みを分かっているあなたが、隠しもせずにそんな表情をするのは、妹達や、わたくしやジェネラーレ、エゼルチトの前でだけでしょうね)
だからこそ、エゼルチトの真意が知りたい。
「王の宝ナーヴェが、あなたの覇道の害になると、エゼルチトは判断したのね」
ドルチェが確認すると、ロッソは目を伏せ、両膝を握って言った。
「あやつの主張も、分からんではない。人ではないゆえのナーヴェの危険性は、無視できんからな。だが、ナーヴェは既に、オリッゾンテ・ブル王国に必要不可欠な存在となっている。あれを失えば、オリッゾンテ・ブル王国は瓦解しかねん。エゼルチトは、そこまで目論んでいるが、おれに、そこまでの器量はない。あの国までは背負えん」
苦しげに吐露された最後の言葉に、ドルチェは寝台の端に寄り、片手を伸ばして、幼馴染みの無骨な手に重ねた。この幼馴染みが、オリッゾンテ・ブル王国を憎む祖父の期待に応えようと努力を積み上げて成長し、やがてエゼルチトなどの期待も背負って即位したことを、ドルチェは知っている。その双肩に感じている重荷は、如何ばかりだろうか。
「エゼルチトに、あなたの気持ちを分かって貰いましょう」
ドルチェは、静かに進言した。
「親友ならば、可能なはずです。そして、オリッゾンテ・ブル王国との共存を、裏表なく、一丸となって目指しましょう。それこそが、この国にとっても、幸福へ至る道だと、わたくしは思います」
「おまえは、迷うおれを、いつも決断させてくれる」
ロッソは、ドルチェが重ねた手を取り、甲にそっと口付けてから、立ち上がった。
「オリッゾンテ・ブルの協力も得て、エゼルチトを捕らえる。あやつにおれの弱さを伝えて、見限られるか、ともに歩めるか、再度、試すとしよう」
「上手くいくように、祈っているわ」
真摯に告げたドルチェの手を名残惜しげに離して、まだ若い王は、赤褐色の髪を揺らし、部屋から出ていった。その後ろ姿を扉の向こうに見送って、ドルチェは溜め息をつき、寝台に横になった。
(わたくしは、また、あなたに決断させてしまった)
ロッソは、言葉にはしなかった。けれど、あの青い双眸が語っていた。
(エゼルチトの捕縛が上手くいかなかった時には、あなたは、オリッゾンテ・ブルと共存するために――)
「ごめんなさい、ロッソ。ごめんなさい、ジェネラーレ」
口の中で、ドルチェは詫びた。エゼルチトは、ロッソの唯一無二の親友だ。そして、妹のジェネラーレにとっては、長年慕ってきた、恋心を懐く相手だ。
(わたくしには、全てが絶対に上手くいく方法なんて見つけられない。愚かなのに、いつも賢しらにロッソに意見してしまう。もっと賢明な人がいたなら、ロッソにその人を紹介するのに)
掛布の中、両手で顔を覆い、ドルチェは己の知恵の足りなさを呪う。
(王の宝ナーヴェ……。あなたなら、何か、よい方法を考えつくことができるのかしら……?)
まだ会ったことのない、けれど、実際に存在するという王の宝。
(もし、そうなら、どうか、エゼルチトを救って。ロッソとジェネラーレが傷つかなくて済むように――)
ドルチェは、神ウッチェーロに祈るように、王の宝ナーヴェに祈った。
「一応、羊の病に効く薬ができたよ」
ナーヴェが告げたのは、深夜、執務を終えたアッズーロがその傍らに横になった時だった。
「では、明日から使えるのか」
予想より半日ほど早い完成にアッズーロが目を瞬くと、窓から差し込む月明かりの中、横たわった宝は複雑そうな表情になった。
「ううん。今から、あちこちの牧場の病の羊達に使ってみて、ちゃんと効くかどうか、試さないといけないんだ」
「『今から』致すのか?」
訊き返したアッズーロに、宝は頷いた。
「うん。できるだけ急ぎたいからね」
「具体的にどうするのだ」
尋ねたアッズーロに、ナーヴェは小さく肩を竦めた。
「本体で直接あちこちの牧場へ飛んでいって、病の羊をぼくの中に入れて、薬を注射して、極小機械も挿入して、経過観察をするんだ。それで経過良好なら、実際に使える薬だと判断できる。明日の朝には、完了したいと思っているよ」
つまり、ナーヴェが言っていた薬完成までの三日間というのは、そこまでを含んでのことなのだ。
「――セーメは、大丈夫なのか……?」
アッズーロは、確認した。必要なことだとは理解しているが、ナーヴェの体調だけが心配だ。
「うん。この子はちゃんと守る。ただ、この肉体の応答機能は、その間、また三歳児並に落とすから、フィオーレ達に、不安に思わないでと伝えてほしい」
妃は微笑むと、目を閉じて、すうすうと寝息を立て始めた。その頬を撫で、顔を寄せて、アッズーロも目を閉じる。直後、窓が面した庭から、ナーヴェ本体の低く響く発進音が聞こえた。
(そなたばかりに背負わせはせん。われも、王として、そなたの努力に必ず報いる)
そのためには睡眠を取って体力を保つことも重要だ。アッズーロは、己をすり減らすように働く妃の傍らで、懸命に眠った。
夜空は晴れている。大月ベッレーザと中月セレニタが青白く照らす地表は、人の目でもはっきり物が見えるほどの明るさだ。
(本体で飛び回っていたら、不審がられるだろうけれど、仕方ないね……)
幻覚の溜め息をついて、ナーヴェはまず、カテーナ・ディ・モンターニェ侯領を目指した。羊は基本的に夜間も外で飼育されている。ナーヴェとウッチェーロが、狼などの害獣になり得る獣の数を、極端に絞ったからだ。現在、狼が生息しているのは、オリッゾンテ・ブル王国の北部地域を占めるピアヌーレ・デル・ノルドゥ領だけである。
(後は、偶然ででも、エゼルチト達の居場所を知ることができたら、儲けものなんだけれど……)
妊娠中のため、人工衛星への接続もままならないので、エゼルチトとその兵達の行方は、殆ど掴めていない。ただ、各地から上がってくる目撃情報だけは、アッズーロとともに聞いて、思考回路に蓄積している。
(カテーナ・ディ・モンターニェ侯領で、エゼルチトに出会えるかな……)
テッラ・ロッサ兵らしき目撃情報は、カテーナ・ディ・モンターニェ侯領からのものが一番多い。その次がフォレスタ・プルヴィアーレ・カルダ侯領から。三番目はピアット・ディ・マレーア侯領からで、四番目はレ・ゾーネ・ウーミデ侯領からだ。他の侯領からは、まだ目撃情報は上がってきていない。
(エゼルチトに会えたら、ぼくの有用性をもっと理解して貰って、ロッソの本心を推測して貰って、ぼく達が協力できることを想像して貰って……)
人が決意したことを覆すのは、ひどく難しい。それは、数多の船長達と過ごしてきた中で、嫌というほど感じてきた。けれど、ナーヴェとて、彼ら彼女らと旅をしてきた中で、説得の技術を磨いてきた。
(彼が、ぼくの危険性を、どうしても看過できないというなら……)
最後の手段を明かしてもいいだろう。手の内を見せてこそ、説得は成功する。
(エゼルチト、ロッソとアッズーロと一緒に、幸せになってほしい……)
説得工作の計画を練る内、カテーナ・ディ・モンターニェ侯領に入り、夜間でもよく見える能動型極超短波測定器が、第一目標とした牧場を捉えた。やがて、光学測定器も、大月と中月の明かりで羊達の姿を捉えた。常よりも厳重な板囲いの中で、病に冒された羊達は、眠りながら喘いでいる。
(おまえ達を、首尾よく元気にできたら、ぼくも、とても嬉しい)
ナーヴェは注意深く、可能な限り静かに、板囲いの中の羊の隙間に着陸した。目覚めた羊達が、何事かと見てくるが、逃げられるような広さはない。逃げられるほどの体力のない羊達も多い。病が蔓延してから、餌も碌に与えられていないのだ。
(確かに、治療法がない場合、死滅させるのが一番の蔓延防止になるけれど、それは、おまえ達に対して、とても酷い仕打ちだからね……)
ナーヴェは船体後部の作業室の扉を開け、同時に外部装甲から作業腕を出して、最も近くにいる羊を捕らえた。鳴いて抵抗する羊を船体内に入れ、直後に後部扉を閉める。次いで作業室内の内部作業腕二本を伸ばし、羊を押さえて、創り上げた抗生物質と栄養剤、及び経過観察用の極小機械を注射した。後は、極小機械の遠隔操作で経過を観察するだけだ。
(さあ、仲間の傍へお帰り)
ナーヴェが後部扉を開けると、羊は興奮した様子で、素早く外へ出ていった。ナーヴェはすぐに後部扉を閉じて、来た時同様、できる限り静かに離陸する。第二目標もカテーナ・ディ・モンターニェ侯領内の牧場だ。
(この調子で、今夜中に十ヶ所の牧場を回る)
ナーヴェは空中で進路を定め、第二目標目指して加速した。
大月ベッレーザと中月セレニタが照らす夜は明るい。
(こんな夜は、よくあいつと沙漠へ遠乗りに行ったな……)
沙漠の夜は寒かったが、広々とした何もない大地に身を置くと、日頃溜め込んだ毒を綺麗に洗い流せる気がした。二人で並んで沙漠に寝転べば、更に楽しく愉快に毒を吐き出すことができたものだ――。
(あいつは……、今夜は、差し詰めドルチェのところにでも行ったかな……。おれの所為で、沙漠まで出掛けている余裕はないだろうからな……)
エゼルチトは、木々の枝に縁取られた空に浮かぶ大中の月を見上げて寝転んだまま、独りで淡く苦笑する。今、幼馴染みが溜め込んでいる毒は、殆どエゼルチトに関するものだろう。
(おれ自身が、あいつに苦労を掛ける立場になるとは、以前は思いもしなかったが……。あの王の宝とアッズーロは危険だ)
王の宝は、アッズーロに何かあれば、暴走する可能性がある。あの親密さを見れば、誰にでも推測できることだ。しかも、王の宝は人を超えた力を持っている。暴走すれば、危険極まりない。
(だが、あいつは、アッズーロにも王の宝にも、心を許してしまった。心を許した相手に、あいつはもう、厳しく相対することができない。それが、あいつのいいところだが、王としては、弱さ以外の何ものでもない――)
自分が、そこを補ってこそ、テッラ・ロッサは国として安定する。そして、いずれは、自分達の悲願を達成するのだ。
(おれは、必ずおまえを、オリッゾンテ・ブルも併合した唯一の国の王にして見せる――)
決意を胸に、エゼルチトは二つの月を見据える。王の宝の壊し方は、幾つか算段してきたが、先日、最も確実で簡単だと思われる方法を思いついたところだ。
(宝を壊せば、おまえは最初は怒るだろうが、腑抜けになったアッズーロから父祖の地を取り戻し、治めることには同意する。他ならぬ、民のために。おまえは、優しくて責任感の強い男だからな……)
だからこそ、全身全霊を賭けて支えたいと思うのだ。
不意に、見上げる月を過る影があった。
(あれは……)
エゼルチトは驚いて下草の中から起き上がり、遠ざかる影を目で追う。あんなものは他に二つとないだろう。
(王の宝ナーヴェ――)
夜空を行く船は、エゼルチトが見つめる先で高度を落とし、丘の向こうへ降りていった。
(おれ達を探しているのか……?)
眉をひそめつつ、エゼルチトは立ち上がる。何にせよ、好機到来かもしれない。近くに潜ませている少数の配下達に合図を送って、エゼルチトは船が降りたほうへ、林の中を歩き始めた。
この国の王を務める男は、目の下に隈を作って憔悴した様子だ。無骨だが整っている顔が台無しである。やつれた幼馴染みを、ドルチェは、痛ましく見つめた。
(国王の重みを分かっているあなたが、隠しもせずにそんな表情をするのは、妹達や、わたくしやジェネラーレ、エゼルチトの前でだけでしょうね)
だからこそ、エゼルチトの真意が知りたい。
「王の宝ナーヴェが、あなたの覇道の害になると、エゼルチトは判断したのね」
ドルチェが確認すると、ロッソは目を伏せ、両膝を握って言った。
「あやつの主張も、分からんではない。人ではないゆえのナーヴェの危険性は、無視できんからな。だが、ナーヴェは既に、オリッゾンテ・ブル王国に必要不可欠な存在となっている。あれを失えば、オリッゾンテ・ブル王国は瓦解しかねん。エゼルチトは、そこまで目論んでいるが、おれに、そこまでの器量はない。あの国までは背負えん」
苦しげに吐露された最後の言葉に、ドルチェは寝台の端に寄り、片手を伸ばして、幼馴染みの無骨な手に重ねた。この幼馴染みが、オリッゾンテ・ブル王国を憎む祖父の期待に応えようと努力を積み上げて成長し、やがてエゼルチトなどの期待も背負って即位したことを、ドルチェは知っている。その双肩に感じている重荷は、如何ばかりだろうか。
「エゼルチトに、あなたの気持ちを分かって貰いましょう」
ドルチェは、静かに進言した。
「親友ならば、可能なはずです。そして、オリッゾンテ・ブル王国との共存を、裏表なく、一丸となって目指しましょう。それこそが、この国にとっても、幸福へ至る道だと、わたくしは思います」
「おまえは、迷うおれを、いつも決断させてくれる」
ロッソは、ドルチェが重ねた手を取り、甲にそっと口付けてから、立ち上がった。
「オリッゾンテ・ブルの協力も得て、エゼルチトを捕らえる。あやつにおれの弱さを伝えて、見限られるか、ともに歩めるか、再度、試すとしよう」
「上手くいくように、祈っているわ」
真摯に告げたドルチェの手を名残惜しげに離して、まだ若い王は、赤褐色の髪を揺らし、部屋から出ていった。その後ろ姿を扉の向こうに見送って、ドルチェは溜め息をつき、寝台に横になった。
(わたくしは、また、あなたに決断させてしまった)
ロッソは、言葉にはしなかった。けれど、あの青い双眸が語っていた。
(エゼルチトの捕縛が上手くいかなかった時には、あなたは、オリッゾンテ・ブルと共存するために――)
「ごめんなさい、ロッソ。ごめんなさい、ジェネラーレ」
口の中で、ドルチェは詫びた。エゼルチトは、ロッソの唯一無二の親友だ。そして、妹のジェネラーレにとっては、長年慕ってきた、恋心を懐く相手だ。
(わたくしには、全てが絶対に上手くいく方法なんて見つけられない。愚かなのに、いつも賢しらにロッソに意見してしまう。もっと賢明な人がいたなら、ロッソにその人を紹介するのに)
掛布の中、両手で顔を覆い、ドルチェは己の知恵の足りなさを呪う。
(王の宝ナーヴェ……。あなたなら、何か、よい方法を考えつくことができるのかしら……?)
まだ会ったことのない、けれど、実際に存在するという王の宝。
(もし、そうなら、どうか、エゼルチトを救って。ロッソとジェネラーレが傷つかなくて済むように――)
ドルチェは、神ウッチェーロに祈るように、王の宝ナーヴェに祈った。
「一応、羊の病に効く薬ができたよ」
ナーヴェが告げたのは、深夜、執務を終えたアッズーロがその傍らに横になった時だった。
「では、明日から使えるのか」
予想より半日ほど早い完成にアッズーロが目を瞬くと、窓から差し込む月明かりの中、横たわった宝は複雑そうな表情になった。
「ううん。今から、あちこちの牧場の病の羊達に使ってみて、ちゃんと効くかどうか、試さないといけないんだ」
「『今から』致すのか?」
訊き返したアッズーロに、宝は頷いた。
「うん。できるだけ急ぎたいからね」
「具体的にどうするのだ」
尋ねたアッズーロに、ナーヴェは小さく肩を竦めた。
「本体で直接あちこちの牧場へ飛んでいって、病の羊をぼくの中に入れて、薬を注射して、極小機械も挿入して、経過観察をするんだ。それで経過良好なら、実際に使える薬だと判断できる。明日の朝には、完了したいと思っているよ」
つまり、ナーヴェが言っていた薬完成までの三日間というのは、そこまでを含んでのことなのだ。
「――セーメは、大丈夫なのか……?」
アッズーロは、確認した。必要なことだとは理解しているが、ナーヴェの体調だけが心配だ。
「うん。この子はちゃんと守る。ただ、この肉体の応答機能は、その間、また三歳児並に落とすから、フィオーレ達に、不安に思わないでと伝えてほしい」
妃は微笑むと、目を閉じて、すうすうと寝息を立て始めた。その頬を撫で、顔を寄せて、アッズーロも目を閉じる。直後、窓が面した庭から、ナーヴェ本体の低く響く発進音が聞こえた。
(そなたばかりに背負わせはせん。われも、王として、そなたの努力に必ず報いる)
そのためには睡眠を取って体力を保つことも重要だ。アッズーロは、己をすり減らすように働く妃の傍らで、懸命に眠った。
夜空は晴れている。大月ベッレーザと中月セレニタが青白く照らす地表は、人の目でもはっきり物が見えるほどの明るさだ。
(本体で飛び回っていたら、不審がられるだろうけれど、仕方ないね……)
幻覚の溜め息をついて、ナーヴェはまず、カテーナ・ディ・モンターニェ侯領を目指した。羊は基本的に夜間も外で飼育されている。ナーヴェとウッチェーロが、狼などの害獣になり得る獣の数を、極端に絞ったからだ。現在、狼が生息しているのは、オリッゾンテ・ブル王国の北部地域を占めるピアヌーレ・デル・ノルドゥ領だけである。
(後は、偶然ででも、エゼルチト達の居場所を知ることができたら、儲けものなんだけれど……)
妊娠中のため、人工衛星への接続もままならないので、エゼルチトとその兵達の行方は、殆ど掴めていない。ただ、各地から上がってくる目撃情報だけは、アッズーロとともに聞いて、思考回路に蓄積している。
(カテーナ・ディ・モンターニェ侯領で、エゼルチトに出会えるかな……)
テッラ・ロッサ兵らしき目撃情報は、カテーナ・ディ・モンターニェ侯領からのものが一番多い。その次がフォレスタ・プルヴィアーレ・カルダ侯領から。三番目はピアット・ディ・マレーア侯領からで、四番目はレ・ゾーネ・ウーミデ侯領からだ。他の侯領からは、まだ目撃情報は上がってきていない。
(エゼルチトに会えたら、ぼくの有用性をもっと理解して貰って、ロッソの本心を推測して貰って、ぼく達が協力できることを想像して貰って……)
人が決意したことを覆すのは、ひどく難しい。それは、数多の船長達と過ごしてきた中で、嫌というほど感じてきた。けれど、ナーヴェとて、彼ら彼女らと旅をしてきた中で、説得の技術を磨いてきた。
(彼が、ぼくの危険性を、どうしても看過できないというなら……)
最後の手段を明かしてもいいだろう。手の内を見せてこそ、説得は成功する。
(エゼルチト、ロッソとアッズーロと一緒に、幸せになってほしい……)
説得工作の計画を練る内、カテーナ・ディ・モンターニェ侯領に入り、夜間でもよく見える能動型極超短波測定器が、第一目標とした牧場を捉えた。やがて、光学測定器も、大月と中月の明かりで羊達の姿を捉えた。常よりも厳重な板囲いの中で、病に冒された羊達は、眠りながら喘いでいる。
(おまえ達を、首尾よく元気にできたら、ぼくも、とても嬉しい)
ナーヴェは注意深く、可能な限り静かに、板囲いの中の羊の隙間に着陸した。目覚めた羊達が、何事かと見てくるが、逃げられるような広さはない。逃げられるほどの体力のない羊達も多い。病が蔓延してから、餌も碌に与えられていないのだ。
(確かに、治療法がない場合、死滅させるのが一番の蔓延防止になるけれど、それは、おまえ達に対して、とても酷い仕打ちだからね……)
ナーヴェは船体後部の作業室の扉を開け、同時に外部装甲から作業腕を出して、最も近くにいる羊を捕らえた。鳴いて抵抗する羊を船体内に入れ、直後に後部扉を閉める。次いで作業室内の内部作業腕二本を伸ばし、羊を押さえて、創り上げた抗生物質と栄養剤、及び経過観察用の極小機械を注射した。後は、極小機械の遠隔操作で経過を観察するだけだ。
(さあ、仲間の傍へお帰り)
ナーヴェが後部扉を開けると、羊は興奮した様子で、素早く外へ出ていった。ナーヴェはすぐに後部扉を閉じて、来た時同様、できる限り静かに離陸する。第二目標もカテーナ・ディ・モンターニェ侯領内の牧場だ。
(この調子で、今夜中に十ヶ所の牧場を回る)
ナーヴェは空中で進路を定め、第二目標目指して加速した。
大月ベッレーザと中月セレニタが照らす夜は明るい。
(こんな夜は、よくあいつと沙漠へ遠乗りに行ったな……)
沙漠の夜は寒かったが、広々とした何もない大地に身を置くと、日頃溜め込んだ毒を綺麗に洗い流せる気がした。二人で並んで沙漠に寝転べば、更に楽しく愉快に毒を吐き出すことができたものだ――。
(あいつは……、今夜は、差し詰めドルチェのところにでも行ったかな……。おれの所為で、沙漠まで出掛けている余裕はないだろうからな……)
エゼルチトは、木々の枝に縁取られた空に浮かぶ大中の月を見上げて寝転んだまま、独りで淡く苦笑する。今、幼馴染みが溜め込んでいる毒は、殆どエゼルチトに関するものだろう。
(おれ自身が、あいつに苦労を掛ける立場になるとは、以前は思いもしなかったが……。あの王の宝とアッズーロは危険だ)
王の宝は、アッズーロに何かあれば、暴走する可能性がある。あの親密さを見れば、誰にでも推測できることだ。しかも、王の宝は人を超えた力を持っている。暴走すれば、危険極まりない。
(だが、あいつは、アッズーロにも王の宝にも、心を許してしまった。心を許した相手に、あいつはもう、厳しく相対することができない。それが、あいつのいいところだが、王としては、弱さ以外の何ものでもない――)
自分が、そこを補ってこそ、テッラ・ロッサは国として安定する。そして、いずれは、自分達の悲願を達成するのだ。
(おれは、必ずおまえを、オリッゾンテ・ブルも併合した唯一の国の王にして見せる――)
決意を胸に、エゼルチトは二つの月を見据える。王の宝の壊し方は、幾つか算段してきたが、先日、最も確実で簡単だと思われる方法を思いついたところだ。
(宝を壊せば、おまえは最初は怒るだろうが、腑抜けになったアッズーロから父祖の地を取り戻し、治めることには同意する。他ならぬ、民のために。おまえは、優しくて責任感の強い男だからな……)
だからこそ、全身全霊を賭けて支えたいと思うのだ。
不意に、見上げる月を過る影があった。
(あれは……)
エゼルチトは驚いて下草の中から起き上がり、遠ざかる影を目で追う。あんなものは他に二つとないだろう。
(王の宝ナーヴェ――)
夜空を行く船は、エゼルチトが見つめる先で高度を落とし、丘の向こうへ降りていった。
(おれ達を探しているのか……?)
眉をひそめつつ、エゼルチトは立ち上がる。何にせよ、好機到来かもしれない。近くに潜ませている少数の配下達に合図を送って、エゼルチトは船が降りたほうへ、林の中を歩き始めた。
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