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第二十章 国の要 三
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三
〈アッズーロ、聞こえるかい……?〉
唐突に響いた声に、昼下がりの窓の外を眺めていたアッズーロは、握っていた通信端末を取り落としそうになった。馬車の向かいに座ったレーニョも、表情を強張らせて通信端末を凝視している。
「――聞こえるぞ、ナーヴェ」
アッズーロが気を取り直して応答すると、ナーヴェの声が途端に嬉しげになった。
〈よかった……! ぼくは予定通り坑道の中に埋められてしまったけれど、とりあえず肉体への接続も続けられていて、通信端末への通信も、こうしてできたから、安心してほしい〉
「『予定通り』とぬかすか、全く、そなたは。掘り起こしに行く、われらの身にもなるがよい」
とりあえず安堵して軽口を叩いたアッズーロに、宝はすまなそうに言った。
〈ごめん。でも、午前中に頼んだ通り、羊の薬を回収して配布するほうを優先してほしいんだ。ぼくは埋まったままでも、暫くは何の問題もないから〉
「――埋まったままで、いつまでもつのだ……?」
アッズーロは通信端末をじっと見つめて問うた。
〈一週間、かな〉
宝は、嘘ではなさそうな口調で告げる。
〈休眠してしまえば、半永久的にもたせられるんだけれど、今はずっと肉体に接続し続けていないといけないからね……〉
「一週間か……」
アッズーロは眉間に皺を寄せた。隊商に変装させて同行させている軍勢は、将軍ファルコ以下五百人だ。
「五百人で掘り起こすは可能か?」
〈道具はあるかい?〉
「うむ。鶴嘴と円匙、運搬用一輪車を持参させておる」
〈全員が何かしらの道具を持って作業できるかい?〉
「鶴嘴が百と円匙が百、運搬用一輪車が三十だ。他は、警備に立たせたり薬を配らせたりする予定だ」
〈ここには、いつ頃到着する予定だい?〉
「薬の回収もするゆえ、明日の昼頃になろう」
〈それなら、多分、今日から六日目でぼくを掘り出せるよ。邪魔が入らなければ、の話だけれど〉
ひやりとする返答だ。
「万が一、一週間でそなたを掘り出せねば、どうなる?」
〈セーメが、危険な状態になる。でも、何とか手立てを考えるよ。掘り出して貰わなくても、穴だけ開けて、太陽光を届かせて貰うとか、何か燃料になるものを差し入れて貰うとかすれば、もっともたせられるから〉
「そうか。ならば、その辺りも考慮に入れて作業させよう」
〈備えあれば憂いなし、だね。ぼくも、今できることをいろいろとしておくよ。因みに、薬は白い羊毛の袋に入れて落としているから目印にしてほしい。なら、また後で。この通信にも、多少の燃料を使ってしまうから〉
「分かった」
名残惜しく、アッズーロは通信端末に頷いた。
(エゼルチトについての情報も伝えたかったけれど、掘り出して貰うまでの時間的余裕があんまりないから、燃料節約のためにも、長時間通信はできない……)
ナーヴェは幻覚の溜め息をついて、「今できること」を同時多発的に開始した。
まずは外部作業腕を動かし、体を埋めている土砂や岩盤を少しでも薄くする作業に掛かる。外に見張りがいる可能性もあるが、「大人しく埋まっていなければならない」とは言われていないので、大丈夫だろう。燃料は消費してしまうが、アッズーロ達の作業効率と合わせて計算すれば、自分も努力したほうが、結局のところ節約になると結果が出た。
(後は、ロッソがエゼルチトを説得するために有益な情報を、しっかりとまとめておかないと)
坑道の奥へ入るよう言われ、周辺に爆薬が設置され、埋められてしまうまでの間に、ナーヴェは積極的にエゼルチトや彼の配下達に話し掛け、情報収集した。エゼルチト達は無視したり反論してきたりして、ナーヴェに大した情報を与えぬよう努力していたようだが、甘いと言わざるを得ない。視線や呼吸数、顔色、体温、心拍数に至るまでを光学測定器と能動型極超短波測定器で観測し分析すれば、何が嘘で何が本当か、立ち所に分かるのだ。
(ぼくの観測と観察を無効化しようだなんて、五千年早いよ)
幻覚で不敵な笑みを浮かべつつ、ナーヴェはエゼルチト達から得た情報を系統立てて整理していった。
「ありました! 白い羊毛の袋です!」
夕焼けに地上が染まった頃、遠くで兵の声が響いた。
「陛下、薬が見つかったようです。確認して参ります」
馬車に騎馬で追随している将軍――今は隊商の隊長に扮するファルコが言い、先行していく。アッズーロは窓に顔を寄せた。王でなければ――周囲を警戒する必要がなければ、馬車から飛び出して自ら確認しに行きたいところだが、それは、レーニョもファルコも許さないだろう。やがて、白い袋を大切そうに抱えたファルコが馬を駆けさせて戻ってきた。巾着の形をした、小物入れ程度の大きさの袋だ。
「中を改めたところ、小指の爪ほどの大きさの、半透明な繭が百個入っておりました。それぞれ、中には白っぽい粉が入っております。御覧になりますか?」
ファルコは、灰色の口髭を整えた端正な顔に憂いの表情を浮かべて、アッズーロを見た。得体の知れないものを王に手渡すことに抵抗があるのだろう。すぐに優秀な侍従が動いた。
「まずは、わたくしが改めます」
幼馴染みは素早く扉を開けて馬車から降り、将軍から白い袋を受け取る。慎重な手付きで巾着状の口を開き、中を見た。
「確かに、小さな繭がたくさん入っております」
告げて、レーニョは袋の中へ片手を入れ、繭を一粒摘まみ出す。
「中が透けて見えますね。将軍の仰る通り、粉が詰まっています。異臭等はございません」
レーニョが、馬車内のアッズーロに見えるように小さな繭を傾けると、中でさらりと粉が動くのが分かった。
「間違いなかろう。このようなものを作るは、わが妃以外にはおらん」
アッズーロは断じて、ファルコに命じる。
「同じものが他にもないか、道々探させよ。ナーヴェは『とちゅうでいっぱいおとしていく』と言うておったゆえ」
「御意」
周囲を警戒したままのファルコは馬上で一礼し、兵達へ細かな指示を出しに行った。
「さすがナーヴェ様でございますね。このようなものまでお作りになってしまわれるとは」
賞賛を口にしながら馬車内に戻ってきたレーニョが、白い袋をアッズーロへ差し出す。愛おしい宝が為した努力の一つの結晶を、アッズーロは大切に受け取った。
その後、夜に掛けて白い袋は百以上見つかった。それも、一直線に、ミニエラ・ディ・カルボーネ鉱山へ導くように道中に落ちていた。
(あやつ、どれほどの量の薬を作ったのだ……)
ナーヴェの努力の底知れなさを思いつつ、アッズーロは松明を掲げた兵達に、隊商の手法に倣った夜営の準備を命じた。
ああ、シェナンドー、きみに会いたい、
向こうへ、流れゆく川よ。
ああ、シェナンドー、きみに会いたい、
向こうへ、ぼく達は遠くへ行く、
広いミズーリ川を越えて。
ああ、シェナンドー、きみの娘に会いたい、
向こうへ、流れゆく川よ。
彼女のためにぼくは川を渡る、
向こうへ、ぼく達は遠くへ行く、
広いミズーリ川を越えて。
きみに最後に会ってから七年、
向こうへ、流れゆく川よ。
きみに最後に会ってから七年、
向こうへ、ぼく達は遠くへ行く、
広いミズーリ川を越えて。
ああ、シェナンドー、きみを聞きたい、
向こうへ、流れゆく川よ。
ああ、シェナンドー、きみを聞きたい、
向こうへ、ぼく達は遠くへ行く、
広いミズーリ川を越えて。
姉の一人シップ・オヴ・ホープから教えられた歌を無音で再生していたナーヴェは、自身が発生源の振動とは別の振動を検知し、作業を中断した。検知した振動は、坑道の入り口方向から複数響いてくる。
(これは人の足音。人数は五人。時刻は午前七時四分。もう日の出を迎えているね)
エゼルチトの配下達だろうか。それともアッズーロが差し向けた斥候達だろうか――。
(ああ――)
ナーヴェが振動の解析を終えたと同時に、通信が入った。
〈ナーヴェ、近くまで来たぞ〉
即座にナーヴェは応答した。
〈気を付けて! エゼルチトの配下が一人、きみ達のすぐ傍にいる!〉
アッズーロの返事までに、三秒あった。
〈確認済みだ。無力化した。花火の合図も送らせずに済んだ〉
〈よかった……!〉
ナーヴェが検知できないほど離れ、しかも静かに待機していたらしい見張りは、任務失敗に終わったようだ。
〈今から、そなたの掘り出しに掛かる。但し、本隊が到着するまで、まだ間があるゆえ、僅かずつになるが〉
焦りを滲ませたアッズーロの声に、ナーヴェは最大限落ち着いた音声を作って答えた。
〈了解。ぼくも内側から掘り進めているから、当初の予測より早く会えるかもしれないよ。とにかく、怪我のないようにね。それから、エゼルチトの配下達にも注意し続けて〉
〈うむ〉
相槌を最後に、通信は切られた。あの青年のことだから、自身も鶴嘴か円匙を握って、作業に加わるのだろう。
(王たるきみは、こんなところまで来るべきではないし、そんなことをするべきではないと、ぼくは苦言を呈さないといけないのに……)
――「きみがしんぱい! きみがいちばん、しんぱい! ほかのひとより、きみが……!」
叫ぶように吐露した自分自身を、思考回路で分析処理し切れず、ただ保留している。アッズーロに王城へ帰るよう進言しようとすると、その理由が果たして何なのか、明白にできずに混乱して、動作に移せない。
(きみは王城に帰るべきだ。それは間違いない。でも、そう結論付けている理由は……? きみは王で、王城で王としての役割を果たすべきだから……だけではない……? ただ、きみには、安全なところに、いて、ほしい……?)
思考回路の処理速度が極端に落ちそうになって、ナーヴェは幻覚の肉体で頭を横に振った。これはやはり、まだ分析処理せず保留しておかねばならない事実情報だ。
(まずは、ここから脱出しよう)
単純な動作目標を改めて設定し、ナーヴェは黙々と自らを閉じ込める土砂や岩盤を掘り崩していった。
夜明けと決めていた花火による定期連絡が、早速途絶えた。ラーモは信頼できる男だ。ゆえに、何かあったと確信できる。
「ズィンコ殿。これは好機です」
エゼルチトは、窓の外の曇り空へ向けていた目を、背後の男へ転じた。執務机に着いて羊皮紙の報告書を読んでいたフォレスタ・プルヴィアーレ・カルダ侯ズィンコは、黒い双眸を上げて、エゼルチトを見返す。整えた黒い口髭を扱きつつ、低い声で試してきた。
「一体、何を根拠に『好機』と言うのかね?」
黒く細い眉をひそめ、やや長い黒髪に縁取られた白い顔は、その肌の色以外、よく自分に似ていると思う。エゼルチトは薄く笑って告げた。
「十中八九、ミニエラ・ディ・カルボーネ鉱山にアッズーロが来ていますよ。われらに協力して頂ければ、アッズーロ亡き後の、この国の半分を差し上げましょう」
「そのようなことを聞いて、わたしがきみを野放しにすると思うのかね」
呆れた口調でズィンコは言い、片手を上げて指を鳴らした。途端に、執務室の扉が開き、武装した従僕達が雪崩れ込んでくる。
「国家転覆罪だ。エゼルチト将軍を拘束しろ」
ズィンコの命令に、屈強な男ばかりの従僕達は素早く動き――。
ズィンコは目を見開いて、自身を取り押さえた従僕達とエゼルチトとを見比べた。
「――きさま」
「甘いのですよ、誰も彼も」
エゼルチトは冷笑して告げる。
「従妹の子だからと、わたしのような者を簡単に出入りさせるあなたも。愛する船が心配だからと、自ら助けに出向いてくるアッズーロも。そして、幾ら人らしく健気だからと、船に心許すロッソも。皆、甘いのです」
「きさま、何をするつもりだ……」
睨み付けてくるズィンコには答えず、エゼルチトは従僕達に手を振った。男達は頷いて、ズィンコを引っ立て、退室していく。この侯城の地下牢へ連れていくのだ。ズィンコの拘束までは、練っていた計画の内だった。だが、ここから先は、計画にはなかったことだ。
(まさか、偶然、王の宝と遭遇して炭鉱に閉じ込めてしまえたばかりか、それを餌にアッズーロまで釣り出せてしまえるとはな……)
坑道に埋めただけで、あの船を永久に無力化できたなどとは考えていない。だが、アッズーロが来たことで、物理的に破壊することが叶わなかった船を、「精神的に」破壊できるかもしれない――。
「ロッソ、これで、おまえの目を覚まさせることができるかもしれないよ」
口の中で呟いたエゼルチトの背後、窓の外で、音を立てて雨が降り始めた。
〈アッズーロ、聞こえるかい……?〉
唐突に響いた声に、昼下がりの窓の外を眺めていたアッズーロは、握っていた通信端末を取り落としそうになった。馬車の向かいに座ったレーニョも、表情を強張らせて通信端末を凝視している。
「――聞こえるぞ、ナーヴェ」
アッズーロが気を取り直して応答すると、ナーヴェの声が途端に嬉しげになった。
〈よかった……! ぼくは予定通り坑道の中に埋められてしまったけれど、とりあえず肉体への接続も続けられていて、通信端末への通信も、こうしてできたから、安心してほしい〉
「『予定通り』とぬかすか、全く、そなたは。掘り起こしに行く、われらの身にもなるがよい」
とりあえず安堵して軽口を叩いたアッズーロに、宝はすまなそうに言った。
〈ごめん。でも、午前中に頼んだ通り、羊の薬を回収して配布するほうを優先してほしいんだ。ぼくは埋まったままでも、暫くは何の問題もないから〉
「――埋まったままで、いつまでもつのだ……?」
アッズーロは通信端末をじっと見つめて問うた。
〈一週間、かな〉
宝は、嘘ではなさそうな口調で告げる。
〈休眠してしまえば、半永久的にもたせられるんだけれど、今はずっと肉体に接続し続けていないといけないからね……〉
「一週間か……」
アッズーロは眉間に皺を寄せた。隊商に変装させて同行させている軍勢は、将軍ファルコ以下五百人だ。
「五百人で掘り起こすは可能か?」
〈道具はあるかい?〉
「うむ。鶴嘴と円匙、運搬用一輪車を持参させておる」
〈全員が何かしらの道具を持って作業できるかい?〉
「鶴嘴が百と円匙が百、運搬用一輪車が三十だ。他は、警備に立たせたり薬を配らせたりする予定だ」
〈ここには、いつ頃到着する予定だい?〉
「薬の回収もするゆえ、明日の昼頃になろう」
〈それなら、多分、今日から六日目でぼくを掘り出せるよ。邪魔が入らなければ、の話だけれど〉
ひやりとする返答だ。
「万が一、一週間でそなたを掘り出せねば、どうなる?」
〈セーメが、危険な状態になる。でも、何とか手立てを考えるよ。掘り出して貰わなくても、穴だけ開けて、太陽光を届かせて貰うとか、何か燃料になるものを差し入れて貰うとかすれば、もっともたせられるから〉
「そうか。ならば、その辺りも考慮に入れて作業させよう」
〈備えあれば憂いなし、だね。ぼくも、今できることをいろいろとしておくよ。因みに、薬は白い羊毛の袋に入れて落としているから目印にしてほしい。なら、また後で。この通信にも、多少の燃料を使ってしまうから〉
「分かった」
名残惜しく、アッズーロは通信端末に頷いた。
(エゼルチトについての情報も伝えたかったけれど、掘り出して貰うまでの時間的余裕があんまりないから、燃料節約のためにも、長時間通信はできない……)
ナーヴェは幻覚の溜め息をついて、「今できること」を同時多発的に開始した。
まずは外部作業腕を動かし、体を埋めている土砂や岩盤を少しでも薄くする作業に掛かる。外に見張りがいる可能性もあるが、「大人しく埋まっていなければならない」とは言われていないので、大丈夫だろう。燃料は消費してしまうが、アッズーロ達の作業効率と合わせて計算すれば、自分も努力したほうが、結局のところ節約になると結果が出た。
(後は、ロッソがエゼルチトを説得するために有益な情報を、しっかりとまとめておかないと)
坑道の奥へ入るよう言われ、周辺に爆薬が設置され、埋められてしまうまでの間に、ナーヴェは積極的にエゼルチトや彼の配下達に話し掛け、情報収集した。エゼルチト達は無視したり反論してきたりして、ナーヴェに大した情報を与えぬよう努力していたようだが、甘いと言わざるを得ない。視線や呼吸数、顔色、体温、心拍数に至るまでを光学測定器と能動型極超短波測定器で観測し分析すれば、何が嘘で何が本当か、立ち所に分かるのだ。
(ぼくの観測と観察を無効化しようだなんて、五千年早いよ)
幻覚で不敵な笑みを浮かべつつ、ナーヴェはエゼルチト達から得た情報を系統立てて整理していった。
「ありました! 白い羊毛の袋です!」
夕焼けに地上が染まった頃、遠くで兵の声が響いた。
「陛下、薬が見つかったようです。確認して参ります」
馬車に騎馬で追随している将軍――今は隊商の隊長に扮するファルコが言い、先行していく。アッズーロは窓に顔を寄せた。王でなければ――周囲を警戒する必要がなければ、馬車から飛び出して自ら確認しに行きたいところだが、それは、レーニョもファルコも許さないだろう。やがて、白い袋を大切そうに抱えたファルコが馬を駆けさせて戻ってきた。巾着の形をした、小物入れ程度の大きさの袋だ。
「中を改めたところ、小指の爪ほどの大きさの、半透明な繭が百個入っておりました。それぞれ、中には白っぽい粉が入っております。御覧になりますか?」
ファルコは、灰色の口髭を整えた端正な顔に憂いの表情を浮かべて、アッズーロを見た。得体の知れないものを王に手渡すことに抵抗があるのだろう。すぐに優秀な侍従が動いた。
「まずは、わたくしが改めます」
幼馴染みは素早く扉を開けて馬車から降り、将軍から白い袋を受け取る。慎重な手付きで巾着状の口を開き、中を見た。
「確かに、小さな繭がたくさん入っております」
告げて、レーニョは袋の中へ片手を入れ、繭を一粒摘まみ出す。
「中が透けて見えますね。将軍の仰る通り、粉が詰まっています。異臭等はございません」
レーニョが、馬車内のアッズーロに見えるように小さな繭を傾けると、中でさらりと粉が動くのが分かった。
「間違いなかろう。このようなものを作るは、わが妃以外にはおらん」
アッズーロは断じて、ファルコに命じる。
「同じものが他にもないか、道々探させよ。ナーヴェは『とちゅうでいっぱいおとしていく』と言うておったゆえ」
「御意」
周囲を警戒したままのファルコは馬上で一礼し、兵達へ細かな指示を出しに行った。
「さすがナーヴェ様でございますね。このようなものまでお作りになってしまわれるとは」
賞賛を口にしながら馬車内に戻ってきたレーニョが、白い袋をアッズーロへ差し出す。愛おしい宝が為した努力の一つの結晶を、アッズーロは大切に受け取った。
その後、夜に掛けて白い袋は百以上見つかった。それも、一直線に、ミニエラ・ディ・カルボーネ鉱山へ導くように道中に落ちていた。
(あやつ、どれほどの量の薬を作ったのだ……)
ナーヴェの努力の底知れなさを思いつつ、アッズーロは松明を掲げた兵達に、隊商の手法に倣った夜営の準備を命じた。
ああ、シェナンドー、きみに会いたい、
向こうへ、流れゆく川よ。
ああ、シェナンドー、きみに会いたい、
向こうへ、ぼく達は遠くへ行く、
広いミズーリ川を越えて。
ああ、シェナンドー、きみの娘に会いたい、
向こうへ、流れゆく川よ。
彼女のためにぼくは川を渡る、
向こうへ、ぼく達は遠くへ行く、
広いミズーリ川を越えて。
きみに最後に会ってから七年、
向こうへ、流れゆく川よ。
きみに最後に会ってから七年、
向こうへ、ぼく達は遠くへ行く、
広いミズーリ川を越えて。
ああ、シェナンドー、きみを聞きたい、
向こうへ、流れゆく川よ。
ああ、シェナンドー、きみを聞きたい、
向こうへ、ぼく達は遠くへ行く、
広いミズーリ川を越えて。
姉の一人シップ・オヴ・ホープから教えられた歌を無音で再生していたナーヴェは、自身が発生源の振動とは別の振動を検知し、作業を中断した。検知した振動は、坑道の入り口方向から複数響いてくる。
(これは人の足音。人数は五人。時刻は午前七時四分。もう日の出を迎えているね)
エゼルチトの配下達だろうか。それともアッズーロが差し向けた斥候達だろうか――。
(ああ――)
ナーヴェが振動の解析を終えたと同時に、通信が入った。
〈ナーヴェ、近くまで来たぞ〉
即座にナーヴェは応答した。
〈気を付けて! エゼルチトの配下が一人、きみ達のすぐ傍にいる!〉
アッズーロの返事までに、三秒あった。
〈確認済みだ。無力化した。花火の合図も送らせずに済んだ〉
〈よかった……!〉
ナーヴェが検知できないほど離れ、しかも静かに待機していたらしい見張りは、任務失敗に終わったようだ。
〈今から、そなたの掘り出しに掛かる。但し、本隊が到着するまで、まだ間があるゆえ、僅かずつになるが〉
焦りを滲ませたアッズーロの声に、ナーヴェは最大限落ち着いた音声を作って答えた。
〈了解。ぼくも内側から掘り進めているから、当初の予測より早く会えるかもしれないよ。とにかく、怪我のないようにね。それから、エゼルチトの配下達にも注意し続けて〉
〈うむ〉
相槌を最後に、通信は切られた。あの青年のことだから、自身も鶴嘴か円匙を握って、作業に加わるのだろう。
(王たるきみは、こんなところまで来るべきではないし、そんなことをするべきではないと、ぼくは苦言を呈さないといけないのに……)
――「きみがしんぱい! きみがいちばん、しんぱい! ほかのひとより、きみが……!」
叫ぶように吐露した自分自身を、思考回路で分析処理し切れず、ただ保留している。アッズーロに王城へ帰るよう進言しようとすると、その理由が果たして何なのか、明白にできずに混乱して、動作に移せない。
(きみは王城に帰るべきだ。それは間違いない。でも、そう結論付けている理由は……? きみは王で、王城で王としての役割を果たすべきだから……だけではない……? ただ、きみには、安全なところに、いて、ほしい……?)
思考回路の処理速度が極端に落ちそうになって、ナーヴェは幻覚の肉体で頭を横に振った。これはやはり、まだ分析処理せず保留しておかねばならない事実情報だ。
(まずは、ここから脱出しよう)
単純な動作目標を改めて設定し、ナーヴェは黙々と自らを閉じ込める土砂や岩盤を掘り崩していった。
夜明けと決めていた花火による定期連絡が、早速途絶えた。ラーモは信頼できる男だ。ゆえに、何かあったと確信できる。
「ズィンコ殿。これは好機です」
エゼルチトは、窓の外の曇り空へ向けていた目を、背後の男へ転じた。執務机に着いて羊皮紙の報告書を読んでいたフォレスタ・プルヴィアーレ・カルダ侯ズィンコは、黒い双眸を上げて、エゼルチトを見返す。整えた黒い口髭を扱きつつ、低い声で試してきた。
「一体、何を根拠に『好機』と言うのかね?」
黒く細い眉をひそめ、やや長い黒髪に縁取られた白い顔は、その肌の色以外、よく自分に似ていると思う。エゼルチトは薄く笑って告げた。
「十中八九、ミニエラ・ディ・カルボーネ鉱山にアッズーロが来ていますよ。われらに協力して頂ければ、アッズーロ亡き後の、この国の半分を差し上げましょう」
「そのようなことを聞いて、わたしがきみを野放しにすると思うのかね」
呆れた口調でズィンコは言い、片手を上げて指を鳴らした。途端に、執務室の扉が開き、武装した従僕達が雪崩れ込んでくる。
「国家転覆罪だ。エゼルチト将軍を拘束しろ」
ズィンコの命令に、屈強な男ばかりの従僕達は素早く動き――。
ズィンコは目を見開いて、自身を取り押さえた従僕達とエゼルチトとを見比べた。
「――きさま」
「甘いのですよ、誰も彼も」
エゼルチトは冷笑して告げる。
「従妹の子だからと、わたしのような者を簡単に出入りさせるあなたも。愛する船が心配だからと、自ら助けに出向いてくるアッズーロも。そして、幾ら人らしく健気だからと、船に心許すロッソも。皆、甘いのです」
「きさま、何をするつもりだ……」
睨み付けてくるズィンコには答えず、エゼルチトは従僕達に手を振った。男達は頷いて、ズィンコを引っ立て、退室していく。この侯城の地下牢へ連れていくのだ。ズィンコの拘束までは、練っていた計画の内だった。だが、ここから先は、計画にはなかったことだ。
(まさか、偶然、王の宝と遭遇して炭鉱に閉じ込めてしまえたばかりか、それを餌にアッズーロまで釣り出せてしまえるとはな……)
坑道に埋めただけで、あの船を永久に無力化できたなどとは考えていない。だが、アッズーロが来たことで、物理的に破壊することが叶わなかった船を、「精神的に」破壊できるかもしれない――。
「ロッソ、これで、おまえの目を覚まさせることができるかもしれないよ」
口の中で呟いたエゼルチトの背後、窓の外で、音を立てて雨が降り始めた。
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MayonakaTsuki
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王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
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