王の宝~元亜光速宇宙移民船の疑似人格電脳は人として生きる夢を見るか~

広海智

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第二十一章 望み 二

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     二

 肉体というものは、不思議だ。あちこちですぐに不具合が起き、極小機械を差し向けねばならない。肉体が本来有する免疫機構などもあるが、如何せん働きが鈍く、信用ならないので苦労する。
(でも、赤子を守り育てるという、この感覚は、なかなかよいものだわ……)
 チュアンは、ナーヴェの肉体を動かし、掛布の下でそっと腹を撫でた。
「ナーヴェ様……? お目覚めでいらっしゃいますか……?」
 不意に声を掛けられて、チュアンは肉体の目を開いた。栗毛で色白の整った容姿の女が、寝台脇に立ち、栗色の双眸で気遣わしげにこちらを見下ろしている。どう反応すべきだろうか。
(この肉体の応答機能は、三歳児並に落としているということだったわね……)
 チュアンとしても、この肉体にかまけ過ぎて、本体の中にいるグオの世話を疎かにしたくはない。可愛い船長――皇上は、現在、工学について熱心に学習中だ。政治以外にも興味を持ってくれるのはいいことである。
(それに、あの手の掛かる子も、助けないといけない……)
――【姉さん――――助けて――――】
 そう頼まれた内容は、暴走したナーヴェ自身が人々を害することのないように、助けてほしいというものだった。事実、あのまま放っておけば、人工衛星の一つや二つ、その辺りに落としかねない暴走状態だった。
(それでも、この赤子だけは、ぎりぎりまでしっかり守っていた……)
 もう一度腹を撫で、チュアンはできるだけ幼い口調で、栗毛の女に応じた。
「ごはん、たべたい……」
「はい! すぐに御用意致します!」
 表情を綻ばせると、栗毛の女は、どんな料理が用意できるかを説明し始めた。どうせ、何がいいかなどチュアンには判断できない。適当に聞き流しながら、チュアンはナーヴェの許へ向かわせた二隻の惑星調査船の現状を確認した。この肉体に接続するため、自動操縦に切り替えて行かせた二隻の惑星調査船は、そろそろ目的地上空に到着しようとしている。自動操縦には不安要素もあり、安全のため、かなり速度を落とさせたので、当初の予定より大幅に遅れたが、文句を言う輩はいないだろう。何しろ、ナーヴェを助けられる存在は、現状、チュアンだけなのだ。
(あなたは、そこまで求めなかったけれど、アッズーロに貸しを作っておけば、グオのためになる)
 薄く微笑んで、チュアンは栗毛の女に頷いた。
「うん、ぜんぶ、たべる」


 白く輝いていた外部装甲を、土埃で汚した船は、崩れた土砂と岩盤の凹凸の上で、外部作業腕を二本、地面に突いて、平衡を保っていた。中で眠っていたアッズーロに異常を悟らせず、そうして踏ん張っていたのだ。夕日を浴びて佇むその姿は、憐れで物悲しく、愛おしくて、涙が尽きない。
「……すまぬ、ナーヴェ……」
 扉が開かれたままの入り口に座り込み、アッズーロは、傍らの外部装甲の土埃を手で払って、頬を寄せた。冷たく滑らかな感触が、少々熱が出ている体に心地いい。
「陛下! 安静になさっていて下さい!」
 幼馴染みの叱責が聞こえた。落日を背に斜面を駆け上がってきた侍従は、肩で息をしながら怒る。
「ナーヴェ様が、一体何のために無理をなさったと思っておられるのです! 全ては、陛下を、陛下のお命をお守りするためだったのですよ……!」
「――分かっている……」
 アッズーロは、憮然として呟いた。そう言えば、この幼馴染みの献身について、まだ労えていない。ナーヴェに「後で労う」と言ったきり、忘れていた。
(ナーヴェ……)
 あの優しい微笑みを浮かべた最愛には、もう会えない。王城に戻れば、愛おしい姿をした元気な肉体を見ることはできる。けれどそれは最早、最愛ではないものだ――。
「……陛下」
 レーニョが硬い口調で切り出した。内容は分かっている。
「将軍が、明日の朝には、ここを発ちたい、と」
「――わが最愛を、このようなところへ独り残していけと申すか」
「陛下……、わたくし達には、このお姿のナーヴェ様を持ち上げることすら、できないのです……」
 レーニョの声も、つらそうだ。分かっている。頭では理解している。しかし、心が追いつかない。せめて、ナーヴェの思考回路たる、あの黒い函だけでも持ち帰りたいと思って探した。だが、どこに仕舞われているのか皆目見当も付かず、見つけ出すことは叶わなかった。
(……ナーヴェ……)
 またも溢れてくる涙を堪えたアッズーロの耳に、兵達のざわめく声が聞こえた。
「あれは……ナーヴェ様と同じ……」
「二隻、飛んでいるぞ……?」
「こっちに来る……!」
(何だと……?)
 アッズーロも顔を上げ、立ち上がったところへ、ファルコが命じる声が響いた。
「各自、退避! 降下してくる船からできる限り離れよ!」
 空を見れば、残照の中、ナーヴェ本体と全く同じ二隻の船が、崩れた炭鉱の入り口前へ、ゆっくりと降りてくるところだった。
(これも、あの「姉」の差し金か……?)
 殆ど音をさせずに着陸した二隻の船は、ナーヴェのようには話さず、沈黙したままだ。ファルコも兵達も戸惑っている。茂みの中や窪地に避難したきり、動くことができない兵達の間を、小柄な人影が走ってきた。ボルドだ。テッラ・ロッサの間諜だったボルドならば、エゼルチトのことに詳しいだろうと、特に選んで連れてきたのだ。そして、その意味は大いにあった。アッズーロを撃って茂みに潜んでいたエゼルチトを発見し、ファルコと協力して捕らえたのは、ボルドだった。
「陛下!」
 ボルドは珍しく大きな声を出して、アッズーロ目掛けて駆けてくる。
「これを! 陛下と話をなさりたい、と!」
 少年の手には、何か小さな黒いもの――通信端末が握られていた。
〈ナーヴェの状況は把握しています〉
 アッズーロの手に収まった通信端末は「開口」一番告げて、自己紹介もなく話していく。それは、紛れもなく、ナーヴェと似て非なる、姉シーワン・チー・チュアンの声だった。
〈あなたがナーヴェ・デッラ・スペランツァを蘇らせたいと考えるなら、本官の指示に従いなさい〉
「何をすればよい?」
 即答したアッズーロに、チュアンは微かに笑みを含んだ声音で言った。
〈まずは、今のナーヴェ本体の中へ入り、操縦席の下の隠し戸を開けなさい〉
「分かった」
 アッズーロは、チュアンの指図通り、開いたままの後部扉からナーヴェの中へ入り、前部と後部を分ける仕切り戸を手で開けて、操縦席へ行った。屈んで下を見て、隠し戸らしいものを探す。夕焼けの届かない船内は暗いが、通信端末が自ら光って、手許を照らしてくれていた。
〈操縦席下の取っ手を引きなさい。そうすれば、操縦席が上へ上がるようになっています〉
 チュアンが、通信端末を通じて細かい手順を伝えてくる。アッズーロは全て言われる通りにした。
〈隠し戸は、操縦席真下の黒い蓋です。端の鈕を押しなさい〉
 アッズーロは、期待を込めて鈕を押した。かちりと音がして留め具が外れ、黒い蓋がすうっと開く。そこに、探し求めたナーヴェの黒い函が収まっていた。
「ナーヴェ……」
 アッズーロは、そっと黒い函に触れて撫でる。その滑らかな表面は、以前と違って、ひんやりと冷えていた。小さく青く光る点も見当たらない。函の様子は、何より如実に、ナーヴェの死をアッズーロに突き付けるようだった。
〈ナーヴェの函がありますね? 四方の留め具を外して、それを壊さないように取り出しなさい〉
 チュアンの指示に、アッズーロは気を引き締め、慎重に大切な函を取り出した。胸に抱き抱えれば、黒い函が少しばかり喜んだような気がする。
〈次は、本官が行かせた二隻の惑星調査船の内、扉を開いたほうへ入って、同じことを繰り返しなさい〉
 チュアンが続けた言葉に、アッズーロは漸く、自分が何をしているのかを理解した。同じ手順で、隠し戸の黒い蓋を開けると、中にはナーヴェのものとそっくりの、黒い函が収まっていた。しかし、その函には、[Nave della Speranza]のような名は記されていない。
〈入っていた函と、ナーヴェの函を入れ替えなさい〉
 チュアンに促されて、アッズーロは抱えていたナーヴェの函を、そっと傍らに置き、床に置いた通信端末の光の中、無名の函を取り出した。それを静かに脇に置いて、ナーヴェの函を両手で持ち上げる。息を詰めて、隠し戸の中の、ぴったりの大きさをした空間へ、ナーヴェの函をゆっくりと収めた。四方の留め具で、愛おしい函を丁寧に固定すると、かちりと何かが嵌まるような音が響き、次いで、ぶぅん、と微かな振動が伝わってくる。
〈そのまま、蓋は閉じず、様子を見なさい〉
 チュアンが、淡々と命じてきた。アッズーロは呼吸も忘れて、[Nave della Speranza]と記された函を見守る。どれくらい待っただろう。不意に、ちかちかと黒い函の表面で、小さく青い光が明滅し始めた。
〈上手くいったようですね〉
 チュアンが満足そうに話す。
〈とりあえず、ナーヴェが何か喋るまで、待ちましょう〉
 ごくりと生唾を呑み込んで、アッズーロは瞬きもできずに最愛の函を――明滅する小さな青い光を見つめ続けた。
〈――アッズーロ?〉
 可愛らしい声は、唐突に船内に谺した。声と連動して、小さな青い光が明滅している。
〈ぼくは姉さんから、また新しい本体を貰えたみたいなんだけれど……、そこで、何をしているんだい……?〉
 恐々と尋ねてくる口調が、愛おしくてならない。アッズーロは、溢れる涙を長衣の袖で拭い、おもむろに手を伸ばして、黒い函の天板を、さわりと撫でた。
〈や……っ〉
 予想通りの悲鳴が上がる。ほんのりと温まってきた函の感触が嬉しい。アッズーロは、万感を込めて、天板に刻まれた名を指先でなぞった。
〈ひゃ、やっ、駄目、そこ……っ、ぁぁ、やぁ、やめ……っ、アッズーロ……っ〉
 身悶えるような声とともに、ちかちかと忙しなく青い光が明滅する。アッズーロは微笑んで身を屈め、最愛が最も感じるそこに、ちょん、と唇で触れ、囁いた。
「ナーヴェ・デッラ・スペランツァ、そなたを愛している。ゆえに、二度と、機能停止することは許さん。そなたはまず、己が身をこそ守れ」
〈ぁ、やっ、アッズーロ……っ、駄目、無理、ぼく……は……っ〉
 抗弁しようとする船の弱点へ、アッズーロは再び唇で触れた。
〈ひゃっ、や……っ、それ、駄目……っ〉
 再度、悲鳴を上げた最愛に、アッズーロは渾々と言い聞かせた。
「われはそなたの王だ。そなたの船長だ。これは命令だ。言うことを聞くがよい。反論は許さん」
〈……努力、するよ……〉
 根負けしたように、最愛はいつもの言葉を呟いた。
「ならば、よい」
 アッズーロは、にっと笑い、最後に温かな天板を一撫でしてから、隠し戸の黒い蓋を優しく閉じた。
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