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第二十四章 闘う妃 四
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四
「きみが、ここをえらぶとはおもわなかった。きみはいつも、ぼくのよそくをうわまわるね」
両腕の中に抱き竦めた最愛に囁かれて、アッズーロは満面の笑みを浮かべ、青い髪に隠れた耳へ囁き返した。
「そなたと少しでも長く二人きりでいるには、われながらよい思いつきであった。しかし、そなたがこの思いつきに反対せんとは些か意外であったな」
諸共に束縛帯で施術台へ肉体を固定した宝は、僅かに頬を膨らませた。
「どうして? ぼくだって、ちょっとでもながく、きみといっしょにいたいよ」
「確かにそうであろうが、そなたは、別にわれと二人きりでなくとも、大勢であっても構わんのだろう? 今回ならば、ここはそなたの本体の中でもあるゆえ、われがどこにいようと『一緒』であろうが」
博愛主義の妃に指摘すると、それこそ意外な反応が返ってきた。
「それはそうだけれど、でも、にくたいで、きみのそばにいたいんだ。このからだで、きみとふれあっていたいんだよ」
白い頬を紅潮させて主張した最愛は、ふと困ったような顔になる。
「……ぼく、やっぱり、いんらんになっている……?」
「われの望み通りにな」
アッズーロは優しく言い、束縛帯の下で体を動かして、愛らしい妃の頭に口付けた。嬉しげに目を細めた宝は、お返しとばかり、アッズーロにぎゅっと抱き付いてくる。幼い仕草は素直で、愛らしいことこの上ない。
「これが、ただの旅行であればよかったな……」
思わず独り言ちたアッズーロの目を見た最愛は、小さく手先を振った。途端に、船体の白い天井が夜空に変わる。小月に淡く照らされた薄雲が凄まじい速さで船尾方向へ流れていき、その向こうで月明かりに負けない星々が瞬いていた。
「そなたの体は、透けるのか」
感嘆したアッズーロに、最愛は、ふふっと笑った。
「すけているわけではなくて、がいぶこうがくそくていき――ぼくの、そとのめでみたえいぞうを、そのままうつしだしているんだ」
「うむ。夜空をこのように眺めるは初めてだが、よいものだな」
「とうちゃくするまでの、すこしのあいだだけだけれど、きみといっしょにみられて、うれしい」
ナーヴェの純真な言葉に、胸が熱くなる。アッズーロは、夜空をともに大切に見ようと思いながらも、妃の横顔のほうへ目を遣らずにはいられなかった。
束の間の幸せは、最愛が告げた通り、すぐに終わってしまった。
「ビアンコがのぞんだとおりになったね」
ゆるゆると城下町の広場に本体を降下させながら、ナーヴェは呟く。アッズーロは、まだ束縛帯で施術台に固定されたままの体を捩り、最愛の横顔を見つめた。不本意だが、事ここに至っては、ビアンコの案に乗るのが最良なのだろう。国内が荒れていては、外敵に対処できない。それでも、言わずにはいられない。
「無理は致すな」
「うん、どりょくする」
穏やかな声音、いつもの言い回しで躱した宝は、静かに静かに本体を着地させて、束縛帯を外した。
小神殿から飛び出したゼーロの後に続いたドゥーエは、風を起こしながら降りてきた船に、両眼を見開いた。陽光のような鋭い光を数ヶ所から放ち、それ自体も淡く光る船は、音もなく小神殿前に鎮座して、まるでドゥーエ達が揃うのを待つかのようだ。
「ゼーロ、どうするの……?」
問うたドゥーエには、悪戯っぽい笑みを湛えたニードが答えた。
「丁重にお迎えするのがいいんじゃないかな? 何しろ、こちらはテッラ・ロッサの新兵器なんかじゃなくて、羊の病に効く薬を作って下さった王の宝、王妃殿下だからね」
「とにかく、まずは相手の出方を見る」
ゼーロが引き取って指示を出す。
「まだ危険じゃないと決まった訳でもない。おれとゼーロで対応するから、他のみんなは隠れててくれ」
「いいえ」
ドゥーエは、首を横に振った。周囲には、船を見て集まってきた住人達がいる。彼らを放って自分だけ安全圏に行く訳にはいかない。
「あたしもここにいるわ」
きっぱりと応じたドゥーエの顔を振り向いて、ゼーロは微かに眉を寄せたが、小さく頷いて船へ視線を戻した。幼馴染みは理解が早くて助かる。
(それに)
ドゥーエは唇を噛んでゼーロの背について行く。
(全て自分の目で見ておかないと)
何が正しいのか。伝聞ばかりでは何も判断できない。実際に己の目で見なければ、自分は流されるばかりだ。
(タッソやヌーヴォローゾより、あたしには王の宝のほうが正しく思える。キアーヴェやベッリィースィモのことだって、聞いてるだけじゃ分からない)
あの二人こそがテッラ・ロッサの将軍に送り込まれた工作員なのだと、ニードは語り、同時に自身はテッラ・ロッサ国王ロッソ三世の配下なのだと名乗った。お陰でドゥーエ達は大いに混乱中だ。しかも、その話を裏付けるように、キアーヴェもベッリィースィモもここ数日姿を見せていない。タッソも信用ならず、ヌーヴォローゾは急に条件付きでアッズーロと和解すべきと言い出した。
(今、ここで、王の宝を見極められれば)
前回、王の宝を陵辱した三人の内の二人、タッソは面倒を嫌ったのか群衆の中に見当たらず、ヌーヴォローゾは小神殿入り口の暗がりに隠れるように立っている。ゼーロが厳しく叱責したこともあり、彼らが以前のように蛮行に及ぶ可能性は低い。
(王の宝とゼーロが、落ち着いて話し合えれば)
正解が見えるかもしれない――。
放たれていた陽光のような鋭い光は消えたが、船自体はまだ淡く不思議な光を纏っている。その前部扉が開き、長く青い髪を靡かせた少女が出てきた。
「夜も明けない内に叩き起こすようなことをしてしまって、ごめん。許してほしい」
よく響く声で謝罪してから、王の宝はしてドゥーエ達を見回す。光る船体を背にしたその表情は、夜空の下、逆光で窺い知れない。ただ、声は柔らかく、ドゥーエ達の間へ染み透っていく。
「でも、どうしても早くきみ達に会わせたい人がいて、連れてきたんだ」
告げて、一歩脇に動いた宝の後ろ、船の扉から、今度は男が三人次々と出てきた。いずれも若い男だ。内二人は、間に挟んだ男を睨むように見ている。その、中央に立った男が、ドゥーエ達へ向けて、おもむろに口を開いた。
「わたしは、テッラ・ロッサ王国筆頭将軍、オンダ伯エゼルチト」
あまりに意外な名乗りに周囲で民衆達が大きくざわめく。ドゥーエも目を瞠り、敵国の筆頭将軍だという男を凝視した。額や頬に掛かる癖のある黒髪を夜風に揺らしつつ、若い男は声を張る。
「わたしこそが、この国の王アッズーロ及び王の宝についての悪評を流し、羊を毒殺するよう工作員達に命じた張本人だ」
「羊を毒殺?」
「工作員?」
「どういうことだ!」
群衆が一斉にざわめき始めた。それに怯むことなく、寧ろ我が意を得たりというように、男は更に大きく声を張った。
「王の宝が作った薬は本当に羊の病に効いていた。だが、このわたしが、王の宝と国王アッズーロに対する、おまえ達の信用を失墜させるために、薬が効いて病が治りかけた羊に毒を飲ませ、殺させたのだ」
「何だと!」
「畜生め、やっぱりあの赤毛の兄ちゃんの言ってた通りか!」
「殺せ、そいつこそがおれ達の本当の敵だ!」
怒りを顕にした人々を、筆頭将軍は平然と見ている。暴徒と化しかけた住民達を止めたのは、「赤毛の兄ちゃん」ことニードだった。
「まあ待てよ、みんな! 素直に白状した訳を、聞いてやろうじゃないか!」
穏やかでよく通る声に、人々の足が止まる。しかし、怒号は続いた。
「訳なんぞより、まず謝れ! 謝罪しろ!」
「おれ達の羊を返せ!」
「死刑にするべきだ! おれ達の羊を殺した上、国王陛下と王妃殿下に冤罪を着せた! こいつは死刑に値する! そうでしょう、妃殿下!」
呼びかけられた王の宝は、ゆっくりとエゼルチトの隣に立つ。ニードがその意を汲んだように横へ下がった。
「もし、ぼくにも彼に対して怒る権利があると言ってくれるなら」
青い髪を嬲る夜風に乗せて、宝は柔らかに述べる。
「どうか、彼の罪は王城で裁かせてほしい。そして、罪もないのに殺されてしまった羊達の飼い主のみんなに対しては、今週中に、王室からお見舞いを贈るから、どうか受け取ってほしい」
ざわめいた人々の中から、今度は宝へ向けての声が上がった。
「そんな、勿体ないです、妃殿下」
「どうぞ、王城で厳正な処罰を!」
「ありがとうございます、妃殿下! 妃殿下万歳! 王の宝万歳!」
「妃殿下万歳! 王の宝万歳!」
万歳の声が広がり、人々の意思がほぼ統一されたことが、ドゥーエにも見て取れた。
「ありがとう、みんな」
微笑んで歓呼に応じた宝は、ちらとエゼルチトを見遣って言葉を継ぐ。
「エゼルチト将軍のことは、ぼくが保証するから、信じてほしい。彼は、もう二度ときみ達に仇為すようなことはしない。何故なら、オリッゾンテ・ブルとテッラ・ロッサ、双方にとって脅威となる、新しい勢力が赤い砂漠の向こうに現れたからだ」
「『新しい勢力』?」
思わず呟いたドゥーエのほうを、王の宝が見て頷いた。
「うん。王都にあった、ぼくのかつての本体――神殿と同じ船を持った、新しい勢力だ。彼らは、テッラ・ロッサより強力な軍事力を持っていて、いずれ、ぼく達に接触を図ってくるだろう。それが平和的なものとは限らない。彼らは、きっと、広く豊かな土地を求めているだろうからね」
「ここは、おれ達の土地だぞ! 渡すもんか!」
「妃殿下、その時は断固戦いましょう!」
「テッラ・ロッサと共闘するということですか、妃殿下?」
「『神殿と同じ船』って、神殿って、船だったのかい……?」
今度は、さまざまな声が上がる。唐突で想像を超える話に、困惑している者も多いようだ。
「ぼくは、できるだけ、戦いたくないと思っている」
宝は、凜として告げる。
「彼らは、神殿と同じ、空飛ぶ巨大な船を持っているから。戦えば、犠牲が出る」
断言された言葉に、人々は一瞬しんと黙った。目の前の船が放つ淡い光の周りの闇が、急に深くなった気がする。船の前に立つ宝の表情は、逆光となっていて読めない。だが、朗々と響く声音はいつも通り優しげだった。
「ぼくとアッズーロは、きみ達を守り切りたい。そのために、テッラ・ロッサとも協力する。エゼルチトの命令で動いたキアーヴェのことも、エゼルチトと共謀したベッリースィモのことも、エゼルチト同様、王城で裁きたいと思っている。だから、決して勝手に彼らを害することはしないでほしい。テッラ・ロッサとの交渉が難しくなってしまうから。分かってくれただろうか」
最後の問いかけに、即座に頷いたのは住民達の三分の一ほど。遅れて、更に三分の一ほどがばらばらと頷いた。残りの三分の一からは、溜め息や歯軋りが聞こえたが、表立って抗議したり悪態をついたりする者はいなかった。
「ありがとう、みんな。みんなの思いは、ずっとずっと記録しておくから」
宝は真摯に礼を言い、丁寧に住民達へ頭を下げる。その動きに倣って、エゼルチトも無言で深々と群衆へ頭を下げた。
(すごい……)
ドゥーエは思わず口に両手を当てる。人々の収まるはずのなかった憤怒を、宝は全て吸収し、沈静化させてしまったのだ。
(やっぱり、この方は、王の宝、この国の宝なんだわ……)
誰よりも最前線に立ち、優しい信念を持ち、わが身を犠牲にすることも厭わず闘っている。ドゥーエ達など及ぶべくもないほどに。
(そんな方を、タッソは、チーニョは、ヌーヴォローゾは、いえ、あたし達は、ああ――)
思わず知らず、ドゥーエは膝を折っていた。地面に蹲るようにして、人々の向こうに佇む宝を拝する。すぐ傍らで、同じように膝を突く者がいた。ちらと見遣れば、いつの間に来ていたのか、チーニョである。暗がりの中、地面に着くほど頭を垂れて宝へ返礼する姿には、深い後悔と敬愛の念が滲んで見えた。
(チーニョ、あなた……)
憐れみを覚えたドゥーエの傍で、また一人、跪く人があった。こちらは顔を見知っている程度の老婆だ。明らかに宝を伏し拝んでいる。その向こうで、更に一人が跪き――、後はまるで雪崩を打つようだった。ドゥーエ達を中心に、ばらばらと群衆が跪いていく。宝に真摯な返礼を捧げていく。
(ああ……)
新たな感動を覚えて、ドゥーエは改めて宝を見つめた。頭を上げた王の宝は、戸惑った様子で礼拝する人々を見回している。淡い光を背にして佇むその姿は、例えようもなく神々しかった。
「きみが、ここをえらぶとはおもわなかった。きみはいつも、ぼくのよそくをうわまわるね」
両腕の中に抱き竦めた最愛に囁かれて、アッズーロは満面の笑みを浮かべ、青い髪に隠れた耳へ囁き返した。
「そなたと少しでも長く二人きりでいるには、われながらよい思いつきであった。しかし、そなたがこの思いつきに反対せんとは些か意外であったな」
諸共に束縛帯で施術台へ肉体を固定した宝は、僅かに頬を膨らませた。
「どうして? ぼくだって、ちょっとでもながく、きみといっしょにいたいよ」
「確かにそうであろうが、そなたは、別にわれと二人きりでなくとも、大勢であっても構わんのだろう? 今回ならば、ここはそなたの本体の中でもあるゆえ、われがどこにいようと『一緒』であろうが」
博愛主義の妃に指摘すると、それこそ意外な反応が返ってきた。
「それはそうだけれど、でも、にくたいで、きみのそばにいたいんだ。このからだで、きみとふれあっていたいんだよ」
白い頬を紅潮させて主張した最愛は、ふと困ったような顔になる。
「……ぼく、やっぱり、いんらんになっている……?」
「われの望み通りにな」
アッズーロは優しく言い、束縛帯の下で体を動かして、愛らしい妃の頭に口付けた。嬉しげに目を細めた宝は、お返しとばかり、アッズーロにぎゅっと抱き付いてくる。幼い仕草は素直で、愛らしいことこの上ない。
「これが、ただの旅行であればよかったな……」
思わず独り言ちたアッズーロの目を見た最愛は、小さく手先を振った。途端に、船体の白い天井が夜空に変わる。小月に淡く照らされた薄雲が凄まじい速さで船尾方向へ流れていき、その向こうで月明かりに負けない星々が瞬いていた。
「そなたの体は、透けるのか」
感嘆したアッズーロに、最愛は、ふふっと笑った。
「すけているわけではなくて、がいぶこうがくそくていき――ぼくの、そとのめでみたえいぞうを、そのままうつしだしているんだ」
「うむ。夜空をこのように眺めるは初めてだが、よいものだな」
「とうちゃくするまでの、すこしのあいだだけだけれど、きみといっしょにみられて、うれしい」
ナーヴェの純真な言葉に、胸が熱くなる。アッズーロは、夜空をともに大切に見ようと思いながらも、妃の横顔のほうへ目を遣らずにはいられなかった。
束の間の幸せは、最愛が告げた通り、すぐに終わってしまった。
「ビアンコがのぞんだとおりになったね」
ゆるゆると城下町の広場に本体を降下させながら、ナーヴェは呟く。アッズーロは、まだ束縛帯で施術台に固定されたままの体を捩り、最愛の横顔を見つめた。不本意だが、事ここに至っては、ビアンコの案に乗るのが最良なのだろう。国内が荒れていては、外敵に対処できない。それでも、言わずにはいられない。
「無理は致すな」
「うん、どりょくする」
穏やかな声音、いつもの言い回しで躱した宝は、静かに静かに本体を着地させて、束縛帯を外した。
小神殿から飛び出したゼーロの後に続いたドゥーエは、風を起こしながら降りてきた船に、両眼を見開いた。陽光のような鋭い光を数ヶ所から放ち、それ自体も淡く光る船は、音もなく小神殿前に鎮座して、まるでドゥーエ達が揃うのを待つかのようだ。
「ゼーロ、どうするの……?」
問うたドゥーエには、悪戯っぽい笑みを湛えたニードが答えた。
「丁重にお迎えするのがいいんじゃないかな? 何しろ、こちらはテッラ・ロッサの新兵器なんかじゃなくて、羊の病に効く薬を作って下さった王の宝、王妃殿下だからね」
「とにかく、まずは相手の出方を見る」
ゼーロが引き取って指示を出す。
「まだ危険じゃないと決まった訳でもない。おれとゼーロで対応するから、他のみんなは隠れててくれ」
「いいえ」
ドゥーエは、首を横に振った。周囲には、船を見て集まってきた住人達がいる。彼らを放って自分だけ安全圏に行く訳にはいかない。
「あたしもここにいるわ」
きっぱりと応じたドゥーエの顔を振り向いて、ゼーロは微かに眉を寄せたが、小さく頷いて船へ視線を戻した。幼馴染みは理解が早くて助かる。
(それに)
ドゥーエは唇を噛んでゼーロの背について行く。
(全て自分の目で見ておかないと)
何が正しいのか。伝聞ばかりでは何も判断できない。実際に己の目で見なければ、自分は流されるばかりだ。
(タッソやヌーヴォローゾより、あたしには王の宝のほうが正しく思える。キアーヴェやベッリィースィモのことだって、聞いてるだけじゃ分からない)
あの二人こそがテッラ・ロッサの将軍に送り込まれた工作員なのだと、ニードは語り、同時に自身はテッラ・ロッサ国王ロッソ三世の配下なのだと名乗った。お陰でドゥーエ達は大いに混乱中だ。しかも、その話を裏付けるように、キアーヴェもベッリィースィモもここ数日姿を見せていない。タッソも信用ならず、ヌーヴォローゾは急に条件付きでアッズーロと和解すべきと言い出した。
(今、ここで、王の宝を見極められれば)
前回、王の宝を陵辱した三人の内の二人、タッソは面倒を嫌ったのか群衆の中に見当たらず、ヌーヴォローゾは小神殿入り口の暗がりに隠れるように立っている。ゼーロが厳しく叱責したこともあり、彼らが以前のように蛮行に及ぶ可能性は低い。
(王の宝とゼーロが、落ち着いて話し合えれば)
正解が見えるかもしれない――。
放たれていた陽光のような鋭い光は消えたが、船自体はまだ淡く不思議な光を纏っている。その前部扉が開き、長く青い髪を靡かせた少女が出てきた。
「夜も明けない内に叩き起こすようなことをしてしまって、ごめん。許してほしい」
よく響く声で謝罪してから、王の宝はしてドゥーエ達を見回す。光る船体を背にしたその表情は、夜空の下、逆光で窺い知れない。ただ、声は柔らかく、ドゥーエ達の間へ染み透っていく。
「でも、どうしても早くきみ達に会わせたい人がいて、連れてきたんだ」
告げて、一歩脇に動いた宝の後ろ、船の扉から、今度は男が三人次々と出てきた。いずれも若い男だ。内二人は、間に挟んだ男を睨むように見ている。その、中央に立った男が、ドゥーエ達へ向けて、おもむろに口を開いた。
「わたしは、テッラ・ロッサ王国筆頭将軍、オンダ伯エゼルチト」
あまりに意外な名乗りに周囲で民衆達が大きくざわめく。ドゥーエも目を瞠り、敵国の筆頭将軍だという男を凝視した。額や頬に掛かる癖のある黒髪を夜風に揺らしつつ、若い男は声を張る。
「わたしこそが、この国の王アッズーロ及び王の宝についての悪評を流し、羊を毒殺するよう工作員達に命じた張本人だ」
「羊を毒殺?」
「工作員?」
「どういうことだ!」
群衆が一斉にざわめき始めた。それに怯むことなく、寧ろ我が意を得たりというように、男は更に大きく声を張った。
「王の宝が作った薬は本当に羊の病に効いていた。だが、このわたしが、王の宝と国王アッズーロに対する、おまえ達の信用を失墜させるために、薬が効いて病が治りかけた羊に毒を飲ませ、殺させたのだ」
「何だと!」
「畜生め、やっぱりあの赤毛の兄ちゃんの言ってた通りか!」
「殺せ、そいつこそがおれ達の本当の敵だ!」
怒りを顕にした人々を、筆頭将軍は平然と見ている。暴徒と化しかけた住民達を止めたのは、「赤毛の兄ちゃん」ことニードだった。
「まあ待てよ、みんな! 素直に白状した訳を、聞いてやろうじゃないか!」
穏やかでよく通る声に、人々の足が止まる。しかし、怒号は続いた。
「訳なんぞより、まず謝れ! 謝罪しろ!」
「おれ達の羊を返せ!」
「死刑にするべきだ! おれ達の羊を殺した上、国王陛下と王妃殿下に冤罪を着せた! こいつは死刑に値する! そうでしょう、妃殿下!」
呼びかけられた王の宝は、ゆっくりとエゼルチトの隣に立つ。ニードがその意を汲んだように横へ下がった。
「もし、ぼくにも彼に対して怒る権利があると言ってくれるなら」
青い髪を嬲る夜風に乗せて、宝は柔らかに述べる。
「どうか、彼の罪は王城で裁かせてほしい。そして、罪もないのに殺されてしまった羊達の飼い主のみんなに対しては、今週中に、王室からお見舞いを贈るから、どうか受け取ってほしい」
ざわめいた人々の中から、今度は宝へ向けての声が上がった。
「そんな、勿体ないです、妃殿下」
「どうぞ、王城で厳正な処罰を!」
「ありがとうございます、妃殿下! 妃殿下万歳! 王の宝万歳!」
「妃殿下万歳! 王の宝万歳!」
万歳の声が広がり、人々の意思がほぼ統一されたことが、ドゥーエにも見て取れた。
「ありがとう、みんな」
微笑んで歓呼に応じた宝は、ちらとエゼルチトを見遣って言葉を継ぐ。
「エゼルチト将軍のことは、ぼくが保証するから、信じてほしい。彼は、もう二度ときみ達に仇為すようなことはしない。何故なら、オリッゾンテ・ブルとテッラ・ロッサ、双方にとって脅威となる、新しい勢力が赤い砂漠の向こうに現れたからだ」
「『新しい勢力』?」
思わず呟いたドゥーエのほうを、王の宝が見て頷いた。
「うん。王都にあった、ぼくのかつての本体――神殿と同じ船を持った、新しい勢力だ。彼らは、テッラ・ロッサより強力な軍事力を持っていて、いずれ、ぼく達に接触を図ってくるだろう。それが平和的なものとは限らない。彼らは、きっと、広く豊かな土地を求めているだろうからね」
「ここは、おれ達の土地だぞ! 渡すもんか!」
「妃殿下、その時は断固戦いましょう!」
「テッラ・ロッサと共闘するということですか、妃殿下?」
「『神殿と同じ船』って、神殿って、船だったのかい……?」
今度は、さまざまな声が上がる。唐突で想像を超える話に、困惑している者も多いようだ。
「ぼくは、できるだけ、戦いたくないと思っている」
宝は、凜として告げる。
「彼らは、神殿と同じ、空飛ぶ巨大な船を持っているから。戦えば、犠牲が出る」
断言された言葉に、人々は一瞬しんと黙った。目の前の船が放つ淡い光の周りの闇が、急に深くなった気がする。船の前に立つ宝の表情は、逆光となっていて読めない。だが、朗々と響く声音はいつも通り優しげだった。
「ぼくとアッズーロは、きみ達を守り切りたい。そのために、テッラ・ロッサとも協力する。エゼルチトの命令で動いたキアーヴェのことも、エゼルチトと共謀したベッリースィモのことも、エゼルチト同様、王城で裁きたいと思っている。だから、決して勝手に彼らを害することはしないでほしい。テッラ・ロッサとの交渉が難しくなってしまうから。分かってくれただろうか」
最後の問いかけに、即座に頷いたのは住民達の三分の一ほど。遅れて、更に三分の一ほどがばらばらと頷いた。残りの三分の一からは、溜め息や歯軋りが聞こえたが、表立って抗議したり悪態をついたりする者はいなかった。
「ありがとう、みんな。みんなの思いは、ずっとずっと記録しておくから」
宝は真摯に礼を言い、丁寧に住民達へ頭を下げる。その動きに倣って、エゼルチトも無言で深々と群衆へ頭を下げた。
(すごい……)
ドゥーエは思わず口に両手を当てる。人々の収まるはずのなかった憤怒を、宝は全て吸収し、沈静化させてしまったのだ。
(やっぱり、この方は、王の宝、この国の宝なんだわ……)
誰よりも最前線に立ち、優しい信念を持ち、わが身を犠牲にすることも厭わず闘っている。ドゥーエ達など及ぶべくもないほどに。
(そんな方を、タッソは、チーニョは、ヌーヴォローゾは、いえ、あたし達は、ああ――)
思わず知らず、ドゥーエは膝を折っていた。地面に蹲るようにして、人々の向こうに佇む宝を拝する。すぐ傍らで、同じように膝を突く者がいた。ちらと見遣れば、いつの間に来ていたのか、チーニョである。暗がりの中、地面に着くほど頭を垂れて宝へ返礼する姿には、深い後悔と敬愛の念が滲んで見えた。
(チーニョ、あなた……)
憐れみを覚えたドゥーエの傍で、また一人、跪く人があった。こちらは顔を見知っている程度の老婆だ。明らかに宝を伏し拝んでいる。その向こうで、更に一人が跪き――、後はまるで雪崩を打つようだった。ドゥーエ達を中心に、ばらばらと群衆が跪いていく。宝に真摯な返礼を捧げていく。
(ああ……)
新たな感動を覚えて、ドゥーエは改めて宝を見つめた。頭を上げた王の宝は、戸惑った様子で礼拝する人々を見回している。淡い光を背にして佇むその姿は、例えようもなく神々しかった。
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ただし、記載内容の趣旨に大きな変更はございません。
引き続きよろしくお願いいたします。
地獄の業火に焚べるのは……
緑谷めい
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伯爵家令嬢アネットは、17歳の時に2つ年上のボルテール侯爵家の長男ジェルマンに嫁いだ。親の決めた政略結婚ではあったが、小さい頃から婚約者だった二人は仲の良い幼馴染だった。表面上は何の問題もなく穏やかな結婚生活が始まる――けれど、ジェルマンには秘密の愛人がいた。学生時代からの平民の恋人サラとの関係が続いていたのである。
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