鬼姫奇譚

中富虹輔

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第六話 鬼の里の最期

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 由姫が、柊子と椿さんを送るためにこの家を出ていってからしばらくして。
 初めに、俺たちをこの部屋に案内してくれた老人の鬼が、俺のところにやってきた。老人はぺこりと一礼して、部屋に入ってくると、
「将臣さま、でしたな?」
「はい」
 俺はうなずいて、立ったままの老人に、そこに座るようにうながした。「では、失礼して」と、老人は部屋の隅の方で正座し、
「私は、姫さま……由姫さまが生まれたときから、ずっと由姫さまの世話をしてきた、ホノタチと申します」と、深々と頭を垂れた。
「ちょ、ちょっと待ってください。そんなにかしこまらなくっても……」
 俺はあわてて、老人……ホノタチにいったけれども、老人は、「いえ」と、静かに首を横に振った。
「あなた様のおかげで、由姫さまが、生きる気力を取り戻してくださったのです。私などが、いくら感謝してもしたりないくらいです。鬼の一族一同を代表しまして、私がお礼を申し上げにまいりました」
「え?」
 ……由姫が、生きる気力をなくしていた?
 そんな俺の疑問に気づいたのか、老人は、「由姫さまに口止めされておりますゆえ、詳しくはお話しできませぬが、どうしても、あなた様にお礼だけは申し上げておかねばなるまい、ということで、我ら一同一致いたしまして。こうして、あなた様のところに参った次第でございます」
 そういって、ホノタチはもう一度、深々と頭を下げた。……いや、だから。そんなにかしこまられても……。俺自身、俺が由姫に何かをしてやった覚えもないのだから、そんなに感謝されてしまうと、かえってこっちの方が恐縮してしまう。
「あ、あの……。わかったから、顔を上げてもらえませんか? その……そのお気持ちは、ありがたく頂きますから」
 ようやく老人は、顔を上げた。そして彼が、
「もしよろしければ、由姫さまが戻ってくるまでの間、このじじいの繰り言に、耳を傾けていただけませんでしょうか?」
 そういったその直後、
「今帰ったぞ」
 聞き慣れた由姫の声が家の中に響いてしまい、結局俺は、その老人が俺に何をいいたかったのか、聞くことはできなかった。

 まっすぐに俺のところへやってきた由姫は、彼女を出迎えにいったホノタチにお茶を頼むと、俺の目の前で正座した。なんとなく、俺も彼女につられて正座をしてしまい、少しの間、俺たちはそのまま、まっすぐに互いを見つめ合っていた。
 ほどなくして、ホノタチが、お茶を持ってきてくれた。彼は俺と由姫のそばに湯飲みを置くと、最後に部屋の入り口で一礼して、去っていった。
 それから一時の間をおいて、由姫は「さて……」と、切り出した。
「成り行きでここに残ったのなら、帰ってもいいぞ。……お前はこの町の人間でもないのだから、わざわざ私たちのおとぎ話なんかにつきあう義理はないのだぞ」
 それはたぶん、俺のことを心配していってくれたのだろうけれども。
「……由姫」
「なんだ?」
「勘違い、するなよ。確かに、柊子にいわれて引っ込みがつかなくなった、ってものちょっとはあるけど。でも……たぶん柊子がいなくても、俺はこうしていたぞ」
「どうして?」
「お前が泣いているとこ、見ちまったからな」
「な……」
 一瞬。ほんの一瞬だけ、由姫の頬が赤くなった。けれども。
「その程度で、私につきあってくれるのか? ……案外安っぽくできているのだな、お前は」
 口ではそんなことをいってみせたけれども。由姫が本当は、俺をかなり頼りにしているのではないか。そんな(ちょっと自意識過剰気味ではあるが)自信が、俺にはあった。
 そして由姫は居住まいを正し、
「実はな。里の出来損ないどもを、一網打尽にする腹案は、もう、できている」
「……本当か?」
「ああ。お前が協力してくれる、というので、それを実行できるめどが立った。あとは……」
 いつならずけずけとものをいうはずの由姫が、珍しく口ごもった。なんとなく、由姫が俺に先をうながしてほしがっているような気がして、俺は、
「あとは?」
 声をかけた。
「ああ」由姫はうなずき、「あとは、どうにかして、後味が悪いのをこらえなければいけないんだが……」そして由姫は、俺の顔を見つめ、うっすらと微笑んだ。
「将臣。お前は、私の決断をどう思う? 血も涙もないと思うか、それとも……」
 そして由姫は、その計画を、俺に話して聞かせた。
 それは確かに、血も涙もないといってしまえばそれまでの、かなりえげつない方法ではあった。けれども。
 それを決断するのに、由姫がどれほど苦しみ、そしてどれほど迷ったか、俺は容易に想像できた。だから俺は、由姫が語ったその計画を、よけいな口を挟まずにじっくりと聞き、最後に、大きくうなずいた。
「由姫がそう決めたのなら、俺はその通りにするよ」
「それで、本当にいいのか?」
 念押ししてくる由姫に、
「これを決めるのに、由姫だって、かなり迷ったんだろ? それだったら、ここで今さら、俺がなんだかんだ口出しできるもんじゃないさ」
 俺は微笑みかけた。
「そうか。すまんな」
 由姫は一言いって、小さく頭を下げた。そして彼女はゆっくりと立ち上がり、「では、これを皆に伝えてこよう。……少し、待っていてくれ」
 と、歩き出したけれども。
「由姫」
 俺は、そんな彼女を呼び止めた。「なんだ?」と振り返った彼女に、俺はもう一度微笑みかけ、
「俺も、一緒にいくよ。……二人の方が、一人よりも心強いだろ?」
 由姫は小さくうなずいて、「すまんな」と、短くいった。そして由姫は、ホノタチを呼び、鬼たちをすべて集めるように、と、指示を出した。
 集まった鬼は、由姫も含めて全部で五人。話に聞いていたとはいえ、あまりにも少ないその数に、俺は、なんだか一抹の寂しささえ感じてしまっていた。
 人が四、五十人は入れようか、というその座敷の中に、俺を含めてわずか6人の鬼と人間。そのもっとも上座にいる由姫が、ぐるりと、そこに集まった鬼たちの顔を見回した。由姫のその顔には、今までに見たことのない威厳が備わっていて、俺は漠然と「鬼姫」という存在……というか、由姫の家系の鬼……は、どうやら鬼たちのリーダーシップもとっている存在らしい、という事実に気付いた。
「皆のもの。すまぬが、頼みがある」
 開口一番、由姫はそういった。
「なんでございましょう。……他ならぬ姫さまの頼みとあれば、この老骨、喜んで引き受けましょう」
 口を開いたのは、ホノタチだった。……というか、まともに動ける鬼は、もうホノタチしかいなかったのだ。あとの三人は、寝床をそのまま動かしてきて、床にふせったまま、由姫の言葉を聞いている。
「……すまぬな」
 その顔に、死ぬ間際のヤツカケに見せた優しい微笑みを浮かべ、由姫はいった。その表情は、すぐにずっと厳しいものに変わり、ちらりと、俺の顔をうかがった。俺は小さくうなずき、由姫の視線に応えた。
 由姫もまたこくんとうなずき、また、その場をぐるりと見回し、
「皆の命、わしが貰いたい」
 その声はひどく冷めていたけれども、それだけによけい、由姫の苦悩を感じさせた。「命を預けてほしい」ではなく「命を貰いたい」。なんの言葉も飾らず、素直に「お前たち、私のために死んでくれ」と、由姫はいった。
 その場にいた鬼たちは、静かに目線を交わしあった。……けれどもそれは、「死ね」といわれたことへの戸惑いや恐れではなく、どちらかといえば「やっと、その言葉をいってくださったか」という、安らぎに満ちた視線であったように、俺は感じた。
 やはり、鬼たちの代表であるホノタチが、静かに口を開いた。
「姫さまがお生まれになったそのときから、我々の命は、すでに姫さまのために捧げようと決めておりました。今、姫さまの御口からそのお言葉を聞き、我ら一同、もはやなんの迷いもなく、死出の旅へと向かうことができまする」
 そして、静かに頭を下げたホノタチに向かって、由姫は「すまんな」と、小さくつぶやいた。
「……ですが、姫さま。我々年寄りの、最後の願いを、お聞き届けいただけますでしょうか。それさえ叶えば、我々、いつなりとも喜んで、姫さまのためにこの命、差し出しましょう」
「……なんだ? 申してみよ」
「は」由姫の言葉に、ホノタチは深々と頭を下げた。「我々の願いは、ただ一つでございます。姫さま……いえ、由姫さま。我らのことは、遠い忘却の彼方に忘れ去ってくださって結構。むろん、墓などいりませぬ。ですが……ですがどうか由姫さま。なにとぞ由姫さまだけは、どうかお幸せになっていただきたいと思います」
「ホノタチ……」
 思わず……だろう。由姫のその表情から、先ほどまでの威厳が消え失せ、そこに、たった一人の「由姫」という存在が顔を覗かせた。
 と。病床にいるはずの一人の鬼が、驚くほどにはっきりとした声を上げた。……おそらく、残っている体力のほとんどを、それに費やしているのだろう。
「由姫さま。何も申しますな。……我々は、我々のわがままのために、由姫さまを縛り上げすぎました。……今さらこんなことを申しても手遅れではありますが、由姫さまが亡くされた四人のお子さまのことも、そして由姫さまに、鬼姫としての役目を押しつけたことも、みな今となっては悔やまれるばかりでございます。……もっと早くに我々が決断していれば、由姫さまももっと別な……幸せな生き方もできたでしょうに」
「いうな、シロガネ。……もう、いうな」
 由姫の制止も聞かず、シロガネと呼ばれた鬼は、ただとうとうと言葉を発し続けた。そして最後に、ホノタチは俺のほうを見た。
「将臣さま。誠に勝手な願いとは存じますが、どうか……どうか由姫さまのこと、よろしくお願いいたします。たとえ由姫さまが鬼であるとしても、今を生きる若い娘たちと同じ生き方も、できるはずでしょうから」
「……わかりました」
 俺は静かにうなずいた。……断れるわけがないじゃないか。こんなにも、皆に慕われている由姫を「お願いします」なんて頼まれてしまえば。
「ありがとうございます」
 ホノタチは、再び深々と頭を下げた。「これで我らも、安心して死ぬことができます」
 そしてホノタチは顔を上げ、「さあ、由姫さま。ぐずぐずなさいますな。あまり、時間も残されておりませぬぞ」
「すまんな」
 肩をふるわせながら、由姫はいった。そして彼女は俺のほうを見て、一度大きくうなずいた。
 そして彼女は、その計画を、皆に話して聞かせたのだった。

 ホノタチら、老いた鬼たちがおとりになって出来損ないをおびき寄せ、炎をもって焼き尽くす。一言でいってしまえば、それはそういうことだった。どうやらホノタチには、すでにそういう計画を独自に練っていたらしかった。彼は、由姫の考えたプランに、適切な修正を加えていく。そのことから考えても、彼は、自分が犠牲になることを、最初から考えていたようだった。
 その結果、それは大体次のような計画になった。
 夜。出来損ないたちが起きてくるのを待って、由姫と俺とで出来損ないたちをこの屋敷になるべく多く引きつける。その後、俺と由姫は、「穏行結界」……自分たちの気配をシャットアウトする結界。由姫一人ではこれを作ることはできないのだけれども、俺がエネルギーを貸すことで、これを作ることができるようになるらしい……を作って屋敷の外へ。そして、屋敷に残っているホノタチたちの気配に反応した鬼たちが集まった頃合いを見はからって、由姫が俺のエネルギーを使って、そこに集まっている鬼を一網打尽にする。
 危険といえば、最初に俺と由姫がおとりになって出来損ないどもをおびき寄せるのが危険だけれども、そこさえクリアしてしまえば、あとはしごく簡単な計画だった。
 これを始めるのは夜、日が暮れてから。それまで少し時間があったので、由姫は「自分の身の回りのものを整理したい」といって、俺を、自分の部屋へ案内してくれた。
 由姫の部屋は、ひどく殺風景だった。「身の回りのものを整理する」とはいっても、あまり荷物になるようなものをもっていくわけにもいかず、結局のところ、由姫は俺と二人きりになりたかっただけのようだった。
 由姫は、部屋の奥にあったタンスの中から、あれやこれやと引っぱり出しては、一つずつ、俺にその由来を説明してくれた。
 これは、自分がいくつの誕生日を迎えたときに送られたものだ。
 これは、自分が初めて子どもを産んだときに、子どもに着せるつもりだった産着だ。
 これは、母が死んだときに着た喪服だ。
 それらの一つ一つの由来を語り、そして無造作に部屋の隅にうち捨てる。
 そうやって、思い出の一つ一つを投げ捨てていくことで、由姫は、自分自身の手でこの里を滅ぼすための気力を奮い立たせているようだった。
 そして。
 最後に由姫が俺に見せてくれたのは、俺が初めて由姫の姿を見たときに着ていた、黒いセーラー服だった。
「私が十三になったときにな。母が、『人間たちは、お前の歳になると、このような服を着て学校というところで勉学に励むのだ』と、この服を私にくれた。……これを着るような機会はほとんどなかったが……。あのとき、一度でいいから、学校というところに行ってみたいと思ったものだ」
 そういって、由姫は笑った。そして彼女は、そのセーラー服も、無造作に、部屋の片隅にうち捨てようとした。けれども。
「……それが最後になるんなら、もう一度くらい、それを着てやってもいいんじゃないか? ……そうすれば、由姫の母さんだって、それを喜んでくれるよ」
「そう……だろうか?」
 自信なげな声で、由姫は問うてきた。けれども、「ああ」と俺がうなずくと、
「そうだな」と、由姫もうなずいた。
「じゃあ、俺、外で待ってるから」いって、俺は部屋を出た。
 それからしばらくして。
 部屋のふすまが開き、黒いセーラー服に身を包んだ由姫が、姿をあらわした。
「よく似合ってるよ」
 俺がいうと、由姫は小さく微笑み、「ありがとう」と応えた。
 そして由姫は、「ついてこい。見せたいものがある」といって、歩き始めた。俺は素直に彼女の言葉に従って、彼女の後を追った。

 由姫の家を出て、しばらく歩いた、鬼の里のはずれ。墓地……だろうか。墓石らしきものが整然と並んでいる広場の入り口で、由姫は立ち止まった。
「……ここは?」
 問うた俺に、「墓場だ」予想通りの由姫の返事。そして由姫は、また俺に「ついてこい」とうながすと、墓地の中央にある、ひときわ大きな墓の前へ歩いていった。
「将臣。お前も見たからわかるだろうが……。私たち鬼は、死ぬと、跡形も残らずに、この世から消滅してしまう。……だから、墓には、その人が生きていたときに身につけていたものを埋めるのが習わしになっている」
 そういって、由姫はその墓をじっと見つめた。
「私の一族の墓だ。……この、墓をつくるという風習は、お前たち人間から受け継いだものらしい」
 ……そうか。
 俺は、由姫がなんのためにここに来たか、ようやくわかったような気がした。
 彼女は、別れを告げに来たのだ。この、鬼の里に。そして、墓に眠っている、由姫の先祖たちに。
「かあさま……」
 由姫は小さくつぶやいた。そういえば……。彼女が今着ているセーラー服は、彼女の母さんが、彼女に渡したものだったんだっけ。
 どうやら由姫は自分の母親に、何か特別なものを感じているらしい。じっとその墓を見つめ、そして彼女は、静かに口を開いた。
「私の母もな、鬼姫だった。代々、鬼姫の家系は、まともな鬼が生まれる確率が高くてな。私の母も、それを期待されて、何人も子供を産んだ。だが……」
 そして由姫は、不意に俺の方に向き直った。
「生まれたまともな鬼は、私一人だった。そして私も、母と同じことを期待されて子供を産んで、その結果は、母よりも悪かった。……そうこうするうちに、私と契ることのできる男が一人もいなくなってしまってな」
 自嘲気味に、由姫は笑った。
「私は……私は別に、どうだっていい。子供がみな死産だったことも、特別な感情を持っていない男どもと契ったこともな。……所詮私は、出来損ないだから」
 由姫の言葉は、ひどく重かった。
「けれども……。けれどもかあさまは……」
 由姫の目に、涙がにじんできた。
「かあさまが、哀れでならない。鬼の血を残すためだけに、くだらない男どもと契っては何人も子供を産んで……」
 由姫は流れてくる涙を払い、再び、墓に目を向けた。
「ホノタチは、私の幸せを願ったけれど……。本当に……本当に幸せにしてあげるべきだったのは、私のかあさまだったのに……」
 そのまましばらく、由姫は母の墓前で、泣き続けていた。
 けれども。
 やがて、自分の心の中の整理がついたのか、由姫は涙を払い、俺の方を見ると、うっすらと微笑んだ。
「みっともないところを見せてしまったな。……本当は、かあさまに別れをいうだけのつもりだったのだが……」
 俺は由姫に微笑みかけてやった。由姫もまた微笑みを返して、
「そろそろ帰ろう。あまり遅くなると、ホノタチが待ちくたびれてしまう」
「そうだな」
 俺はうなずいた。

 結局、セーラー服では動きにくい、というので、由姫は最終的にはTシャツにジーンズという出で立ちに戻ってしまった。そして俺達は夕暮れを待ち、出来損ないの鬼達が跋扈する里の中へ、繰り出した。
 出来損ないの鬼達は、俺たちが里の入り口で見たように、昼間は地中に潜って、里の中の「気」を吸っている。けれども、夕暮れ以降、里の中の「気」が悪い「気」へと変わるころから、その動きが活発になる。
 俺達は、日が沈む少し前に家を出た。そうしてしばらく里の中をぶらついて時間を過ごし、日が沈んだその直後から。
 ぼごん、ぼごんといういやな音とともに、地中から一匹、二匹と、出来損ないの鬼達が姿をあらわし始めた。
 俺達が「鬼」と聞いて思い浮かべる、いわゆる「鬼」のような姿ではなく、さりとて、由姫のようにまったく人間と同じ姿をしているわけではない。それはまさに、鬼の「出来損ない」としかいいようのない怪物だった。
 それが、そいつ自身のもっている凶暴な衝動のままに、俺達に向かってやってくるのだ。隣に由姫がいて、しじゅう俺の心に渇を入れてくれなければ……あるいは、由姫のそばにいることで活性化した鬼の血による運動能力の上昇がなければ、とてもではないが、こんな奴らの中にはいたくない、というのが本音だった。
 ……いったい、どれほどの数がいるのだろう。
 はじめのうちは、俺たちを追いかけてくる出来損ないの鬼と、適当な距離を置きながら逃げ回ることができたのだけれども。
 次第にそいつらは数を増していき、ゆっくりと、けれども確実に、俺たちの逃げ場は失われていった。
 それでもどうにか逃げ道を見つけながら、俺たちは出来損ないの鬼たちをあちこちから引き寄せてきたけれども。
 由姫の息が上がり始めた。
「由姫。……そろそろ、いいんじゃないか? これ以上やると、俺たちの逃げ場がなくなっちまうぞ」
 けれども、ぜいぜいと荒い息をつきながら、由姫は俺の言葉に応えた。
「いや。まだだ。もう少し、集めておきたい」
「肩で息をしてるようなのがなにいってんだ。……お前は、このあともいろいろとやることがあるんだろ? 戻るぞ」
 俺は由姫の言葉を無視して、彼女の手を取った。そして、ぞろぞろと俺たちを追いかけてくる出来損ないの鬼たちを誘いつつ、由姫の家へと向かう。
 ひとまず、由姫の家に避難した俺たちは、まだぜいぜいいっている由姫を(ほんの気休め程度でしかなかったけれども)少しの間休ませてやった。
 こういうときに、責任感が強すぎるというのも考え物だ。由姫は自分の体力などお構いなしに、俺の中のエネルギーを少し使って、穏行結界を張り、鬼たちに気取られないように、静かに、家を出ていった。
 それにしても。
 どこにこれほどの数の鬼がいたのか。由姫の家の周辺は、出来損ないの鬼であふれかえっていた。そんな中を(穏行結界があるので、見つからないことはわかっていても)通っていくのはさすがにちょっと、勇気がいった。
 そうして、鬼たちがあふれかえっている場所から少し離れた場所で俺たちは立ち止まり、由姫が穏行結界を解いた。
 少しの間、由姫はじっと、自分の家のあるほうを見つめていた。そこでは今、あそこに残っている四人の老いた鬼を、出来損ないの鬼たちが……。
「許せ。ホノタチ。シロガネ、ヒシイシ……アキカ」
 由姫は小さくつぶやいて、俺に目を向けた。
「将臣。お前の力、借りるぞ」
 そういって、由姫は右手を振り上げると、それを無造作に振り下ろした。次の瞬間。
 俺の身体を気怠い脱力感が襲い、それと同時に、由姫の家のあるあたりから、派手な爆音がとどろいた。
 白い煙が上がり、続いて煙の下から、炎がまき起こる。木造の建物には、あっという間に火がまわり、そして飛び散った火の粉が他の家にうつり、その家もまた、ゆっくりと燃え始める。
 炎に巻き込まれた、出来損ないたちの悲鳴だろうか。奇妙な、叫び声のようなものがあちこちから響き始め、そして俺と由姫の脇を、火だるまになった出来損ないの鬼が一匹、どこへともなく、駆けていった。
「……将臣、行こう。早くしないと、私たちも火にまかれる」
 そういって、由姫は歩きだそうとしたけれども。
 唐突に、彼女はかくんとつんのめり、その場にぺたんと、腰を落としてしまった。
「由姫……?」
 いったい彼女が何をしたのか……何が起きたのか……わからずに、俺は彼女に一歩、歩み寄った。
 由姫は俺のほうを見て、力無く笑った。
「はは……。情けないな。今ので……体力を使い果たしてしまったらしい。……膝が笑って、いうことを聞いてくれない……」
「由姫……」
 俺はもう一度彼女の名前を呼んだ。
「歩け……ないのか?」
 こくんと、由姫はうなずいた。「すまん。どうも、限界のようだ。……もう少しすれば、体力も回復すると思うのだが……」
 ……由姫の体力の回復を待っていたら、俺たちまで火にまかれてしまう。……そんなあほな死に方、してたまるか。
 俺は由姫に近づき、そして彼女を抱き上げた。
「きゃっ」
 思わず、だろう。由姫の口から、滅多に聞くことのできない、女の子らしい声が漏れた。
「ばっ、ばか。何をやっている? 早くおろせ」
 由姫はそういってじたばたと暴れたけれども、その力は、かわいそうなくらいになかった。
 由姫の身体は、驚くほど軽い。
 よし、これならいける。
「動けないんだろ。だったら、俺が運んでやるよ」
 俺は由姫を抱き上げたまま、里の出口のほうへ向かって駆け出した。
 これで何もかもが終わる。そんな感慨を抱きながら。

 けれども。
 相手は、そう簡単に、何もかもを終わりにするつもりはないようだった。
 鬼の本能がそうさせるのか、あるいは、彼らにそんな知識があったのか。
 鬼の里の出口付近で、おびただしい数の出来損ないの鬼たちが、俺たちを待っていたのである。
 どうやら、全部が全部、俺たちの後に付いてきて、玉砕したわけではなかったらしい。ちょっとは頭の回る連中が、今回の俺たちの行動に何かを感じて、ここで待ち伏せをしていた、というところなのだろうが……。
 もちろん、由姫やホノタチも、そういう出来損ないがいるだろう、ということも、十分予想はしていた。けれども。
 あまりにも、その数は多すぎた。少なくとも、由姫とホノタチが予想していたのを、はるかに上回る数がいる。
 鬼の視力でそれを見つけた俺は、最初、それが何かの見間違いではないかと思ってしまった。けれども。
「将臣。おろしてくれ」
 緊張した面もちで由姫にいわれて、俺は初めて、その光景が現実のものである、と認識した。
 いわれたままに、俺は由姫をおろした。由姫は向こうに見える鬼の大群をじっと見つめながら、
「……さて、どうするかな。とてもではないが、あんな数がいたのでは、私一人ではさばききれんぞ」
 ごくりとつばを飲み込みながら、「俺じゃ、戦力にはならないか?」問うたけれども。
「将臣。お前は、人殺しをしたことはないだろう? それでは、戦力として当てにはならん」
 あっさりと俺の提案を却下した。
「ふむ。……だからといって、いつまでもここにぼうっとしているというのも問題外だしな。……それに、あの連中を片づけておかなければ、結界が破れたときに、あいつらが山を下りて来るだろうし」
 由姫は冷静に状況を分析しながら、その鬼たちを見ていたけれども。
「まずい! 見つかった! 将臣、気をつけろ。奴ら、こっちに来るぞ!」
 いわれるまでもなかった。俺の鬼の視力は、続々とこっちへ向かってくる、出来損ないの鬼の大群をとらえていたのだから。
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