元王太子妃候補、現王宮の番犬(仮)

モンドール

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良い知らせと悪い知らせ

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 すっかりお馴染みとなった研究塔。魔術師のノアが、長い指をすっと2本立ててルイーザと父伯爵に問いかけた。

「良い知らせと悪い知らせ、どちらから先に聞きたいですか?」

(何、その大衆向け小説みたいな問いかけは)

「ルイーザ嬢でも大衆向け小説なんて読むんだね」

(周りと話を合わせるためにね。どちらの知らせも結局聞くのだからどっちでもいいわよ)

 大衆向け小説とは、その名の通り庶民が読むような小説なのだけれど、こっそりとそれらを好む貴族女性は珍しくない。お茶会や夜会以外の外出は殆どなく、家で過ごす事の多いこの国の夫人や令嬢たちは読書を娯楽にすることが多いのだ。

「良い知らせの方は、ようやく解呪薬の材料が輸入できる目途が立ちました。
 あらゆる可能性を考えて多目に輸入できるように手配したから、手元にさえきてしまえば調薬の途中で材料が切れることはないと思う」

(いよいよ、戻れるのね!)

「そうか……! ありがとう、ノア殿」

 思い起こすと、番犬生活はとても長かった。3か月弱ほど経ったこの生活は、嫌なことばかりではなかったのだけれど、人間として生まれたのだから人間に戻りたい。
 この状況がいつまで続くのかわからないことに若干の焦燥感もあったために、ノアの知らせはルイーザにとって非常に喜ばしいものだった。

「それで、悪い方の知らせだけれど……。材料が手元に届くのは、1か月くらい。調薬には、早くて半月、長くてさらに1か月ほどはかかると思う」

(長く見積もって、2か月くらいね……)

 ノアの口ぶりからわかってはいたけれど、やはり長い。ただ、気の遠くなるほどの長さというほどではない。何よりも元に戻る目途がたったということに、ルイーザは安堵の溜息をついた。

「でも……その期間はルイーザ嬢の精神が体に馴染んでしまう期限ぎりぎりかもしれません」

「そんな……! どうにか遅らせることは難しいのだろうか?」

 茫然とするルイーザの横で、父が焦ったように声を上げる。ノアは、気まずげな表情で首を左右に振った。

「僕が今まで参考にしていた書物には、成功例と懸念事項しか書いてありませんでした。

 ……そして、こちらが昨日届いた研究書です」

 テーブルの上に置かれた本を、ルイーザと父が覗き込む。遠い異国の言葉で綴られたそれは、近隣の友好国の言語を学んだルイーザにも読めなかった。
 しかし、その挿絵には黒い猫と、裸で四つん這いになる男の姿が描かれている。

「元々は、動物に姿を変えどこかへ侵入する目的で作られた薬なんです。これは実験の失敗例が綴られています。

 この被験者は、3か月間猫の姿を取った後に解呪される予定だった。しかし、解呪前に助手が解呪薬が入ってしまった瓶を割ってしまった。不幸が重なり、解呪に必要な材料が一種足らず、仕入れに時間がかかったために薬が完成したのは元の期限の2か月後だった」

 ノアの言葉を聞いて、父がごくりと喉を鳴らす音が聞こえた。その先の、狂人のような男の絵につながる理由。薄々察したルイーザはぞわぞわと毛が逆立てる。
 無情にも、目の前の魔術師は言葉をつづけた。

「期限から遅れて人間の体に戻った男の精神は、既に猫の体に侵食されていた。服を着るのを嫌がり、言葉が通じず、動くものを追いかける。暫く療養の形をとったが、生涯人間としての精神を取り戻すことはなかった。

 ──と記載されています。」

(合計5か月の時点で、手遅れってことね……)

 犬になって、現在で3か月弱。薬ができるまで最長2か月。その期間が意味することを考えて、ルイーザは震えた。

「この研究室には、僕のように彼と言葉が通じる人はいなかったようです。彼は、人間と意思疎通が取れなかった。

 僕や、僕を介して伯爵と言葉を交わせるルイーザ嬢とは条件が違う……と思いたいのですが、情報が少ないので確信は持てません」

「そう……か。私たちにできることは、何もないのだろうか?」

「すみません……。材料が届いたら、なるべく急ぎますから。

 ルイーザ嬢も、気を強く持って。僕も時間が取れるときはなるべく君と話をする時間を作るから」

「……何もできなくてすまない、ルイーザ……」

(お父さまは何も悪くないわ。……ノア、どうかよろしくね)

 ノアが力強く頷く。ルイーザは、悔し気な表情をする父を見て胸が痛んだ。自分の状況も辛いのだけれど、父を苦しめていることもとても辛い。
 自分が人間に戻れなかったら、父は一生後悔をするのだろう。勿論、今余り会えない母も同じだ。

「私からも、一つ報告がある。両陛下は、王太子殿下に2か月後の聖樹祭までに婚約者を決めるように命じた。今、殿下は候補の令嬢たちと個別の時間を設け、婚約者を本格的に決めようとされている」

(……そう。とうとう決まるのね)

「ルイーザ……非常に言いにくいんだが──」

(大丈夫よ、お父さま。私の中で折り合いはついているの)

 昨日、ヴィクトールが令嬢を連れて犬舎に訪れたことでわかってはいた。生涯の伴侶にする女性を決めるために、彼も動き出したのだろう。
 ずっと求めていた次期王妃の椅子。この国の高貴な女性の中で、唯一国政に関わることのできる女性になりたかった。このような形で戦線離脱となって、悔いが残らないといったら嘘になってしまうけれど、割り切る時間は十分にあった。
 一般の貴族女性が政治に参入した前例がないのであれば、作ればいいのだ。理解ある男性を探して嫁ぎ、文官になるもいいし、外交官を目指すもいい。今までルイーザが培ってきたものは、決して無意味ではない筈だ。


 そして何よりも、飛びぬけた長所もなければ、疵となる短所もない普通の王太子、というヴィクトールの印象は随分と変わってしまった。蓋を開けてみれば、犬に向かって弱音を吐き、執務に対する熱はなく、王位を継ぐ自信も責任もない。そしてちょっとおかしいほどの犬好きだ。更に言えば、犬に対して愛情は疑いようもないけれど、割と一方的だし若干しつこい傾向にある。
 噛み心地のよい玩具や美味しいおやつをくれるので、悪い人とは思っていないし決して嫌いではないのだけれど。妻として隣に立ち、彼を支える自信は少々なくなっていた。


「王太子のこともそうなんだけれど、それだけじゃなくてな……。王太子が婚約者をお決めになったら、候補だった令嬢が一気にフリーになるだろう?
 今まで婚約者のいなかった子息たちの婚約が次々と決まることになると思う」

(……つまり?)

「ルイーザと年の頃の合う良い嫁ぎ先が、次々と埋まる──乗り遅れたら、良い縁談を見つけるのが難しくなるかもしれん」

(“悪い知らせ”の割合高くないかしら!?)

 ルイーザは悲壮感溢れる声で吠えた。



*****



 元王太子妃候補、現行き遅れの危機に瀕しているルイーザだけれど、今彼女にできることは何もない。自分を磨こうにも、この状態で令嬢としては何も磨けないのだ。気を取り直して、昨日の出来事──アーデルベルトが裏庭で密談らしきことをしていた件を父に報告した。父は、非常に苦い表情で聞いている。

「……アーデルベルト様といえば、最近隣国の第四王女と婚約がまとまりそうだという話を耳にした。外遊先で互いに身分を隠し惹かれあったという話だが、どこまでが本当かはわからない」

(……そんな情熱的な方には思えなかったけれど)

 ルイーザは、今までのアーデルベルトの印象と昨日見た姿を思い浮かべる。優秀という評価を得てはいるが、どこか傲慢で狡猾なイメージが強い。
 実際は公爵子息と王女ではあるが、出会った時は身分差があると思いながら惹かれあう──なんて姿は、彼の印象とかけ離れている。

「第四王女は身分の高くない側室の娘だそうだ。しかし、それでも高貴なる血筋であることは変わらない。

 アーデルベルト様のご婚約が正式に整ったとして、王太子殿下が選ぶ女性によっては、アーデルベルト様を次期王に推す声が高まる危険がある」

(伴侶で王の資質が問われるというの?)

 あまりの馬鹿馬鹿しさにルイーザは呆れた。王妃は国政に関わることができるが、国の頭はあくまでも王。そして、王と王妃の子であるヴィクトールが唯一の王太子であることは変わらないというのに。姫君を選んだくらいで、アーデルベルトの方が王に相応しいというのも可笑しな話だ。

「本来であればありえないことなのだが、アーデルベルト様は幼いころから優秀と言われているし、王甥として王位継承権も持っているからな。反対に、王太子殿下は、相応しくないわけではないが、少々……王としては穏やかな気性であられるから」

 言葉を濁しているが、言いたいのは王位を継ぐことへの自信と責任感のなさのことだろう。そして優秀とうたわれている王甥のアーデルベルト。もし2人が兄弟として王家に生まれていたら、確かにアーデルベルトの方が相応しいと言われていたかもしれない。

(それでも、王の唯一の子を差し置いてアーデルベルト様が王太子になるのは、多くの国民や貴族は受け入れないと思うわ)

「王太子殿下に自信がないこと、アーデルベルト様が優秀と言われていること、そしてそのアーデルベルト様が高貴な女性を妻に迎えること。
 一つ一つは取るに足らなくとも、重なるとそうは言っていられなくなる。

 さらに、中々婚約者を決めなかった王太子殿下が一人の女性を選んだとしたら、余程の疵がない限り両陛下も反対し難いだろう」

(そんなの、王族なんだから陛下が決めた人と結婚させてしまえばいいじゃない)

 そう言ってのけると、父は少々残念そうな目でみつめ「お前は幼いころから勉強漬けだったせいか情緒の方が少々アレだな」と呟くので、ルイーザは解せない気持ちになった。王侯貴族に生まれたからには、相応しい婚姻を結ぶのは当然ではないか、と。少し前の時代は、親同士で縁談をまとめ、本人たちは結婚するまで顔を合わせたことすらないというのも普通だった筈だ。

「最初からアーデルベルト様が隣国の王女と結婚するという情報があれば、両陛下だって誰か一人の令嬢を最初から選ぶこともできただろう。

 王家に嫁ぐに問題のない令嬢を集め、この中から好きに選んでよい、とした後にそれを反故にするのは、親子間だけでなく令嬢を候補として送り出した各貴族からの信用問題にも関わるのだよ」

(……そういうものかしら)

「しかし……ルイーザは自分のことだけを考えておくれ。
 昨日ノア殿に言われた通り、番犬の振りをしているとはいえ異変があったときはすぐにその場を離れるんだ。
 アーデルベルト様を見かけたときも、なるべく近寄らないようにな」

(わかったわ)

 ルイーザが了承すると、父は満足そうな表情で頷いた。
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