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31『ギターだけが夢であったか』
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ルールーは上機嫌で珈琲を飲みながらチャック・ベリーの歌うジョニー・B・グッドという曲を聴いていました。プレイヤーの上で回るレコードが金色であるのは、それが、ボイジャー探査機に積まれたレコードの予備としてつくられたものであるからです。
「私はボイジャーレコードにはボニーMも収録すべきだと思ったのだがね。打ち上げを延期してでも」
「ボニーMとはなんですか、お母さん」
珈琲のおかわりを運んできたのは、従順になったアリスです。
「ミュージシャンさ。私は彼らの歌が一番好きなんだよ」
「ボニーさんのレコードはありますか、お母さん」
「会話の中で何度もお母さんと繰り返すんじゃない」
「はい、すみません」
従順なアリスは、ルールーの研究室を出た後で泣きます。また、お母さんを怒らせてしまったと。
「ごめんなさい、ごめんなさい」
涙が出るのは、右目だけ。左目は潰れてしまったのでありません。
天使となったハーヴィは地上を歩くクロネコとエリーをすぐに見つけました。歩いていた時は広く感じていた世界も、空から見下ろせば狭い。探し物も簡単に見つかります。
「殺して……やりますよ」
歩くのが馬鹿馬鹿しくなるほどの翼という自由。でも、ハーヴィの心は暗く沈んでいました。彼女の中にあるのは、復讐の二文字だけなのです。
「…………」
ハーヴィはまだ、二人を襲いません。確実に殺すために、雨雲を待っているからです。白い翼を小刻みに震わせ続けているのは、世界中の水蒸気を集めているから。ハーヴィは今、この世界の天候の仕組みを完全に理解していました。
羽が灰色に染まりはじめた
暗雲がたちこめた空に地を這う羊が気が付くことはない
空の恵みを受けたことのない迷い子には
夜空以外を見上げる資格はない
ハーヴィは歌います、天使の歌を。
羽が灰に染まりきる
完成した雨雲に二匹の羊がようやく空を見上げる
雲を巨大な羊と誤認したからだ
愚か
愚か
愚かである
彼女らは知らない
雲は水なり
ゆえに生贄にはならぬと
ハーヴィの手は翼と融合し、失われていきました。そして、足の先に鷹と猫の性質を持つ強靭な爪が生えていきます。
「ねぇ、クロネコ。なんだろうあれ」
「なにかしらね。雲……だと、思うけど」
「うわっ! なに? 空がおしっこした?」
「空から水……? うわあ!」
突然降りだした土砂降りの雨の中を、ハーヴィは急降下していきます。その速度、マッハ三。エリーとクロネコは攻撃されたことも知らぬまま死ぬ……はずでした。
「クロネコ伏せて!」
「え?」
「クロネコ、伏せ――」
ハーヴィの爪とエリーの爪がぶつかり、轟轟と降り続ける雨の中で紫色の火花が散ります。
「なんで……なんで殺せないんですか!」
「おかしいな、あいつは殺したはずだけどな」
余裕すら感じる動きで、エリーはハーヴィの攻撃を跳ね返したのです。
「殺し、ます!」
上昇し、再び急降下。二度目の攻撃は、さらに簡単に受け流されてしまいました。
「あー! また上のほう行った! ずるい!」
ハーヴィが傷を負わずに済んでいるのは、飛べるというアドバンテージがあるからに過ぎません。今も、飛び上るのがコンマ一秒遅ければ、エリーの爪がその体に食い込んでいたことでしょう。
「殺したいのに……殺せない! なら、もっと高く飛びます!」
ハーヴィは攻撃を中断し、高く高く飛び上がっていきました。
「もっと高く!」
雨がバチバチと顔に当たり、騒がしい。それでもハーヴィは上昇をやめません。
「もっと高くっ……」
最高地点から落下すれば、いまだかつてない威力をエリーに食らわせることができるはず。ハーヴィは、世界最高度の飛び降り自殺を行なうことでの相打ちを狙うことにしたのです。
「はあっ……はぁっ」
分厚い雲に突入したころには、身体が冷え切っていました。ハーヴィは願います、自身が氷の矢となることを。
「はぁっ……あ」
高度が上がり酸素濃度が下がっていくにつれて、呼吸が苦しくなっていきました。よい、これでよい。空気などという柔らかなものを内包していては、自身の硬度が下がると、ハーヴィは命がけで上を目指していきます。
「あっ」
雲を突き抜けた拍子に、太陽を直視してしまい瞳が焼けてしまいました。
「ああああ!」
太陽の斜め下で光を反射する銀色の月がハーヴィに囁きます。私の肌がデコボコなのは、宇宙から堕ちてきた石のせいだと。だからあなたも、堕ちなさいと。
「ああああああ!」
世界の頂点を目指すハーヴィを死よりも深い哀しみが襲います。太陽の熱で翼が溶けはじめたのです。
「嗚呼、そうですか。私は一度人間となり蝋になったのですね。だから……」
ハーヴィは翼を構成する無数の羽根は、蝋でつながっていたのです。
「神……」
もう見えないはずの瞳に、ボイジャー観測機が映ります。パラパラと散った羽根が、世界へと舞い降りていきます。
「私は再び、人へ……」
翼は完全に溶けて消え失せてしまいました。あとは、地に向けて堕ちるだけ――――。
「死になさい、不思議の国のアリス。そして、エリー」
体内の空気を失い、血液が全て氷結したハーヴィは超質量の鋼鉄の矢に等しい存在となりました。このまま大地に突き刺されば、直撃しなくともエリーとクロネコを吹き飛ばすことができると、意識を失いながら確信します。
きっと、世界も滅ぶことでしょう。今の世界はとても小さいから。
「私はボイジャーレコードにはボニーMも収録すべきだと思ったのだがね。打ち上げを延期してでも」
「ボニーMとはなんですか、お母さん」
珈琲のおかわりを運んできたのは、従順になったアリスです。
「ミュージシャンさ。私は彼らの歌が一番好きなんだよ」
「ボニーさんのレコードはありますか、お母さん」
「会話の中で何度もお母さんと繰り返すんじゃない」
「はい、すみません」
従順なアリスは、ルールーの研究室を出た後で泣きます。また、お母さんを怒らせてしまったと。
「ごめんなさい、ごめんなさい」
涙が出るのは、右目だけ。左目は潰れてしまったのでありません。
天使となったハーヴィは地上を歩くクロネコとエリーをすぐに見つけました。歩いていた時は広く感じていた世界も、空から見下ろせば狭い。探し物も簡単に見つかります。
「殺して……やりますよ」
歩くのが馬鹿馬鹿しくなるほどの翼という自由。でも、ハーヴィの心は暗く沈んでいました。彼女の中にあるのは、復讐の二文字だけなのです。
「…………」
ハーヴィはまだ、二人を襲いません。確実に殺すために、雨雲を待っているからです。白い翼を小刻みに震わせ続けているのは、世界中の水蒸気を集めているから。ハーヴィは今、この世界の天候の仕組みを完全に理解していました。
羽が灰色に染まりはじめた
暗雲がたちこめた空に地を這う羊が気が付くことはない
空の恵みを受けたことのない迷い子には
夜空以外を見上げる資格はない
ハーヴィは歌います、天使の歌を。
羽が灰に染まりきる
完成した雨雲に二匹の羊がようやく空を見上げる
雲を巨大な羊と誤認したからだ
愚か
愚か
愚かである
彼女らは知らない
雲は水なり
ゆえに生贄にはならぬと
ハーヴィの手は翼と融合し、失われていきました。そして、足の先に鷹と猫の性質を持つ強靭な爪が生えていきます。
「ねぇ、クロネコ。なんだろうあれ」
「なにかしらね。雲……だと、思うけど」
「うわっ! なに? 空がおしっこした?」
「空から水……? うわあ!」
突然降りだした土砂降りの雨の中を、ハーヴィは急降下していきます。その速度、マッハ三。エリーとクロネコは攻撃されたことも知らぬまま死ぬ……はずでした。
「クロネコ伏せて!」
「え?」
「クロネコ、伏せ――」
ハーヴィの爪とエリーの爪がぶつかり、轟轟と降り続ける雨の中で紫色の火花が散ります。
「なんで……なんで殺せないんですか!」
「おかしいな、あいつは殺したはずだけどな」
余裕すら感じる動きで、エリーはハーヴィの攻撃を跳ね返したのです。
「殺し、ます!」
上昇し、再び急降下。二度目の攻撃は、さらに簡単に受け流されてしまいました。
「あー! また上のほう行った! ずるい!」
ハーヴィが傷を負わずに済んでいるのは、飛べるというアドバンテージがあるからに過ぎません。今も、飛び上るのがコンマ一秒遅ければ、エリーの爪がその体に食い込んでいたことでしょう。
「殺したいのに……殺せない! なら、もっと高く飛びます!」
ハーヴィは攻撃を中断し、高く高く飛び上がっていきました。
「もっと高く!」
雨がバチバチと顔に当たり、騒がしい。それでもハーヴィは上昇をやめません。
「もっと高くっ……」
最高地点から落下すれば、いまだかつてない威力をエリーに食らわせることができるはず。ハーヴィは、世界最高度の飛び降り自殺を行なうことでの相打ちを狙うことにしたのです。
「はあっ……はぁっ」
分厚い雲に突入したころには、身体が冷え切っていました。ハーヴィは願います、自身が氷の矢となることを。
「はぁっ……あ」
高度が上がり酸素濃度が下がっていくにつれて、呼吸が苦しくなっていきました。よい、これでよい。空気などという柔らかなものを内包していては、自身の硬度が下がると、ハーヴィは命がけで上を目指していきます。
「あっ」
雲を突き抜けた拍子に、太陽を直視してしまい瞳が焼けてしまいました。
「ああああ!」
太陽の斜め下で光を反射する銀色の月がハーヴィに囁きます。私の肌がデコボコなのは、宇宙から堕ちてきた石のせいだと。だからあなたも、堕ちなさいと。
「ああああああ!」
世界の頂点を目指すハーヴィを死よりも深い哀しみが襲います。太陽の熱で翼が溶けはじめたのです。
「嗚呼、そうですか。私は一度人間となり蝋になったのですね。だから……」
ハーヴィは翼を構成する無数の羽根は、蝋でつながっていたのです。
「神……」
もう見えないはずの瞳に、ボイジャー観測機が映ります。パラパラと散った羽根が、世界へと舞い降りていきます。
「私は再び、人へ……」
翼は完全に溶けて消え失せてしまいました。あとは、地に向けて堕ちるだけ――――。
「死になさい、不思議の国のアリス。そして、エリー」
体内の空気を失い、血液が全て氷結したハーヴィは超質量の鋼鉄の矢に等しい存在となりました。このまま大地に突き刺されば、直撃しなくともエリーとクロネコを吹き飛ばすことができると、意識を失いながら確信します。
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