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【29】思いがけない拾いもの
しおりを挟む朝。ぐっすり寝ているラドゥをそのままに、内廷へと政務に向かうことが多いアジーズだが。この日はラドゥが目覚めるのを待って、共に朝食とることにしたらしい。
寝台に大きな盆のような小さな足がついた小卓が運びこまれる。朱の漆塗りの卓の上には、花開くように東方渡りの白磁に蒼の模様の小皿が並べられ、そこに少しずつ、料理が盛られていた。
色とりどりの生野菜を角切りにしてヨーグルトで和えたものに、果物をザクロソースで和えたもの、ナスと黒オリーブを香辛料で炒めたもの。たくさんの刻み野菜がはいったとろとろの卵料理。カゴには丸い形や平たい形に焼かれ、ハーブなどがまぶされた様々なパン。
ラドゥが好きなのはゴマのパンに山羊の柔らかなチーズをのせて、それにオレンジの蜂蜜をかけたものだ。自分で作り食べていると「これもうまいぞ」と口許に差し出されたものを、反射的にぱくりとやる。
それは小さなパイの中にトマトと香辛料で風味をつけた挽肉が詰まっているもの。
「…………」
もぐもぐと食べてこれも“慣らされて”しまったなと思う。
アジーズは食事やお茶のとき、いつもラドゥの口許にこうして食事や甘い菓子を手ずから与えるのだ。鳥に餌でもやってるつもりか? と思うのだが。
温かな茶と美しく切り分けられた果物が出てきたところで、ムクタムが一人の侍女を寝台にいる二人の前に連れてきた。
寝台の前に、両膝をついて最上級の礼をとった娘の顔に、ラドゥは見覚えがあった。
それは糸杉の庭でラドゥに毒入りの焼き菓子を持ってきた侍女だ。なぜここにいる? と訊ねる前に、後ろにいるバルラスが口を開いた。
「袋に入れられて転がっていたんで拾ってきたんですよ」
「奪ってきたんじゃないか?」というラドゥの問いに、元黒のシニチェリの軍団長は肩をすくめて「海に捨てようとしていたんですから、こちらが拾ってもいいでしょう?」と言う。
「まあ、暗闇でよく見えなかったんで、なんだかわからないものを、ぶん殴りましたけどね」
やっぱりそれは奪ったというんだとラドゥは口に出さずに心中でつぶやく。旧宮殿にいる宦官達の何人かが頬を腫らせているに違いない。
ハレムの女性達の私刑方法として、宦官が彼女達を袋詰めにして、海に放り投げるというのは人質時代に聞いた話だ。
目の前で俯いている侍女もまた、母后が命じたのか、それとも側用人のベルガンか。始末されようとしていたのを、バルラスが前もって見張っていて、夜陰に紛れて助けたか。
ラドゥは横に座るアジーズをギロリと見る。バルラスにその命令を下したのは当然、この帝王だからだ。銀獅子はふわりと微笑みながら、銀皿に盛られた翡翠色のブドウを一つ千切ってラドゥの口に押し込む。
「さて、このハレムの唯一の主人である夫人よ。この女奴隷の処置はとうする?」
「…………」
もごもごと甘い葡萄を味わったラドゥはムクタムがさしだした紙にぺっと種を吐きだす。葡萄の種一つに、侍女や宦官の手が出てくるのはどうなんだ? と最初の戸惑いはどこへやら、順応してきてる自分がなんとも……だ。
「お前、どうして袋なんかに詰められた?」
「ご命令だったというのに、わたくしがお方様から賜った菓子をすぐに口にしなかったからです」
「…………」
毒が入っているとわかっていてラドゥは、この侍女に菓子を食べてみろと言った。また主であるサフィエも、彼女にラドゥの“好意”を頂けと微笑をもって命じた。
「毒入りとわかって、食べろと命じたのはあの女妖も俺も同じだがな。それで気に入らないと袋に詰めるのは、本当に底意地の悪い女だな」
さてどうしたものか? とラドゥが考えたのは一瞬だ。せっかくバルラスが“拾って”きたのだ。アジーズは自分に任せると言ったのだから、この女をハレムに置いていいのだろう。
始末しようとした袋詰めが奪われたことは、あの旧宮殿に住まう女妖にも報告はされているに違いない。当然、誰が奪ったかなんてわかっているだろうが、あちらはあえて奪い返すなんてことは考えないだろう。
あの菓子が毒入りだったという証拠はない。女奴隷の証言など、こちらが証言を強要したと言われれば終わりだ。
しかし“挨拶”は必要だろう。すぐ、そばに控えるムクタムを見る。
「旧宮殿の女妖に俺の名で手紙を送れ」
「はい、さっそくお方様付きの祐筆の宦官に書かせます。内容はなんと?」
「そうだな。長ったらしく時候の挨拶を飾りたっぷりの文字で書いたあとに、添えてやれ。
『そちらで袋に詰めて投げ捨てたものは、こちらでありがたく拾いました』と」
ムクタムは「はい、紙も選びぬいて、立派な書簡をお送りしましょう」とうなずく。ぽかんとしている侍女の後ろで聞いていた、バルラスは口許を押さえて笑いをこらえている。
アジーズもくすくすと笑い「たいした“挨拶”だ」という。ラドゥはツンと顎をそらして。
「こんな宮廷流のやり方など、まだるっこしくて好かないがな」
あえての慇懃無礼な手紙で挑発するなど……だ。
「いやいや、なかなかのハレムの女王ぶりだ」
「そんなものになるつもりはないと言ったぞ」
そう言ったラドゥの言葉を微笑で受けとめ、アジーズは「バルラス」と名を呼ぶ。
「黄のシニチェリの軍団長の首をすげ替える。お前がなれ」
「さて、黄の者達が従いますかね。銅鑼の音の号令をしても誰一人来なさそうだ」
黄は近衛として最上級のシニチェリとされてきた。だが、今の帝王であるアジーズは、最も信頼出来る自分の軍団である黒のシニチェリを、事実上の近衛としてそばに置いていた。
バルラスは元は黒のシニチェリの軍団長だ。いきなりの軍団長の首のすげ替えに当然反発はあるだろう。さらには長年近衛を務めてきた黄のシニチェリは前母后であるサフィエの影響は明らかだ。
「三日猶予を与えてやれ。それで来なかったら、総入れ替えだな」
つまり軍団長だけでなく、全員シニチェリから降格の一兵卒となるということ。これは大変な屈辱だ。
「さて、それでも奴らは来ますかねぇ。来ない方に有り金かけてもいいですよ」
「私も来ないほうに、お前がこのあいだ褒めていたターバン飾りを賭けていいぞ」
「おお! あの大粒のダイヤモンドの……って、どちらも来ない方じゃ、賭けになりませんよ」
バルラスがおどけて肩をすくめた。
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