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【39】答え合わせをしよう
しおりを挟む目を覚ますと、探すまでもなく寝台の横にアジーズがいた。熱を出したときのように、本も読んでおらず、じっと自分の顔を見ていた。彼もまた大きく紺碧の瞳を見開いた。
「……全部思い出した」
そう告げると、それだけでわかったのだろう。彼は息を一つ吐いて、口を開いた。
「悪魔の呪いだ。私が心を通わせた者と“本当に”結ばれたとき、その者は私のことを“忘却”する」
なぜそんな呪いを? とラドゥが問うまえに、彼は続けた。
「母が私のかわりに毒を受けて狂ったあと、まだ子供だった私は何者にも負けない力が欲しいと思った。
帝都の裏通りにいるロマの魔術師に頼るほどにな。ヤツは自分の小屋に本物の悪魔が現れると腰を抜かして逃げ出したがな」
アジーズはそのとき悪魔と“契約”を交わしたという。
「シャイターンとの契約には対価がいる。それが私の愛し、愛された者と結ばれた翌日には忘却されるという“呪い”だ」
「あんたはその“対価”に不死の身体を得たのか?」
ラドゥはアジーズの胸に剣を突き立てた、あの感触を思い出した顔をしかめた。今となっては、もうとても出来ないことだ。
「いや、私は以前のお前のような完全な不死ではない。私は三度殺されても死なないようにしてくれと言った」
「たった三回か?」
「シャイターンとの契約だ。完全な不死など願えば、もっと大きな対価を要求されただろう。愛する者に忘れられるのも、味わってみればかなりの苦しみであったがな」
「…………」
ラドゥは羽根枕から身を起こして、アジーズに口づけた。唇が触れあうだけで離れる。大きな手が淡い金の髪をさらりと撫でて、抱き寄せられるままに、その肩に甘えて頭をのせる。彼の低い声が響く。
「それに四回も殺されるような“間抜け”では、帝王の玉座になど座れんさ」
「……あんたはそれを使ったのか?」
「一度目は初陣のときにな。乱戦となって殺したと思った私が生きていたことに、相手の大将は混乱のままに討ち取られた。まったく“恩恵”に守られた無様な勝利だ。
二度目は正直油断だ。“あの女”がもぐりこませた宦官に毒を盛られてな。即死の毒だったが、私は死ななかった。
三度目は……」
そこでアジーズは黙りこむ。その先はラドゥも良く知っている。甘えていた肩からガバリと顔をあげて、細い眉をよせて目の前の男を紫の瞳でにらみつける。
「三度目は俺に使ったな。よく考えれば、あんたならあのとき、俺があんたの命を狙うことぐらいわかっていただろう!」
ラドゥはアジーズのことをすっかり忘れてしまっていたが、アジーズはラドゥのことをよくわかっていたはずだ。その剣の技量も性格も。
「最後の三回目だぞ。無駄使いもいいところだ!」
「お前だから使ったのだ。私が不死だと“諦めた”からこそ、お前はこのハレムで大人しくしてくれていただろう?」
「そんな手間かけなくても、鎖にでも繋いで檻に入れておけばいいだろう?」
「かわいいお前にそんなことが出来るか」と苦笑されてラドゥは頬を染めてツンと横を向く。「お前にドマの鏡を使ったのは」との言葉に、彼の顔を再び見たが。
「悪魔を呼び出したとき、私の顔を見るなりヤツは言った。『その“呪い”を解くにはドマの鏡をもってしても出来ない』とな」
「呪い……って、まだ別の呪いがアンタにはあるのか?」
「ああ、生まれる前からな。母は私を身籠もっているときに、ドマの鏡を見たと話しただろう? それで私の“目”に鏡の呪いが宿ったんだ。
すべての人間が、鏡の呪いを受けた姿に見える呪いだ」
「なっ……!」
ラドゥは言葉を失った。ではアジーズの目にはすべての人が……。
「生まれたときより人間がそんな姿に見えたならば、その姿が当たり前と普通はなるはずだろう? だが、鏡の呪いのせいなのか、私の目はしっかりとそれが醜いとわかるのだ。
もっとも、生まれた時よりそんな人間ばかりに囲まれていれば“慣れて”しまうものだがな。
そんな私の目に、美しいと映った人間は二人だけだ。
母は私の目からみれば、ドマの鏡の呪いを受ける前の肖像画で見た、そのままの姿だった。だから物心つかぬ幼い頃には、どうして人々が母を哀れみの目で見るのかわからず腹が立った」
「…………」
そういえば以前、アジーズに彼女を哀れみの目で見ないのだな? と訊ねられたことを思い出す。
ラドゥはあのとき「生きているのは罪じゃない」と師父の言葉を返した。
自分はここで生きている。そこにあることが、どうして罪であるのか? 哀れだと勝手に人は思うのか。
それはラドゥが思ってきたことだ。
「あんただって、俺を嫌悪や可哀想な者を見るような目で見なかった」
「私にはお前が“美しい者”に見えていたからな」
「二人目って……まさか……」
ラドゥは紫の瞳を見開いた。アジーズは「そのまさかだ」と答える。
「私の目には初めからお前は、手足に痣など見えなかったし、顔の包帯の隙間から見えるらしい痣も見えなかった。もっとも顔の包帯をとった姿を見たのは、あの日が初めてだったがな。
だから、たとえその顔が醜くとも、私はお前に惹かれていたということだ」
「…………」
アジーズの目には呪われたドマの鏡が映す、そのままの人々の姿が見えていた。そして、ラドゥだけが、今のままの姿で見えていたということは……。
「それで俺にドマの鏡を見せたのか? この姿にするために?」
「正確にはお前の不死の呪いを解く為だ。悪魔が言うのには、強い呪いを解くにはさらに強い呪いをぶつければよいと。だが、同じ呪い同士をぶつけても意味はないとな。だから私の目の呪いを解くにはドマの鏡では無理だったんだ。
だが、お前の呪いを解くにはあの鏡は有効だと思った。だから私は鏡を手に入れることにした」
十枚あったドマの鏡の残りは二枚あった。一枚は母后であったサフィアが所有し、もう一枚は帝王の所有だった。
「だから、あんたは鏡を手に入れる為に帝王になった?」
「ああ」
「白の海を挟んだ、南大陸のマグリブに大遠征し制圧したのもそのためか」
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