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第十一部
四章-6
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全高が約三マーロン(約三メートル七五センチ)もあろう魔獣の体毛は漆黒で、それぞれが風もないのに蠢いていた。
目はすべて血のように紅く、尻尾は大蛇の頭部がついている。
〝ケルベロスか――厄介だな〟
ユバンラダケの呟きには、嫌悪感が含まれていた。それだけ厄介で、邪悪な存在であるらしい。こちらから手を出したい存在とも思えぬが、そういうわけにはいかなかった。
なにせ、魔界や神界との境界を失わせている、すべての元凶であるゴガルンは、そのケルベロスの背後にいるからだ。
ケルベロスに対して戦う構えをする我とユバンラダケの後ろで、瑠胡は絶望感に満ちた顔をしていた。
「世界の境界が、失われてしまった。すべて手遅れ――」
「諦めるな、瑠胡!」
先ほどから、《魔力の才》で魔物の死骸を地面に押しつけていた与二亜が、瑠胡の呟きに気付いたらしい。
「元凶となった彼に近いから、この周辺の境界だけが失われかけただけだ。影響が全世界に及ぶまで、まだ猶予はある!」
「……その通りだ、瑠胡。今はゴガルンを滅ぼすことに専念するべきだ」
与二亜に続けて、我も瑠胡を窘めた。今は迷いや失意に耽る余裕など、微塵も無い。ゴガルンの引き起こした災厄を止めねば、世界は神魔大戦によって崩壊してしまうだろう。
瑠胡が頷くの見てから、我はユバンラダケと並んだ。
「……あれの弱点は?」
〝知らぬ。だが、不死ではないはずだ〟
ユバンラダケの返答は、参考にはならないものだった。つまるところ、強引に押し切るしか術が無い――ということに他ならない。
我は温存するのを諦めると、一点突破を試みた。ケルベロスへと駆け出しつつ、頭の中で無数の線を描く。その線の行き先を一点に絞るように、我は〈断裁の風〉を放った。
不可視である破壊の力が、下方からケルベロスの胸部に大穴をあけた。周囲に血飛沫を撒き散らせながら、ケルベロスは叫び声をあげた。
姿勢が低くなったケルベロスは、そのまま息の根を止めたと思ったが――しかし、身体が地につく直前に、三つの口から強大な炎息を吐き出した。
炎が多重に合わさった強大な炎息は、我だけでなく、背後にいる全員を焼き尽くす勢いだ。
だが炎が我に届く直前、見えぬ障壁が炎息を遮った。
〝ランド――油断をするんじゃない!〟
この障壁は、ウァラヌの魔術らしい。寸前のところで助かったが、あの一撃を受けてもなお、これだけの炎息を吐けるとは。
これでは、不死と変わりは無い。
「ユバンラダケ、瑠胡――」
我はユバンラダケと瑠胡に、一つの策を提示した。
双方とも戸惑いはあった――特に瑠胡は躊躇っているようだったが、ほかに最良の手段もすぐには思いつかず、さらに時間も限られている状況だ。
結局は、我の案を呑むこととなった。
我はケルベロスの側面に廻り込むと、三つの頭部へと〈遠当て〉を続けざまに放った。連続で不可視の打撃を受け、ケルベロスが唸り声をあげた。
手傷は負わせられておらぬが、打撃を受け続けるというのは気に障ったらしい。ケルベロスはやや後ろまで移動した我へと首を向けた。
我に飛びかかろうと脚を屈めたが、そこへユバンラダケが炎の魔剣で斬りかかる。左の前脚を大きく斬られたケルベロスは、そこから体勢を崩した。
そこへ、我は〈遠当て〉を打ち続けた。
ユバンラダケは続けて、後ろの左脚にも斬りかかる。脚は動くようだが、飛びかかるまでの脚力は得られず、胴体の傷もあってか獣特有の素早さもない。
最初に放った〈断裁の風〉も、少なくとも意味はあったようだ。
ケルベロスは飛びかかるのを諦め、三つの口を大きく開けた。先ほどと同様に、炎息を吐くつもりのようだ。
ケルベロスから吐き出された業火が、我の身体を包み込む――ように見えただろう。
しかし業火に飲み込まれた我の身体が、陽炎のように消えていく。これは〈幻影〉によって造り出された、我の虚像だ。
このとき、我は〈透明化〉を使って、すでに天井スレスレの位置まで飛び上がっていた。
ケルベロスはまだ生きているが、我らの攻撃はケルベロスを斃すのが目的ではない。我を狙った炎息は、ゴガルンを囲っていた死骸の壁を焼き尽くした。
死骸が崩れ落ちると、瘴気に包まれたゴガルンが露出した。ゴガルンの胴体には、鬼神の白い杖が突き刺さったままだ。そこから今なお、瘴気の放出が続いていた。
炎息を吐き終えたケルベロスの右斜め後方、斜め上の位置から、瑠胡が白光を放った。斜めから三つあるうちの二つの頭部を白光が貫いた直後に、ユバンラダケがケルベロスに躍りかかった。
〝この世界に、おまえの居場所はない。死して魔界へと帰るがいい〟
炎の魔剣が残る頭部の額に突き刺さった。
ケルベロスの断末魔を聞きながら、我は魔剣に神気を纏わせた。《異能》で〈加速〉しながら間合いを詰めると、ゴガルンの身体を包む瘴気に斬りかかった。
魔剣の神気が障壁を切り裂くと、付近の瘴気が消失し、ゴガルンの身体へ続く隙間が生まれた。
腕が一本、辛うじて通れるだけの隙間だ。だが、ギリギリではあるが、ゴガルンに手を届かせることができる。
我は左腕を伸ばして、白い杖を取ろうとした。これを抜き取ってさえしまえば、この異変は収まるはずだ。
左手が白い杖を掴んだ、その瞬間――我の左手に衝撃が走った。
「ぐあっ――!?」
痛みに溜まらず左手を引き抜くと、皮膚が裂けて血まみれになっていた。恐らくは吹き出している瘴気が、我の手をずたずたにしたのだ。
白い杖の周辺は、瘴気が濃すぎるようだ。瘴気を抑え込むには、〈スキルドレイン〉でゴガルンの体内にある瘴気をすべて放出するしかないが――。
我は左手へと目を向けたが、左手を負傷したためか、〈スキルドレイン〉をするための棘が出せなかった。
ならば、先ずは瘴気を消し去らねばなるまい。しかし、魔剣で切り刻むのは手間がかかりすぎる。
確実な手段は直接に神気を流し込み、ゴガルンの体内から瘴気を消し去るのみ。
我は呼吸を整えると、《異能》を発動させた。右手から、濃緑色の棘が現れた。微かに神気が溢れだしたのを確認すると、再びゴガルンへと向かおうとした。
だが、その直前に我の腕を神糸の衣――瑠胡の袖だ――が絡め取った。
「ランド……もう、そこまででいいでしょう。これ以上は……あなたが傷つき、死んでしまうくらいなら……神魔大戦なんて起きてしまえばいい!」
悲痛な顔をしていながらも、いつのまにか床に降りていた瑠胡からは鬼気迫る気配を感じた。神魔大戦が起きてもいいと口走るなど、普段の瑠胡からは考えられない。どうして、このようなことを――我が振り返ったとき、赤い尾を後方にたなびかせた影が瑠胡の背後に廻った。
炎の魔剣を手にしたユバンラダケが、瑠胡の背中を殴りつけた。
「あ――っ!?」
衝撃で一瞬、意識が飛んだらしい。瑠胡が倒れかけると、袖の拘束が解けた。
〝ランド、神魔大戦を止めろ!〟
もとより、そのつもりだ。
我は瘴気の障壁にできた隙間へ、緑の棘が生えた右腕を突き入れた。掌の棘がゴガルンの左側頭部に刺さると、我は《異能》で生み出した《スキル》を発動させた。
「《異能》――〈スキルドレイン・リバース〉」
これは文字通り、〈スキルドレイン〉の効果を逆にしたものだ。これで我の体内にある神気を、ゴガルンの体内に注ぎ込む。
我の脳裏には、ゴガルンの持つ《スキル》や技能、それに特性が、文字となって描き出された。
その中にある〈瘴気〉の文字が、神気が注がれるにつれて薄くなっていく。
瘴気に神気をぶつけると、互いに消滅する。これは我とゴガルンが、何度となく神気の刃と瘴気の刃でぶつかり合ったことで、証明済みだ。
だが、我の中の神気の大半を注ぎ込んでも、まだ瘴気は消え去っていなかった。すべての瘴気を消し去るには、我の神気もすべてを放出せねばならぬかもしれない。
そこに躊躇いが生じたとき、ふと脳裏に少女の声が蘇った。
『なに似合わないことやってるの?』
妹であるジョシア・コールの言葉に、我の胸中が激しく揺さぶられた。
思えば、瑠胡やセラもしばらくは我に見せる表情が固い。我が我らしくないから、彼女たちは表情を曇らせ、瑠胡は我を止めようとしたのだろうか。
似合わないことをしているのなら、我らしいこととは――。
悩んでいたのは、一秒にも満たない時間だ。
神気に目覚める前の我なら、このようなときは目の前のことに集中してた。これで瑠胡たちとの関わりも最後になるのなら、せめて彼女たちの望むことをするべき――そんな考えが、湧き上がってきた。
我は残るすべて注ぐ勢いで、神気をゴガルンの体内に流し込んだ。
ゴガルンの中から瘴気が消えると、白い杖の暴走が収まってきた。
――今だ。
我はゴガルンから右手を放すと、そのまま白い杖へと手を伸ばした。
衝撃もなく白い杖を掴むと、そのままゴガルンの身体から引き抜いた。見えぬ圧力が、この広間全体に広がった。
広間に映し出されていた神界や魔界の影が、陽炎のように揺らめきだした。それから数秒も経たずに、虚像は消えて元の広間に戻っていった。
肩で息をしながら、白い杖を瑠胡たちのいるところへ放った。神気はほぼ消失していたが、魔力はまだ存分に残っている。《スキル》や《異能》を使うには、充分だ。
ゴガルンは左腕や胸部の穴が、まだ回復していない。恐らくは度重なる自己治癒を繰り返した結果、回復力が落ちてしまったようだ。
油断無く視線を向けていると、ゴガルンが恐怖と怒りという、異なる感情の混じった顔を向けてきた。
「ランド……てめぇ。俺から、その杖まで、奪うのか。俺の……力を」
「こんなもの、おまえの力じゃない」
「う、うるせぇ」
ゴガルンは視線を彷徨わせると、泉の近くにある大剣を手にした。俺の身長ほどもある、かなり大型の剣だ。だが〈筋力増強〉を使えば、片手でも容易に扱えるだろう。うっすらと錆が浮いているが、それで威力が落ちるとは考えられない。
一撃でも受ければ、命はない。
まだ戦意を失っていないゴガルンに対して、見せつけるように右腕一本で魔剣を構えた。
左腕の傷が酷くて、動かすことができない。柄に手を添えることもできず、今はだらんと、垂れ下がっていることしかできなかった。
だが現状、互いの条件は対等だった。右腕一本での、一騎打ちだ。
殺気に満ちたゴガルンに、半身を逸らしながら告げた。
「まだやるなら……相手になってやる。完膚なきまでに、砕いてやるから覚悟しろ!」
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本作を読んで頂き、誠にありがとう御座います!
本作で出てきたケルベロスですが、当たり前のようにブレスを吐いてますが……伝説上のケルベロスには、炎を吐く描写はなかったはず。
プロット後、一応調べて見たんですが、ブレスを吐くという表記は出てきませんでした。尾がドラゴンという場合もあるようですので、そこから勘違いをしたの……かな?
と、考えたところで、ふと気付きました。
ああ、ケルベロスがブレスって、あのゲームの影響だわ……と。
そんなわけで、皆様。
今後ともよろしく……。
少しでも楽しんで頂けたら幸いです。
次回もよろしくお願いします!
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