48 / 349
第二部『帰らずの森と鬼神の迷い子』
二章-6
しおりを挟む6
リリンが洞穴に入ったのは、ランドが行方不明になってから三日目の昼過ぎだった。
松明を持つフレッドを先頭に、包みを片手に抱えたリリンは、杖をつきながら暗い洞穴を進んでいた。
洞穴を覆っていた粘液は、そのほとんどが蒸発しており、滑ることなく歩くことができた。
やがて洞穴の最深部が近づいて来たころ、騎士団が貸し出した椅子に腰掛けた瑠胡の姿が、リリンの目にぼんやりと見え始めた。
リリンは一礼をしてから、瑠胡に声をかけた。
「瑠胡姫様、御食事をお持ちしました」
「……すまぬな」
地面に点けないよう、長い袖を膝の上に乗せている瑠胡は、三日前と比べて表情が暗かった。
できることは、もうやり尽くした――そんな顔だ。
受け取った包みを開けようともしない瑠胡に、リリンは壁を一瞥してから目線を合わせた。
「ランドさん……早く戻ってくるといいですね」
「すぐには、戻って来られぬかもしれぬな。今回のこと……神域の子細を説明せなんだ、妾の責任であろう」
「そんなこと……」
ありません――と、リリンが言う前に、松明を持ったフレッドが瑠胡の前に跪いた。
「姫様、そんな暗い顔をしないで下さい。ランドさんがいなくなった隙間を埋める役目は、このフレッドにお任せ下さ――」
すべての言葉を言い終える前に、リリンは杖の先端でフレッドの後頭部を殴打した。
「そういう余計な言動は慎めと、レティシア団長に言われていますよね」
「そ……そうです、が」
後頭部を両手で押さえながら、フレッドは涙ながらに応えた。
瑠胡は二人のやり取りから目を逸らして、最深部にある壁へと目を向けた。壁にある男を表す印から、青白い光が溢れだしたのは、そんなときだ。
瑠胡が腰を僅かに浮かした直後、光が洞穴内を包み込んだ。
*
娯楽を司る鬼神、アクラハイルの作りだした光球に飛び込んだ途端、俺は目眩に襲われた。頭の芯が痺れるように思考が混濁し、軽い吐き気がこみ上げてくる。
光の中から視界が一気に暗くなり、視界に映るのは微かな光点だけだ。
「ここ……どこだ?」
俺が暗闇に慣れない目を凝らしていると、衣擦れの音が近づいて来た。
「ランド、御主……無事であったか」
「ランド……誰?」
まだ頭の芯が鈍くて、告げられた名前のことや声の主のことが、わからなかった。
視界が暗闇に慣れてきた――と思った直後に俺は、なにか軽いもので頭を叩かれた。
「しっかりとせよ。ランド、向こうでなにを見た。なにがあった?」
「えっと……あ、姫様……ここは?」
「件の洞穴だ。鬼神の神域に囚われよって……もう三日も経ってしまったぞ」
「ああ、そうか。俺は、アクラハイルという鬼神のところに行ってて」
瑠胡の言葉で、俺は記憶を蘇らせた。
小さな手が俺の右袖を掴むのが解って、俺はまた叩かれるのではないかと身構えたけど……想像していた一撃は来なかった。
その代わり、瑠胡が僅かに身体を寄せてきて、俺の右腕に頭を当てた。
「あまり、心配させるでない。戻って来ぬのではと思うたぞ」
「すいません。ちょっと色々とありまして。でも、情報も手に入りましたよ」
瑠胡と話をしていると、松明の灯りが近づいて来た。
視線を向けると、松明の横にいたリリンが泣き笑いのような顔で会釈をしてきた。そして、松明が勢いよく近づいて来た。
「ランドさぁぁぁん!」
フレッドがかなり大袈裟な身振りで、俺に近づいて来た。
「みんなが冷たいんです! ランドさん、みんなに僕を優しくするよう、言って――」
リリンが無言で、俺に駆け寄っていたフレッドの後頭部を杖で殴りつけた。
フレッドが後頭部を手で押さえながら蹲ると、リリンが「邪魔をしてはダメです」と、いつになく辛辣に言い放った。
「えっと、さすがにやりすぎなんじゃ」
「いや。この者に対しては、これで丁度いいようだぞ?」
「はい。姫様の言うとおりです。隙あらば、女の子たちを口説くんですから。さっきも瑠胡姫様に――」
「あ、リリンさん……それ以上は勘弁して下さい」
フレッドが慌ててリリンに頭を下げたが……こいつ、そんなことをしてやがったか。
俺はとりあえずフレッドのことを無視して、アクラハイルから聞いたことを瑠胡とリリンに話した。
「ふむ……ジョンとやらの行方と、あの巨大ワームとが繋がっておったとはな」
「俺が見せられた過去の……なんて言えばいいんでしょうね。幻影みたいなやつが、事実なら、ですけど」
「アクラハイルは普段は戯れている発言が多いが、欺くようなことはせぬ――と、聞いておる。その過去視は、事実であろうな」
「わたしはレティシア団長に、このことを伝えてきます。対策や方針も変わるでしょうし、ジョンさんが囚われている場所も確認しなければ」
「ああ……頼むよ」
俺が頷くと、リリンは頷き返してきた。
ジョンさんの――安否も含めた確認は、リリンたちに任せて大丈夫だろう。そうなると、問題はもう一つのほうだ。
「あとは、タグリヌスって鬼神ですね。アレレカン湖の畔って……ここからじゃ、かなりの距離があるか」
「そうですね。騎士団の馬車ですと、急いでも丸一日はかかるかと」
「だよな。往復で二日……時間はかかるが、行くしかねぇわけだ。そのあいだ、悪いけどレティシアたちには、時間を稼いで貰わないと」
俺の溜息に、リリンは困ったように少しだけ首を下に傾けた。
あの巨大ワームを村から遠ざけるために、騎士団がかなりの苦労をしていると言っていたからなぁ。
あれと毎日、追いかけっこをしているということらしい。それを思うと、クロースたちへの同情を禁じ得ない。
ちょい苦手だけど、巻き込まれて囮役になっている沙羅にも、ほんのちょっぴりは同情をしている。
そんなとき、フレッドが申し訳なさそうな声を出した。
「外に待たせてある馬車は、食料などの補給物資が乗っているので、お貸しすることはできません。荷下ろしをしたら、すぐに戻って来ますが……早くても明朝の出発になるでしょう」
「……それなら、一緒に騎士団のところまで行ったほうがいい。それなら、今晩にでも出発できる」
リリンも同じ考えだったらしく、俺に同調するように頷いた。
それなら急いで馬車に戻ろうとリリンが促したとき、瑠胡が俺の袖を引っ張った。
「待て、ランド。馬車などより、早く湖へ行く手段があるぞ?」
「え? 本当ですか、姫様」
目を丸くする俺に、朧気な松明の光に照らされた瑠胡は笑みを浮かべた。
「無論だとも。まったく……肝心なことを忘れておるな? 御主のために、妾が一肌脱いでやるとしよう。ではランド、行くぞ?」
得意げな雰囲気を醸し出しながら、瑠胡は手を差し出してきた。
その意図を察した俺は、瑠胡の手をとってから、出口へと歩き始めた。普段は俺の手に触れているだけなのに、今は少し強めに掴んできていた。
俺は胸の奥と顔が熱くなるのを感じながら、回りに気取られないように深呼吸を繰り返した。
38
あなたにおすすめの小説
ひっそり静かに生きていきたい 神様に同情されて異世界へ。頼みの綱はアイテムボックス
於田縫紀
ファンタジー
雨宿りで立ち寄った神社の神様に境遇を同情され、私は異世界へと転移。
場所は山の中で周囲に村等の気配はない。あるのは木と草と崖、土と空気だけ。でもこれでいい。私は他人が怖いから。
お前には才能が無いと言われて公爵家から追放された俺は、前世が最強職【奪盗術師】だったことを思い出す ~今さら謝られても、もう遅い~
志鷹 志紀
ファンタジー
「お前には才能がない」
この俺アルカは、父にそう言われて、公爵家から追放された。
父からは無能と蔑まれ、兄からは酷いいじめを受ける日々。
ようやくそんな日々と別れられ、少しばかり嬉しいが……これからどうしようか。
今後の不安に悩んでいると、突如として俺の脳内に記憶が流れた。
その時、前世が最強の【奪盗術師】だったことを思い出したのだ。
アイテムボックス無双 ~何でも収納! 奥義・首狩りアイテムボックス!~
明治サブ🍆スニーカー大賞【金賞】受賞作家
ファンタジー
※大・大・大どんでん返し回まで投稿済です!!
『第1回 次世代ファンタジーカップ ~最強「進化系ざまぁ」決定戦!』投稿作品。
無限収納機能を持つ『マジックバッグ』が巷にあふれる街で、収納魔法【アイテムボックス】しか使えない主人公・クリスは冒険者たちから無能扱いされ続け、ついに100パーティー目から追放されてしまう。
破れかぶれになって単騎で魔物討伐に向かい、あわや死にかけたところに謎の美しき旅の魔女が現れ、クリスに告げる。
「【アイテムボックス】は最強の魔法なんだよ。儂が使い方を教えてやろう」
【アイテムボックス】で魔物の首を、家屋を、オークの集落を丸ごと収納!? 【アイテムボックス】で道を作り、川を作り、街を作る!? ただの収納魔法と侮るなかれ。知覚できるものなら疫病だろうが敵の軍勢だろうが何だって除去する超能力! 主人公・クリスの成り上がりと「進化系ざまぁ」展開、そして最後に待ち受ける極上のどんでん返しを、とくとご覧あれ! 随所に散りばめられた大小さまざまな伏線を、あなたは見抜けるか!?
異世界召喚に条件を付けたのに、女神様に呼ばれた
りゅう
ファンタジー
異世界召喚。サラリーマンだって、そんな空想をする。
いや、さすがに大人なので空想する内容も大人だ。少年の心が残っていても、現実社会でもまれた人間はまた別の空想をするのだ。
その日の神岡龍二も、日々の生活から離れ異世界を想像して遊んでいるだけのハズだった。そこには何の問題もないハズだった。だが、そんなお気楽な日々は、この日が最後となってしまった。
無職が最強の万能職でした!?〜俺のスローライフはどこ行った!?〜
あーもんど
ファンタジー
不幸体質持ちの若林音羽はある日の帰り道、自他共に認める陽キャのクラスメイト 朝日翔陽の異世界召喚に巻き込まれた。目を開ければ、そこは歩道ではなく建物の中。それもかなり豪華な内装をした空間だ。音羽がこの場で真っ先に抱いた感想は『テンプレだな』と言う、この一言だけ。異世界ファンタジーものの小説を読み漁っていた音羽にとって、異世界召喚先が煌びやかな王宮内────もっと言うと謁見の間であることはテンプレの一つだった。
その後、王様の命令ですぐにステータスを確認した音羽と朝日。勇者はもちろん朝日だ。何故なら、あの魔法陣は朝日を呼ぶために作られたものだから。言うならば音羽はおまけだ。音羽は朝日が勇者であることに大して驚きもせず、自分のステータスを確認する。『もしかしたら、想像を絶するようなステータスが現れるかもしれない』と淡い期待を胸に抱きながら····。そんな音羽の淡い期待を打ち砕くのにそう時間は掛からなかった。表示されたステータスに示された職業はまさかの“無職”。これでは勇者のサポーター要員にもなれない。装備品やら王家の家紋が入ったブローチやらを渡されて見事王城から厄介払いされた音羽は絶望に打ちひしがれていた。だって、無職ではチートスキルでもない限り異世界生活を謳歌することは出来ないのだから····。無職は『何も出来ない』『何にもなれない』雑魚職業だと決めつけていた音羽だったが、あることをきっかけに無職が最強の万能職だと判明して!?
チートスキルと最強の万能職を用いて、音羽は今日も今日とて異世界無双!
※カクヨム、小説家になろう様でも掲載中
無能扱いされ、パーティーを追放されたおっさん、実はチートスキル持ちでした。戻ってきてくれ、と言ってももう遅い。田舎でゆったりスローライフ。
さくら
ファンタジー
かつて勇者パーティーに所属していたジル。
だが「無能」と嘲られ、役立たずと追放されてしまう。
行くあてもなく田舎の村へ流れ着いた彼は、鍬を振るい畑を耕し、のんびり暮らすつもりだった。
――だが、誰も知らなかった。
ジルには“世界を覆すほどのチートスキル”が隠されていたのだ。
襲いかかる魔物を一撃で粉砕し、村を脅かす街の圧力をはねのけ、いつしか彼は「英雄」と呼ばれる存在に。
「戻ってきてくれ」と泣きつく元仲間? もう遅い。
俺はこの村で、仲間と共に、気ままにスローライフを楽しむ――そう決めたんだ。
無能扱いされたおっさんが、実は最強チートで世界を揺るがす!?
のんびり田舎暮らし×無双ファンタジー、ここに開幕!
フリーター転生。公爵家に転生したけど継承権が低い件。精霊の加護(チート)を得たので、努力と知識と根性で公爵家当主へと成り上がる
SOU 5月17日10作同時連載開始❗❗
ファンタジー
400倍の魔力ってマジ!?魔力が多すぎて範囲攻撃魔法だけとか縛りでしょ
25歳子供部屋在住。彼女なし=年齢のフリーター・バンドマンはある日理不尽にも、バンドリーダでボーカルからクビを宣告され、反論を述べる間もなくガッチャ切りされそんな失意のか、理不尽に言い渡された残業中に急死してしまう。
目が覚めると俺は広大な領地を有するノーフォーク公爵家の長男の息子ユーサー・フォン・ハワードに転生していた。
ユーサーは一度目の人生の漠然とした目標であった『有名になりたい』他人から好かれ、知られる何者かになりたかった。と言う目標を再認識し、二度目の生を悔いの無いように、全力で生きる事を誓うのであった。
しかし、俺が公爵になるためには父の兄弟である次男、三男の息子。つまり従妹達と争う事になってしまい。
ユーサーは富国強兵を掲げ、先ずは小さな事から始めるのであった。
そんな主人公のゆったり成長期!!
40歳のおじさん 旅行に行ったら異世界でした どうやら私はスキル習得が早いようです
カムイイムカ(神威異夢華)
ファンタジー
部長に傷つけられ続けた私
とうとうキレてしまいました
なんで旅行ということで大型連休を取ったのですが
飛行機に乗って寝て起きたら異世界でした……
スキルが簡単に得られるようなので頑張っていきます
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる