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第四部『二人の帰郷、故郷の苦境』
一章-7
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7
深夜、安宿に泊まっていたミィヤスはふと目を覚ました。
起きた原因は尿意や物音ではない。どこか、胸騒ぎのようなものを感じたのだ。
「……荷馬車になにかあったのかな?」
雨戸を薄く開けて隊商の馬車列が停めてある場所を見たが、なにかが起きている様子はなかった。
警備の傭兵も巡回しているし、盗賊と戦っている様子もない。
(なんだろうなぁ……)
雨戸を閉めようとしたとき、見覚えのある影が通りかかったのを見た。
その細身の女性は、ランドや瑠胡の警護のため、メイオール村に駐屯する騎士団から派遣された――キャットという名前の騎士だ。
(なんで、こんな時間に外を出歩いてるんだろう?)
ミィヤスはその理由を考えてみたが、なにも思いつかなかった。
諦めきれずに十数秒ほど考え続けて、出した結論は「散歩……かな?」である。純粋で朴訥と評価されることの多いミィヤスだが、それも度が過ぎると欠点になるという、良い判例である。
もう寝ようかと思ったものの、やはり気になったミィヤスが外を見たときには、もうキャットの姿は見えなくなっていた。
ミィヤスは「しまったなぁ」と呟きながらも、頭の芯は睡魔に浸食され始めていた。
思考のほとんどを眠気に奪われたミィヤスは、明日になったらランドに聞いてみようと決めてしまうと、早々にベッドに潜り込んだ。
「……というわけなんだけど。なにか知ってる?」
早朝の買い出しに突き合った俺に、ミィヤスはそんなことを訊いてきた。
確かに俺と瑠胡は、キャットと同じ宿だけど。でも部屋は別だし、お互いに予定を伝え合ったりしていない。
昨晩は、それどころじゃなかったし。
繁殖期に入っているせいか、瑠胡からの好意が半端ない。最終的な行為には及ばなくても、同衾するだけで宗教的に問題になる。
インムナーマ王国の国教である、万物の神アムラダの教えで禁止になっているので、こればかりは仕方が無い。
けどドラゴンである瑠胡は、この教えをまったく意に介していない。
昨晩だってなんとか瑠胡を説き伏せることに成功し、俺は床で寝ていたのに……朝起きたときには、何故か瑠胡と同じベッドで寝ていた。
なにをやったのかは教えてくれなかったけど、このことを誰にも知られないようにしないと――と、朝一で焦る羽目になった。
そのときの記憶を頭から振り払うと、俺はミィヤスに肩を竦めた。
「キャットが夜に出歩く理由は、しらないけどな。ただ、この町に着いてから、キャットの様子は変だった気がするけど……でも、なんでそんなこと気になったんだ?」
「え? いや……なんとなく? 騎士様が夜に出歩くなんて、なんか変じゃないか」
「そりゃそうだけど……なあ」
キャットの身のこなしから元々は裏街道の人間なんじゃないかと、俺は思っている。
だから、夜に出歩いたとしても不思議じゃないが……ミィヤスには、これを言わないほうがいいだろうな。
俺は指先でこめかみを掻きながら、数秒かけて言葉を選んだ。
「まあ、あとで聞いておくよ。それより買い出しを急がないと、出発の時間になるんじゃないのか?」
「ああ、そうだ! ええっと……野菜、果物……次の村なら、安い果物が良さそうかな」
ブツブツと呟きながら、ミィヤスは品定めを始めた。
それを眺めながら、俺はキャットに深夜徘徊についてどう尋ねようか、ずっと考えていた。
*
隊商が次の村に着いたのは、この日の昼過ぎだった。
ルビントウは農村としては平均的な規模だが、旅人が立ち寄ることも多いのか、酒場を兼ねた小さな旅籠屋も営業をしている。
荷馬車の幌から顔を出していたキャットは、ボンヤリと外を眺めながら今朝のことを思い出していた。
ランドから深夜に外出したことを訊かれたときは、表情にこそ出さなかったが、心臓が飛び出そうなほど驚いた。
「ちょっと夜風に当たりたかっただけよ」
そう答えはしたものの、誤魔化しきれないと思っていたキャットだったが、ランドはあっさりと引き下がった。
あまりにも意外すぎて、拍子抜けしたくらいだ。
(まあ、いいけど)
そんなことより、今はもっと頭を悩ませていることがある。育ての親として、そして兄として慕っていた、ギネルス。
そのギネルスから受けた指示に対し、そう対処するべきか。昨晩から、キャットはずっと考えていた。
しかし致命的な弱みを握られている以上、逆らうことは難しい。
王都に到着するまで、あと八日余り。それまでに、考えを纏めなければならない。
ギネルスが最後に見せた醜悪な笑みを思い出したキャットは、苦い顔をした。乱暴に頭を掻いたあと、顔を上げて景色を見た途端、血の気が引いた。
(この村は……)
苦い記憶が、鮮明に蘇り始めた。
まだギネルスと組んでいた数年前、ルビントウに隣国の豪商が引き連れた、隊商が宿泊した。王都へ商売に行くために豪商は、隊商の荷馬車に商材と財産を積んでいたのだ。
それを狙ったのが、ギネルスとその仲間たちである。
しかし隊商を襲おうにも、富豪は多くの傭兵を雇って護りを固めていた。村に宿泊したあとも、宿や荷馬車の警護が解かれることはなかった。
そこでギネルスは、宿の食事に麻痺毒を入れる計画を立てた。その実行役に選ばれたのは、まだ十代前半だった頃のキャットだ。
若い女性の旅人として宿に泊まり、旅籠屋《鶏の卵亭》を営む老夫婦が忙しそうにしているところに、手伝いを申し出たのだ。
さほど大きくない旅籠屋で、一番の大仕事となるのが、食事の準備である。なにせ、宿泊する者だけでなく、荷馬車を警護する傭兵たちの分まで、食事を用意しなくてはいけないのだ。
大鍋のスープを任されたキャットは、ギネルスに渡された麻痺毒を入れたのだ。
これは、しばらく身体が動けなくなるものだ――そう聞かされていたキャットは、なんの抵抗もなく仕事を熟し、こっそりと村から抜け出した。
あとは、ギネルスたちの仕事だ。
先に集合場所に戻ったキャットは、夜の闇の中で仲間の帰りを待っていた。
しばらくして戻って来た仲間たちは皆、疲弊した様子だった。服や髪は土まみれで、傷を負った者もいた。
皆、出迎えたキャットに冷たい目を向けながら、奥の部屋へ行ってしまった。
最後に入って来たギネルスは、怒りを押し殺した顔でキャットを睨みつけた。
「おい――ちゃんと料理に、あの薬を入れたんだろうな!」
「い、いれたよ――スープに全部。ねえ……失敗したの?」
不安げなキャットに、ギネルスは革袋から数個の宝石を取り出した。
「失敗なんざするか! ただ、奴らが見た目よりシケてやがった。料理に手を付けてない傭兵に手こずったからな。てめぇが全員に料理を配っていれば、もっとあっさりと片付いたのによ」
「そんな――だって薬を混ぜたら、すぐに脱出って言ってたじゃない」
キャットの反論に、ギネルスは瞬間的に顔を真っ赤にさせたが、すぐに顔を背け、舌打ちをした。
少しして、キャットを振り返ると憎々しげに言い放った。
「全員にそのスープを食べさせてりゃあ、俺たちが行く頃には死体しかなかったのによ」
「……え? 待ってよ。あれって麻痺毒だったんじゃないの?」
「馬鹿か、てめえは。麻痺毒なんか、使う訳ねぇだろ。あれは、猛毒だったんだよ! あれで、宿の店主夫婦や客は全員殺せてたんだぜ? その一点については間違いなく、おまえの手柄だ――」
そこからギネルスがなにを言っていたか、記憶が定かではない。宿にいた店主の老夫婦と客の全員を、自分の手で殺してしまったという事実に、呆然としていたからだ。
それから衛兵に捕まるまでのあいだ、キャットはギネルスの手足となって働き続けた。
人を殺めてしまったという事実が、キャットを後戻りできぬ漆黒の沼へと、深く沈めてしまったのだ。
衛兵に捕まって牢獄に入れられたとき、キャットの心は沼に沈んだまま、すべてを放棄しかけていた。
そこに現れたのは、レティシアだった。レティシアはキャットの目を見つめたあと、尊大さのある笑みを浮かべながら、言い放った。
「わたしとともに来い。おまえの目は、濁りきっていない。今ならまだ、日の下に戻ることもできよう。罪を犯した分、人を助けて償っていけばいい。わたしが、その手助けをしてやろう」
それが、レティシアの騎士団に参加した切っ掛け――そして動機だった。
隊商が村の広場に停まったあと、キャットは村の宿屋へと向かっていた。
微かな望み――ギネルスの言葉がすべて嘘で、あの老夫婦が生きている可能性――を抱きつつ、緩やかに湾曲した道を進むキャットの耳に、談笑している声が聞こえてきた。
(もしかして――本当に?)
少し早足になったキャットが開かれたままになった宿の玄関を除くと、中年の男女がカウンター越しに話に花を咲かせているところだった。
キャットに気付いた女性は椅子から立ち上がると、愛想のいい笑みを浮かべた。
「あら、いらっしゃいませ。《鶏の卵亭》にようこそ!」
カウンターにいる男は夫らしく、キャットに中へ入るよう促していた。
しかし、キャットは玄関から動こうともしないまま、震える声で女性に問いかけた。
「あ、あの……ここを営んでいた老夫婦は――どうしたん、ですか?」
その問いに、僅かに見広げた目をキャット向けた夫が、怪訝そうに答えた。
「俺の親父とお袋なら、もうこの村にはいないよ。もう数年になるかな……親父たちの知り合いだったのかい?」
「前に一度、停まったことがあって……すいません」
旅籠屋から離れたキャットは、絶望感に苛まれたままフラフラと村を歩いていた。
(……やっと、あの腐った世界から抜け出せたと思ったのに)
自分の犯した罪、そして過去は、強固な楔となってキャットの魂を貼り付けにしたままだ。それに気付かないまま――随分と甘い夢、希望を抱いてしまった。
(これ以上は、団長――レティシアに迷惑をかけるだけね)
そう考えたとき、背後から声をかけられた。
「キャット。こんなところで、なにをやってるんだ?」
俺が声をかけると、キャットはまるで幽霊でも見ているような顔で振り返った。
何かを言いかけたように口を広げては閉じるを繰り返すキャットは、十秒以上をかけて、やっと言葉を発した。
「えっと……なに?」
「隊商の長さんが、今日の寝床について困っててさ。旅籠屋に泊まるか、荷馬車でも構わないか訊いてくれって言われたんだよ。キャットはどうする?」
「あたしは……荷馬車でいい」
「そっか。じゃあ、そう答えておく――いや、長さんに、そう答えておいてくれ。俺はちょっと、旅籠屋に寄ってから戻る」
「……わかったわ」
キャットが隊商の荷馬車に戻るのを見送ってから、俺は旅籠屋へと向かい始めた。
この村の旅籠屋で、キャットはなにかを話していたようだ。キャットの様子がおかしい原因がそこにあるなら、確認しておきたい。
どんな質問をしたところで、俺に対して正直に答えるとは思えない。ミィヤスがキャットの夜間徘徊を不審がっていたが、その直感は間違ってないと思う。
俺はキャットがこっちに戻ってないことを気にしながら、旅籠屋へと急ぐことにした。
---------------------------------------------------------------------------------
本作を読んで頂き、誠にありがとうございます!
わたなべ ゆたか です。
まずは、お気に入り登録をして頂いた方が増えていてビックリしました。
本当に、ありがとうございます!
本当は土曜日にアップする予定でしたが、金曜日の夜に会社の懇親会がありまして。
きっと酒が入るんだろうな――となると、土曜日の昼にアップするのは難しいと判断しまして。ただ、真夜中にアップしてもなぁ……と迷いまして、時間指定でのアップをすることにしました。
近況報告は、土曜日に纏めてということで。
次回から二章となります。
そしてまったくの余談ですが……油断しました。本文、4000文字オーバーです(泣
今回の目標がががが……もう破られたというですね。ちょい反省をしますです。
少しでも楽しんで頂けたら幸いです。
次回もよろしくお願いします!
深夜、安宿に泊まっていたミィヤスはふと目を覚ました。
起きた原因は尿意や物音ではない。どこか、胸騒ぎのようなものを感じたのだ。
「……荷馬車になにかあったのかな?」
雨戸を薄く開けて隊商の馬車列が停めてある場所を見たが、なにかが起きている様子はなかった。
警備の傭兵も巡回しているし、盗賊と戦っている様子もない。
(なんだろうなぁ……)
雨戸を閉めようとしたとき、見覚えのある影が通りかかったのを見た。
その細身の女性は、ランドや瑠胡の警護のため、メイオール村に駐屯する騎士団から派遣された――キャットという名前の騎士だ。
(なんで、こんな時間に外を出歩いてるんだろう?)
ミィヤスはその理由を考えてみたが、なにも思いつかなかった。
諦めきれずに十数秒ほど考え続けて、出した結論は「散歩……かな?」である。純粋で朴訥と評価されることの多いミィヤスだが、それも度が過ぎると欠点になるという、良い判例である。
もう寝ようかと思ったものの、やはり気になったミィヤスが外を見たときには、もうキャットの姿は見えなくなっていた。
ミィヤスは「しまったなぁ」と呟きながらも、頭の芯は睡魔に浸食され始めていた。
思考のほとんどを眠気に奪われたミィヤスは、明日になったらランドに聞いてみようと決めてしまうと、早々にベッドに潜り込んだ。
「……というわけなんだけど。なにか知ってる?」
早朝の買い出しに突き合った俺に、ミィヤスはそんなことを訊いてきた。
確かに俺と瑠胡は、キャットと同じ宿だけど。でも部屋は別だし、お互いに予定を伝え合ったりしていない。
昨晩は、それどころじゃなかったし。
繁殖期に入っているせいか、瑠胡からの好意が半端ない。最終的な行為には及ばなくても、同衾するだけで宗教的に問題になる。
インムナーマ王国の国教である、万物の神アムラダの教えで禁止になっているので、こればかりは仕方が無い。
けどドラゴンである瑠胡は、この教えをまったく意に介していない。
昨晩だってなんとか瑠胡を説き伏せることに成功し、俺は床で寝ていたのに……朝起きたときには、何故か瑠胡と同じベッドで寝ていた。
なにをやったのかは教えてくれなかったけど、このことを誰にも知られないようにしないと――と、朝一で焦る羽目になった。
そのときの記憶を頭から振り払うと、俺はミィヤスに肩を竦めた。
「キャットが夜に出歩く理由は、しらないけどな。ただ、この町に着いてから、キャットの様子は変だった気がするけど……でも、なんでそんなこと気になったんだ?」
「え? いや……なんとなく? 騎士様が夜に出歩くなんて、なんか変じゃないか」
「そりゃそうだけど……なあ」
キャットの身のこなしから元々は裏街道の人間なんじゃないかと、俺は思っている。
だから、夜に出歩いたとしても不思議じゃないが……ミィヤスには、これを言わないほうがいいだろうな。
俺は指先でこめかみを掻きながら、数秒かけて言葉を選んだ。
「まあ、あとで聞いておくよ。それより買い出しを急がないと、出発の時間になるんじゃないのか?」
「ああ、そうだ! ええっと……野菜、果物……次の村なら、安い果物が良さそうかな」
ブツブツと呟きながら、ミィヤスは品定めを始めた。
それを眺めながら、俺はキャットに深夜徘徊についてどう尋ねようか、ずっと考えていた。
*
隊商が次の村に着いたのは、この日の昼過ぎだった。
ルビントウは農村としては平均的な規模だが、旅人が立ち寄ることも多いのか、酒場を兼ねた小さな旅籠屋も営業をしている。
荷馬車の幌から顔を出していたキャットは、ボンヤリと外を眺めながら今朝のことを思い出していた。
ランドから深夜に外出したことを訊かれたときは、表情にこそ出さなかったが、心臓が飛び出そうなほど驚いた。
「ちょっと夜風に当たりたかっただけよ」
そう答えはしたものの、誤魔化しきれないと思っていたキャットだったが、ランドはあっさりと引き下がった。
あまりにも意外すぎて、拍子抜けしたくらいだ。
(まあ、いいけど)
そんなことより、今はもっと頭を悩ませていることがある。育ての親として、そして兄として慕っていた、ギネルス。
そのギネルスから受けた指示に対し、そう対処するべきか。昨晩から、キャットはずっと考えていた。
しかし致命的な弱みを握られている以上、逆らうことは難しい。
王都に到着するまで、あと八日余り。それまでに、考えを纏めなければならない。
ギネルスが最後に見せた醜悪な笑みを思い出したキャットは、苦い顔をした。乱暴に頭を掻いたあと、顔を上げて景色を見た途端、血の気が引いた。
(この村は……)
苦い記憶が、鮮明に蘇り始めた。
まだギネルスと組んでいた数年前、ルビントウに隣国の豪商が引き連れた、隊商が宿泊した。王都へ商売に行くために豪商は、隊商の荷馬車に商材と財産を積んでいたのだ。
それを狙ったのが、ギネルスとその仲間たちである。
しかし隊商を襲おうにも、富豪は多くの傭兵を雇って護りを固めていた。村に宿泊したあとも、宿や荷馬車の警護が解かれることはなかった。
そこでギネルスは、宿の食事に麻痺毒を入れる計画を立てた。その実行役に選ばれたのは、まだ十代前半だった頃のキャットだ。
若い女性の旅人として宿に泊まり、旅籠屋《鶏の卵亭》を営む老夫婦が忙しそうにしているところに、手伝いを申し出たのだ。
さほど大きくない旅籠屋で、一番の大仕事となるのが、食事の準備である。なにせ、宿泊する者だけでなく、荷馬車を警護する傭兵たちの分まで、食事を用意しなくてはいけないのだ。
大鍋のスープを任されたキャットは、ギネルスに渡された麻痺毒を入れたのだ。
これは、しばらく身体が動けなくなるものだ――そう聞かされていたキャットは、なんの抵抗もなく仕事を熟し、こっそりと村から抜け出した。
あとは、ギネルスたちの仕事だ。
先に集合場所に戻ったキャットは、夜の闇の中で仲間の帰りを待っていた。
しばらくして戻って来た仲間たちは皆、疲弊した様子だった。服や髪は土まみれで、傷を負った者もいた。
皆、出迎えたキャットに冷たい目を向けながら、奥の部屋へ行ってしまった。
最後に入って来たギネルスは、怒りを押し殺した顔でキャットを睨みつけた。
「おい――ちゃんと料理に、あの薬を入れたんだろうな!」
「い、いれたよ――スープに全部。ねえ……失敗したの?」
不安げなキャットに、ギネルスは革袋から数個の宝石を取り出した。
「失敗なんざするか! ただ、奴らが見た目よりシケてやがった。料理に手を付けてない傭兵に手こずったからな。てめぇが全員に料理を配っていれば、もっとあっさりと片付いたのによ」
「そんな――だって薬を混ぜたら、すぐに脱出って言ってたじゃない」
キャットの反論に、ギネルスは瞬間的に顔を真っ赤にさせたが、すぐに顔を背け、舌打ちをした。
少しして、キャットを振り返ると憎々しげに言い放った。
「全員にそのスープを食べさせてりゃあ、俺たちが行く頃には死体しかなかったのによ」
「……え? 待ってよ。あれって麻痺毒だったんじゃないの?」
「馬鹿か、てめえは。麻痺毒なんか、使う訳ねぇだろ。あれは、猛毒だったんだよ! あれで、宿の店主夫婦や客は全員殺せてたんだぜ? その一点については間違いなく、おまえの手柄だ――」
そこからギネルスがなにを言っていたか、記憶が定かではない。宿にいた店主の老夫婦と客の全員を、自分の手で殺してしまったという事実に、呆然としていたからだ。
それから衛兵に捕まるまでのあいだ、キャットはギネルスの手足となって働き続けた。
人を殺めてしまったという事実が、キャットを後戻りできぬ漆黒の沼へと、深く沈めてしまったのだ。
衛兵に捕まって牢獄に入れられたとき、キャットの心は沼に沈んだまま、すべてを放棄しかけていた。
そこに現れたのは、レティシアだった。レティシアはキャットの目を見つめたあと、尊大さのある笑みを浮かべながら、言い放った。
「わたしとともに来い。おまえの目は、濁りきっていない。今ならまだ、日の下に戻ることもできよう。罪を犯した分、人を助けて償っていけばいい。わたしが、その手助けをしてやろう」
それが、レティシアの騎士団に参加した切っ掛け――そして動機だった。
隊商が村の広場に停まったあと、キャットは村の宿屋へと向かっていた。
微かな望み――ギネルスの言葉がすべて嘘で、あの老夫婦が生きている可能性――を抱きつつ、緩やかに湾曲した道を進むキャットの耳に、談笑している声が聞こえてきた。
(もしかして――本当に?)
少し早足になったキャットが開かれたままになった宿の玄関を除くと、中年の男女がカウンター越しに話に花を咲かせているところだった。
キャットに気付いた女性は椅子から立ち上がると、愛想のいい笑みを浮かべた。
「あら、いらっしゃいませ。《鶏の卵亭》にようこそ!」
カウンターにいる男は夫らしく、キャットに中へ入るよう促していた。
しかし、キャットは玄関から動こうともしないまま、震える声で女性に問いかけた。
「あ、あの……ここを営んでいた老夫婦は――どうしたん、ですか?」
その問いに、僅かに見広げた目をキャット向けた夫が、怪訝そうに答えた。
「俺の親父とお袋なら、もうこの村にはいないよ。もう数年になるかな……親父たちの知り合いだったのかい?」
「前に一度、停まったことがあって……すいません」
旅籠屋から離れたキャットは、絶望感に苛まれたままフラフラと村を歩いていた。
(……やっと、あの腐った世界から抜け出せたと思ったのに)
自分の犯した罪、そして過去は、強固な楔となってキャットの魂を貼り付けにしたままだ。それに気付かないまま――随分と甘い夢、希望を抱いてしまった。
(これ以上は、団長――レティシアに迷惑をかけるだけね)
そう考えたとき、背後から声をかけられた。
「キャット。こんなところで、なにをやってるんだ?」
俺が声をかけると、キャットはまるで幽霊でも見ているような顔で振り返った。
何かを言いかけたように口を広げては閉じるを繰り返すキャットは、十秒以上をかけて、やっと言葉を発した。
「えっと……なに?」
「隊商の長さんが、今日の寝床について困っててさ。旅籠屋に泊まるか、荷馬車でも構わないか訊いてくれって言われたんだよ。キャットはどうする?」
「あたしは……荷馬車でいい」
「そっか。じゃあ、そう答えておく――いや、長さんに、そう答えておいてくれ。俺はちょっと、旅籠屋に寄ってから戻る」
「……わかったわ」
キャットが隊商の荷馬車に戻るのを見送ってから、俺は旅籠屋へと向かい始めた。
この村の旅籠屋で、キャットはなにかを話していたようだ。キャットの様子がおかしい原因がそこにあるなら、確認しておきたい。
どんな質問をしたところで、俺に対して正直に答えるとは思えない。ミィヤスがキャットの夜間徘徊を不審がっていたが、その直感は間違ってないと思う。
俺はキャットがこっちに戻ってないことを気にしながら、旅籠屋へと急ぐことにした。
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本作を読んで頂き、誠にありがとうございます!
わたなべ ゆたか です。
まずは、お気に入り登録をして頂いた方が増えていてビックリしました。
本当に、ありがとうございます!
本当は土曜日にアップする予定でしたが、金曜日の夜に会社の懇親会がありまして。
きっと酒が入るんだろうな――となると、土曜日の昼にアップするのは難しいと判断しまして。ただ、真夜中にアップしてもなぁ……と迷いまして、時間指定でのアップをすることにしました。
近況報告は、土曜日に纏めてということで。
次回から二章となります。
そしてまったくの余談ですが……油断しました。本文、4000文字オーバーです(泣
今回の目標がががが……もう破られたというですね。ちょい反省をしますです。
少しでも楽しんで頂けたら幸いです。
次回もよろしくお願いします!
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