不思議な夏休み

廣瀬純七

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健一になった香織の帰宅

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 午後六時過ぎ、病院からの帰り道。香織は不安で胃がきゅっと縮むような思いを抱えて歩いていた。健一の体に入ったまま、これから彼の家に帰らなければならない。

 (落ち着いて、私。大丈夫、大丈夫。さっきの会話を思い出して……)

 病院での混乱の中、4人は協力して看護師に「雷の直撃ではなく、近くに落ちた音に驚いて倒れた」と説明し、念のため検査を受けただけで解放された。身分証明も、保険証も、着ている制服の名前も、すべて「健一」だった。だから彼の家に「帰る」のは自然なこと。だけど、家族と顔を合わせた瞬間にボロが出たら終わりだ。

 中村家は二階建ての一軒家。香織は手に入れた健一のスマホのメモにある住所を頼りに、インターホンを押した。

 「……健一? あら、思ったより早かったじゃない。ごはんもうすぐできるわよ」

 出てきたのは、エプロン姿の母親だった。優しげな顔に笑みを浮かべて、まったく疑いの色はない。

 「う、うん……ただいま」

 声が低く、違和感があったが、母親は特に気に留めなかったようだ。

 「倒れたって聞いて心配したのよ。でも検査で何もなかったならよかった。ほんとに、もう……今日は暑すぎたんじゃない?」

 「そう……そうみたい。びっくりしたけど、今は大丈夫」

 頷きながら、香織は家に上がった。玄関の匂い、壁に飾られた家族写真、スリッパの位置――全てが知らないものなのに、「知っているふり」をしなければならない。

 二階にある健一の部屋に通されると、香織はドアを閉めてからやっとため息をついた。部屋の中には教科書や部活の道具、ゲーム機が無造作に置かれていた。これが健一の日常、彼の「世界」だった。

 (ここで暮らすって、簡単なことじゃない……)

 そう思いながら、机の上にある学校の連絡帳やスケジュール表、さらにはLINEの履歴などを急いでチェックし始めた。どんな口調で家族と話していたのか、何が好きで、何が嫌いなのか――些細な情報を必死に詰め込む。

 それでも夕食の時間はやってくる。

 テーブルには、母親の作った唐揚げと冷や奴、味噌汁。それに麦茶。父親は帰りが遅いようで、今日は不在らしい。向かいに座っているのは、中学三年生の妹・沙織。大人しそうな眼鏡の少女だが、兄の異変に一番敏感そうな存在でもある。

 「兄ちゃん、今日、なんかおかしくない?」

 案の定だった。

 香織は箸を止め、ぎこちなく笑った。

 「そ、そうか? 雷のせいかな……まだちょっとボーッとしてるんだよね」

 「ふーん……」

 沙織はじっと見つめてきたが、唐揚げを口に入れると、それ以上は何も言わなかった。

 香織は慎重に言葉を選びながら会話を続けた。普段通りを意識しすぎると不自然になりそうで、あえて少し黙ってみたり、適当な相槌を入れたり。

 「明日、部活行くの?」

 母親の問いに、一瞬考えたのち、スマホのカレンダーを思い出して答えた。

 「……いや、明日は休みみたい。あ、でも念のため連絡してみるよ」

 「そう? あんまり無理しないでね」

 香織は静かに頷いた。緊張の汗が背中を伝う。でも、バレてはいない。たぶん、演じきれている。

 夕食後、洗い物を少し手伝い、部屋に戻ると、香織はぐったりとベッドに倒れた。

 (これが、“健一として”の生活……。毎日が演技、気を抜けない。でも……)

 天井を見つめながら、香織は小さく笑った。

 (演劇部でやってた練習、こんなところで役に立つなんて思わなかったな)

 中学時代、香織は演劇部に所属していた。舞台の上で別人になりきること。それが今、現実に求められている。

 (よし……明日もがんばろ)

 そう自分に言い聞かせて、香織は“健一の体”で、眠りについた。

 外では、まだ雨の名残が空を濡らしていた――。

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