カオルとカオリ

廣瀬純七

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女子トイレの関門

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 5時間目の授業が終わると同時に、クラスの女子たちはわらわらと席を立ち、教室の外へと出ていった。

 香織の体で過ごす薫もまた、教科書を閉じて立ち上がったが、ほんのわずかに足がすくんだ。

 (……行くしかないよな)

 香織の体には、生理的なリズムもある。トイレを我慢しすぎれば、周囲の誰かに「体調悪いの?」と気づかれてしまう。そんな些細なことで、香織の“違和感”がばれるわけにはいかない。

 (男子トイレに入るわけにもいかないし……)

 廊下を歩きながら、薫は目線を落とした。制服のスカートが揺れている。足音も、いつもの自分よりも軽やかに響いた。

 そして、その先に――女子トイレの扉が見えてくる。

 薫は、自然な歩調を装いながらも、その前でぴたりと立ち止まってしまった。

 白くて清潔なドア。プレートには「女子」と明記されている。扉の向こうからは、談笑する声がかすかに聞こえてくる。

 (無理だろ……いや、でも入らなきゃ……)

 体は香織のものだ。けれど“中身”は男の薫だ。その事実が、目の前のたった一枚のドアを、まるで鉄の壁のように重くしていた。

 (香織は、こんなところに毎日入ってるのか……。いや、当たり前か。女の子なんだから)

 『ごめんね、薫。私、今日はどうしても目を覚ませないみたい』そう言う香織の声が聞こえた気がした。

 もし、今この瞬間だけでも香織が戻ってきてくれたら、と何度も思った。けれど、彼女の気配は、まだ感じられない。

 そのとき、後ろから声がかかった。

 「香織ー、トイレ? 一緒行こっ!」

 同じクラスの女子、千春だった。

 「っ……う、うん!」

 咄嗟に返事をしてしまい、逃げ場をなくした薫は、内心の動揺を隠しながらドアを押した。

 トイレの中は、明るくて整然としていて、想像よりも「普通」だった。鏡の前で髪を整える子、ハンカチで手を拭く子、ちょっとした女子トークをする子たち――。

 薫は、ゆっくりと個室の一つに入り、鍵を閉めた。

 (よかった……誰にも怪しまれなかった……)

 けれど、心臓はまだ早鐘のように打ち続けていた。

 自分が「女の子」として、こうして振る舞わなければならないこと。それが、たった一つの自然なことのようでいて、自分にとってはとてつもない境界線なのだと、改めて思い知る。

 香織が日々こなしていたことの一つひとつが、こんなにも繊細で、緻密な「生き方」の積み重ねだったのか。

 (……香織。お前、すげぇな)

 呟いて、深呼吸を一つ。

 薫は、個室の鍵を開け、鏡の前に立った。映るのは、昨日と同じ顔。でも、今日は間違いなく――“自分”がそこにいる。

 そっと前髪を整え、微笑みの練習を一つ。

 「……香織として、もう少し頑張るよ」

 そう、鏡の中の彼女に誓った。

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